遺伝書録
ノアが言った『遺伝書録』とは、ティウの曾祖父であるゾンが造った魔法である。
ゾンはドラゴン族の母と人族の父の間に生まれた。ドラゴンの特性を強く引き継いでおり、魔力がとても多かった。
生まれた時は角と鱗と尻尾が生えていて、人の顔立ちを持つ獣人に近い姿だったが、人化も獣化もする事が出来た。
魔力の多い種族は生体の成長が阻害される性質を持つせいか、子が生まれにくいという特徴がある。
その中でもドラゴン族には、特殊な鱗が一つだけ備わって生まれてくる特性があった。
その鱗は逆鱗と呼ばれ、顎の下に生えた小さく逆立った、たった一つの鱗をいう。しかし、ゾンはこの鱗を持って生まれなかった。
逆鱗はドラゴンの魔力の源でもあり、そして死ぬまでの記憶をするものでもある。
親のドラゴンが死す時、その鱗を子が食して歴代の記憶と親の魔力を自身の逆鱗に引き継ぐという儀式を行う。
ゾンにはその儀式に必要不可欠な逆鱗が元から無い。しかし、母の逆鱗を食せば現れるかもしれない。
代々受け継いできた英知と魔力をここで絶やすわけにはいかないと、ゾンの母は可能性に望みを託した。
ところが人族の血が影響したためか、母の逆鱗を食してもゾン自身に逆鱗は現れず、なぜか母の魔力はその身の血に宿ってしまった。
このままではドラゴン族の記憶と魔力が後世に残せないとゾンは悩んだ。
そしてゾンは長年に渡り研究を重ね、血を媒体にして記録するという魔法を編み出した。それが『遺伝書録』である。
ゾンはその後エルフ族のフレイヤと結婚して、ノアが生まれた。
エルフの特徴が強く出たノアだったが、やはり血の成せる業なのか、見よう見まねで遺伝書録が扱えてしまった。
さらにゾンよりも器用だったノアが、この遺伝書録に改良を重ね、同じ血を引く者にのみ、夢を媒体にして記憶を共有するという魔法にまで変化させてしまった。
その後もこの一族は、特に魔力の多い長命な種族ばかりと婚姻を結び、現在に至る。
この世界で特に魔力が強い種族ばかりの血が集まったティウは、大変希有な存在だった。
*
食事を終えて一息ついた頃、改めてティウの記憶がどうなっているのか探る事になった。
ティウが椅子から立ち上がり、部屋の中央に立って意識を集中させる。
『遺伝書録!』
浮かび上がる魔法陣から召喚された分厚い書物。辞書ほどの大きさのその本が、勝手に開いてぱらぱらとめくれていく。
この書物は術者の魔力を帯びた血で書かれており、本の中は赤黒い色の文字がビッシリと並んでいた。
ティウが好んで遺伝書録に集めている知識は、世界の様々な植物や薬の製法、料理など多岐に渡った。回復魔法と結界魔法が得意なので、そちらの知識も中心に集めている。
だが十六歳のティウは、まだ若いという理由で家族から外に出ることを反対されていた。
そのため世界中を旅しているゾンやサミエの手紙と一緒に、植物の種や、世界中で出版されている植物や料理の本、料理のメモなどがよく送られてきた。
ティウはそれらを日がな一日眺め、時には実際に作ってみたりして、遺伝書録に記録することが多かった。
その他には日記としての個人の記録もある。
世界中の知識は一族で共有できるが、日記や危険なものを記した書物に関しては、鍵をかけている場合に限り、他の一族でも本人以外は見ることができない。
今、ティウが探しているのはその日記だった。
眠り続けていたというのであれば、眠る直前の記録でいいだろう。そう思っていたのだが、あるページで紙がめくれるのがピタリと止まった。
「え……」
そこはまるで破られたようにごっそりと、眠る前の約三年分のページが丸々無かったのだ。
「どういうこと……?」
その前を確認したが、自分の記憶と一致していた。横で見ていたノアもページがごっそり無いことに気付いて驚いている。
「初めて見たな。記憶を失うとそうなるのか!」
鍵を開けたせいで、隣にいたノアにも日記が見えてしまっているのだと気付いたティウは、中身を読まれては恥ずかしいと慌てて本を閉じて自分の胸元に隠した。
他人からは魔法陣と本は見えていても、一族でなければ中の文字を読むことはできない。まして他人が本を触ろうとすれば、ふわりと消えてしまうようになっている。
さらに術者が本を手に取っている間は、その本自体は他の一族だろうと手に取ることができない仕組みとなっているため、共有するには横からのぞき見るしかない。
ジルヴァラもノアと同じようにひょいっとティウの手元を覗こうとしていたが、中がまっ白のページにしか見えなかったためか首を傾げていた。
「ええ~~! 見せて! 見せて!」
「日記だからダメ!」
興味津々のノアを押しのけて、困惑したまま魔法を解く。すると、魔法陣と共に書物がふわりと消えていった。
残念そうなノアにティウはこの頃の事を聞いた。
「じーちゃん、私が眠った時の事を教えてくれる?」
「私が見聞きした事なら言えるが……それでティウの記憶が戻るとは限らないんじゃないかな?」
「分かってるけど……気になるんだもの」
記憶力が高いこの一族は、皆一様に記録というものにこだわっている。
知らないことがあれば知りたいと思うのは当然で、それを失っているなら余計にそう思うのも当然だった。
十六歳からの三年分の記憶をごっそりと失ってしまっている事に、ティウはショックが隠せない。
「記憶を……取り戻したいのか?」
黙って見守っていたジルヴァラが口を開く。何やら複雑な表情をしていて、ティウは「あっ」と声を上げた。
「あの、その……ごめんなさい。あなたの事、実は覚えてなくて……」
記憶が無いことを改めて謝ると、ジルヴァラは首を横に振った。
「それは確かに悲しいが……あいつの記憶が無いというのは正直嬉しいから複雑な気分だ」
「あいつ?」
ティウが思わず聞き返すと、ノアが溜息を吐いた。
「ジル君、蒸し返すことはないよ。このまま記憶が無くても良いじゃないか。どうせ百年は経ってるんだ。ティウとジル君は今出会った。それでいいだろう?」
「だが……」
「え? え? どういう事?」
勝手に話を進められても困る。そんなに都合が悪い記憶なのかとティウが訝しんでいると、「あいつ」の事は触れないまま、ノアが口を開いた。
「ティウは今、『守護の賢者』という名前で呼ばれているんだよ」
「…………え?」
その通り名を聞かせられて頭が真っ白になった。「賢者」という名が浸透してしまっているという事は、世間にティウが「賢者の一族」だとバレてしまっているという事である。
「待って……私、何をしたの……?」
血の気が引いてどんどんと青ざめていくティウに、ジルヴァラが椅子に座るようにと気遣ってくれた。
世間で『創造の賢者』と呼ばれるノアを始め、ティウの一族は希有な種族ばかりで構成されている。
この一族の存在を知っている者達からは、裏で「賢者の一族」と呼ばれていた。
遺伝書録で膨大な知識を記録した書物が共有でき、さらに各個人の膨大な魔力、多種多様な希有な血筋、そして何より長命である。
一部の権力者達に噂となって賢者の一族は探されている。
ティウが賢者の名を得ているということは、一族全員の所在も全てバレてしまったということだろうか?
「ごめんね。百年前、眠ってしまったティウを引き取る時に、私が身内だと言ってしまったせいで、ティウが賢者の孫だと広まってしまったんだ」
「え? ううん、むしろ迎えに来てくれてありがとう。でも……」
噂だけで済むはずがない。一族の影響力は裏であったとしてもそれは大きいのだ。記憶が無いからと許される事ではなかった。
ティウが顔色を失ってしまったのを気遣ってか、ノアが憂いを吹き飛ばすかのように満面の笑みで微笑んだ。
「大丈夫! だって百年も昔の話だ」
「百年……」
これほどまでに迷惑をかけているのに、肝心の記憶が無いことが余計に恐ろしくなった。
同じ轍を踏まないように、きちんと経緯を教えて欲しいとティウが伝えると、ノアとジルヴァラはお互いの顔を見合わせて悩んでいた。
「ティウの言い分は分かる。しかし困ったな。どう説明すればいいやら。私もほとんど又聞きでしかないからね」
「俺がティウと出会った以降の話ならできるが……」
そうジルヴァラが言った。ティウはそれで構わないと頭を下げた。




