12
昼は光り輝く様に華やかな王宮内も、夜になれば闇の世界で閉ざされる。
そこかしこに頼りない明りが灯されているが、王宮の隅々まで照らす事は無い。明りの届かぬ場所には、招かれざる者たちが隠れるのに絶好の場所だった。
「今夜こそ成功させるのだ。正しき方を王座に」
「ああ」
決意を込めて進む男たち。入念に王宮内を調べ、こうして王の寝所近くまで辿り着くのに、長い年月をかけた。これもすべて、彼らが真の王と仰ぐ、不遇の第1王子のため。
悪しき者の姦計で高貴な身の王子が幽閉されているのをなんとか正そうと、彼らは虎視眈々とこの機会を待っていた。厳しい警護と防御の結界を潜り抜け、男たちは歩みを進めていく。
とうとう、男たちは王の寝所の前にたどり着いた。王の寝所には屈強な近衛が何人もいて、本来ならば近づく事すらできないだろう。だが、彼らの仲間には珍しい闇魔法の遣い手がいた。火魔法や風魔法に比べ、殺傷能力は低いが、闇魔法は身を隠したり気配を消したりという能力に長けていた。精鋭の近衛であっても、こちらの存在に気づかなければ無力なものだ。気づかれる事なく近づき、近衛たちの意識を刈り取る。
「いざ。真の王に仇する敵を討つのだ」
「おう!」
それぞれに構えた得物は刃の短いナイフだった。その刃には猛毒が塗ってある。王の命を獲れば、後は他の仲間たちが引き受けてくれる。彼らは無事に戻ることは諦めていた。ただ王の命を奪う。それだけが、彼らの役目だった。
「何者だ」
王の寝所に滑り込むと、寝台の上から誰何の声が上がる。彼らはこの時、気配を消す闇魔法を使用していなかった。王の命を奪うとき、その理由を王に知らしめるのだ。そのためにワザと、王に気配を察知させた。
寝台の上で、王はしっかりと剣を構えていた。赤髪と赤い眼の美丈夫。壮年という年ではあるが、衰えぬ美貌と何ともいえない色気があった。この外見の魅力に誑かされる者も多い。がっしりとした身体つきから、しっかりと鍛えているのも伺える。剣の腕はどれほどかは分からないが、この人数なら遅れをとることもあるまい。
「王よ。正しき方にその座を譲っていただく」
「第1王子派の者か。諦めの悪い。俺を殺したところで、あれ程大々的に公開された、兄の悪行が無くなることはあるまい」
剣を構える王が、顔をしかめた。吐き捨てる様な物言いに、男たちの頭にカッと血が上る。
「第1王子は真の王に相応しい方。お前の死で、それを証明して見せる」
「ふん。民を売って私腹を肥やすような愚か者を王と崇めるなど。救いようのないやつらよ」
王は男たちを睨みつけるが、その顔色は悪い。このような騒ぎになっても、兵の一人もやってこないことに焦っていた。一人二人は斬り臥せる自信はあるが、こうも人数が多いと、圧倒的に不利だ。
「陛下!」
闇の中から、声と共に黒髪の壮年の男が躍り出てきた。ジラーズ国王の腹心の部下であり、影を統べるセス・バーゴニー伯爵その人だ。
「セスか」
「申し訳ありません。部下をやられました。賊の中に、闇魔法の遣い手がおります」
王はバーコニー伯爵の言葉に、ぐっと気を引き締めた。影であるバーコニー伯爵が来てくれたのは有り難いが、状況はさほど改善したわけではない。闇魔法の遣い手がいるという事は、戦闘においても不利である。気配を消したり、こちらの動きを制限したりと、他の魔法と違い、威力は強くなくても、地味にこちらの戦力を削ぐのだ。
「陛下。兵たちがこちらに参るまで、私が防ぎます。お逃げ下さい」
セスが剣を構え、背に国王を庇う。
その背を見て、国王は思い出していた。バーゴニー伯爵となる前の彼に出会った時も、こうして彼の背に庇われたことを。
昔。まだ国王が若く、第2王子であった頃。第1王子の放った刺客に襲われ、死にかけた事があった。
護衛を倒され、刺客に囲まれる国王を、流れの傭兵だったバーゴニー伯爵が助けたのだ。その腕に惚れ込み、爵位を与え、彼を配下にした。流れ者だった彼も、爵位と居場所を与えた国王に恩義を感じて、必死で仕えてくれた。これまでも何度も、彼に命を救われてきた。
「セス、死ぬことは許さんぞ」
王の寝所にはいくつかの脱出路がある。その一つに押し込められる直前、国王はバーゴニー伯爵に命じる。大事な、腹心の部下だ。ここで彼を失う事は、国を治める上で、大きな痛手となる。
「……もちろん」
答えるバーゴニー伯爵の声は落ち着いたものだったが。国王はその声音に、いつもとは違う物を感じた。嘘をついていると、直観的に悟る。
だがここで残ることは、国王には許されないことだった。ここで自分が死ねば、また国が荒れる。ようやく落ち着きを取り戻し、立て直りつつある国が、また戦禍に巻き込まれる事だけは、なんとしても避けねばならない。
「王が逃げるぞ!」
「逃がすな!」
賊がこちらに向かってくるのが見えた。敵の一人を斬り倒したバーゴニー伯爵が、国王の脱出路を敵から塞ぐように立つ。
「セス、死ぬな」
最後に強く命じて、国王が脱出路へと駆けだそうとしたその時。
「……夜分に、失礼いたします」
闇を切り裂くような、静かな声が響いた。
◇◇◇
脱出路の先に響いた異質なその声に、新たな敵か、それとも味方かと、国王は剣を身構える。バーゴニー伯爵が命を懸けて守ってくれたというのに、この脱出路まで先回りされていれば、犬死に同然だ。
しかしそこにいたのは、敵でもなく、味方の兵でもなかった。
そこにいたのは、どこからどう見ても、執事だった。
仕立ての良い黒い執事服と、輝くような銀髪。壮年の、片眼鏡の執事だ。柔和な笑みを湛え、胸に手を当て、頭を下げている。
「先ぶれもなく、お邪魔したことをお詫びします」
国王の背後で、荒事が起きているのに気づいていない筈も無いのに、まるでサロンで客をもてなす様な落ち着きぶりで、執事は国王に詫びた。
国王は混乱した。これは味方の兵ではない事は分かるが、敵なのか? それにしても、どうにも異質だ。
「ジラーズ国王陛下。私の主人より書状を届ける様、言い仕って参りましたが……、いささか、お取込み中のご様子。まずは、そちらを片付けましょう」
淡々と執事はそう言うと、国王の目の前からフッと消えた。
途端に、逃げてきた部屋の方から絶叫が聞こえた。思わず振り返るが、絶叫は絶えることはない。
国王はそのまま脱出路を進んでもいいのか、止まるべきか悩んだ。先ほどの怪しげな執事は、脱出路の中に現れたのだ。もしや逃げた先が敵に囲まれているかもしれない。人数が限られている分、戻った方が安全なのか。
躊躇してる間に、部屋は静かになった。しばらくして、バーゴニー伯爵が青ざめた顔で脱出路にやってきた。
「セス!」
「陛下。敵は殲滅しました。安全です」
国王は、怪我もないバーゴニー伯爵の姿に安堵する。彼の後について寝所に戻ると、そこには先ほどの執事と、もう一人、こちらは若い銀髪の執事が待っていた。
部屋の中には、敵が全て倒れ伏していた。全く動かない者もいたが、その多くは、縄に縛られ床に転がり呻いている。
「其方は……」
国王が警戒を解かずに剣を構えると、バーゴニー伯爵が国王を制した。
「陛下、この方たちは敵ではありません」
バーゴニー伯爵の言葉に、国王は剣を下す。絶対の信頼を置いているバーゴニー伯爵がそういうなら、危険はないのだろう。
「……突然の訪問をお許しくださり、ありがとうございます」
壮年の執事が、深く腰を折る。隣で若い執事も、同じように恭しく頭を下げた。
「セス、この者たちを知っているのか」
「は。この方は、私の、師です」
セスが示したのは、壮年の執事。国王は目を見開いた。
「セスの……。それでは、ロメオ王国のラース侯爵家、所縁の方たちか」
国王の言葉に、壮年の執事は笑みを深める。
「ラース侯爵家、筆頭執事を務めます、シュウ・イジーと申します。こちらは、息子のハル・イジーです」
「ふ、ははは。セスからは色々と聞いている。其方が『静謐の狂気』か」
「おや。随分と古い呼び名をご存知でいらっしゃる。お恥ずかしい」
『静謐の狂気』は、シュウが現役の冒険者時代に付けられた二つ名だ。引退して随分と経つので、久々に呼ばれたと、シュウは苦笑いするが、『静謐の狂気』の名は、冒険者の間では数々の伝説と共に語り継がれている。
「そして其方が、『狂犬執事』か」
恥じる事無く、イイ笑顔で首肯するハルに、シュウが嘆息する。
「……お恥ずかしい名でございます。お忘れください」
「其方らの訪問理由が何かは知らぬが、助かった。礼を言うぞ」
「いえ。偶々、行き会わせただけでございます」
偶々、他国の王の寝所に行き会わせることはないと思うが、命が助けられたのは紛れもない事実なので、国王は気づかないふりをした。
ラース侯爵家の事は、バーゴニー伯爵からよく聞いていた。伯爵は元々、ラース侯爵領出身の平民で、幼い頃よりラース侯爵領での教育を受け、ぐんぐんとその才能を伸ばした。人材の宝庫と呼ばれるラース侯爵領は、色々な教育施設が整っており、領地の子ならば皆、無償で教育が受けられる。幼い頃から剣と魔法の腕が良かったセスは、イジー家の当主から直々に様々な戦い方を学んだと聞いていた。
「こちらは、ラース侯爵家の後継である、エリス・ラース様からの書状でございます」
「……ふむ」
王太子ベルドについている側近たちからの報告は、すでにジラーズ国王の耳に入っていた。ラース侯爵家の次期当主であるエリス嬢を無理矢理、妃にしようとベルドが画策している事、しかも、令嬢本人が目当てではなく、あくまで、その侍従と侍女を自分の側近として迎えるために。
書状には、「ラース侯爵家にベルドが決闘を申し込んだので、立ち会って欲しい」という事が、簡潔に書かれていた。
ジラーズ国王は書状の内容に、額を抑えて頭痛に耐えた。決闘の事はまだベルド付の者たちからの報告の中になかった。思っていた以上に事態は悪化していた。どこまで息子は阿呆なのか、側に付いていた者たちは何をしているのかと、悪態を吐きたくなった。たった今、そのラース侯爵家の者に命を救ってもらったというのに、恩返しどころか仇で100倍返しにしているではないか。
「……大変、申し訳ない」
「私にも愚息がおりますゆえ。お気持ちはお察しします」
シュウが痛まし気な顔をするが、当の息子は涼しい顔で聞き流している。
「お忙しいとは思いますが、どうか、主人の願いをかなえていただけますと、幸いです」
「もちろん、必ず行こう。ただ、ロメオ王国に向かうとなると、いささか時間が掛かる。立会いに間に合うかどうか」
書状に示された日時は数日後。移動の日数的に間に合うだろうが、国王が隣国を訪問するのだ。そう簡単な話ではない。
「決闘の当日、私がお迎えに上がり、転移で陛下をお連れ致します。立会いのお時間だけ、ご予定を空けていただければ問題ございません。公に出来ない事柄ゆえ、秘密裏に済ませたいというのがロメオ国王と我が主の意向でございます」
シュウが当然の様にそう告げれば、ジラーズ国王はポカンと口を開く。
「転移……。そういえば、先ほど消えていたな。あれが転移か」
転移には莫大な魔力と大掛かりな魔術陣が必要というのが常識だと思っていたが。魔術陣の発動すら感じなかったのは、どういうことか。困惑してバーゴニー伯爵を見れば、諦めた様に首を振っていた。なるほど、これが、ラース侯爵家に連なる者の実力ということか。
「シュウ様! 私も、陛下のお供を」
「バーゴニー伯爵。私には敬称は不要です。もちろん、貴方にも来ていただきます。どんな時でも主人に付き従うのが、影の仕事でしょうから」
微笑むシュウに、バーゴニー伯爵は、懐かしさに鼻の奥がツンと痛くなった。
一度、主人に仕えると決めたからには、最後まで付き従えと。
まだ未熟者だったバーゴニー伯爵に教えてくれたのは、目の前にいる人だった。
「師匠、我が主人を守っていただき、ありがとうございます」
主人を危険に晒した事と、それを大恩ある師匠に助けられた情けなさで、バーゴニー伯爵は自分の未熟さを恥じた。
「お礼を言っている場合ですか。闇魔法使いごときに遅れをとるなど、恥を知りなさい」
「はっ」
柔和な口調を崩さずに叱責され、バーゴニー伯爵は目元を拭う。二度と、こんな恥を晒したりしない。
「こちらは、立会いを引き受けていただく細やかなお礼と、我が主人からお預かりしました」
ハルが懐から出した書類を、ジラーズ国王に差し出した。
訝し気に受け取り、書類に目を通す内に、ジラーズ国王の顔つきが険しくなる。
「これは。第1王子派の残党のリスト? それに、潜伏場所まで」
書類の全てを確認し、ジラーズ国王はハッとしたように顔を上げた。
「立合いのお礼だと言ったな」
それでは、立会いを断った場合、もしくは、国王が彼らを邪険に扱っていたら、この情報を、どうするつもりだったのか。
銀髪の壮年の執事と若い執事は、静かに微笑むばかり。
ジラーズ国王は自分が誤った選択肢を選ばなかったことに気づいた。どうやら、知らず知らずのうちに、命拾いをしていたようだ。
「それでは、立会いの日に……」
2人の執事は美しく一礼し、闇に溶け込むように消えた。
「……ふぅ。話には聞いていたが、心臓に悪いな」
2人が消えた途端、ジラーズ国王の全身の力が抜けた。知らず知らずのうちに、あの執事たちに圧倒されていたようだ。一国の王ともあろう者が。
「あの域に達するまでに、どれほどの鍛錬を積めばいいのか……」
バーゴニー伯爵は床の上に転がされている敵たちと、国王から渡された潜伏場所の書類を見て、ため息を吐いた。彼らのお陰で、第1王子派の残党狩りはすこぶる進展しそうだ。
昔から、決して追いつけない師だと思っていたが、久しぶりに再会したら、ますます人間離れしていた。しかも、息子まで同じような進化をしている。
何をしたらああなるのだろうか。凡人の自分にはさっぱり分からないと、バーゴニー伯爵は途方に暮れた。
「あまり気負うな。まずは、目の前のことから片付けていくまでよ。セス、第1王子派の残党を捕らえよ」
「はっ」
王に命じられ、改めて気を引き締めるバーゴニー伯爵だった。
★「平凡な令嬢 エリス・ラースの日常」書籍販売中です。
★8/1「転生しました、サラナ・キンジェです。ごきげんよう。~婚約破棄されたので田舎で気ままに暮らしたいと思います~」発売中!
★8/10 追放聖女の勝ち上がりライフ 2 発売!




