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エリスの発言は、ともすればジラーズ王国に対する最大の侮辱であった。ジラーズ王国が貴族を重視していないとあてこすっただけでなく、ジラーズ王家に全力で歯向かうというのだから。だが、その発言を怒るどころか、ジラーズ国王は高らかに笑い飛ばした。
「我が愚息の発言を鑑みれば、反論も出来んな。しかし、ジラーズ国王として、これだけは断言しておこう。貴族は国の大事な礎よ。それが分らぬ者に、王位など以ての外だ」
我が子だろうと容赦なく、ジラーズ国王はベルドに吐き捨てる。
「己で側近を育てる事もせず、他人の側近を力づくで奪おうとするなど、情けないわ。その上、断られて決闘を申し込むなど……。愚か過ぎて、アレが唯一の子でなければ、早々に廃嫡できるというのに」
ベルド一人しか子がなく、それ以外は遠い縁戚のみ。もしもベルドが王位を継がなければ、次の王位を巡って、縁戚の者たちがまた次代を争うであろう。たとえどんな阿呆でも、ベルドが王にならなくては、国が荒れる。
「そ、そんな。父上。わ、私とて、努力したのです。ですが、あんな田舎では、碌な人材はなく」
「お前の母は、家門の中から優秀な者を何人もお前に引き合わせていたであろう。それをお前は、選り好みし、挙句に一丁前に悋気などに振り回されて、その目を曇らせていたのだろうが」
父からの冷ややかな言葉に、ベルドはとっさに俯き、唇をかみしめた。
自分の本心を父に知られていたのに驚き、反論の言葉は宙に消える。
たしかに、母はベルドのために優秀な人材を揃えてくれた。家庭教師、護衛、使用人。そして、シルだけではない、数名の側近候補を。家庭教師や護衛、使用人たちは自然とベルドより大人の、どちらかといえば熟練故に年配の者ばかりだった。だが、側近候補は違う。ベルドと共に育つべく、年齢の近いものたちが選ばれていた。
そんな側近候補たちを、ベルドはシル以外は受け入れなかった。皆、見目麗しく、優秀で、忠義心に篤かった。いずれは王になるベルドを支えるにふさわしい人材だった。だが。
どうしてもベルドは、彼らを自分の側に置きたくなかった。見目麗しく、優秀であればあるほど。
「あらまぁ。随分と拗らせていらっしゃいますのね?」
くすくすと嘲るように笑うエリスに、馬鹿にされたと感じて、ベルドは混乱と怒りで、頭が真っ赤に塗りつぶされたように感じた。
「エリス・ラース。よくも馬鹿にしてくれたな! 女だからと、手加減などしてもらえると思うな」
怒りに震えながら剣を構えるベルドに、ジラーズ国王は呆れた目を向けたが、無言で首を振った。そのまま何も言わずに、シュウに案内され、観覧席へ移動していく。
そんな父の姿に、ベルドは焦りを感じたが、今更引く事など、出来なかった。
「もとより、こちらとて手加減などするつもりはございませんわ」
エリスは鞭を構え、まるで舞台女優の様に、観覧席に向かって一礼する。
「お客様もお揃いですわ。それでは、決闘をはじめましょうか」
◇◇◇
シュウの案内で観覧席にやってきたジラーズ国王に、観覧席の一同は動揺を抑えて、跪いて迎えた。ロメオ国王と王太子ブレインは立場上、膝を突くことはせず立ったままだ。ロメオ国王は歓待するように両手を広げた。
「ロメオ王国へようこそ」
「突然の訪問となり、申し訳ない。皆も楽にしてくれ。礼を尽くさねばならんのはこちらの方よ」
ジラーズ国王の許しを得て、皆は戸惑いながらも、それぞれの席に戻る。ジラーズ国王はロメオ国王の隣の席に案内された。
突然の隣国の王の出現に、皆の緊張は高まりっぱなしだ。騎士団長はこんな大物を迎え入れるには警護の体制が整っていないと焦ったし、魔術師団長など、表面は王宮内に張り巡らされた結界の魔術をどうやって潜り抜けて転移したのかと気になっていた。2人とも、何事もないような顔を装っていたが、胃はキリキリと傷んでいた。『紋章の家』が絡むと、いつもこうだ。
「御酒や軽食はいかがなさいますか? 毒見は私が務めましょう」
サラリと空気のように自然にシュウが給仕に加わり、ジラーズ国王に訊ねる。
「其の方が毒見を務めるのであれば、安心だが……。毒見は我が国の者に任せようか」
バーゴニー伯爵一人だけでは心もとないと、ベルド王太子付きの影たちが数人、ジラーズ国王の出現と同時に付いている。シュウは姿を現した影たちに頷き、素直にワインと軽食を差し出した。
「此度は、愚息がご迷惑をおかけした。ブレイン王太子にも、日頃から世話を掛けていると聞いている」
「なんの。若い内は功を焦り、失敗する事もあるでしょう。なぁ、ブレイン」
「はっ」
ブレインは父の言葉に顔を赤らめた。ほんの一年ほど前、ブレインも慢心ゆえに側近共々、魔獣に殺されかけた身だ。その時の、エリスへの恋慕の気持ちまでうっかり思い出し、ブレインは表情を作るのに苦労した。すぐ隣には妃候補であるレイアがいるというのに。
自分の不実さが許せずに目を伏せていると、そっと手が握られた。レイアが心配そうにこちらを覗き込んでいた。レイアが妃候補となった時に、ラース家との関わりについては全てを話したので、レイアはブレインが死にかけた時の話も知っている。側近たちやダフとラブを巻き込んで全滅しかけた事を悔いている事も。それをブレインが思い出したのかと、心配になったのだろう。
そのレイアの心遣いに、ほんのりと心が温かくなった。張り詰めていたものが緩むような、ほっとしたような気持だった。レイアの手を握り返し微笑むと、レイアも安心したように微笑んだ。
その顔が。とても可愛くて。
ブレインは一瞬、状況も忘れ、レイアの笑顔に見惚れてしまった。
「おお。始まる様だな」
父の声に、ブレインはハッとする。同時にレイアの手がするり離れ、ブレインは残念な気持ちになった。
残念……? 何故?
その気持ちを突き詰めて考える間もなく、ブレインは意識は鍛錬場に向かった。
ベルドは剣を構えながら、油断なくエリスの出方を伺っていた。
エリスが気が弱いただの令嬢ではないことに、ベルドは朧気に気づいていた。ベルドの前で倒れて見せたり、怯えたように震えて見せていたのは、演技だったのだろう。
先ほど、銀髪の執事や蒼髪の護衛を吹っ飛ばした手腕からも、戦いを知らぬご令嬢というわけではないようだ。気を抜いたら逆にこちらが不利になるであろう事は、理解していた。
エリスの持つ鞭。あれは、何かしらの強力な魔道具なのだろう。
そういえば、ロメオ王国の魔法省には優秀な魔術師がいて、魔道具作りが得意だと聞いている。調べたところ、ラース侯爵家は魔法省とのつながりはなかった筈だが、表沙汰に出来ない貴族同士の関係など、多々あることだ。凡庸に見えたラース侯爵家だったが、多少は認識を改めてもいいかもしれない。エリスを娶ることでその魔術師と繋がりが出来る事は、ジラーズ王国にも有利になるだろう。イジー家を召し抱える以外にも、エリスを娶る利点が増えたと、ベルドは喜んですらいたのだ。
だが、この時のベルドは、冷静なようでいて、焦りと怒りに支配されていた。側近のシルや護衛たちからの諫言も、先ほどから見せられていた転移などの異様な光景も、ベルドの抑止力にはならなかった。
もしもこの時、ベルドに冷静さが残っていたなら、彼の取るべき行動は、真摯にエリスへ謝罪しラース侯爵家への申出を、撤回するべきだった。
だがベルドの口から出たのは、謝罪どころか最後までエリスを侮った言葉だった。
「エリス嬢。先ほども言ったが、お前が女だろうと容赦はしない。ジラーズ王国の王太子の名に懸けて、私は負けない。だが、今、お前が妃になることを受け入れ、私を愚弄したことを謝罪するのなら、お前を許し、受け入れてやろう」
ベルドの良く通る声は、鍛錬場に響いた。
それを聞いた瞬間、ロメオ王国側の者たちは、心の中で『終わった』と思った。
『紋章の家』への宣戦布告。人生の終焉を自ら引き寄せた愚か者が、今、目の前にいた。
「五体満足で帰って来ると良いが……」
ロメオ国王の思わずもらした呟きに、隣のジラーズ国王がピクリと身じろいだ。
そこへ、軽く酔っ払っているラース侯爵が、フォローを入れる。
「大丈夫です、陛下。エリスもその辺は弁えていますから。ベルド殿下の御身に傷をつけたとしても、跡形もなく治癒して証拠は消し去るでしょう。ですが心は全力でへし折ると思いますので、精神的に立ち直るのは、時間が掛かるかもしれませんなぁ」
「旦那様、飲み過ぎです」
「お言葉が過ぎますよ!」
ラブとダフが慌ててラース侯爵の口を塞ぐが、遅かった。ジラーズ国王は何でもないような顔をして流していたが、ちょっとワイングラスが揺れていたので、動揺したのかもしれない。
観覧席の混乱した様子は、エリスの耳には聞こえていた。飲み過ぎている様子の父に、クスリと笑う。
今回の決闘にエリスが名乗りを上げたのは、ほんの気まぐれだ。もしもエリスが手をあげなければ、ラース侯爵自身がベルドに対処していただろう。
そうすると、あの出不精で面倒事が嫌いな父が、命じられるがまま、素直に決闘の場に立っただろうか。答えは否だ。それぐらいなら別の手を使って、決闘自体を無くしていたに違いない。
あの父が、ベルドの暗殺などという、ラース侯爵家に嫌疑がかかりそうな安直な手は使うまい。もしかしたら、ジラーズ王国自体を何らかの方法で揺るがして、ベルドが決闘どころでは無くなるように仕向けたかもしれない。そうなると被害はジラーズ王国全体に広がるが、それぐらいは躊躇う事なくやるだろう。
エリスがシュウを通じて、ジラーズ国王へ手渡した立会いのお礼。あれは元々、ラース侯爵の命でシュウが調べ上げていたものだ。ジラーズ国王へあの情報が渡ったお陰で、未だ燻る反乱分子を一掃できるだろうが。元々、父はあの情報を、ジラーズ王国を揺るがすために、どう使うつもりだったのか。
あの温和な態度とふくふくしい笑顔で忘れがちだが、父はラース侯爵家の当主なのだ。ロメオ国王は主張の少ないラース侯爵より、率直に自分の欲望を伝えるエリスの方が恐ろしいと思い込んでいるようだが。エリスに言わせれば、誰にも疑われる事なく、自分の思い通りに物事を変えていく父や兄の方が、よっぽど恐ろしい存在である。
かといって、エリスはジラーズ王国への温情で、決闘の代理を名乗り出たわけではない。
決闘を受けた理由は主に2つ。
一つは、エリフィスの作った鞭の性能を試すため。魔獣相手には試してみたが、やはり人間相手にどれぐらい加減ができるのか、知りたかったのだ。相手はジラーズ王国の王太子だが、散々貶された鬱憤も溜まっていたし、保護者の許可も得られたので思い切り試させてもらおう。
そしてもう一つ。
エリスにはベルドの側近シルについて、気になっている事があった。
ベルドが昔、優秀な側近を側に置くことを嫌がった理由は、たぶん、そういうことなのだろうと、予想はついたのだが。
そんなくだらない理由で、側近を育てる事を怠り、その穴埋めのために、大事なダフとラブを欲しがるだなんて。たかが王太子という身分で、ラース家のモノに手を出そうとするなど、身の程知らずもいいところだ。
人のものを無暗に欲しがればどうなるのかを。
今のうちに、教えてあげようと、親切なエリスは考えていたのだ。
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