13
決闘の当日。いつもは騎士たちの雄々しい声に満ちている王宮内の鍛錬場は、人払いがされ、シンと静まり返っていた。
鍛錬場が見渡せる場所に、簡易な観覧席が設けられ、そこには数人の観客が招かれていた。
観覧席の中央には、ロメオ国王、王太子ブレイン、王太子妃候補のレイア。
但し、ロメオ国王の隣の席は、なぜか空席となっていたが、国王の席と同等の、豪奢な作りの椅子が置かれていた。
次いで、少し離れた所に騎士団長、魔術師団長。そしてその息子たちであり、ブレインの側近のマックスとライト。
騎士団長と魔術師団長は、この決闘の話を聞きつけ(というか国王に愚痴られ)、観覧を希望したのだ。両者とも『紋章の家』の秘密は知っており、少なからず関わりもあるので、まあ見たいというなら構わないだろうと、国王から特別に許可された。
息子であるマックスとライトはブレインを支える未来の重臣として、今の内に『紋章の家』の事を叩き込むために同席させた様だ。『紋章の家』の戦いが直に見られると興奮気味な親たちに比べ、息子たちは緊張した面持ちだった。彼らは、いつぞや魔獣に襲われた時に『紋章の家』の実力は身をもって知っていたし、ブレインとともにベルド殿下の失礼な態度を目の当たりにしていたので、親たちほど楽観的にこの決闘を観戦する気分ではなかったのだ。
観覧席にはもう一人、決闘の当事者である筈の人物が、のんびりと座っていた。
「なぁ、ラース侯爵。本当にいいのか? 決闘を申し込まれたのは、其方であろう?」
国王に呆れた様にそう言われたのは、ベルドに決闘を申し込まれたラース侯爵、その人だ。
ラブとダフに給仕されたワインとつまみを片手に、すっかりと楽しい観戦気分の様だ。せめて、エリスの側に介添え人として、居るべきじゃないのかと、国王は思う。
ラブとダフはエリスの側に付いていたかったのだが、なんせ、ジラーズ王国の王太子とラース侯爵家の決闘などという前代未聞のイベントだ。ジラーズ王国の王太子の暴走で引き起こされただけに、他所に漏れるのは絶対に避けたい。そうなると、会場内に王宮の使用人を入れる事が出来ず、護衛の代わりは騎士団長と魔術師団長で足るとしても、世話係という者がまったくいなくなってしまう。
貴人というものは、基本、自分では何もしないものなので、僅かな時間でも世話をする者が必要だ。その世話係に、従者兼護衛のダフと、侍女兼魔術師のラブが駆り出されているのだ。
さすがにラース侯爵の様に完全な観戦気分の者はいないが、それでも飲み物や軽食には手が伸びていたので、ラブとダフはなかなかに忙しかった。これじゃあ、決闘を見る暇がないかもしれない。
「若い者のお相手は、やはり若い者がよろしいかと。年寄りが出しゃばるのは興醒めでしょう」
ラース侯爵は国王の言葉は取り合わず、グラスを傾ける。その楽しげな様子に、国王は毒気を抜かれた気分だった。隣国の王太子をあれだけ怒らせておいて、全く歯牙にもかけていない。
国王はこれでジラーズ王国との仲が拗れるような事になれば、人身売買事件以降、こちらに有利な条件で結んだ国交が崩れかねないと、内心面白くない気持ちで一杯だったが、仕方なくワインとつまみを受け取り、大人しく観戦に徹することにした。どうせ何を言ったって聞きやしないのだ。
一方の鍛錬場では。いつもより軽めだが、きっちりとドレスを着こんだエリスが相対するように立ったことに、ベルドは眉をしかめていた。
エリスの付き添いは専属執事のハルと、もう一人。見た事のない蒼髪の男だ。鋭い眼光と尋常でない魔力から、この男はベルドはエリスの護衛であろうと判断した。
「エリス・ラース。ここで何をしている。ラース侯爵はどうした」
ベルドの詰問に、エリスはいつものように穏やかに答える。
「ごきげん麗しゅう、ベルド殿下。本日の決闘は私が父の代理を務めますわ」
エリスの言葉に、ベルドの眉間の皺が深くなった。
「どういうつもりだ、俺を愚弄するつもりか」
睨みつけるだけで青くなり、フラフラと気を失ってばかりいるか弱い令嬢に決闘の相手などと言われ、馬鹿にされているとしか思えないベルドは、声を荒らげる。
「まぁ。愚弄だなんて。元はと言えば、ベルド殿下がわたくしを娶るといった事から始まった話ではありませんか。それならば、当事者のわたくしがお相手を務めるのが道理かと」
エリスは首を傾げ、指を顎に当てた。
「それに。わたくしの結婚相手は、わたくしが決めますのよ。だから父は、殿下のお申出をお断りしたのです」
エリスの珍しく強気な言葉に、ベルドは瞠目した。貴族の結婚は、家に利のある相手を吟味して、親が決めるのが一般的だからだ。たまに、子に甘い親が当人の希望通りの相手と結婚させることもあるというが、もしやラース侯爵は、そういった甘い親の一人なのだろうか。
「ふん。なんともお粗末な話だな。家門の繁栄よりも子の我儘を通すのか。大方、お前はそこの執事か蒼髪の護衛にでも懸想していて、そやつらと結婚したいと親に泣きついたのだろう。そんな甘い事ばかりしているから、お前の家は、一向にうだつが上がらないのだ。貴族としての自覚はないのか」
ベルドがそう叱責すると、控えていたハルから、ブワリと殺気が膨れ上がる。
「なんだ、執事、図星か? せっかくの好条件な婿養子先を奪われそうになって、焦っているのか?」
「……撤回してください」
据わった目でハルに睨まれ、ベルドは怒りを露わにした。
「……お前、誰に向かってそのような無礼な言葉をっ!」
「エリス様がそこの野良魔術師に懸想しているなど、なんたる侮辱! エリス様のお心が向けられる先はこの専属執事たる私一人! 道端の石ころの如き野良魔術師になど、向くはずがありません!」
「……は?」
呆気にとられるベルドを他所に、控えていた蒼髪の護衛ことエリフィスが殺気を漲らせた。もっとも、殺気を向ける先はベルドではなく、ハルにだったが。
「そうか、それほど死にたいのか、変態執事」
「ふ。誰に言っているのだ、野良魔術師。もしや私か? お前ごときに、この私が殺れるとでも?」
「勿論だ、変態執事。お前とはそろそろ決着を付けねばと思っていたのだ」
ベルドそっちのけで、ハルとエリフィスは睨みあう。まるで縄張り争いをしている犬の様に、顔を合わせれば喧嘩ばかりしているのだ、この二人は。
観覧席では、思いもかけぬところで別の争いが始まりそうだと、緊迫した雰囲気になっていた。ハルとエリフィスの不仲は、観覧席の面々には周知の事実だ。S級冒険者の実力をもつハルと、魔法省副長官のエリフィスが本気でぶつかれば、一体どれほどの被害が出るのか、予想もつかない。
鍛錬場のハルとエリフィスは、睨みあいながらいくつもの魔術陣を展開させている。観覧席の騎士団長と魔術師団長が、珍しい魔術陣の同時展開を、見逃すまいと食い入るように見つめていた。
「何考えているの、あの二人。こんなお偉方がみている中で、馬鹿じゃないの? ほんっとーに、あんなダメな大人にはなりたくないわ」
「同感だ」
ハルとエリフィスの喧嘩など見慣れているラブとダフは、冷めた目線をハルとエリフィスに送り、こそこそと囁き合う。
「ううーん。失敗した。このワイン、ちょっと甘すぎるな。あまり好みじゃない」
ラース侯爵に至っては、ワインの方が気になって、ハルとエリフィスの小競り合いなど、気にしてもいなかった。興味がないのだろう。
その時。ビシリッと、鋭い音が走り、睨みあうハルとエリフィスが吹っ飛んだ。
「キャインッ」
「うわっ」
鞭に籠められた魔力に吹っ飛ばされ、べシャリと土に臥せるハルとエリフィス。お互いを消滅させようと展開していた魔術陣は消え、力なく倒れる二人の従僕を一瞥し、エリスは冷笑を浮かべる。
「ハル、エリフィス。わたくし、忙しいの。大人しくしていなさいな」
鞭をしならせエリスがそう命じると、エリフィスは青い顔でコクコクと頷き、ハルはうっとり蕩けた赤い顔で何度も頷く。
「ウチの子たちが、失礼いたしました。ベルド殿下」
優雅に礼をとるエリスに、ベルドは信じられないもの見たように、ぽかんと口を開けている。ハルとエリフィスの禍々しいまでの魔力から、二人の実力が相当なものだとベルドにも分かった。そんな二人が、エリスの鞭の一振りであっけなく吹き飛ばされ、無力化されたのだ。驚くなと言うのが無理だ。
「失礼ついでに、先ほどのベルド殿下のお言葉、訂正させてくださいな。ラース侯爵は、わたくしの我儘を聞いて、ベルド殿下のお申出を断ったわけではありませんわ」
手首を動かし鞭の調子を確かめながら、エリスは淡々と告げる。
「そもそも父に、わたくしの結婚相手を決めることなど出来ないのです。生涯の相手を他人に決められるなど、そんな暴挙、ラース家の者なら全力で抵抗いたします。例え相手が実の親であろうとも、必要ならば排除するまで」
チラリとエリスが観覧席のラース侯爵に視線を向ければ。ラース侯爵は楽しそうにワイングラスを高く掲げている。「その通り」と同意しているようだが、まだ決闘が始まる前だというのに、やけに陽気だ。すでに酔っているのかもしれない。あまり酒には強くないのだ。
「ですから。殿下の妃となることを拒否するわたくし自身が、決闘のお相手を務めるのが道理ですわ。ふふふ、ベルド殿下。わたくしを妃にして、ダフとラブを手に入れたいと本気で仰るのなら、全力でわたくしをねじ伏せて下さらないと、お応えする事は出来ませんわ」
その冷酷な微笑みに、ベルドは自分がとんでもない勘違いをしていたのではないかと、遅ればせながら、ようやく気付いた。
◇◇◇
「御前、失礼いたします」
ベルドが嫌な予感に冷や汗を垂らしたその時。
静かに響く声が、鍛錬場を揺らした。
忽然と、その場に銀髪の執事が現れる。ハルによく似た容貌に、年月を重ねた事で備わった、重厚さと落ち着いた雰囲気。ラース侯爵家の筆頭執事シュウ・イジーだ。
そしてその隣には、赤髪と紅瞳の、堂々たる体躯の美丈夫。豪奢な装いと、並々ならぬ迫力が、唯人でないことを示していた。
「ち、父上?」
ベルドは、声がひっくり返るのを抑えられなかった。そこにいたのは、見間違い様のない姿。ベルドの父であり、ジラーズ王国の国王だ。
「本当に連れてきたのだなぁ……」
観覧席から、ロメオ国王の諦めの混じったため息が聞こえた。事前にラース侯爵から報告があったとはいえ、本気で隣国の王を転移でロメオ王国に連れてくるなど、正気の沙汰ではない。ちゃんとジラーズ国王の許可を取れと念を押したが、本当に大丈夫なのだろうか。国交断絶どころか、戦争になったりしないだろうか。金が掛かるから嫌なのだが。
ロメオ国王の心配をよそに、ラース侯爵は陽気に「おお、ベルド殿下は御父上に瓜二つなんですなぁ」と、どうでもいい事を言っている。この酔っ払いめ。
「な、なぜ父上がここに。な、なぜそんな、少数の護衛でっ」
ジラーズ国王に付き従っていたのは、影であるバーゴニー伯爵ただ一人。一国の王がこうも無防備に、他国の地を踏むなどありえない事だ。しかし、ベルドの動揺を他所に、ジラーズ国王はどこか楽しそうに鍛錬場を見回していた。
「ほう。息子がいるということは、ここはロメオ王国なのだな。お主の言う通り、本当に一瞬での移動だったな」
「細心の注意を払って転移をいたしましたが、お身体に不調などはございませんか?」
恭しく訊ねるシュウに、ジラーズ国王は笑った。
「ない。瞬きの間に場所が変わるとは、なかなか愉快な体験だった」
ジラーズ国王の満足げな様子に、シュウは一礼する。
「ち、父上……」
「ベルドよ。そこのラース家の者から、経緯は聞いておる。色々と言いたい事はあるが、お前の言い出した決闘だ。責はお前がとれ」
冷たい一瞥と共に、ジラーズ国王はそうベルドに言い放ち、視線をエリスに向けた。
「そなたがエリス嬢か。此度は我が息子が迷惑をかけたな」
「お初にお目にかかりますわ、ジラーズ国王陛下。ラース侯爵が娘、エリス・ラースでございます」
優雅に一礼したエリスに、ジラーズ国王は目を細めた。
「して、我が身をこの国に運ばせた理由は? 書状には、其方の父が決闘を申し込まれたとあったが」
「ジラーズ王国の王太子殿下と父の決闘、わたくしが代理で受ける事になりました」
「其方が?」
エリスの言葉に、ジラーズ国王は驚く。ベルドは王太子として日々研鑽を積み、剣や魔術もそれなりの成果をあげている。華奢な令嬢が決闘を受けるなど、万が一にも勝てる筈がない。
だが、とジラーズ国王は考えを巡らせた。ジラーズ国王をここに連れてきた執事から渡された書状には、『決闘を行うので立ち会って欲しい』とは書かれていたが、『決闘を止めて欲しい』とは書かれていなかった。王太子の愚行を止めて欲しいのではなく、立ち会いを望むという事は、ラース侯爵側に勝算があるということなのだろう。
この令嬢が決闘の代理人を務めるというのに、それは可能なのだろうか。
ジラーズ国王の感情の読めない目を見返して、エリスは朗らかに告げる。
「此度の事は、我が侯爵家がジラーズ王国との縁を結べるという栄を辞退したが故に、ベルド殿下の御不興を買った事が原因でございます。ベルド殿下は、たかが侯爵家の後継と、殿下の妃、どちらが重要で有益か、考えるまでもないだろうと仰いました」
「……愚か者めが」
不機嫌にジラーズ国王が唸るのに、ベルドは落ち着かなげに目を逸らす。
「たしかに、一国の妃としての役割は重要であることは理解しておりますし、ジラーズ王家の方にとっては、臣下である貴族など取るに足らない存在かもしれませんが。わたくし、一貴族として、我が家門にはそれなりの誇りをもっておりますのよ」
エリスは微笑んでいる。だがその笑みには、先ほどまでの朗らかさは微塵もなかった。酷薄な、温かみのない笑みは、空恐ろしかった。
「ですから、わたくしはラース侯爵家の名に懸けて、ジラーズ王家からのお申出には、全力で抵抗させていただきますので、その許可を頂きたかったのです」
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