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15・神官と元天使は許さない

「アラン」


 神殿の外通路。天使が降りる地故か、神殿とその周囲は季節関係なく花が咲く。標高の高い場所にあるというのに息苦しくもなく、常に春のような暖かさだ。

 庭には白いユリやバラが咲き乱れ、ユキヤナギやモクレンの花弁が空を舞う。時折雨は降るが、晴れの日の庭は一際美しく目映い。


 ここに来てもう一年。もう見慣れたはずなのに、それでもふと見入ってしまう。

 立ち止まって庭を眺めていたアランにフェローが声をかける。


「君が一人とは珍しい。アリア様は一緒ではないのかね?」

「…………」

「アラン?」

「………一人にしてほしいと言われました」


 口にすると更に落ち込む。

 肩を落とすアランの背を、フェローが慰めるように手をあてる。


「先程お会いしたが、特に機嫌を損ねている様子はなかったがね。むしろ君の色を自慢されたよ」

「どうしても一人で行いたい事があるそうなんです。……こればかりは不本意ですが、彼女の望みは叶えたいので」


 それに、昨日アランの望みをアリアに頼んで叶えてもらった以上、彼女の望みを叶えないわけにもいかない。非常に、不本意だが。

 それでも遠目から様子を窺うくらいならいいだろうと神殿中を探したが、アリアが何か言ったのか神官に偽情報を掴まされ、今だに一目見ることすら叶わないでいる。


 神殿はアリアにとって安全な環境ではあるのだが、アランとしては少し居心地が悪い。アリアを受け入れられずにいた自分が完全に悪いのだが、あれほど生暖かい目を向けられると何も言われていないのに謝りたくなる。アリアが望むならこのまま神殿で暮らすのもいいが、アランとしてはモデラートや他の国で暮らしてみたいとも思う。

 そんな事を考えていると、フェローが思い出したように口を開いた。


「そうそう。明日には神殿を離れるから、何かあったら神官長に頼むように」

「……フィーネ様ですか」

「ああ。……義父君ならきっと彼女達を再会させて下さるだろうと、五百年も頑張ったかいがあったよ」


 アリアから聞いた話によると、彼女が最後の天使であり、一年後の結婚式には義父と義姉達が揃うのだという。

 元天使とその配偶者達は既に転生しているが、記憶を取り戻すには二人が出会う必要がある。義父がああ言ったなら一年以内に必ずそうなるようになっているのだろうが、それを悠長に待っていられないのが配偶者だ。

 そしていずれアランも、今生を終えれば転生したアリアを探さねばならない。


「しかし……はは、困ったな。フィーネが眠った頃は、まだ辛うじて残っていたんだが。再会してガッカリされないかな」

「……フィーネ様にお会いした時に、貴方の配偶者はとても素晴らしい方だとお伝えします。きっと惚れ直されますよ」

「ははは、ありがとう。……フィーネを疑っているわけじゃないんだ。少しだけ、不安になっただけなんだ」

「分かっています」


 愛し合い、信頼し合っていても、きっと不安や嫉妬は付きまとう。それが人の心だ。

 フェローはもう一度アランの背を叩き、ゆっくりと歩きだす。


「心しておくんだよ、アラン。──アリア様が”最後”だという意味を」


 一番目の天使は戦に溢れた大地で国を成し、二番目の天使は政争に溢れた大地で平和を唱えた。三番目と四番目の天使は捏造された歴史を利用し、五番目の天使の配偶者は天使を匿う神殿を建てた。

 以降の天使も家庭を築き、子を生み、後世を血族に託した。全ては後に下りてくる天使のために。


 アリアが最後だったのは単純に末っ子だからではない。

 彼女が一番、家族の中で愛されているからだ。


「──アラン!」


 その声に弾かれるように顔を上げると、フェローが消えた反対の通路からアリアが駆け寄ってくる。

 かつて新雪のようだった髪と瞳は、今はもうアランと同じブラウンに染まっていた。


「もう、探したんだから。部屋に居てって──アラン?」


 嬉しそうに駆け寄ってくる彼女が愛おしくて、腕の中に閉じ込めてしまう。

 朝に目を覚ましてからほんの数時間しか経っていないのに、フェローの話を聞いたせいか、出会えたことがこんなにも嬉しい。

 抱き締めるというより、もはや抱きついている状態のアランの頭をアリアが優しく撫でる。


「そんなに寂しかったの? ごめんなさい。泣かないで、アラン」

「……泣いていません」

「それなら顔を上げて? 私の愛しい人」


 顔を上げると、見慣れたブラウン色の瞳と目が合う。同じ色のはずなのに、どうしてこんなに美しいのか。

 唇が触れる。触れるだけの口付け。昨日まではそれだけでも満たされたのに、今では物足りなさを抱いてしまう現金さに呆れてしまう。


「機嫌は直ったかしら?」

「……直りましたが、もう一度お願いします」

「ふふ、いい子ね」


 アリアの色に納得がいかずに決まりを破ってしまったが、次は結婚式まで手を出さない。そうアリアにも告げている。

 一回も二回も変わらないとアランの頭の奥で誰かが囁いてくるが、元でも貴族子息である。婚姻前にするものではないと教えられて育った。

 再び決まりを破ってしまったら、アリアの家族どころかアランの家族の顔さえ見れなくなる。あまつさえ妊娠でもさせてしまったら、義父に怒られるより先に厳格な母に殺されるだろう。

 それだというのに、アリアはアランの唇を柔く噛む。すぐに離れたが、その目はキラキラと輝いている。可愛い。


「……アリア様」

「だって、アランが可愛いから。おあずけされた犬みたいだわ」

「無闇にからかって、噛みつかれても知りませんよ」

「まあ恐い」


 抱き合いながらたわむれる。そんな甘い一時を過ごしていたアランとアリアだったのだが。

 騒々しい足音が聞こえてきたかと思えば、無粋な声が邪魔をする。


「アランガルド! ここにいたのね!」

「……まだいたのか」


 とはいえ昨日の今日だ。宿泊の許可も出したので、居て当然なのだが。

 勿論、あの後殊勝にすぐ帰るだろうと期待していた訳ではない。ただただ存在を忘れていたのだ。

 とりあえずアリアを背に隠し、護衛と侍女を引き連れた皇太子達と対峙する。


「お帰りですか。玄関は真逆ですよ」

「その……今までの事、謝りたくて。本当にごめんなさい」

「……モデラートには君に身分を戻すよう、伝えておく」

「そうですか」


 取り戻す手間が省けたのは有り難い。貴族に戻るつもりはないが、公爵子息だったころに得たコネクションを堂々と使えるのは大きい。

 お陰で目の前の二人を陥れるのもより容易くなった。片手間どころか指一本で済むかもしれない。

 謝罪を聞き流すアランの心中に気付くこともなく、皇太子と皇太子妃は落ち着かないのか視線と手先が忙しない。


「き、昨日アーチェと話し合って決めたんだ。俺はやはり皇帝になりたい。アーチェは側妃にする」

「そうですか」

「それで、天使様に正妃になってもらおうと思って」

「は?」


 思わず大きな声が出てしまった。なぜそうなるのか。

 今すぐコイツらを黙らせてくれと護衛と侍女に視線を向けたが、彼らは彼らで笑顔を張り付けた神官達に囲まれてそれどころではない。昨日は夜遅くまで礼拝室に閉じ込められていたようなので、この神殿の恐ろしさを存分に味わったのだろう。

 アランの言葉を聞き返されたと受け取ったのか、皇太子妃は声を張り上げて自分の墓穴を掘っていく。


「グラードから聞いたもの! 天使様は皇太子妃の座を狙ってるって! 天使様が皇妃になれば、きっと帝国を不思議な力で守って下さると思うの! 愛し合う人と出会わなければ、ずっと天使のままなんでしょう? なんなら貴方も付いてきたらいいわ!」


 愛する者を求めて大地へ降りてきた天使を、自分の都合のために閉じ込めてカナリア扱いとは。

 フェローが正しかった。こいつらは生かしてはいけない。天使が耕してきた大地を、穢す者だ。

 アランと神官達の目に殺意が宿るが、それを阻む声が響く。


「──残念ですが、天使様は既に天へと帰られました」


 アリアはアランの背から現れるとニコリと微笑む。ブラウンの髪と瞳になったが、その人間離れした美貌は変わらない。

 帝国から来た全員が彼女の美しさに目を奪われ、面白くないアランはアリアの肩を引いて抱き寄せる。

 自分より美しく、アランと距離が近い彼女への対抗意識か、皇太子妃は眉をひそめた。


「…誰よ、あなた」

「あら。昨日お会いしたではないですか。アランの婚約者のアリアです」

「天使様が帰ったなんてデタラメ言わないで!」


 掴みかかってきそうな勢いの皇太子妃に、アランはアリアより前へ出ようとして止められる。

 そこでようやく察したアランは傍観者に徹する。下手に口を出せばアリアの怒りを煽るだけだ。


「私、天使様のお付きをさせて頂いておりましたの。天使様は公にされたくなかったようですが、そこまでおっしゃるなら仕方がありません。──お二人の劇を見た天使様は、あなた方が困っているという話を聞きつけ、是非とも手助けがしたいと神殿にお呼びになった。それなのに皇太子殿下は天使様が妃の座を狙っていると思い込み、暴言を投げつけた」

「い、いや、それは……」

「あら。”お前のような薄気味悪く口だけは回る女など、誰が好きになるものか!”は暴言ではないと?」


 沸き立つ怒りと共に強い後悔がアランの中で渦巻く。アランがもっと早く初恋に見切りをつけていれば、こんな者達を神殿に招き入れ、大事に守られてきたアリアが中傷されることもなかった。かつての自分をぶん殴ってやりたい。

 思わずアリアを抱いていた手に力を込めてしまうが、彼女の手がソッと重ねられる。貴方は悪くないと言わんばかりに。


「グラード! どういう事なの!?」

「い、いや、だって…まさか、あの程度で」

「今までの歴史通り、天使様はとても繊細なのです。心を深く深く傷付けられた天使様は天へと帰られました」

「そ、そうなの。それじゃあ仕方ないわね。……でも天使様は公にはしたくないと言ったのよね?」

「ええ。でもあなた達が恥知らずにも天使様の善意を利用し、神殿に迷惑をかけるようなら公にするようにとも仰っていました。──誠に残念ですが、神殿は今後帝国王家とそれに連なる者全員と断絶します。お呼びした理由と真逆の結果となりましたが、ご理解下さい」

「あ……あ……!」


 神殿という後ろ盾を得るどころか敵に回したのだ。皇帝になるどころか、貴族でいられるかも怪しいところだ。

 天使信仰が薄れてきてはいるが、神殿は様々な国と強い縁を持ち、大勢の信徒を抱えている。独立機関として中立をうたってはいるが、脅威を感じている国は少なくない。

 どちらに正義があるなど関係ないのだ。帝国の皇太子は神殿を侮り、隙を見せた。二年前の天臨祭の件も含めれば、各国はこの男の評価を二度と変えることはないだろう。


「お帰りよ、ご案内してあげて。──無事に帝国へお帰り出来るといいですね?」


 つい先程のアリアの言葉は、伝書鳩によって明日には全ての教会に届くだろう。神殿も、神殿近くの街も、帝国へ帰るまでの道のりにも教会はある。流石に石を投げつけたりしないだろうが、歓迎はされないだろう。

 義父も、アリアが五体満足で帰す以上、今更天罰を下しはしないだろうが、ちょっとした不幸に見舞われるかもしれない。

 そもそもアランが皇帝の立場なら、これ以上恥を晒される前に事故死してくれる事を望むだろうが──果たして、どうなるか。


「い……いや! 助けて、助けてアランガルドッ!」


 流石に自分に危険が迫っている事は察したのだろう。神官に誘導される中、真っ青な顔で必死にこちらへ手を伸ばす。

 助けろと言われても、アランにはもう出来ることはない。助言をし、警告もした。何度も何度も。

 アランはずっと手を伸ばしていたのに。


「アラン」


 アリアの手が、アランの頬を包む。

 その瞳で揺れるものに気付いて、アランは自分の失態に自分を殴りたくなった。


「アラン、私を見て」

「見ています。ずっと、これからも」

「分かっているわ。過去があって、今の貴方があることも。でも──怖いの」


 アリアにとってアランが初恋だが、アランは違う。それが彼女を怖がらせていることが、酷く苦しい。

 どんなにアランがアリアに愛を捧げても、小さくはなれど決して消えることはない。

 それらを含めた感情を、人は愛と呼ぶのだから。


「愛している、アリア」

「アラン、」

「俺の心は最期まで、貴方だけのものだ」


 誰もいなくなった神殿の通路。

 廊下の奥から声が聞こえなくなるまで──聞こえなくなっても、二人が離れることはなかった。


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