15
初手は、ベルドが動いた。
「はああぁぁっ!」
気合も十分、エリスの鞭の動きに気を付けながら、剣を振り上げ、本気で襲い掛かった。
油断も、慢心もしていなかった。相手は得体のしれない魔道具を使っているのだ。魔術で防御を固めながら、切りかかる剣筋は鋭く、観覧席の騎士団長や魔術師団長からは「ほう……」と感心したような声が上がったぐらいだった。
相手が女である以上、傷はつけたくなかったが、王宮には専属の治癒魔術士がいる筈。長引くよりは一気に攻めて、死なない程度に相手を戦闘不能にし、早めに終わらせるつもりだった。
どうせ傷がついても、自分が娶る相手だと、一切、加減をしていなかった。その事からも、ベルドがエリスをどれほど下に見ているか分かる。
だが。ベルドの渾身の一撃は、エリスの軽く動かした鞭に阻まれた。鞭の先が生き物の様に動き、剣の勢いを殺す。剣に絡みつきそうなそれに驚き、思い切り振り払った。
「あら。剣を折ろうと思ったのだけど、なかなか加減が難しいわ」
エリスの呟きを拾って、ベルドは慌てて距離を取った。それ以上に、不気味だった。鞭が、あんな動きをするなんて。
ベルドが驚いている間に、エリスが鞭をしならせる。すると、鞭の先から炎が噴き出し、蛇の様にベルドに襲い掛かってきた。
驚きながらも冷静に、ベルドはまずはあの鞭から破壊しなくてはと思った。鞭を断ち切ろうと、得意の風魔術を刃のように飛ばす。だがそれもあっさりと、鞭に吹き飛ばされた。
「なんだとっ?」
思わず、ベルドは声を上げていた。鞭が、魔術を吹き飛ばしただと? なんなんだあれは。アレが鞭でいいのか? 鞭の概念を超えているじゃないか!
渾身の風魔法まで吹き飛ばされ、思考が固まったベルドの隙を見逃さず、炎を帯びた鞭がベルドの腕に容赦なく振り下ろされた。
「ぐっ」
鋭い音と強烈な痛みに、ベルドは慌てて後ろに飛びのく。だが執拗に追いかけてきた炎が絡みつき、更にベルドの腕を焼いた。
「うわあぁぁっ!」
「ベルド様!」
決闘を見守っていたシルから、悲鳴が上がった。ベルド付の護衛たちが駆け寄ろうとするのを、ジラーズ国王の叱責が止める。
「手を出すことはならぬ!」
王の命に、シルたちは思わず踏みとどまった。ベルドを守る役目の彼らにとって、苦痛を伴う命だった。成す術もなく、主人が傷つくのを見守る事しか出来ないのだ。
ベルドは利き腕を焼かれたが、残る腕で必死に剣を構えていた。ベルドは治癒魔法は使えないため、傷を負ってもそのままだ。痛みのせいで術に集中できないせいか、身を守る魔術も途切れていた。
「炎との相性は良さそうねぇ……。それでは、これはどうかしら?」
隣国の王太子に大怪我をさせているというのに、エリスは一向に気にする様子もなく、鞭の試用に夢中になっていた。炎を消したかと思えば、今度は水を纏わせる。
「炎の次は水だと?」
「あの鞭は、一体何なんだ?」
「ううむ。ラース侯爵、あれは魔力剣の応用か?」
観客席から興奮したような声が漏れる。ロメオ国王が説明を求める様にラース侯爵を見ると、ひじ掛けに腕をついて、幸せそうに転寝をしているラース侯爵の姿があった。
酔うとすぐに眠くなる性質なのだ。シュウが気を利かせて、そっと膝掛けを主人に掛けていた。
ジラーズ国王はエリスとベルドの戦いを凝視しながら、頭の中は猛スピードで回転させていた。先ごろ画期的な魔力剣の製法が、ロメオ王国で開発されたと発表された。各国がその魔力剣の情報を手に入れようと躍起になっている。
ロメオ国王は、ラース侯爵にエリスの持つ鞭について、『魔力剣の応用か?』と尋ねていた。もしやロメオ王国の魔力剣に、ラース侯爵家が関わっているのだろうか。ジラーズ国王も、バーゴニー伯爵からラース侯爵家の話は聞いていて、その恐ろしいまでの有能さは分かっていたつもりだったが。
もしも魔力剣がラース侯爵家によるものだとしたら、有能どころではない。偶然とはいえ、ベルドはとんでもない一族に狙いを付けた様だ。
ラース侯爵家との縁を結ぶことが出来れば。ロメオ王国秘蔵の魔力剣の秘密が知れるかもしれない。その益を思うと、先ほどまで少しはお灸を据えてやろうなどと思っていた愚息を、俄然、応援する気になった。なんとしても勝って、エリス嬢を妃に迎えて欲しい。負けたとしても、難癖をつけて縁を結ぶことは出来ないだろうか。息子を傷物にされたとか何とか言って。いや、これは令嬢が結婚したい相手に使う手口か。男では無理か。
ジラーズ国王の本心が、息子の応援から邪なものに変わりつつあったが、それとは関係なく、決闘は続いていった。
水を纏った鞭はするりと音もなくベルドの顔に襲い掛かる。口と鼻に巻き付き、ゴボリとベルドの口から苦しそうな音が漏れた。水が口や鼻から流れ込み、息が出来ない。
「人を窒息させるのは、少量の水があれば可能なのよ。ご存知かしら?」
水の中でもがく様に、ベルドは鞭を引き剥がそうと暴れる。しかし隙間なく巻きつく鞭に爪すら立たず、空気を奪われ焦るベルドの力を奪っていく。
派手さはないが、音もなく人を無抵抗にするその技法に、影たちが感心半分、恐ろしさ半分といった表情を浮かべて、眺めていた。
「ベルド様!」
見かねたシルが、我慢できずに、王の命令を無視してベルドの側に駆け寄ろうとした。だがエリスが予め仕掛けていた結界に阻まれて、近寄ることすら出来ない。
「エリス嬢! お止めください。これ以上は、ベルド様が死んでしまいます!」
シルの必死の叫びも、エリスはどこ吹く風だ。鞭に籠める魔力量を変え、ベルドが死なない程度に水の量を調整している。その目は冷静に鞭の性能を分析する魔術師の様だった。
シルは魔力を練り上げ、結界を壊す魔術陣を作り上げる。父であるバーゴニー伯爵は魔術の腕も良く、シルはその手ほどきを受けていた。力いっぱい魔術陣を結界にぶつけると、意外なほど呆気なく、結界は壊れた。
「ベルド様! 大丈夫ですか?」
躊躇なくベルドの側に駆け寄り、シルは鞭をベルドの顔から引き剥がす。鞭から解放されたベルドは、ゲホゲホと身体を折って咳き込んだ。成す術もなく蹂躙されたのが余程ショックだったのか、呆然として座り込んでいた。
「シル・リッチ。下がりなさい」
神聖な決闘の場に侵入してきたシルに向け、威嚇するようにエリスは鞭で地面を一閃する。その軽い一撃で地面はえぐれ、土ぼこりが巻き上がった。
それを見て、ベルドがシルを背に庇い、悪鬼の様な表情でエリスを怒鳴りつける。
「やめろ! 俺のシルに、傷一つ付ける事は許さんぞ!」
途端、ベルドは炎を纏った鞭に横っ面を一閃され、吹っ飛ばされた。
「そういうセリフは、少しでも勝機を見出してから仰るべきですわ」
エリスが、冷ややかに告げると、半泣きのシルが、エリスに向かってひれ伏した。
「もう、お許しください、エリス嬢! ベルド様に代わって、私が罰を受けますから!」
その言葉に、エリスは楽しそうに笑い声を上げた。
「まぁ、貴女、本気でこの方に代われると思っていらっしゃるの? 一介の伯爵令嬢である貴女が、王太子殿下に?」
その言葉に、シルは弾かれた様に顔を上げた。
頭が真っ白になった。どうして。今まで、見破られた事などなかったのに。
シルが伯爵令嬢だと。女だと、エリスはそう言ったのだ。
愕然とするシルに、エリスは呆れた様な視線を向ける。
「貴女、その程度の変装で、女性であることを隠し通せると思ったの? 歩き方や骨格で、女性という事は初めから分かっていたわ。だぼだぼの服を着ていたって、体型が隠しきれていないし。偽るなら、もう少し研究なさいな」
その言葉に、シルが女性だという事に全く気付いていなかった観覧席の面々は、気まずい思いで視線を逸らした。いや、普通は気づかないだろう。あんなに髪が短いのだ。ロメオ王国では、貴族も平民も、女性は髪を長く伸ばす。それに、体型だって小柄な少年にしか見えない。
「シル・リッチの本名はシルフィア・バーコニー。ジラーズ国王の影を務めるバーコニー伯爵家の3女よね。幼い時から、男装してベルド殿下に仕えていたのは、ベルド殿下の元にバーコニー伯爵家の者がいたら、殿下の居場所が敵方にバレてしまうからね?」
歌うようにエリスがスラスラと告げる。これらは全て、ラース侯爵家の優秀な影たちが調べ上げたことだ。相手が同業種であろうと関係ない。彼らはとても優秀だから。
まるで見ていたように言い当てられて、シル、いや、シルフィアは何も言えずに口を閉じた。
何もかも見透かされているようで恐ろしさに身体が震えた。父であるバーゴニー伯爵から、『紋章の家』の優秀さは聞かされていたが、探られているような気配は、まったく感じなかった。シルフィアとて、影として務めて長いというのに、他の影の気配など、全く気付かなかった。いつの間に、どうやって調べていたのか。
シルの驚愕を他所に、エリスは全く別の事を考えていた。
「ふふふ。身分と性別を偽って主人に仕える側近。その間に芽生えた秘密の愛。まるで恋愛小説のようだわ。……本来の性別に戻り、秘めた愛を成就させるのが物語のハッピーエンドだけど。……2人の愛は果たして、実るのかしら」
楽し気なエリスの声は、幸いなことに、力なく地面に伏すベルドと、恐ろしさで呆けているシルには届いてはいなかった。
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