7(幕間)
浅黒い輪郭を覆うぬばたまの髪。同じ色の睫毛で縁取られた目は静かに伏せられている。
その姿は美しく、枯れ木に覆われた空間すらも風光明媚な風景へと作り替える。
自らの半身の横顔を離れた位置で見つめながら、オンモはその胸に痛痒を描いた。
オンモたちはかつて朧げな邪気の塊であった。
自我が芽生えても、その在り様は変わらない。周囲に邪を撒き散らすだけの怪物となり殺されるか、長い時間の先で消え去るか、その二つだけが指し示めされた未来だった。
心優しき金の花がオンモたちを見つけて差を差し伸べ、彼女の主が形と居場所を与えてくれた。
役割を持ち、二人はこの妖の国で新たな妖生を歩み始めた。
彼女たちと会い、半身は笑うことが増えたように思う。変化の乏しい顔が日々を楽しんでいることが、オンモには手に取るように分かる。
しかし、そんな日々は妖の国が大きくなるにつれて失われていく。
「……オンラ」
美麗なその顔は憂いを帯びることが多くなった。
人の姿を得られた。けれども、その性質は邪気とそう変わらない。
忌子と言うそうだ。陰の気が強い存在は忌子と呼ばれ、オンモとオンラの二人は妖の国を訪れる忌子を管理する役目を担っている。
自分たちが同じ存在が、辛い目に遭わないように導く役割はむしろ誇りであった。
「されど、民は忌子を受け入れぬ」
国は大きくなった。しかし、それに反するように忌子の立場は弱くなっていく。
王が悪いだけではない。彼女はよくやっている。
ただ、大きくなりすぎて彼女の声が届きにくくなっているのだ。それがオンモには堪らなかった。
始めたのは彼女と神。それに続いたのがオンモとオンラ。
にもかかわらず、日に日にオンモたちの立場が弱くなっていく。
「仕方ないこと。私たちは忌むべき存在。場所が得られるだけでありがたいわ」
愛する半身は憂い顔でそう言っていた。
無欲なことだ。忌子とて居場所以上のものが得られても構わないはずなのに。
あの言葉はきっと本心ではないのだろう。
どんなに言葉で偽っても、オンモには分かる。半身の顔が憂いを帯びているのがその証だ。
「願いを教えて」
高い女性の声が耳朶を打った。
気配に気付かなかったことに息を呑み、辺りを見回すが、人影は見当たらない。
「願いを申せ」
今度は低い男の声だ。しかし、同じように声の主の姿はどこにも存在しない。
「誰だ!?」
「願いを教えなさい。教えてください。教えるがよい」
「望みを言ってよ。言いやがれ。言ってほしいな」
女の声。男の声。若い声。老人の声。
いくつもの声が重なり合い、されども、オンモの目には誰も映らない。
困惑し、警戒を募らせ、絶えず降りかかる声に息を零した。
「帝天、か。我に何用だ?」
帝天は敵だ。
この国の王たる彼女と、神たる存在が敵と定めた。ならば、オンモにとっても敵だ。
いつでも攻撃に移れるように意識だけはして、周囲を睨む。
「そう、警戒してくれねぇでもいいですよ。テンにあんたを害する気はありやがらねぇですから。むしろ、その逆です」
「逆だと?」
オウム返しのように言葉にしたオンモの前に一人の少女が現れる。
白のみで構成された少女だ。肩口で揺れる髪も、身を包む衣装も、その目すらも白で統一されている。
神秘的というより、妙な妖しさをまとう少女はオンモに一歩近づいて艶然と微笑む。
「願いがあるんでしょう? 望みがあるんでしょう? ならば、テンが叶えてやるって言ってんです」
「我の望み……」
「半身を救いたい。そう思っていやがるんでしょう? そのための力をテンは与えてやれます」
白き少女は高慢に、それでいて寄り添うようにそう言った。
「お主は友の敵だ。その力を借りるわけには――」
「その友と、愛しの半身。あんたはどっちの方が大事でいやがるんです?」
オンモは黙した。
答えられなかったのではない。明確過ぎるほどに答えは出ていた。だからこそ、答えなかった。
この世でもっとも大切なもの。その者のためならオンモはなんだってするし、何にだってなってもいい。
「相分かった」
例え示された道が、友人たちを裏切ることとなっても構わない。そう思えるほどにオンモは半身を、オンラは心から愛していた。
「お主の話を聞いてやろう。乗るかはそれからだ」
半身から嫌われたって構わない。それで彼女の笑顔がまた見られるなら。
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弱いことは罪である。
弱いから虐げられ、蔑まれ、愛してもらえない。
母は自分を怒鳴る。父は自分を怒鳴る。兄は自分を蹴る。姉は自分を踏みつける。弟は自分を殴る。
友人も、村の人たちも、みんながみんな自分を詰り、嗤う。これも全部弱いせいである。
絶えない傷をその身にまとう少女は多くに虐げられならがらも、消えない炎を胸に灯していた。
いつか、いつか、いつか。強くなって、周りを見返してやるのだと復讐心を燃やし続ける。
「力が欲しいか」
その男は突然現れた。真っ黒な男だった。
髪も目も肌も、身にまとう服さえも黒で統一された男。
「強くなりたいか」
男は問いかける。
絶えない傷と同じく、少女の胸の中で絶えず燃え盛る炎を見て問いかけた。
「欲しい……なりたい」
「ならば、我が力を与えてやろう」
そうして少女は、ハガクは力を手に入れた。
今まで自分を虐げていたものを喰らい、自らの糧にするための力を。
これできっと自分は誰かに愛してもらえるのだと。
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それは生きているのか、死んでいるのか、分からない存在だった。
多くの死体に囲まれたその男の身体は半分ほど朽ち、崩れかけの骨が覗いていた。
まだ死していないのは、彼が胸に抱く執着心のお陰だ。
周囲の死体はかつての友であり、家族であり、そして――愛する恋人であった。
穏やかな日々を過ごす男のもとに突如として襲い掛かった絶望はすべてを破壊しつくした。
もうこの村に男以外に生きているものは存在しない。
「何故っ」
理由は分かっている。弱かったからだ。
「何故っ」
理由は分かっている。力がなかったからだ。
細すぎるこの腕は愛する者を守ることすら叶わず、ただ死にゆく姿を見ることしかできなかった。
村を破壊した絶望よりも、力なき絶望が男の胸を支配し、身体は死してなお、命を繋いでいた。
「力が欲しいか」
その男は不意に現れた。真っ黒な男だった。
髪も目も肌も、身にまとう服さえも黒で統一された男。
「強くなりたいか」
男は問いかける。
窪んだ目から流れる涙が示す消えない執着心を見て問いかけた。
「欲しい……強くなりたい、デス。どうか、私に力を……」
そうして男、スクルは力を手に入れた。
守れなかったものたちとともに歩み、理不尽な絶望に抗うための力を。
これできっと自分は誰かを守ることができる。
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その男は地面に膝を付き、両目から滂沱と涙を流していた。
筋肉質なその両腕には今まさに奪われたばかりの幼い命が抱かれている。
彼と幼子に血の繫がりはない。彼と幼子に面識はない。
名も知らぬ幼子をただ胸に抱き締め、ただ涙を流し続ける。
幼き命は可能性だ。その可能性を守るために男は流浪人として旅を続けてきた。
しかし、鍛え上げた手が届かない。
「すまない。っすまない」
守るために力がいる。この手だけでは足りない、圧倒的な力が。
「力が欲しいか」
その男は唐突に現れた。真っ黒な男だった。
髪も目も肌も、身にまとう服さえも黒で統一された男だ。
「強くなりたいか」
男は問いかける。
己の無力さに打ちひしがれるその肩を見つめて問いかけた。
「それで、守ることができるのなら……欲しいっ」
そうして男、チソホは力を手に入れた。
理不尽に打ちのめされる幼き命へこの手を届かせるための力を。
これできっと自分は可能性を守ることができると。
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少年は世界に飽いていた。
この世界は自分に相応しくない、と言い聞かせるように日々を生きていた。
退屈だ。つまらない。そう思って生きていないとやるせない。
どうにかできる力があればよかった。望むものを手に入れて、絶望的状況もひっくり返せる力があれば、きっと何かが変わるはずなのに。
斜に構えて日々を過ごしてきた少年は目の前の異常にそう考えた。
自分もこのまま、運命に導かれて死ぬのだろうか。絶望するように考えて、変えがたい事実に恐怖した。
運命を変える力が欲しいと願うように。
「力が欲しいか」
その男は突如、現れた。真っ黒な男だった。
髪も目も肌も、身にまとう服さえも黒で統一された男。
「強くなりたいか」
男は問いかける。
運命などに従いたくないと反骨心を燻らせる少年を見て問いかけた。
「運命を逆さにできるなら、欲しい!」
そうして少年、サカセは力を手に入れた。
襲い掛かるすべてのものを、退屈すらも反転する力を。
これでこの世の理不尽をなかったことにできると。
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青年は途方もない衝動を身の内に抱えていた。
内なる破壊が彼に語りかける。嫌いなものを、愛するものをすべて壊してしまいたいと。
青年には弟がいた。愛する弟だ。
自分より遥かに優れた弟を青年は何よりも壊してしまいたかった。けれど、青年程度の力では叶わない。
愛している。だから壊したい。
そんな衝動を燻らせ、力なき己の中でただ膨らませるだけの日々。
生と死のギリギリの世界で自分は生きていたいのだ。
「力を欲しいか」
その男は急に現れた。真っ黒な男だった。
髪も目も肌も、身にまとう服さえも黒で統一された男。
「強くなりたいか」
男は問いかける。
己の欲のままに力を振るうことを焦がれる青年を見つめて問いかけた。
「はっ……貰えるもンは貰っとくぜ」
そうして青年、フィロスは力を手に入れた。
内なる衝動を解放し、大切な者を壊すための力を。
これで窮屈な世界を心から愛することができると。
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黒き男は現れ、力を与える。それは弱きものの願いを叶えるための力で、自らの望みを叶えるための力だった。
願いを、望みを叶え、妖たちは彼に従い、歩き出す。
それは俗にいう百鬼夜行であった。




