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8・令息の恋と神官の愛

 アランが神官を選んだ本当の理由は、結婚をしたくなかったからだ。

 叶わなかった恋だが、それでも彼女を好きでいたかった。忘れたくなどなかった。


 ──こんな自分が、天使の相手になど相応しいはずがない。

 選ばれた以上は、彼女に相応しい相手を見つけなければ。


 その決意が揺らぎ始めたのは、アランが神殿での生活に慣れ始めた頃だ。

 時折、神殿には雨が降る。すぐに止むが、その日は夜遅くまで降り続いていた。


『アリア様には内緒にしてほしいと言われているがね』


 雨が止んだ頃、毛布を抱えたフェローに呼ばれ、連れて来られたのは隠し階段。上がった先は神殿の天辺──アリアがよく一人でいる場所だった。

 そこに、アリアはいた。身体を丸めるように眠っていたが、その頬は涙で濡れていた。


『天使の力なのか、彼女が泣くと雨が降る。彼女の周りでは降らないから、アリア様も気付かれていないだろうがね』

『……枢機卿は、彼女が泣く理由をご存知なんでしょう?』


 泣き疲れたアリアを部屋に運んだ後、枢機卿の部屋へ戻り、フェローに尋ねた。

 まだ付き合いは浅いが、フェローならアリアが泣いている原因を放っておくはずがない。それなのに彼を責めるような口調になってしまったのは、今まで気付きもしなかったアリアの一面を見て居たたまれなくなったからだろうか。


『アリア様は家族が恋しくて泣いておられるんだ。もう会うことはないからね』

『なぜ…? 彼女には翼があります。戻ろうと思えば戻れるはずです』

『アリア様の父君は、アリア様が大地で幸せになることを望んでおられる。余程の事がない限り、連れ戻す事はないそうだ』


 この時まで、アランは思い違いをしていた。

 今まで大地に降りた天使は、気まぐれに人を弄んでいるのだと思っていた。歴史書に記された天使はそう読めるようにも書かれていたし、アリアはいつもアランをからかっていたから。


 アリアがアランを選んだのは、気まぐれなどではない。境遇が似ていたからだ。

 親の愛によって、たった一人で大地に降りてしまったアリア。皇太子に反感を買って、たった一人で生きていく事になったアラン。

 アランをからかっているのは、自分の寂しさを誤魔化すためもあるだろうが、きっとアランが神殿に馴染めるように気を遣っていたのだ。


 彼女は自分とは別の生き物ではない。

 ちゃんとした感情をもつ、普通の女の子だ。


 そう気付いたら、今まで被害者ぶっていた自分が恥ずかしくて、情けなかった。アリアは時折泣きながらも懸命に大地で生きようとしているのに、アランは過去を引きずって、ありのままの彼女を見ようともしていなかった。

 謝罪のつもりで枕元に置いたカランコエ。まさか父親からの贈り物だと誤解して、あんなに喜ぶとは思ってなかった。


『私が人間になっても枯れないようにしたいの』


 望めば名声も富も何だって手に入るだろうに、庭に咲いていただけの花に顔を綻ばせる彼女は──あまりにも、可愛くて。

 自分が贈ったものだと気付かれぬよう、嬉しくて緩みそうになる頬を誤魔化すため、必死に顔をしかめていた。


 過去を過去にして、ありのままのアリアを見ると決意した途端にこれだ。いくらなんでもチョロすぎないだろうか。

 接していく度にアリアに惹かれていく自分を自覚しながら、アランは決してそれを表には出さなかった。アリアが恋をしているようには見えなかったし、アリアが望むなら彼女を天へ帰してあげたかったから。


 いや──きっと本当は、怖かったのだ。

 心の底から望んだものは、決してアランを望んではくれなかったから。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「──もう分からないの…!」


 神殿に到着し、アリアへの挨拶を皇太子と共に行っていた時は、彼女も立派になったものだと関心したものだが。やはり根本的な部分はそうそう変わらないのだと、アランは内心ため息を吐く。

 やはり庭へ移動したのは正解だった。神殿には王族や貴族が寄付した美術品が無造作に飾られているのだ。壊されたところでアリアは気にしないだろうが、元貴族で目利きも出来るアランとしては御免被りたい。


「私なりに頑張っているのに、誰も認めてくれない! 理解してくれない!」

「落ち着いて下さい、皇太子妃」

「昔みたいにアーチェって呼んでって言ったじゃない!」

「出来かねます。幼馴染みではありますが、もう立場が違う」


 彼女は忘れているのだろうか。アランはもう公爵令息ではない。皇太子によって平民にされた。

 知らないはずはないだろうに、久しぶりに再会した第一声が「やっと来たのね!」だ。流石のアランも呆れてしまった。


「貴方の事情は分かりました。しかし、私に出来ることなど何もありません。それは貴方達が一番分かっているでしょう?」

「ッ私じゃない! グラードが勝手にしたことよ!」


 第三王子に見初められて婚約したものの、気分屋の彼に冷遇されたアーチェ。そんな彼女が可哀想で、アランはずっと傍で見守り続けた。

 笑ってお礼を言われると嬉しかった。一日中浮かれてしまって、よく家族にからかわれた。

 好きだった。初恋だった。皇太子に奪われ裏切られようと、それでも好きな気持ちを捨てられなかった。


「もう嫌! あの頃に戻りたい…っ! 貴方と王城で遊んでいた頃に戻って…っ、そして、そして……っ」


 アーチェがアランの胸に飛び込んできて、その震える肩を掴む。

 その言葉を、かつてのアランが聞いたら喜んだだろう。例えそれが気の迷いだったとしても、アランは彼女を許したはずだ。


「──アーチェ、」


 しかし、アランは変わってしまった。泣いている彼女を見ても、憐れみ以上の気持ちは湧いてこない。

 もう認めなければいけない。アランの心にいるのは、既に彼女ではないのだと。

 しかし。


『貴方が貴族に戻ったら、私は天へ帰るわ。それならいいでしょう?』


 もう遅いのかもしれない。アランの意気地がないばかりに、アリアは決断してしまった。

 また同じことを繰り返すのか、自分は。

 小鳥も、アーチェも、アリアも──いつだって、本当に欲しいものは手に入らない。 


「──め…!」


 ふと、アリアの声が聞こえた気がして顔を上げる。

 その瞬間、庭園に豪雨が降り注いだ。


「きゃ…っ! なに!?」


 突然の事に戸惑うアーチェに構う事なく、アランが強い雨の中で必死に空を見上げれば、一瞬だけ神殿の頂上付近に天使の羽が見えた。

 神殿で雨が降るのは、アリアが泣く時だけ。何かあったのだと悟ったアランは、濡れた服に構わず神殿の中へと駆け込んだ。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「やあ、アラン。見ない内にすっかり色男になって」


 アランが隠し階段のある部屋へ入ると、予想通りフェローが待ち構えていた。

 この大雨だ、室内にいても気付かないはずがない。現にアランが駆け抜けてきた通路では神官達が戸惑っていた。

 アランは乱れた息を整えながら、額に張り付く前髪をかき上げる。雨に濡れた眼鏡はどこかに投げ捨ててきた。


「……そこを、どいて下さい」

「なぜ?」

「ッ彼女が泣いているんですよ!?」

「お前が行けばアリア様が泣き止むとでも? 彼女が今苦しんでいる理由が分かっているのか?」


 フェローの顔から笑みが消えた。あまりに鋭い殺気に、アランの息が止まりそうになる。

 しかし一歩も退く気はない。アランは誓ったのだ、彼女を守ると。だからこそカランコエを選んだ。


「分かりません。今更俺が何を言ったところで、余計に彼女を苦しめる事になるかもしれない。でもここで立ち尽くすくらいなら、死んだ方がマシだ!」

「………」

「お願いします、行かせて下さい」


 深々と頭を下げる。

 壁越しに雨の音だけが響く中、フェローが息を吐く音が届く。


「──やはりアリア様が君を選んだのは、間違いではなかったようだ」


 頭を上げれば、フェローの慈愛の目がアランに向けられていた。

 彼はずっと見守ってくれていたのだ。アリアだけでなく、アランの事も。


「……一年もかかってしまい、申し訳ありません」

「愛というのはそういうものだろう? 突然生まれるものではなく、日々の中で育まれるものだ。一目惚れを否定するつもりはないが、初対面で囁く愛の言葉ほど浅薄なものはないと私は思うよ」

「フェロー枢機卿…」


 フェローが歩み寄り、アランの濡れた肩に手を置く。


「行きなさい、アラン。全ては、君とアリア様の御心のままに」


ーーーーーーーーーーーーーーー


 雨の音はまだ酷い。

 しかし隠し階段を抜けた先は、以前フェローが言っていた通り、雨は降っていなかった。

 けれど。


「っひ…っ、う、うぅ…!」


 白い羽を出したまま、踞って泣いている彼女がいた。

 苦しむように、怯えるように、なにかから隠れるように、身を守るように。どれかかもしれないし、全て違うかもしれない。

 今にも消えてしまいそうな彼女に駆け寄りたい衝動を抑えながら、ゆっくりと歩み寄る。いくら翼があるとはいえ、今のアリアは冷静ではない。もし暴れて足を滑らせれば大変なことになる。


「──アリア様」

「ッ!」


 あと数歩という距離まで近付き、アランは声をかける。アリアの事情が分からない以上、告白しても混乱させるだけだ。まずは落ち着かせて、泣いている事情を聞かなければ。

 そう頭の中で算段をしていたアランだったが、弾けるように振り返ったアリアの姿を見て、全てが吹き飛んだ。

 過ったのは、かつてフェローが明かした天使の秘密。


『天使様は愛を知ると髪と瞳の色が変わるそうだ。愛した相手と同じ色にね』


 彼女の新雪のような髪と瞳は染まっていた。

 皇太子に似た、金色に。


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