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黒き気配をまとった妖がぞろぞろと列を成す。闇に乗じて姿を現した妖の群れ。
星々の光を呑み込むほどの深い闇は、か弱い人間に牙を剥く。
その爪で柔肌を裂き、滴る鮮血を舐める。引き攣る悲鳴は闇の中へと消えて、誰の耳にも届かない。
力を手に入れたかつての弱者は、自分がそうされたように弱者を屠る。
「ならば、私が貴方がたを殺すのも許してくれますね。安心です」
闇の中に銀が瞬いた。
それを認識した頃にはもう遅く、圧倒的な力が群れを蹂躙する。
刃が踊り、藍色の残滓だけを残して妖たちの命を刈り取っていく。
「先走んなよ、神威」
藍色の残滓を追いかけるように槍を持った青年が走る。
胸元に龍の鱗を輝かせる青年は残党を片手間で殺しながら、ただ前を追いかけた。
「ったく、キリがねぇ。一体どんだけ誑かしたんだ」
次から次へと襲い掛かる妖たちに飽き飽きしながら青年は呟く。
簡単に切り捨てられる者ばかりならまだよかった。しかしながら黒き者に力を与えられた妖の中には手強い者も幾人か存在する。
行く手を阻まれ、追うべき藍も見失った。
「っとに、神威の野郎は……。俺はお前みたいなバケモンとは違うんだぞ」
先走った相方への苦言を零し、銀槍を振るう。追いかけるのはやめた。
妖の群れに囲まれて独りきり。自分より遥かに強い奴を気にしている余裕はない。
ただ息を吸い込み、声を張り上げる。
「危なくなったら、ずらかるって言ったからな!」
どこにいる相方へと投げかけ、槍を握り直した。
戦闘中だと周りの声が聞こえなくなる馬鹿だが、自分の声はきっと聞こえていると信じて。
「つーことで、道を開けてくれや」
追いかけるのではなく、逃げるために。
そもそも二人で百鬼夜行に突っ込もうなど無謀な話だったのだ。
後は任せたと相方を一人残す非道な道を躊躇いなく選び、地面を踏みしめる。
加速して群れの中へと飛び込んだ。行く手を阻もうとする妖たちを突き刺し、切り捨て、返り血を浴びながら進んでいく。
キンっ。肉の感触ばかりを味わっていた切っ先が金属を捉えた。
「なかなか歯ごたえのアりそウなのもイるじゃねェか」
聞こえた声にヤツブサは小さく舌打ちをした。面倒臭そうな奴に当たったと。
「悪ぃけど俺はお前の相手する気はねぇ。通してくれるとありがたいんだが」
「てめェになくても俺にはアる」
「だよな。そういうだろうと思ったぜ」
今度は溜め息を吐いて、槍を横に振るう。そのまま踏み込んで突きをお見舞いするが、長い刀で防がれる。
「そこらの有象無象とは違う、か。ったく、神威とはぐれるんじゃなかったぜ」
面倒だとまた息を吐いて、相手から距離を取る。そうして初めて長い刀を握るその人物の姿を認めた。
闇に紛れる色の服をまとった長身の男。髪は灰色で、目は紫紺。
残虐性を宿した笑みはヤツブサという獲物を見つけられたことを喜んでいるようだ。
男が刀を振るう。届く風を避けたすぐ傍で、剣撃が爆ぜた。
「おいおい、飛び道具付きかよ」
爆風を仄かに浴びつつ、独りごちる。
本当に面倒だ。こんなことなら気紛れについてくるんじゃなかった。
化け物の相手は化け物に任せるのが一番。ヤツブサの出る幕ではない。
「仕方ねぇ」
諦めるように呟き、銀槍を握り直す。
火薬を積んだ剣撃を紙一重で避け、遅れて爆ぜる姿を嘲笑する。そこにはもうヤツブサはいない。
「遅い遅い」
高く跳躍したヤツブサを追う紫紺を横目に宙で方向転換。加速する動きに一拍遅れる男の頭を踏み抜き、再び加速。
「さっきも言ったが、お前の相手をする気はねぇよ。遊び相手は他を当たってくれ」
言い残し、神速で場を離れていく。
ヤツブサが唯一、化け物級のあの男――神威に並べ立てるものがあるとすれば、それは速さだ。
たった一人で生き抜くために鍛え上げたスキルは逃げ足という形で発揮される。
紫紺が注ぐ殺気を感じなくなった頃に歩を緩め、行き先を変える。相手を撒く意味を込めて出鱈目に動いていたヤツブサが明確に行き先を持って進み始める。
戦力差を見て、撤退するのも戦力の一つだ。一人では無理だと判断したのなら、撤退して協力を仰げばいい。
神威の実力があれば、相応の時間稼ぎくらい余裕だろう。
化け物じみた彼の強さに信頼を置いて、ヤツブサは同じ化け物のところを訪れる。
そこは神聖な空気で満ちた花園だ。外では見ることができないような花々が美しく咲き誇る場所。
「そなた一人とは珍しい」
花園の主である女性はヤツブサに視線を寄越さないままに呟いた。
長い金の髪は、夜の帳に包まれた世界でも神々しく輝いて見える。ちょうどいい目印だ。
口にしたら勘気を被ることになるので、ヤツブサは無言で金の女に歩み寄った。
基本的にヤツブサは誰が相手でも態度を変えることはない。
「神威とはぐれた」
「ほう?」
簡潔な状況説明に興味を持ったようで、ようやく女、妖華の顔がこちらを向いた。
髪と同じ金の瞳がヤツブサを射止める。
「百鬼夜行のことはあんたも知ってんだろ」
何せ、首謀者は妖華が肉体を与えた邪気なのだから。
返ってくる沈黙を肯定と受け取り、ヤツブサは話を続ける。
「その手の依頼が次々と神威に舞い込んできやがる。お陰で、俺まで駆り出される羽目になった」
「恨み言を言いに来たのではあるまい。疾く、用件を話せ」
神威とはぐれたことをそれなりに気にしているらしい。彼のことを余程気に入っているようだと内心で考えながら、本題に入るために口を開く。
「神威は強い。すぐにどうこうなるわけじゃねぇだろうが、助太刀を頼みたい」
「妾に貸しを作ることになるが、よいのじゃな?」
「構わねぇ。俺にあんたが期待するほどの価値があるとは思えねぇけどな」
「はっ、謙遜しよる。そなたの持つものは価値がある。それを知らぬわけではあるまいよ」
唯一の龍と契約を交わし、最強の謳われる人物に声が届けられる場所にいる。
ヤツブサの持つものを欲しいと思う者は多くいるだろう。それを理解してなお、ヤツブサの自己評価は変わらない。
「まあよい。あれのことは妾も気に入っておる。それに」
ついと金の目が細められる。
そこに宿る激情の正体は分からずとも、気迫だけはヤツブサにも伝わってくる。
単純に神威のことだけが彼女に激情をもたらしているわけではない。
「妾も動かさる得んと思っていたところじゃ。いつまでも、彼奴めの狼藉を許して置くわけにはいかぬ。――よいな?」
最後の問いかけはヤツブサに向けられたものではない。
木の影から現れた金髪の少女。紺碧の瞳は憂いを帯び、それでいて強い決意を灯していた。
「ええ」
短い答えはわずかに震えた。必死に感情を抑えようとしているのが分かる。
「私の我が儘に付き合わせてごめんなさい」
堪えるように微笑む姿に、金の目が注ぐのは深い愛情だ。
万物を守る力を持つこの神は何よりも自らの半身を大切にしている。その半身を悲しませている者へ向けるのは果てのない憤り。
ああ、と。先程宿していた激情の正体を悟り、ヤツブサが小さく笑う。
「オンモを討ちましょう」
「私も協力する」
覚悟を決めた肩に浅黒い手が添えられる。
黒い髪を長く伸ばした女性だ。憂いを帯びたその目もまた力強い光を湛えている。
「オンモの行動はきっと私のためだから」
魂を分けた半身を守るための行動が、その半身を苦しめているとはなんとも皮肉な話だと他人事のように考える。
実際、他人事だ。ヤツブサは神威の回収さえできれば、世界どうなろうとも興味はないのである。
「んで、策はどうするんだ? 相手は強力。数も多い。力任せじゃどうにもなんねぇぞ」
「妾を誰だと思うておる。美しくない真似はせぬ」
やたらと自信満々な妖華を半眼で見つめるヤツブサ。
正直、彼女の実力も戦いぶりもヤツブサは知らない。神威と近い立場である以上、弱くはないとは思っているが、その自信を素直に信じるほど愚かでもない。
「あれの裏にいるはおそらく帝天であろう。倒すのは容易ではない」
言いながら、妖華はその手をついと伸ばす。
白い掌の上で金の光が渦巻き、清廉な霊力が形を成す。
生み出されるのは壺だ。研ぎ澄まされた霊力によって作られた壺は邪な空気を喰らい尽くす力を持っている。
「これを使うがよい」
「分かったわ。……ありがとう」
渡された壺はオンモを封印するためのものだ。
出来損ないといえども、神が作った封印の壺。その効力は絶大だ。
いくら創造神が後ろについていたとしても、後れをとることはないはずだ。
「随分と甘いことだな」
本来であれば、ここはオンモを殺すための武器を渡すところだ。それを封印の壺とは甘いにも程がある。
オンモに対してではなく、半身である少女に対して。
彼女がオンモに対して深い情を注いでいるのを知っているから妖華もまた手心を加える。
「妾は妾の優先すべきものを優先するまでよ」
それは世界ではなく、愛おしい半身なのだと美貌は語る。
自らの優先すべきものを優先する。
それはヤツブサも、きっとオンモも同じ。だからこそ、求めるもののためにぶつかるのは致し方のないことだ。
「情報収集はそなたに任せる。得意であろう?」
「……任せろとは言えねぇけど…分かった」
至るところに顔を出して、必要な情報を集める。それは今までやってきたことだ、
何食わぬ顔で潜入し、無害な存在であるふりをする。相手の強力さは関係なく、むしろ大所帯となっている今は入りやすい。
ただ一部に顔が割れてしまっているので深追いはできないだろう。
「……すぐに動くことは出来ぬがよいのじゃな?」
「相手の力量みりゃあ、下準備が必要なことくらい分かる。焦ったって失敗するだけだろ。それに――」
敵地に置いてきた神威のことを思う。
「あいつはそうそうくだばんねぇよ」
それが分かっているから、ヤツブサは一人でここまで逃げてきたのだ。
最強と謳われる人間だ。その強さを直に見てきたヤツブサは知っている。
神威が殺されるよりも、敵を全滅させて戻ってくる方はまだ可能性が高いと言える。
「愛という奴かの」
「冗談はやめてくれ。俺はあいつの力を信じているだけだ。愛なんて気色悪ぃもん俺らの間にはねぇよ」
「まあ、そういうことにしておいてやるわ。妾は寛大じゃからの」
くっくっ、と喉を鳴らして笑う姿には何も返さない。
絆とか、愛とか、そんなもの、ヤツブサと神威の間には存在しない。しないはずだ。少なくとも、ヤツブサはそう思っている。
ただ居心地がいいだけ。ただ相性がいいだけ。高尚な理由などなくてもいい。
それもまた一つの愛であり、絆なのだと歌うように金の瞳は笑っている。
「はぁ……。んじゃ、俺は情報収集にでも行ってくるぜ。期待せずに待っててくれや」
「うむ。そなたの愛の力、存分に発揮するがよいぞ」
笑みを含んだ声を背中にヤツブサは歩き出す。
ひらひらと振った手を返事として、「そんなんじゃねぇ」と小さく声で低く低く言葉を零した。




