10
「ラース侯爵よ。其方の家に仕えるイジー家を俺に譲れ。受け入れるならば、其方の娘、エリス・ラースを俺の妃としてやろう」
ああこりゃダメだ。
ベルドが挨拶もそこそこラース侯爵にそう宣言した瞬間、ロメオ国王は匙を投げた。
再び集まった国王、ブレイン、レイア、ラース侯爵とエリス。そして今回はハルだけでなく、当事者であるダフとラブも呼ばれていた。
ダフもラブも、ベルドの発言にガルガルと威嚇するような眼を向けていた。学園で聞いた時は呆れすぎて何もできなかったが、今日は違う。諸悪の根源を根絶するために、仕込みはバッチリだ。物騒な暗器も魔術陣も、ハルに手ほどきを受けて隠し持ってきた。ハルはそんな双子の成長に、目を細めて頷いている。
ベルドはそんな双子の殺意には気づかず、満足そうに双子を眺めている。今日この場に双子を連れてきたという事は、2人をベルドに引き渡す気になったのだろうと、勝手に解釈していたのだ。
「ああそれから。お前の娘を俺の妃として迎えたからと言って、将来、ジラーズ王国の王妃になれるなどと大層な夢をもつのは止めておけ。あくまで、お前の娘は側妃の1人だ。俺の正妃はもう決まっているからな」
偉そうに言い放つベルド。
国王は、ちょっとだけ正妃は誰なのだろうと気にはなったが、そんな事よりベルドの命が風前の灯だ。こんな災厄をもたらす面倒なガキ、どうなろうと知ったことではないが、一応、隣国からの大事な預かりものだ。こんなのでも、人知れず失踪などと物騒な事になったら、国際問題である。もしもの時は、全力でラース侯爵家から守らねばならないと、国王はため息を吐く。
初めて対面した時は、身の程をわきまえない、阿呆そうなガキだと思っていたが、そればかりかベルドは外交とか自分の立場とか、何も考えていない馬鹿だった。これに比べれば、ウチの息子のなんと出来た事か。
これで王太子が務まるというのなら、ウチの子は神童レベルの天才じゃなかろうか。もう少しブレインの王太子教育を緩めてもいいかもしれないと、国王はしみじみ思ったのだ。
「ベルド殿下、おやめください!」
「お言葉が過ぎます、殿下!」
ベルドの側に控える側近シルも護衛のクリストも、青ざめてベルドを諫める。しかし、ベルドは全く聞いていない。そればかりか彼らを叱りつけていた。
「うるさいぞ、シル、クリスト。これはシルの負担を減らすためでもあるのだ。この俺に、側近がたった一人だということが、そもそもおかしいのだ」
「それでしたら、ジラーズ王国にも有望な者はおります。王に願えば側近など、いくらでも揃えられましょう。わざわざロメオ王国の方に無理強いをして、召し抱える必要はございません!」
「何を言う、クリスト。お前も知っているだろう。イジー家の双子は他の者より抜きんでて有能だ! このような逸材を、たかが侯爵家の令嬢に仕えさせるなど、宝の持ち腐れではないか。俺にこそ相応しい」
ベルドの発言は、一々、地雷を踏みぬいている。イジー家の双子は、既に隠そうともせずに、揃って殺気を漲らせていた。大事な主君を貶されたのだ、当然の反応だ。ここは暗器の出番かと、ダフが懐に手を入れようとしたが、ハルが笑顔で止めた。珍しく理性的なハルに首を傾げるダフだったが、その隣でラブは冷や汗をかいていた。
なんだか物凄くヤバイ魔術陣がハルの足元に展開している。全く見えないが、この部屋がまるごと吹っ飛びそうなヤバイやつが。心なしか、国王たちの側に控える影がざわついている。ラブ同様、魔術陣の気配に気づいているのだろう。
ハルがラース侯爵やエリスを傷つける筈がないだろうから、完璧な保護をした上での魔術展開だろう。しかし、その保護の範囲に自分たちも含まれているかどうかは定かではない。兄の性格上、含まれていない可能性が高い気がする。ラブは慌てて自分たちを保護する魔術陣を練り上げ始めたが。
ピシッと、軽い音がしてハルの魔術陣が霧散した。エリスが上目遣いにハルを睨んでいる。物騒な魔術陣をエリスが無効化したようだが、ハルは反省するどころか、デレッと相好を崩していた。
多分あれは、エリスの上目遣いが可愛いとか、そう言う事を思っているのだろう。残念な兄はどこまでも残念なのだと、ラブは命の危機が去って、ほっとすると同時に空しくなった。
そんな命の危機に晒されているとは気づいてもいないベルド殿下は、未だ堂々と勝手な発言を続けていた。
「エリス嬢の輿入れは卒業後で構わないが、イジー家の者はすぐにでも俺の元へ寄こせ。俺の側近としての仕事を、早めに覚えてもらわなければならないからな」
「ベルド殿下。其方の振舞い、いささか自由がすぎるのではないか。ここがどこの国か、分かっていての発言か」
その余りの物言いに、国王は声を重くして諫めた。ロメオ王国の貴族を軽視する発言は、国王としても見逃すことは出来なかった。
「何を仰います、ロメオ国王。私がロメオ王国の貴族令嬢を娶れば、両国の仲も更に堅固なものになりますでしょう。喜んで賛同いただけると思っていましたが、まさか、我が国を軽んじるおつもりでしょうか」
狡猾に目を細めるベルドに、国王は鼻で笑いたくなった。
なんだ、その稚拙な脅しは。まさかそれで、ロメオ国王であるワシが、納得し引くとでも思ったのだろうか。
「ほう……。ベルド殿下は我が国の貴族との婚姻が為されなければ、両国の仲が壊れるとお思いなのか。それほど、我が国とジラーズ王国の関係は脆いものとお考えか」
冷徹な目を向ければ、ベルドは焦った様に目を逸らす。
ロメオ国王は表には出さずに鼻で笑う。若造が、格が違うわ。
「……だ、だが! 私も王太子だ。一度娶るといったのだから、それを覆すようなことはしない。ラース侯爵家も娘が妃になることは、誉れである筈だ。娘を妃にと、望んでいるのだろう?」
突然、水を向けられ、ラース侯爵はいつものふくふくしい笑顔で首を傾げる。
「いやいや。私どもはそのような大それた望みなどもっておりませんよ。なにより、エリスは我が侯爵家の後継と決まっております。それに、この子はいささか内気で、人見知りをする娘でしてな。とてもとても、ベルド殿下の妃などという大役は、務まりませんでしょう」
見かけも中身も狸なラース侯爵は、一見すると謙虚にベルドの申出を辞退する。その後ろでエリスが、ラース侯爵の影に隠れる様にして、気弱な表情を見せていた。一応、まだ、平凡な外面を保っているようだ。
「……この俺が、お前の凡庸な娘を、娶ってやろうと言ってるのだぞ?」
ベルドの低くなる声にも、ラース侯爵はゆるゆると首を振る。その後ろでエリスがプルプルと震えている。エリスを労わる様にハルと双子が寄り添っていた。その姿は、侯爵家が一丸となって、気弱な令嬢を守っているようにも見える。
まさかその裏で、ベルドの無礼な発言のたびに、ハルが物騒な魔術陣を展開し、エリスが無効化するを繰り返しているとは、夢にも思うまい。
「恐れ多い事でございます。ご辞退させていただきます」
頑ななラース侯爵に、とうとうベルドは、激昂して叫んだ。
「つべこべ言わずにお前の娘を差し出せ! イジー家の者たちもだ! これはジラーズ王国、王太子としての命令だ!」
「……はて。それに従う理由は、私どもにはございませんな。私はロメオ王国の貴族。私が忠誠を誓うのは、ロメオ王家です。他国の王太子様である貴方様を敬う気持ちはございますが、命令される筋合いも、それにお応えするつもりもございません」
ラース侯爵は穏やかに、だがキッパリとベルドに対して言い切る。その後ろで、エリスが感動したように両手を組んでラース侯爵を見つめていた。イジー家の者たちも、頼もしいラース侯爵の言葉に、うんうんと頷いている。
一方で、ロメオ国王はラース侯爵の真摯な言葉に内心呆れていた。ラース侯爵の人の好さそうな人相も相まって、まるで王家に忠実な臣下のようではないか。ラース侯爵家の者たちは、芝居も上手いのだなぁと、どうでもいい事に感心していた。
「……この俺の命令が、聞けないというのか!」
「聞く筋合いではございませんと申し上げております。私は貴方様の臣下ではございませんので」
激昂するベルドの顔が、真っ赤に染まる。ベルドは手袋を脱ぐと、それをラース侯爵に投げつけた。
「……っ!」
誰かの、息を呑む声が聞こえた。
「この俺に、逆らう者は許さん! 決闘だ、ラース侯爵!」
◇◇◇
しばらく、ベルドの荒い息だけが室内に聞こえていた。
ラース侯爵は地面に落ちた手袋を拾い上げ、溜息をつく。
「決闘、でございますか……?」
チラッと国王に目を向けるが、困惑しながらも、受けなくてもいい? とでも言いたげな面倒そうな顔に、国王は顔をしかめる。
手袋を相手に投げつけるのは、正式な決闘の作法である。例え相手が阿呆な他国の王族でも、無視できるものではない。
「正気か、ベルド殿下。我が国で決闘騒ぎを起こすなど……」
「ロメオ国王、何といわれようと、俺は取り下げる気はない」
目をギラギラさせて、ベルドは全く引く様子を見せなかった。こうなると、他国の王太子相手に国王命令で決闘を取り消せとは言い難い。他国の王族への命令権は、ロメオ国王といえどないのだから。
「……あい分かった。決闘を認めよう」
国王の重々しい言葉に、とうとうエリスが耐えきれなくなったようにフラッと倒れる。
「エリス様!」
ハルが慌ててそれを抱き留め、双子が飛びついてくる。
「……エリス嬢には限界のようだな。ベルド殿下。今日のところは引いてもらおう。決闘については、準備が整い次第、ご連絡しよう」
国王の固い言葉に、ベルドはフンッと鼻を鳴らし、気を失うエリスを面倒そうに一瞥した。そこには倒れた女性に対する配慮など、全く見られなかった。仮にも妃に迎えようと申し出ている女性に対して見せる態度ではない。
「仕方あるまい。ラース侯爵、逃げ隠れなどするんじゃないぞ。正々堂々と、戦うがいい」
ベルドは用は済んだとばかりに足音荒く去っていった。その後ろを、真っ青どころか、真っ白な顔のシルとクリストが追っていく。側近としては年若く、経験の浅い2人では、ベルドの様に激しやすい主人を止める術がないのだろう。
ジラーズ王国の者たちが去って、室内に痛いぐらいの沈黙が広がる。
「あーあ。面倒な事になった」
その沈黙を破ったのは、ラース侯爵の心底面倒そうな声だった。
「ホホホ。決闘だなんて。随分と堪え性のない、子どもの様な事を仰いますのね」
気を失ったふりをしていたエリスが、パチリと目を開き、笑い声を上げる。
「ハル、下ろしてちょうだいな」
未だエリスを抱えたままのハルに声を掛けると、ハルは笑顔のまま首を振る。
「いいえ、エリス様。馬鹿の不愉快な発言に晒されて、さぞ心を痛められたでしょう。ご気分が良くなるまで、いつまでも私がお支えいたします。どうぞ、遠慮なく全身の力を抜いて、私に寄りかかり、お寛ぎください」
エリスを腕に抱き、蕩け切った笑顔で言い切るハルに、ダフとラブが「キモッ」とうっかり本音を漏らす。双子だから心情がシンクロしやすいのだ。
いつものように、エリスが「気持ち悪いわ、ハル」とバッサリ切り捨て、それを喜ぶハルを見て、更に実の兄にたいして気持ち悪さが募ると思ったのだが。
「……そう。それじゃあ、ハル。落とさないでね?」
頬を撫でられ、そう吐息交じりにエリスに言われ。ハルの身体がガチンと固まり、動きを止める。
クスリと笑ったエリスは、固まるハルの腕から逃れ、するりと地面に降りた。
「これこれ。王の前ではしたないよ、エリス」
「あら、失礼いたしました」
父からの注意もサラリと流し、エリスは悠然と王へ向かって微笑む。
王はこいつらがマイペースなのはいつもの事だと、手を振って気にするなと流した。
「それで……。お父様。決闘をお受けになるのですか?」
「ええー。面倒だなぁ。受けたくないねぇ」
「そういうわけにもいかないでしょう、ラース侯爵。ああなったベルド殿下は、絶対に引かない」
ブレインがげんなりした顔でそういうと、その横でレイアがうんうんと頷く。ここ数日、2人掛かりで説得しても駄目だったのだ。決闘を無視したら、しつこく付きまとわれるに違いない。
「あの方に、まともな交渉など通じませんわ。理解力が乏しくていらっしゃるので」
なかなか辛辣なレイアの言葉に、ラース侯爵がプッと噴き出す。
「まぁ。別に正攻法だけで交渉に当たる必要もありますまい……」
思案気に顎をさするラース侯爵に、その場の全員が嫌な予感を感じた。
「ねぇ、お父様」
エリスが微笑みながら、父の思考を遮るように声を上げる。
「お父様が受けた決闘ですが、わたくしが代理で受けてもよろしいかしら?」
「うん? エリスがかい? そりゃあ、私は受ける気がないから、構わないけど」
受けないでどうするつもりだったのか、激しく気になったが、国王は口に出すのは止めた。多分、聞かない方がいいような気がする。
「さんざんあの方に貶されたのはわたくしですもの。少しは意趣返しをしてもよろしいでしょう?」
「ふふふ。酷い言い分だったものねぇ。あれが次のジラーズ国王か。放っておくのも面倒なことになりそうだけどねぇ……。ふふふ、まぁいいさ。好きなようにして構わないよ」
ふくふくしい笑顔で不穏な事を言いながら、ラース侯爵は鷹揚に頷く。
「陛下? よろしいでしょうか?」
拒否は許さないという迫力で、エリスに言われれば、国王に否やはない。自分たちに飛び火しなかったことを、幸いだったと思うしかないだろう。
ブレインやレイアは、大丈夫かしらという顔をしていたが、これはエリスではなくベルド殿下の心配をしてのものだった。散々振り回された相手だが、見殺しにするのは、なんとなくいい気持ちはしないものだ。
「よ、よかろう。決闘の場は、こちらで準備しよう」
「ありがとうございます」
嬉し気に、微笑むエリス。
様々な心配をよそに、ベルド殿下とラース家の決闘は決まったのだった。
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