16・元天使と神官は、末永く
アランはアリアが好き。アリアだけを愛してくれる。
だからもうあの女のことなんて、どうでもいいと思っていた。──あの時までは。
『本当は良い気味だと内心笑っているんでしょうッ! 貴方って昔っからそう! 昔から何でも出来て、誰からも誉められて、誰にでも優しくてッ! 子供の頃からずっと比べられて、私もバカ王子も貴方の事なんて大嫌いだったわ!』
気付いたのはアリアだけだ。あの女は自覚すらしていない。
アランを嫌っていたからとはいえ、なぜ彼の助言を聞かずに自ら首を絞める真似をした? 自己保身が強いというなら、アランに全てを押し付ければよかったのに。彼女が望めば、アランは全てを叶えたはずだ。
あの女は待っていたのだ。
アランが、強引に自分の手を掴んでくれることを。
だから自分から婚約を解消しなかったし、自分の立場がどれだけ悪くなっても何もしなかった。
二年前の天臨祭も、あの場からアランが救い出してくれることを待っていた。だから、代わりに助けてくれた皇太子に恋をして、用済みとばかりにアランを捨てた。
けれど皇太子はアランの代わりにはならなかった。全く守ってくれない皇太子に焦れ、あの女は手紙をアランの実家へ送った。
いくらアランが神殿に閉じ籠っていたとはいえ、帝国が本気で探せば居所に検討はついたはず。そうしなかったのは、自分から助けを求めたくなかったからだ。
幼い頃、父が聞かせてくれた物語に出てくるお姫様のようだ。
知らない人からもらったリンゴを食べて死んだのに、たまたま立ち寄った王子さまにキスをされて生き返ったお姫様。
自分が何をしても、何も言わずとも、助けてもらえると信じて疑わないお姫様。
愚かな女だ。一体アランの何を見てきたのだろう。
アランはどれほど自分が望んでいようが、手を伸ばさない相手を強引に奪うような真似はしない。
彼に対して最悪手だ。自分が特別だとでも思っているのだろうか? 烏滸がましい。
『グラードから聞いたもの! 天使様は皇太子妃の座を狙ってるって! 天使様が皇妃になれば、きっと帝国を不思議な力で守って下さると思うの! 愛し合う人と出会わなければ、ずっと天使のままなんでしょう? なんなら貴方も付いてきたらいいわ!』
あれだけアランの心を踏みにじっておいて、もう手に入らないと分かったら今更手を伸ばすのか。絶対にあの女だけは許さない。
殺しはしない。殺せば、いずれアランも気付く。嫌でもアランの記憶に残ってしまう。
だから後の事はアランに任せる。気が済めば勝手に忘れていくだろう。
昔とは比べ物にならないほど不自由な生活をして、なぜ満たされないのか永遠に気付かないまま、どこかでひっそりと死んでほしい。
──あなたの王子様は、もう私のものだもの。
そのままおやすみなさい、お姫様。
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皇太子一行が無事に帝国へ帰って、数日後。
皇帝は皇太子を王位継承者から外すどころか廃嫡し、皇太子妃共々幽閉することにしたらしい。
アリアとアランは神殿の庭の隅にある、シロツメグサが生い茂っている場所にいた。
今は帝国にいるらしいフェローからの手紙を、うつ伏せに寝転がりながら一緒に読んでいる。
「散々渋っていたわりに、なかなか思いきりましたね」
「なんでも元皇太子達が神殿に来てる時に、晴れているのにいきなり大きな雷が帝国の城に落ちたらしいの。それで神殿からの抗議でしょ? 流石に民衆の声を無視するわけにはいかなかったみたい」
「…………雷?」
「お父さまかしら? それにしては強引すぎるし、やっぱり偶然かしら」
「………………」
空を飛ぶくらいしか能のないアリアと違い、優秀な姉たちは様々な力があったが、それでも雷を落とせるようなものはなかったはずだ。
やはりたまたまなのだろうと次の行へ読み進めようとした矢先、アリアを覆うように大きな影がさした。振り向く間もなく仰向けにされ、アランが覆い被さってくる。
見下ろしてくるアランに、アリアは頬を赤く染めた。
「あ、アラン?」
「キスをしても?」
「いいけど……こ、この体勢はやめて」
「そのわりに照れてませんか? 可愛いので、このままでいたいのですが」
散々からかってきた仕返しなのか、弱味を見つけたとばかりに楽しそうに笑うアランを直視できない。
本当にこのままキスされそうになって、アリアは顔をそらして目を閉じた。
「だ、だって……し、したくなっちゃうから」
あの夜の事は恥ずかしくてあまり思い出せないが、アランとたくさんくっついて、アリアの心がとっても満たされた事は覚えている。猫の交尾は全く勉強にならなかった。
アリアはしたいけれど、頭が固いアランは次の結婚式までしてくれない。一回したのだから二回も三回も変わらないし、人間になったとはいえアリアの身体は子供が出来にくいらしい。アリアがそう言っても頑固なアランは首を横にしか振らない。
きっとアリアが本気で望めば、アランは折れてくれる。でも、それだけはしてはいけない。
アランの心はアリアのものだ。だから、彼の心はアリアが守らなくては。
「………………」
「……アラン?」
「……………座って、しましょう」
アランの顔から一切の感情が無くなってしまったが、何度かの触れるキスが終わる頃には元に戻っていた。よかった。
今度は座ってフェローの手紙の続きを読む。フィーネの居所は突き止めたようだが、彼女は既に婚約してしまっているらしく、思い出させると大変なことになるためまだ直接は会えずにいるらしい。
幸い家同士が決めた婚約で想いあっている訳ではないようだが、彼女には既に想い人がいるらしく、なんとそれが遠目に見えた自分らしい──と、その後は延々とノロケが続いていた。
伝書鳩の足が怪我をしたのかと思うくらい長い手紙を送ってきたわりに、帝国のことは二行しか書かれていない。少し心配していたのに損をした気分だ。元通り筒状に丸めてアランに渡す。
「幸せそうでなによりだわ」
「この様子なら他の義姉上達も大丈夫そうですね」
「お姉さま達に会えるのは嬉しいけど、フィーネお姉さまにデレデレのフェローはあまり見たくないわ」
「……確かに」
「私達だって我慢してるもの。フェローも辛さを味わえばいいのよ」
人前でキスはしないし、食事中は膝に乗らないし、着替える時とお風呂に入る時とかは別だし、寝るときは手を繋ぐだけ。後半はアリア達が婚前だからだが、フェロー達だって今世では未婚だ。
アランの膝に乗って抱きつけば、彼の手がアリアの頭を撫でてくれる。その心地よさにうっとりと目を閉じた。
「……結婚した後は二人で暮らしましょうか。神殿と比べれば、少し不自由させてしまうかもしれませんが」
「それもきっと楽しいわ、貴方と一緒なら。そうね、フェローも心配なさそうだし、私達も婚前旅行に行きましょう? 色んな国へ行って、貴方と根付く場所を探すの」
「それが貴方の望みなら」
姉達と同じように家庭を築き、子を生み、後世を託す。次代の天使のためではなく、今度は今の大地を成した先代の天使達と配偶者のために。
そうして、この大地は永久に守られていく。それこそ天使がもたらす大地の祝福。
「最初はモデラートがいいです。貴方に俺の家族を紹介したい」
「そうね、私も会いたいわ。実家なら、貴方が子供だった頃の絵姿があるわよね?」
「……俺は見られないのに貴方だけ見ると?」
「拗ねないでちょうだい。オペラお姉さまは絵が上手なの。会った時にお願いしてみるから」
元々、この世界を創ったのは父ではない。父が安住の地を探して立ち寄った時、この世界は既に創造主から見放されていた。
原因は分からない。人間に問題があったのかもしれないし、創造主が面倒になってしまったのかもしれない。大地は枯れ果て、海は澱み、人間は常に血にまみれていた。
まだ若く、世界を作るほどの力をもたなかった父は、この世界の神になることを決め、ここで私達を生み育てることにした。
そのことを人に教えて感謝を求めようなど、父は全く思っていない。それどころか住処を与えてくれたことに感謝している。
父やアリア達にとって人間は隣人なのだ。特別好きでも嫌いでもなく、何も求めないし、何も与えない。嬉しいことをされたらお礼をするし、嫌なことをされたら仕返しをする。
何もしないくせに奇跡を望むなら、物語の中の神にでも頼めばいい。
天使のアリアも、頑張って手を伸ばしたから今がある。
心から愛する人と共に、大地で花を咲かせていく。
「そうだ、すっかり忘れていたわ。──はい、これ」
「これは……」
アランに手渡したのは、アリアとお揃いのペンダント。
共に夜を過ごした日の朝、どうしてもアランを驚かせたくて、一人でカランコエを摘みに行ったのだ。前はアランが手伝ってくれたけど、今回は一人で作ったので少し手間取ってしまったが。
アリアが器用にアランの首に付けてあげると、どうやら彼は二重の意味で驚いているようだった。
「……気付かれていたんですね」
「きっとあの時、私は貴方に恋をしたの」
「俺もです。嬉しそうに笑う貴方が可愛すぎて、変な顔をしていた自覚があります」
「ああ、だからあんな顔だったのね」
話しながらアリアの顔にキスを降らせてくるので、くすぐったい。アリアは身をよじって唇同士を重ねる。
もっと先を知ってしまった今は、少し物足りないけれど。唇を舐めたら、跳ねるように離れてしまった。
口を手で押さえるアランの顔は真っ赤だ。可愛い。この調子で一年もつのか、逆にアリアが心配してしまう。
「……アリア様」
「噛むのがダメなら、舐めてみようと思って」
「そういう問題じゃないでしょう! ……諦めましたから、せめて婚前くらいは恥じらいを持って下さい」
「裸を見せあった仲なのに?」
「アリア様!」
アリアを咎める声とは裏腹に、抱き締めてくる手は優しいままだ。
見上げて笑えば、アランは困ったように笑ってくれる。
「ねぇアラン、神殿のてっぺんに行きたいわ」
「駄目です。落ちかけたのを忘れたんですか?」
「大丈夫よ。私にもう羽はないけど、アランにはあるもの」
「……………は……?」
なんだかアランが今までにないくらい呆然としている。
言っていたような気がしたが、思い返せばフェローにだった。なぜか彼は腹をかかえて笑っていたが「さすがアリア様です。さぞアランも喜ぶでしょう」と誉められたので、言ったつもりになっていただけだった。
「だってアランが奇跡は要らないって言うから、私が決めたの。私の羽をアランにあげてって。アランにも空を飛ぶ気持ちよさを味わってほしかったし、また私も空を飛べるし、旅費もかからないから一石三鳥ね!」
「…………変更は」
「出来ないわ」
なぜだかアランは額に手を当てて黙ってしまった。いい案だと思ったのに、喜んではくれないようだ。
いや、もしかしたらまた余計な事で悩んでいるのかもしれない。アリアはアランの頭を撫でる。
「大丈夫よ、アラン。私だってすぐ飛べるようになったもの。貴方なら──」
「気持ちの整理をつけたいので、ちょっと黙ってて下さい」
アランの膝の上に横座りしていた状態のアリアは、位置をずらされて覆い被さるようにキスをされる。
そうされると顔が真っ赤になって、胸が詰まって何も言えない。ずっと唇が触れているので、言いたくても言えないのだが。
肩を叩いて抗議しても、逆にもっと強く抱きしめられる。その胸の硬さに、アランの鍛えられた身体を思い出して、アリアの精神は満身創痍だ。
アランもアランで、心の中が大変なことになっていた。いくらアリアのものとはいえ、男の自分が天使の羽を生やすことになった衝撃、アリアなりの気遣いを喜べない自分への怒り、でもやはり羽は要らないという戸惑い、混乱など。
様々な感情がごちゃ混ぜになり、たまらずその癒しをアリアへ求めた。その行為が、勝手に奇跡を決めてしまったアリアへの報復になっているとも気付かずに。
それからほどなく、雨が降ると同時にアリアが泣き出し、我に返ったアランは彼女を必死にあやす事になる。
アリアが無事泣き止んだかどうかは、虹だけが知っていた。




