2018年3月/8冊 初めて泣いた1冊
小学校の何年生だったか、そこらへんは判然としないが、初めて泣いた1冊が『ああ、無情』だったことはよく覚えている。頼みもしないのに母が移動図書館で借りてきたハードカヴァーの本だった(平成以後の世にも、あるのだろうか。昔は大型自動車に貸出本を積んだ移動図書館なるものが巡回していた)。
これがヴィクトル・ユーゴー作『レ・ミゼラブル』の児童向け版であることは、のちに知った。
当時の私は『若草物語』とか『若草物語』とか『若草物語』ばかり読んでいて、すでにマーチ家の5番目の娘として脳内生活を送っていたので
「なんですかコレは、お母さま。表紙も挿し絵も、暗いしコワい。可愛い女の子も出てこない。ってゆーか、犯罪者の話じゃんよ!」
と内心では突っぱねたものの、読まずに返却も読んだことにして返却も、なぜか気後れがした。そこで、嫌々感を出そうと日中ではなく夜、ふとんの中で読むことにしたのである。
すると、どうしたことか、愛すべき3女のベスが息をひきとる場面でも出てこなかった涙が、無骨なジャン・バルジャンのその場面では、ぽたりぽたりと落ちてきた、睡眠導入剤のつもりが、精神興奮剤になってしまった、これがその思い出の本ですの、おほほほほ…と大切にしまっておければよかったのだが、それをすると、第二のジャン・バルジャン(※窃盗犯)になってしまうので貸出期限内にきちんと返却した。
あれからウン十年。思い巡らしてみても、この本以外で泣いた記憶がほとんどない。とういうか……ない。
心に染みた本、目頭が熱くなった本、喉がつまって痛みを覚えた本は数えきれないほどあるというのに、涙腺のK点を超えられない。原田選手(@長野冬季オリンピック)教えてくだされ。私のどこがまずいんでしょう。
情緒欠陥? 冷血人間?
いやいやいや、答えは【ツン地層】に埋もれている。
私から大粒の涙をしぼりだす1冊や2冊や3冊が、きっとそこに埋もれている。
それでも警官は微笑う/日明恩 2018年2月
キス・キス・キス 土曜日はタキシードに恋して/ドナ・カウフマン
エリン・マッカーシー ジャネール・デニソン 2017年12月
ニッポンの書評/豊崎由美 2017年8月
ミステリ・ハンドブック/早川書房編集部 2015年12月
erotica/榎田尤利 2017年1月
ミステリ・データブック/早川書房編集部 2015年12月
ジェントルマン/山田詠美 2018年2月
天使の影~アドリアン・イングリッシュ1/ジョシュ・ラニヨン
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3月の「ちょっと一言云わせて本」
『それでも警官は微笑う』
作者の名は日明恩。
書肆で著作を探したいとき、まずは【ひ】の棚へゆく……ない。
次いで【に】の棚へゆく……ない。
さて、どこへゆく? 正解は【た】の棚へ――って、読めるかぁぁぁ!!
こんな心配、いらん世話だろうが「編集部よ、売る気があるのか?」といぶかる次第。
私は生粋の昭和人間なので、読み方に頼らずともネット検索という裏の手(もう全然、裏じゃないけど)で数秒のうちに探せてしまえる現代は、大変便利とは思いつつも、どこか味気なさを覚えてしまう。
指先だけのクリック作業には、もう《探す》という行為の本質はみいだせない。本には《購う》という行為のまえに《探す》という愉しみ、付加価値があったことを懐かしむ自分にはなりたくないのだが、こと書籍においては紙である必要性すら俎上にのりかねない昨今であるからして国民のみなさん! 今こそネット至上主義に警鐘を鳴らすときが――所信表明演説みたいになってきた。
え、政党名? 積ん読消化推進党。
閑話休題。
本書に出てきた合田刑事のくだりでは、思わずニヤついてしまった。
というのも、警察小説において、この名は一種の符号と化していて、人物のある傾向を示しているからだ。わかる人にはツボ、わからぬ人にはただの固有名詞。
しをん女史も、ご自身のエッセイ本で合田刑事の名を出しており、案の定、興奮しておった。
現在はシリーズ3作目まで刊行中。おすすめ文句に惹かれて購入したが、いざ読んでみるとキャラ設定および舞台装置が、私の趣味領域をはずしていた。
よって、続きを購う予定はなし。