2018年4月/11冊 我が偏愛・溺愛のトラウマ本
前回は初めて泣いた1冊について語ったが、今回はトラウマ本である。
トラウマ、などというと仰々しいが、私にとってのそれは
「精神障害を引き起こす非道で残虐な内容」ではなく
「精神性に深く訴える美しくも残酷な内容」のこと。
ゆえに、トラウマ本を嫌悪してはいない。むしろ溺愛、偏愛している。
トラウマ本との出遭いは交通事故にも似て、頻繁に起こるたぐいではないもののいったん遭遇したが最後、ひどい後遺症に悩まされる。
読後1週間は体内を高濃度アドレナリンが暴走し、異様なテンションが続く。
その後は、ふとした折に場面の断片がよみがえる。そのつど気分はダウンする。
仕事中だろうが入浴中だろうが、おかまいなしで困る。
初めてのトラウマ本は2004年、長野まゆみ女史の『テレヴィジョン・シティ』だった。当時はもっぱらSF分野に傾倒しており、J・ティプトリー・Jrや、ロバート・F・ヤングの短編に、胸のつまる美しくも哀しい世界を見ていたのだが、海外大物SF作家陣をなぎ倒す勢いで突き出されたのが、長野女史の織りなす、この長編だった。
「読み終えたくない」という焦燥と「早く続きを」という渇望の二律背反にさいなまれながら、仕事のあいまをぬって、3日で上下巻を読破。
本をとじたときの虚脱感と喪失感はいかんともしがたく、物語で得られなかったカタルシスをどうにか脳内に取り込もうと、この作品をテーマにした詩や詞を日々書きなぐっていたものだ。
その後、数年間は、平穏な読書日和が続くも、2011年、フレッド・ウルマンの『友情』に遭遇。久しぶりすぎて、ダメージ相当。
2013年、マイケル・ナーヴァの『このささやかな眠り』『ゴールデン・ボーイ』と初の年間2冊に衝突――大事故である。
精神に後遺症をのこしたまま翌2014年、マイケル・ナーヴァの『秘められた掟』、長野女史の『鬼茨』に相次いで激突し、瀕死状態におちいった。
ウン十年におよぶ歳月の読書量からすれば、わずか6冊ではある。
しかし、一度きりの人生でそう何度も事故に遭ってはたまらない。
そう思えば、妥当な冊数という気もする。
トラウマ本は、道ならぬ恋に似ている。ある日突然、危険をはらんだ未知の世界に落とされる。美しすぎる残酷性に強く惹かれる自分の中に、はしなくも昏い部分の存在を知り、うろたえる。
出遭う前と出遭った後の自分とでは、確実に、なにかが変質している。
しかしその変質は、ときに情緒をはぐくむ糧となる。片想いにはつきものの、《苦しいけれど、どこか幸せ》な感傷をもたらしてくれたりする。
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4月の「ちょっと一言云わせて本」
該当作なし