13・神官と天使は手を繋ぐ(後編)
沈黙してしまった皇太子と交代するように、皇太子妃が頭をかきむしって喚き出す。
「──嘘よ。嘘よ嘘よ嘘ッ!!」
「嘘ではありません」
「私はモデラートの王族からも求められた人材なのよ!? 第三王子の婚約者として!」
「第一王子と第二王子は既に成人して子供もいるので、第三王子は王位継承者でも下位の方でした。あなたと婚約を結ぶ頃には、伯爵位と領地を与えて王位を返上する事が決まっていたんです。だからあなたが婚約者でも支障はなかった」
「ふ…ざけないで!」
そもそも彼女が本当に優秀であれば、バカ王子の婚約者にはならなかった。王族からの申し入れとはいえ、婚約を強く望んだのはアーチェの父・レランド侯爵だったと聞いている。
彼には分かっていたんだろう、自分達の末の娘が民の上に立てるような器ではない事を。
「だったら貴方は!? 私と貴方が婚約する話もあったじゃない!!」
「私は嫡男ではありませんから。あなたと婚約する事になれば、家を出て伯爵位を名乗るつもりでした」
「伯爵位…!? 私は侯爵令嬢なのよ!! 皇妃にふさわしい身分を持っているの!!」
「身分が高くても、資質がなければ国母にはなれません」
ハニートラップが始まる前に、アランは叔父にアーチェの婚約を白紙に戻してほしいと頼みに行った。彼女では、とても事態を収拾出来るとは思えなかったからだ。
最悪アランが娶ればいいが、アーチェだけでなくレランド侯爵家の名にも傷が付く。試験の結果が予想できているなら、被害を広げる必要はないと。
だが、モデラート王は頷かなかった。世間は第三王子にアーチェが冷遇されていた事を知っている。婚約を白紙にすれば王族はアーチェに負い目を残すことになり、第三王子の不祥事が重なればますます立場が悪くなる。
アーチェは典型的な貴族令嬢で、侯爵より下の爵位に嫁ぐなど考えてもいない。第三王子と婚約を白紙にしたところで、アランの求婚に頷かなかった場合、王族は彼女の希望のまま侯爵以上の家に嫁がせなければならなくなる。
しかし婚約を白紙にせず、王子妃教育としてアーチェにハニートラップの対処を一任させれば、王家が泥をかぶるのは変わらないものの、王子妃教育を完了出来なかったとして伯爵以下の家へ嫁がせる建前が出来る。
一応レランド侯爵の了承を得たとは聞いたが、まさか婚約者を諌めるどころか、親に報告すらしないとは予想していなかったのだろう。試験が進む度に顔色が悪くなっていく侯爵が不憫だった。
ようやく試験が終わると安堵したのも束の間、今度は帝国の皇太子にアーチェが見初められるなど夢にも思わなかっただろう。
「資質があればいいんでしょう? 大丈夫よ、私はグラードを愛しているもの! 言い寄る女は追い払ってみせるわ!」
「アーチェ…!」
こちらが指摘しなければ気付きもしなかったくせに、なにを胸を張っているのだろう。隣の皇太子もなぜか感動している。
疲れてきたので普通の手繋ぎから恋人繋ぎへ変えた。どうせこの二人は気付かない。
「私の話を聞いていましたか? あれは試験です。実際は、あんな見るからに怪しい女性が言い寄ってきたりしません。特にお二人は愛し合っての結婚ですから、成功する確率が低いハニートラップは避けます。部下や侍女、友人、知人、教師、貴族御用達の店……信頼を得るのは、むしろ同性同士の方が容易いと思いますが」
「近付いてくる人間全てを疑えっていうの!? 私にはムリよ!!」
その程度のことは貴族子女教育でも習うものだ。王子妃・皇太子妃・皇妃教育を受けたアーチェが出来ない訳がない。
「出来ない」のではなく「したくない」のだ。常に被害者でありたい彼女は、加害者には決して回らない。例え侍女の言動に違和感を覚えたとしても、勘違いである可能性を恐れて気付かないふりを続けるだろう。
それで毒でも仕込まれて亡くなるのが彼女だけならまだいいが、皇帝が暗殺されでもしたら帝国は混沌の時代を迎え、その影響は大地中に広がるというのに。自分のことばかりで、周りのことを全く考えない。
「あなたがまだ皇太子妃でいられるのは、皇妃があなたの代わりに近寄る人間を選別しているからです。しかし皇妃が亡くなったら? 誰があなたの代わりをするというのです」
「そ、れは…ッグラードがしてくれるわ! 俺が守るって言ってくれたもの!」
「では皇太子が病に倒れたら? 皇妃は緊急時、皇帝の代理になることをご存じでしょう?」
「じゃ、じゃあ信頼できる人を今の内に用意してもらって、その人に選別してもらうわ!」
彼女は変わらない。初めて会った時から、ずっとそうだった。
どれだけアランが傍に居ても、彼女は自分の事しか見ていない。
「王族教育で法律や政治を学ぶ意味をご存じですか? 専門家に侮られず、欺かれないためです。最初は善良でも、権力を得ると欲を出す者もいます。もしあなたの言う”信頼できる人”が本当に用意出来るなら、その者に皇妃を譲るべきです」
「……ッ」
流石に何も言えなくなったのだろう。悔しそうに俯くアーチェに、アランはそっとため息を吐いた。
話しっぱなしで喉が乾く。紅茶でも飲みたいところだが、カップごと投げつけられても困るのでテーブルには何も置いていない。
軽く咳をしてから、アランは皇太子へと切り出した。
「……皇太子妃を愛しているなら、どうか王位を返上して下さい。彼女は決して劣っているわけではありません。ただ、向いていないだけなんです」
「──俺が皇帝になるには、アーチェと離縁するしかないのか?」
「それが嫌だとおっしゃるなら……妾にするしか」
「!!」
大地にあるほとんどの国は一夫一妻制だが、血筋が絶えぬよう王のみ側妃をもつことを黙認されている。帝国もそうだ。
しかし妾は側妃ではない。王の愛人のことだ。妾が生んだ子は、生まれた時点で王位の資格を剥奪される。
かつて王の身分違いの愛を叶えるために議会が生み出したとされる暗黙のルールだが、最近では悪用される事が多く、ほとんどの国では既に廃れているが、帝国にはまだ残っていると聞いている。
アーチェを側妃にしても無駄だ。側妃が正妃のスペアである以上、権力差は変わらない。先に子を生めば正妃より強い立場になる可能性もある。後ろ盾のない妾であれば勢力争いに巻き込まれることもない。
とはいえ気位が高い彼女が、いくら皇太子を愛していても果たしてそれを望むだろうか。
「今日はこの部屋をお貸ししますので、後はお二人で話し合って下さい。私達はこれで失礼します」
本当は今までの過ちを謝罪してもらい、アランの身分を返してもらう算段だったのだが、それ以前の問題だった。
身分にもう未練はないが、なくて困るものでもない。アリアの望みを叶えるためなら使えるものは使うと決めた。明日になっても反省の色が見えないなら、フェローから帝国の弱味を教えてもらって取り返してしまおう。
そう決めて、アランは繋いだ手を離しアリアを横抱きにして立ち上がる。彼女はキョトンとした顔をしていたが、すぐに笑ってアランの首に腕を回し、肩に頭をもたれかけた。可愛い。癒される。可愛い。
そのまま扉へ進むために背を向けようとした瞬間、アランはアーチェに呼び止められた。
「本当は良い気味だと内心笑っているんでしょうッ! 貴方って昔っからそう! 昔から何でも出来て、誰からも誉められて、誰にでも優しくてッ! 子供の頃からずっと比べられて、私もバカ王子も貴方の事なんて大嫌いだったわ!」
「──」
「貴方との婚約の話を聞いた時は虫酸が走ったもの! 貴方が私の事を好き!? ふざけないでよッ! 心の底ではずっと私を馬鹿に──」
「本当に、好きだったよ」
愛されたいがために誰かに尽くそうとしたアラン。自分を守るために良い子を演じたアーチェ。
違うようで二人はよく似ていた。気付いてしまえば、惹かれないはずがなかった。
第三王子との婚約が解消されればアーチェと婚約したい。最初に言った時、家族も王族も難色を示した。彼女は自分が守るからと、懸命に説き伏せて、最後には納得してもらった。
先程は伯爵位と言ったが、彼女が嫌がるなら公爵家の離れで暮せるように準備もしていた。それでも彼女がアランとの婚約を拒むのなら、信頼のおける嫁ぎ先だって探すつもりだった。
アーチェが好きだったから。
彼女の幸せを、願っていたから。
「遅くなったけど、結婚おめでとうアーチェ。もう会うことはないだろうけど、どうか元気で」
まさか嫌われているとは思わなかったが、それなら色々と辻褄が合うので逆にスッキリした。これで心置きなく前へ進める。
かつての幼馴染みに別れを告げて、アランは今度こそ背を向けて歩き出した。
「っ、待って! アランガルド!」
「触らないで」
駆け寄ってアランの背へ伸ばしたらしい皇太子妃の手を、アリアが払った。
咄嗟に皇太子の様子を窺ったが、彼は俯いたまま気付いた様子はない。
「彼はもう、私のものよ。あなたは王子様と仲良くなさい、お姫様」
そしてフェロー共々、部屋を出る。流石にもう追ってはこないようだ。
アランはアリアを抱えたまま、側の壁にもたれてズルズルと腰を落とした。
「お疲れ、アラン。いやあ劇を見ておいて正解だったね。何倍も面白かったよ」
「見世物のつもりはなかったのですが……ご期待に添えてなによりです」
「よく頑張ったわ、アラン。たくさん頭を撫でてあげる」
「………ありがとうございます」
フェローがいる手前、アランは言葉を濁すしかなかった。
本当は別のご褒美がよかった、なんて。




