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平凡な令嬢の第3弾です。

「平凡な令嬢 エリス・ラースの日常」

「平凡な令嬢 エリス・ラースの憂鬱」

の後の作品ですので、先にお読みいただくことを推奨します。

 女神に愛された国。

 ジラーズ王国は建国当時から、そう呼ばれていた。

 その国土の大半は女神より賜った豊かな森林でおおわれ、土地は肥沃で、実りの季節には民たちを存分に潤してくれた。年中を通して気候は穏やかで、ジラーズ王国を東西に割るように流れるメノ大河は、数百年にわたって一度も荒れた事がない清流であった。

 民たちは女神の恵みに感謝しつつ、土を耕し、種を植え、実りを収穫し、懸命に日々を務めていた。民たちの賢明な努力があって、ジラーズ王国は富み、大国と成長していったのだ。


 それが、崩れ始めたのはいつからだろうか。

 長く続く平和に、王国は発展し、熟しすぎた果実の様に、ぐずぐずと崩れ始めたのだ。民は日々の務めを怠るようになり、享楽的な生活を求めるようになった。森を拓き、川の形を変え、資源を奪い合い、贅を尽くすことを競い始めた。女神への信仰が形骸化し、人々は私欲を満たすためにいがみはじめ、あちらこちらで小競り合いが起こった。


 気づけば、ジラーズ王国は争いの絶えぬ、枯れた国になり果てていた。


 山は消え、森は枯れ、川は今にも涸れそうだ。美しい緑、柔らかな日差し、清しい空気は消え失せ、荒れた砂地、乾いた風、涸れた川。僅かな権益をめぐって、貴族たちは諍いを起こした。世情が安定せぬまま、何年も過ぎた頃、王家に後継争いが起こり、次代の王を狙う第1王子と第2王子の間で激しい争いが起きた。国を分かつほどまで加熱した争いにより、辛うじて保っていたジラーズ王国は大きく揺らぐことになった。


 戦いは、やがて第2王子の勝利により、終止符を打たれた。しかし、長く続いた争いで第2王子も大きく力を削がれており、争いが終わっても、山積した問題が直ぐに片付く事は無かった。

 粛清で荒れる国内、激変する貴族の力関係。没落する商人もいれば、逆に戦で潤う商人もいた。田畑を焼かれた民たちは飢え、食い詰めて野盗になる者も出始め、国内の治安は悪化の一途を辿った。


 そんな中。手を差し伸べたのは隣国、ロメオ王国だった。

 混乱し困窮するジラーズ王国へ、食料の支援や騎士団の派遣を行い、ジラーズ王国が安定するまでは、支援の手を緩めなかった。騎士団による秩序と、食料による不安の解消で、聡明な第2王子の元、ジラーズ王国はようやく、落ち着きを取り戻していった。

 

 ロメオ王国の圧倒的な国力をもってすれば、この機に乗じて、混乱するジラーズ王国を手中にする事も出来ただろう。実際、周辺の国々の中には、ジラーズ王国への侵略を企む国もあった。だが大国ロメオの存在を考えれば、安易に攻め入ることは出来なかったのだ。


 ロメオ王国がこれほどまでにジラーズ王国に親身になっていたのには訳があった。


 ロメオ王国では、数年前から密かに暗躍していたある人身売買組織が捕縛された。主に貧しい平民を攫っては、禁忌の拷問具で魔力を抜き取り、奴隷や娼館に売り払っていた非道な組織であったが、ロメオ王国内の多数の貴族たちがこの組織に加担し、巨利を得ていた。しかもこの組織を指示していたのが、誰であろうジラーズ王国の第1王子だったのだ。

 

 これには、穏健なロメオ国王も激怒した。組織に加担したロメオ王国の貴族たちを苛烈に処断し、ジラーズ王国へも激しく抗議した。これに真摯に対応したのがジラーズ王国の第2王子だった。第2王子はジラーズ王国の非を素直に詫び、人身売買の被害にあったロメオ王国の民を必ず保護すると宣言し、内乱の治まらない中、騎士団を指揮して組織の壊滅に尽力したのだ。


 ロメオ国王は第2王子のその誠実な人柄と行動力に感銘を受け、『第2王子が在る限り、ロメオとジラーズは良き友でいられよう』と発言し、両国間の緊張は解かれた。

 ジラーズ王国内では、大国であるロメオ王国の後ろ盾を得て、第2王子が第1王子を降すこととなったのだ。


 いまだに大地は痩せ、草木はまばらで、川は細く澱んでいたが。

 大国の加護に頼り、ジラーズ王国はようやく、平穏な日々を取り戻しつつあった。


 

◇◇◇



 俺、ベルド・ジラーズの、一番古い記憶は、俺を抱きしめ、さめざめと泣いている母上の顔だった。

 

 あれはいくつの頃だったか。乳母からもらった菓子に毒が仕込まれていた。菓子を食べてからしばらくして、喉が焼けるように熱くなった。すぐに死ぬような毒ではなかったが、数日間、寝込む羽目になったのだ。

 

 犯人の乳母は俺に毒を盛った後、行方をくらましたので、俺に毒をもった理由は分からずじまいだった。だが、誰が黒幕なのかは、皆、察していた。まだ幼かった俺でさえも。

 

 乳母を操って俺に毒をもったのは、父上の兄である、伯父上の派閥。第1王子派の仕業であろうと。

 

 父上と伯父上はジラーズ王国の王子として生まれた。

 第1王子である伯父上と、第2王子である父上は、母親が違った。

 伯父上の母は他国の王室から娶った姫君。父上の母はジラーズ王国の公爵家の令嬢。血筋的には伯父上の方が尊いのだが、伯父上は我儘で横暴な王子として、周囲からの評価は低かった。能力的にも性格的にも、優れていたのは父上の方だった。


 自然と、血統を重んじる派閥は伯父上を推し、実質的な能力を重んじる派閥は父上を推すようになった。二つの派閥の争いは、年々激化していき、やがては国を分かつほどの争いにまで発展した。

 俺は父上の第一子にして、唯一の男児。伯父上の子に男児はいないので、父上に次いで王位継承権第3位である俺を、伯父上が厭うのは当然だった。父上の守りが厳重であったため、俺の方が攻撃しやすかったのだろう。


 毒を盛られるだけでなく、俺は第1王子派の貴族たちからは、凡庸だの貧弱だのと陰口をたたかれていた。証拠はなかったが、私物を隠されたり、飼っていた小鳥を殺されたり、陰湿な嫌がらせも受けていた。王たる資質をもつ完璧な父上を貶せない代わりとばかりに、俺を攻撃することで溜飲を下げたかったのかもしれない。

 

 そんなこともあって、母上は俺を守るために、俺を連れて王宮の外に出た。最初、父上は反対した。王位を争う大事な時に、俺が王宮を出るのは格好の攻撃材料になる。だが、俺を溺愛する母上は、俺の安全のためだと父上を責めたて、納得させた。母上の出身の公爵家は、父上の最大派閥なので、父上は母上に強く出られないのだ。


 母上の実家であるベルローズ公爵領の片田舎の小さな屋敷で、俺と母上は暮らし始めた。俺の安全のため、俺の居場所は、父上や限られた側近しか知らず、ベルローズ公爵家の全面的な協力の元、完璧に秘匿されていた。屋敷の敷地の外に出る事は禁じられていたが、俺は厳しい王宮の教育から逃れて、のびのびとした日々を送ることが出来るようになった。いつも第2王子妃として気を張り詰め、俺の心配ばかりしていた母上にも笑顔が増え、父上の事は気がかりではあったけれど、俺はベルローズ公爵領での生活を楽しんでいた。


 だが、単調で刺激のない田舎での生活に、俺は次第に飽きていった。


 この暮らしは俺が再び狙われるのを防ぐためのものだ。父上が伯父上を降し、立太子するまで、俺の安全のためには仕方がないと分かってはいた。初めは物珍しかった田舎暮らしも、何年も過ぎるころには、うんざりするようになった。毎日毎日、同じ事の繰り返し。安全のために、使用人も護衛も家庭教師も、必要最小限の人数だ。同じ顔ばかり見ていて、気が狂いそうだった。しかも使用人や護衛たちは俺より一回りも年上の大人ばっかりで、話も合わないし遊びにも付き合ってくれないし、つまらなかった。


 王都にいた時の様に、気軽に友人たちと遊びたかった。だがここは、近くの街まで行くのに馬で何日もかかるような田舎だ。野宿などしたこともない俺には、こっそり抜け出すことも出来ず、どうすることも出来なかった。


 俺が田舎暮らしに不満を漏らしてばかりだったからか、ある日、母上が、俺に側近を付けてくれた。


「シル・リッチです」


 貧乏伯爵家であるリッチ伯爵家の3男で、俺と同じ年のシルは、俺よりも背が低く、身体も細く、色が白く、一言でいえば貧相な子どもだった。次期国王である俺の側近が、こんな奴だなんて。初めてシルに会った時、俺は露骨にガッカリした。


「お前が俺の従者か。なんだ。地味だな」


 俺がため息交じりにそう言っても、シルは顔色一つ変えず、無表情だった。萎縮しているのかと思ったが、後から聞いたら、初対面なのに、王族とはいえ余りに傲慢で無礼な態度に、心底、呆れていたらしい。初対面から、生意気な奴だったのだ。


 シルは、今まで俺の側に居た使用人や護衛や家庭教師とは、全く違っていた。今思えば、彼らは俺の臣下だったのだ。未来の王たる俺を育てるために、厳しく叱る事もあったが、そこには常に敬意と恐れがあった。


 だがシルは、子どもだったせいもあるだろうが、俺に対して壁を作ることはなかった。いつだって全力で挑んできて、俺の事が気に喰わないと、叱るんじゃなくて喧嘩をした。普通の、同じ年の、友だちみたいだった。


 そこから俺は、シルと過ごす時間が多くなっていた。


 シルは凄い奴だった。見かけは地味だし、身体こそ小さいが、俺の護衛たちと互角に渡り合えるぐらいの強さがあった。多分、影の訓練も積んでいたのだろう。俺はシルと戦って、一度だって勝てた事はなかった。


 勉学についても、シルは成績優秀で、俺は追い抜かれないように必死で勉強した。あんな地味チビに、剣の腕が負けているだけでも悔しいのに、勉学すら負けるなどと、未来の国王である俺に、あってはならないことだ。お陰で成績については、シルに追い抜かれる事は無く、誰からも文句を言われる事は無かった。


 その上、シルは俺の身の回りの世話までこなすのだ。特にシルの入れた紅茶は格別に美味く、俺はこいつの紅茶でなければ、満足出来なくなっていた。また、シルは毒にも詳しくて、俺の食事は全て事前にシルが毒見をしていた。


 それに、貧相で気弱そうな見た目に反して、シルはとてもふてぶてしい性格をしていた。普段は無口な癖に、俺が弱音を吐くと『それで将来、国王になるおつもりですか』などと、冷めた目で言い放つのだ。母上にだって、こんな事言われたことないのに。


 だが。不敬ではあるが、シルは決して道理の通らぬことは言わない。だから、腹が立つし悔しいが、シルの意見には耳を貸すようにしていた。


 こうして、いつの間にか、地味でパッとしないシルは、俺にとってはなくてはならない存在(側近)になっていた。地味で、いくつになっても小さいままで、普段は無口で怒ると饒舌で。それでも、俺の生活の根幹を支える、大事な側近で、親友だった。


 母上からは、他にも何人か側近を付けるよう、候補者を紹介されたのだが。俺にはシル一人いれば十分だった。こいつ以上に気の利く奴はいないし、何より気楽だった。俺とシルの間に、今更、他の誰かは必要なかった。新しい側近と一から関係を作っていくのも、面倒だったのだ。


 あの事件が起こるまでは。



◇◇◇


 あれは、何の変哲もない普通の日だった。

 いつもの様に鍛錬をして、家庭教師の授業を受け、休憩をしていた時の事。

 シルの淹れたお茶と茶菓子。いつもと同じ午後のはずだった。


「ぐふっ」


 給仕をしていたシルが、突然、血を吐いた。

 手で口を押さえても、零れる血を抑えきれず。

 それでもシルは、必死にテーブルクロスを引っ張って、上に載っていた茶菓子と紅茶を地面にたたき落とした。喉を焼かれていたシルは、声を出せない代わりに茶菓子と紅茶を地面に落とすことで、口にするなと訴えたのだ。


「シル!」


 俺は護衛たちに阻まれて、倒れるシルの側に行くことは出来なかった。

 護衛の一人が、シルの身体を地面に横たえる。苦しそうに咳き込むシルは、呼吸が上手く出来ていない様だった。


「殿下、別室へ。お早く移動を!」


「シル! シル!」


 護衛たちの声が耳に入らぬほど、俺は取り乱していた。俺のせいで。俺が狙われていたのに。シルが毒見役を務めている事は分かっていた筈なのに。毒は幼い頃から慣らしているので、ほとんど効かないと、シルは言っていたのに。あんなに、あんなに、苦しんでいるじゃないか。


 屋敷に常駐している医者が駆け付け、シルの襟元を緩め、呼吸を促す。

 俺は護衛たちを振り切って、シルに近づいた。シルの白いシャツは血に染まり、その赤さはどんどん広がっていった。小さな身体を丸め、呼吸音が細く高く続いている。シルの容体を確かめようと手を伸ばした俺は、その場で動けなくなった。


 俺と同い年の側近は。何でもできる、すごい奴なのに。あんなに首も腕も細く、頼りなくて。

 あれほど小さなシルに、俺は守られていたのか。


 シルを失うかもしれないと。俺はそう思って、世界が崩れる様な気がした。

 隣にいるのが当たり前になっていたシルが。俺の側からいなくなる? そんなこと、信じられない。


「殿下! お手を触れてはなりません!」


 俺は護衛に羽交い絞めにされ、シルから無理矢理、引き離された。


「殿下! 暴れないでください! 殿下! ……やむを得ん!」


 首筋に衝撃を感じて、目の前が真っ暗になった。

 意識が途切れる前に、シルの鮮やかな血の色と、力のない瞳が、俺の奥底にこびりついていた。

 


 

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