10・天使と神官は幸福に浸る
温かい。
なんだかとても幸せな夢を見ていた気がする。
アリアが目を開けると、辺りが湯気に包まれていた。どうやら浴場にいるらしい。
なぜ服を着たままお湯につかっているのかは分からないが、その心地よさにアリアは再び目を閉じようとした。
しかし。
「──寝ないで下さい」
頭上から声がしたので顔を上げれば、なかなかの仏頂面をしたアランがいた。
どうやらアランに横抱きにされた状態で湯船につかっているらしい。道理で幸せな訳だと一人納得して、アリアはアランにもたれて目を閉じた。
「だから、寝ないで下さい! ……温まったのなら、先に出て着替えて待っていて下さい。後ですぐに行きますから」
泣き疲れて眠ってしまったアリアに拗ねているのかと思えば、眠っても離れないアリアに困り果てていたらしい。
最初の一度は合ったものの、それからうろうろとアリアを視線から外すアランの頬は赤い。決して湯船につかっているからだけではないだろう。
アランと湯船でぬくぬくしつつ、アリアは少しだけ考えて、やっぱり目を閉じた。
「…アリア」
「離れたくないの」
「……俺も同じ気持ちです。でも今は我慢して下さい」
「交尾したいならしてもいいのよ?」
「ッ俺を獣と一緒にしないで下さい!」
くっついていられるならアリアは何でもよかったが、流石に元貴公子のアランは抵抗があるらしい。だったら先に浴場から出てしまえばいいのに、そうしないのはアリアを置いて行くのが心配だから。
アランがアリアに優しいのは今までと変わらない。でも想いが通じた今は、こんなにも幸せだ。
クスクスと笑うアリアに、アランは顔を赤くしたまま恨めしげな視線を向ける。けれどその瞳は、酷く甘い。
「アリア様」
「ふふ、ごめんなさい。貴方の言う通りにするから、目を閉じて?」
アランが目を閉じたのを見届けて、アリアは彼の両肩を掴んで立ち上がる──フリをして唇を重ねた。
覚えのある感触に、やはり夢ではなかったのだとアリアは嬉しくなって、少し離れてからもう一度重ねる。
「……………アリア様、」
「目を開けたら服を脱ぐわよ?」
「……………いつか、覚えておいて下さい」
首まで顔を真っ赤に染めたアランに夢中になっていたアリアは知らない。
その「いつか」が、思いの外早くやって来る事に。
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「丸く収まったようでなによりです」
「ありがとう」
着替え終わったアリアは、フェローの部屋でアランを待つことにした。
ソファーに座り、淹れてもらったお気に入りの紅茶を飲む。幸福感が味覚にも影響しているのか、いつもより美味しく感じる。
アランが傍に居ないのは寂しいが、もうすぐ来ると思うと待つのも楽しい。微笑み続けるアリアに、フェローもまた微笑む。
「でも不思議だわ。髪と目の色は変わったみたいだけど、人間になった感覚はないの」
アリアの髪と瞳の色が変わっている事に気付いたのは、先程着替えた時だ。
愛を知ると色が変わるとは聞いていたが、こんな金色よりアランと同じ色が良かった。
天使としての力もまだ残っている事から、考えられる理由は二つ。
一つはアランがアリアを実は愛していない。流石にそれはない。
アーチェに抱きつかれていた時のことをまだアランに聞いていないが、彼が同時に二人も愛せるほど器用な人ではないと知っている。アランの気持ちはアランにしか分からないが、もしかしたら彼もアリアと同じように自分の感情に素直になれなかったのかもしれない。
となると、残る一つは。
「それは──おっと、良いタイミングだね」
「アラン!」
扉をノックする音が聞こえて、フェローがソファーから立つ前にアリアが駆け寄る。
開けると予想通り眼鏡をかけたアランが立っていて、アリアが出迎えるとは思っていなかったのか、少し目を丸くしていた。
そのまま抱きつけば、抱き返される。その心地よさにうっとりするアリアと違って、アランは相変わらず手厳しい。
「……不用心過ぎます。相手が俺じゃなかったらどうするんですか」
「アラン、会いたかった」
「俺もです。でも、それとこれとは…」
「ははは、君もそんなデレデレな顔をするんだね、アラン」
「枢機卿!!」
デレデレの顔が見たくて見上げたが、指摘されたアランは既に顰めっ面になっていた。──顔は真っ赤だったが。
そのままアランに抱っこしてソファーまで運んで欲しかったが、フェローにからかわれるのも可哀想だったので、いつものように腕に抱きついた。けれど今までと違って抱きついた手でアリアの手を握ってくれる。それがすごく嬉しい。
「さて、お二人には説明しなければならない事がありますが──まずは部外者を片付けましょう」
「…そういえば、」
「──完全に忘れてました」
フェローから聞いたところによると、アリアとアランが神殿の最上部にいる間、下では色々と大変だったらしい。
突然神殿の天気が変わったことで、外にいた護衛達が神殿に駆け込んできたのだ。それで気絶している皇太子と、濡れ鼠になって泣いている皇太子妃が見つかり、護衛達からフェローは猛抗議を受けたらしい。
それに対し、フェローはニコリもせずに答えた。この豪雨は前触れに過ぎない、皇太子が天使を中傷したので神が怒っておられるのだ、と。
「命が惜しいなら礼拝室で祈りなさいと言えば、みな血相を変えて向かいました。内部にあるので、雨が止んだことにも気付いていないでしょう」
「そう。なら今の内に──アラン?」
「あの男が、彼女に何か言ったんですか?」
見上げるとアランが恐い顔をしていた。なんだかとてもマズイ気がする。
アリアは視線でどうにかフェローを止めようとしたが、賢い彼は気付いていないフリをした。
「私の口からはとても言えないが、アリア様のご命令がなければ殺していたよ」
「では俺が殺します」
「アラン!」
「安心して下さい。皇太子妃を連れ帰ってもらわないと困るので、帝国に帰った後、彼女が出戻らない程度で社会的に抹殺します。片手間にしますから、貴方を放ったりもしません」
「それなら…いいの、かしら?」
アランが手に入った今、アリアにとってはもうどうでもいい存在だ。アリアの懸念を全て理解しているのなら、彼の好きにさせてあげたいと思う。アリアへの中傷はともかく、二年前の件で相当鬱憤が溜まっているだろうから。
首を傾げつつ頷けば、アランが笑って頭を撫でてくれた。幸せすぎて胸が苦しい。
「それにしても、そこまで天気が荒れるなんて珍しいわね。本当にお父様が降らせたのかしら?」
「……そうかもしれませんね」




