9・天使と神官が、望んだものは
『行かないで、お姉さまッ!』
姉が大地へ降りる度、アリアは泣いてすがりついた。
困らせるだけだと分かっていても、それでも離れることは出来なかった。
『大地になんか行かないで! ずっとアリアと一緒に居て!』
『──泣かないで、アリア。私達の可愛い妹』
優しい姉達は、分からず屋のアリアをいつも抱き締めてくれた。
そしてアリアが納得出来るまで、何度でも大地へ行く理由を教えてくれた。
『お父様に命じられて大地に降りるのではないの。私の意思よ。ここでは手に入れられないものを、欲しくなってしまったの』
姉達は皆揃って同じ事を言う。
分かっていても、いつもアリアは同じ言葉を投げかけた。
『アリアがあげるって言ったら、お姉さまは残ってくれる?』
『……貴方の気持ちは嬉しいわ。でも、それはいつか会える貴方のたった一人のためにとっておきなさい』
『そんなのいらない! アリアは、お姉さまとお父さまがいれば──っ』
『大丈夫よ、アリア』
姉達は分かっているのだ。アリアが恐れているのは、家族と離ればなれになることだけではない。
父や姉達から愛情を存分に注がれるアリアだからこそ、自分の中に満たされないものがある事を認めたくなかった。
『貴方ならちゃんと見つけられるわ。貴方が一番欲しいものを、貴方だけに与えてくれる人を』
等しい家族の愛ではなく、たった一人から与えられる愛。
それこそ、この世界を見守る父でさえ得難く、アリアに与えられない唯一のもの。
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「わぁーーーッ!」
気が付けば、アリアは神殿のいつもの場所にいた。
前にここへ上がった時は、アランにデートへ誘われたのだと、思い出したらますます泣けてくる。
あの時だって、アランはただアリアの機嫌をとろうとしただけ。恋人のふりをしたのも、アリアの正体がバレないため。
この一年、ずっとそうだった。アランは自分からアリアへ近付かない。ずっとアリアから歩み寄っていた。
それが彼からの答えだと、分かっていたはずなのに。
「あーッ、あ、うぅ…ッ、ひ、」
心が痛くて、痛くて、死んでしまいそうだ。本当に、消えてしまいたい。こんな世界で息もしたくない。
姉達は、愛されたのに。それなのに、どうして、アリアだけ。
「っひ…っ、う、うぅ…!」
何も要らない。家族にもう会えなくても、翼を失って飛べなくなってもいい。
それほどまでに望んだのに、それでも手に入らないなんて。
「──アリア様」
「ッ!」
聞こえるはずのない声が聞こえて振り向けば、一番会いたくて会いたくない彼がいた。
本物なのか、幻なのか。本物なら、どうやってここに来たのか。そんな事を考える余裕もなく、アリアの心は恐怖に染まる。
彼の口から聞いてしまったら、本当に、この愛は死んでしまう。
「来ないでッ! いやッ! 近付かないで…!」
顔をそらして両手で耳をふさぐ。
早く、早くここから離れなければ。
「──お父さまッ! アリアを、アリアを助け──」
「ッアリア様!」
涙で視界もままならないまま立ち上がったのが悪かったのか、アリアは足元を滑らせた。
翼を動かすことも出来ず、そのまま転落しそうになったアリアの腕をアランが掴み、強く引いて抱き留める。反動でアランは尻餅をついたが、その腕は決してアリアを離さなかった。
雨で濡れたのかアランの服は冷たかったが、腰に回った手は熱い。
アランのこぼした安堵の息が頬にあたり、アリアは我に返った。
「…っは、はな、して」
「すみません、出来ません。…貴方が俺の忠告を聞かなかったせいだと思って、諦めて下さい」
更に強く抱き締められて、困惑する。また期待してしまうから優しくしないでほしい。
でもアランを渇望するアリアは、この優しい檻の中からどうしても抜け出せない。
嬉しくて、悔しくて、愛しくて、悲しくて、涙は溢れるばかりだ。
「ふ、ぅ……ッ」
「──貴方は何を望んでいるんですか。俺は、それを叶えられますか」
「、や……っ、ぁ…」
声が近すぎて、意識が半分以上奪われそうになる。何か尋ねているのは分かったが、質問の意味までは分からずアリアは首を横に振る。
例え理解したところで答えられなかっただろう。アリアが望むものは、望んではいけないものだから。
肩を震わせながら泣き続けるアリアに、アランは再度口を開く。その声は、酷く優しい。
「責めている訳ではないんです。貴方が泣いている理由が知りたかっただけで…すみません、答えたくないなら構いません」
「………、」
「ただ、これだけは知っておいて下さい。──俺の望みは、貴方の傍にいることです。それを叶えてくれるなら、俺は必ず貴方の望みを叶えてみせます」
不思議と最後の言葉だけアリアの耳にハッキリと届いた。
その瞬間、ある感情がアリアの中から降って沸きだす。必死に閉じ込めようとしていた、気持ちと共に。
「…っ……い」
「アリア様?」
「いらない! アリアを好きになってくれないアランなんて、いらないッ!」
傍に居てくれればいい。アリアのものでいてくれればいい。そうずっと自分を誤魔化してきた。
いつか好きになってくれるかもしれない。いつかアリアを選んでくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら。
だけど、もう、知ってしまった。アランを手に入れたところで、アリアは決して満たされることはないのだと。
「選んだのはアリアなのに! アリアの方がずっと、ずっと、アランを大事にするのに! あ、あんな女に渡すくらいなら、アリアにくれったっていいじゃない…っ」
どんなに望んでも、強く求めてはいけない。奪ってはいけない。
けれどアリアの心は、もう、黙っていられない。
「お願い──アリアのものになって!」
離されたくなくて、アランの背中に腕を回してしがみつく。首もとに顔も埋めてしまう。
何も言わなくなってしまったアランが、ノロノロと腕を動かしてアリアを引き剥がそうとするが、首を振って抵抗した。
「……アリア様、顔を上げて下さい」
アリアの予想とは違い、アランの声に拒絶も困惑もない。それどころか甘い気もするが、アリアの願望がもたらす幻聴かもしれない。
首を振ってさらに強く抱きつけば、ため息を吐かれてしまう。けれどそれも甘く聞こえるのだから、本当にアリアの耳がおかしくなったに違いない。
そう、思っていたのに。
「──アリア」
「!」
「アリア、俺を見て」
その声に惹かれるように、アリアはゆっくりと顔を上げた。まだ涙で視界は悪いが、これだけ近いと流石に見える。
前髪も乱れて眼鏡もかけていないアランのブラウンの瞳は、アリアを──アリアだけを、見ていた。
愛おしいと、言わんばかりに。
「貴方が俺の心を望むなら、俺は貴方のその心が欲しい」
アリアの瞳から、新たな涙がこぼれた。先程までとは違う理由で濡れる頬をアランの手が包み、さらにアリアの手が重なる。
近すぎた距離が更に狭まり、お互いが目を閉じたのは、二人にとって必然だった。
雨が上がった神殿の上空には、見惚れるほどに美しい虹がかかっていたのだが。
お互いしか見えていない二人が気付くことはなかった。




