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10 妻への求婚

 侍女のお仕着せ一枚と朝食のパン二個を手切れ金代わりに盗んでいった聖女は、警備の目をかいくぐり城を離れていた。王は深追いすることなく、まずは王城内の問題の解決に動いた。


 第一王子ヘンリには、身勝手な婚約解消に対し二ヶ月の謹慎処分とした。

 次の王の座を王弟であるクストに定めると、王太子の指名は白紙とし、クストが将来結婚すればその子供を含め、広く公平に王太子を選ぶよう助言した。

 引き継ぎをしながら国の問題を再検討し、指針は持ちながらも押しつけることなく、新たな王の手腕に任せることにした。そして三ヶ月後には王は王位を退いてセーデン公爵を名乗り、城の外から国政を見守ることにした。



 セレナは王城を出たその日のうちに聖堂に行くと、聖なる力を使い果たしたことを確認してもらい、そのまま聖女を引退した。

 聖女は引退するとそれまでの功労を称え年金が支給されるので、セレナも年金を受け取り、元いた西の聖堂から少し離れた街で一人気ままに暮らしていた。


 年金の受け取り先をたどればその居所は簡単に割れた。

 セーデン公はセレナの居場所を突き止めると、家のことはしばらく執事に任せ、供もつけず一人で若い妻の元へと向かった。若い頃はよく一人で城下を散策し、民に紛れて暮らすのにも慣れていた。馬を走らせ、久々に街の宿で過ごしたが、自分が国王だったと気付く者は一人もおらず、何だか愉快だった。


 突然現れた軽装のセーデン公にセレナは驚いたが、小さな家に招き入れると、極たまにしかふるまわないとっておきのお茶を出した。

「王位は弟に譲ってね、もう王城は出たんだ。あまり長い余生にはならないと思うが、どうだろう、一緒に暮らさないか」

 まさか元国王からそんな申し出を受けるとは思わず、少し戸惑ったが

「私は女神の神託を果たしましたから。もう聖女でもないですし、年金で生活できます。お気を遣わないでください」

 そう言って、セーデン公の申し出を断った。

 セーデン公は

「そうか」

とだけ言って無理強いすることはなかった。

 思いのほかあっけなくその話を切り上げたが、続いて道中で見かけた旅芸人の話とか、王都で話題の芝居の話とか世間話が続き、語り口の面白さもあって気がつけばすっかりくつろいで聞き入っていた。

 これもお茶会、なんだろうか。ふと疑問に思い、

「お茶の時って、難しい話をしなくてもいいの? 何とか地方の羊の話とか、農作物の出来がどうとか…」

「ヘンリとはいつもそんな話を?」

 セレナが頷くと、

「だからあいつは女性にモテないんだな」

 そう言って笑うセーデン公は、年を取ってはいても今でもモテそうだった。

 一時間ほど滞在すると、セーデン公は

「じゃあ、また明日」

 そう言って、セレナの頬に軽く口づけ、帰っていった。

 …また明日?

 熱くなる頬に手を当てながら、セレナはただの聞き間違いだろうと思っていた。


 ところが、翌日も午後の同じ時間になるとセーデン公はセレナの家を訪れた。

 土産には花を数本と街で買った菓子。花は素朴だが幼い頃に今はなき故郷で見た記憶のあるものだった。菓子をつまみながらたわいもない世間話をして、一時間ほど共に過ごすと、

「一緒に暮らす気になるのを待ってるよ」

と言って、その日もあっさりと去って行った。「また明日」と約束を残して。


 年は三十近くも離れ、書類上は既に夫だったが、ずっと尊敬していた人が自分を訪ねてくるなんて。セレナはざわめく心を抑えきれなかった。

 午前中に家事を済ませ、訪ねてくる時間が近づくとなんだか落ち着かず、部屋をうろうろしてしまう。窓からこちらに向かってくる姿を見ると、安心しながらも取りすまし、ノックを待って開けたはずの扉が少し早すぎて顔を赤くした。それを笑顔で受け止めてくれる。

 同じ席に着くのが嬉しい。煎れたお茶をおいしいねと言ってもらえて嬉しい。もっと話をしたい。帰ってしまうのが寂しい。そばに…一緒にいたい。

 それは、敬愛で収まる想いではなかった。


 セーデン公は一月(ひとつき)の覚悟で口説きに来ていたが、五日目にはセレナは帰ろうとするセーデン公の

「一緒に来るかい?」

という問いかけに頷きで返し、差し伸べられた手を取った。


 思い立ったが吉日、とその日のうちにセーデン公はセレナを連れて自領へと向かった。途中の街でセレナの指にぴったりと合った指環を買い求め、セレナの左の薬指に通した。

「王様、指環なんて、私…」

「格好くらいつけさせてほしいな。…それに、もう王様じゃないよ、聖女様」

「わ、私だって聖女様じゃないもん」

「では、セレナと呼ぼう。…セレナ、私のことはレオンだ。レオでもいいかな」

 初めて夫の愛称を聞いたセレナは、

「い、いいの?」

と少し遠慮気味に聞き、頷く夫を見て口になじませるように

「レオン、…レオン。…レオ、…レオ…」

とその名を繰り返しつぶやき、にやにやしながら夫の手を掴んで歩いた。


 公爵領までの小さな旅で二人はすっかり親密になり、互いの名を呼ぶのにも慣れてきた。

 屋敷にはセレナの部屋があり、そこには衣服も、身だしなみを整える物も用意されていて、セレナの好む平民的な服もちゃんとあった。数枚用意されていた服に充分満足していたが、すぐに服屋が呼び出され、次々と発注するのを慌てて止めたものの、すぐにクローゼットはいっぱいになった。

 男爵家出身の気取らない侍女がつき、年が近いこともあってすぐに仲良くなった。執事は王城で王の世話をしていた者がそのまま担当していたが、セレナの身分を問わず、主人の愛妻として礼を尽くし、困ったことには快く相談に乗ってくれた。


 数日後、家に残していた物が公爵家に運ばれてきた。

 自分の持ち物はごくわずかで、箱に入れれば一箱にも足りない。しかも質素すぎて公爵夫人としてはそぐわないものばかりだった。それが例え着古した服であっても、むやみに捨てることなくわざわざ運んでくれたことが自分を否定されていないようで嬉しくて、セレナは一つ一つ手に取りながら、この人を選んで良かった、と改めて思った。


 公爵家で暮らすようになってからも、セレナは聖女だった頃の習慣で朝夕の祈りを欠かさず、食事の前には女神と王とに感謝の祈りを捧げた。その王が自身であることを知るとセーデン公もさすがに気恥ずかしかったが、妻から向けられる感謝と尊敬の念をありがたく受け取った。

 聖なる力は使い果たしたはずだったが、公爵領とその周辺は魔を払われているかのように平穏で、セーデン公がセレナの手を取って眠った翌日は体が軽くなり、共に暮らす中で病がぶり返すこともなかった。


 セーデン公は妻と孫と変わらぬ年の子供二人に囲まれ、弟や子供達が国を平和に治めていく姿を見守りながら、六十八歳で永遠の眠りについた。


 セレナは、満ち足りた顔で天へ旅立つ夫を見届け、自分こそ女神の神託に救われたのだと、その導きに感謝した。






お読みいただき、ありがとうございました。


9話を書きたかった話です。

10話は本当はものすごいシンプルで、

 王様は助かりました。

 妻を探し出し、連れ戻して、

 後は幸せに暮らしました。

 めでたしめでたし。

   (1000字ちょい?)

だったのを、後付け妄想が暴走しました。


2022秋分の日。いもくりうまい季節に。


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