5
あの日の一件から神威の周囲には少し変化が訪れた。
ヤツブサが堂々と武藤家に出入りするようになったのである。今まで隠れるように神威と会っていたヤツブサは、空悟にばれたのだからと武藤家に入り浸るようになった。
神威にとっては大した変化ではないが、武藤家の人間にとっては大事らしい。
「あのような者に関わるのはお止めになってください」
今までまともな関わり合いを避けていた武藤家当主、神威の父親がそう言って頭を下げる。
額を畳に擦りつける様を神威はただ無感動に見つめる。
「素性も分からず、あの見た目……亜人混じりなのは間違いない。貴方様と関わっていい者ではありません」
ヤツブサと距離を置いた方がいいと武藤家の人間は言う。
青銀の髪は亜人混じりの証拠なのだと。
いくら調べても素性の知れない人間だからだと。
危険だの、不審だの、口を揃えてヤツブサと離れるべき理由を並べ立てる。
そして、神威はそのすべてを右から左へと聞き流していた。けれど興味が向いて、ヤツブサに問いかけた。
「貴方は亜人の血を引いているのですか」
「んー、あー、さあな。俺は父親を知らねぇからな。母親も小さい頃に死んだし、興味もねぇし」
なんとなく口にした問いかけにヤツブサは興味なさそうに答えた。
分からないのならそれでもいい。それは二人に共通する考え方だった。
「ま、でもこの髪色は人間のもんじゃねぇからな。混じってんだろうよ」
「なるほど」
頷き、青銀の髪をじっと見つめる。
薄く青みがかった銀髪。空に透かせば青を纏い、陽光を浴びれば銀に輝く。美しい髪色だ。
「龍の鱗と似ています」
ヤツブサの首にさげられた龍の鱗。契約の証であるそれもまた美しい青銀だ。
何気ない神威の言葉にヤツブサは目を丸くし、すぐに相好を崩した。
「案外、あの龍が父親だったりしてな」
冗談のように口にするヤツブサ。なんとなくヤツブサは自分の父親の正体を知っているような気がした。
「にしても、なんでまたそんなことを聞きてきたんだ? 興味ねぇだろ?」
「亜人混じりに関わるなと言われたので。確認です」
「ははっ、その返しはお前らしい」
何かが琴線に触れたか、ヤツブサは笑い声をあげる。楽しげに笑うヤツブサを神威はただ首を傾げて見つめる。
ひとしきり笑ったヤツブサは目端の涙を拭い、神威へと向き直る。真面目な顔で。
「武藤家の人間と俺。立場は違うし、意見も違う。どっちにも従うなんてどだい無理な話だ」
武藤家の者たちはヤツブサと関わるなと言う。
亜人を殺す役割を与えられた家が亜人との共存なんてそう簡単に受け入れられるわけがない。
対して、ヤツブサは家柄だの種族だの、ありとあらゆる立場や地位というものを気にしない。興味すら持っていない。
「流れる水のような生き方はお前の美徳だが、そうはいかない時だってある」
武藤家に反発することもなく、ヤツブサとも今まで通りに付き合う生き方。
それがこれから先もずっと続けられるとは思っていない。
正直、神威は迷っていた。だからこそ、ヤツブサに問いかけたのだ。
「誰か、じゃなくて自分で考えで決めろ。世界に興味のないお前にだって譲れないもんの順位くらいはあるだろ。それを大事にしろ」
握り締められた拳が神威の胸を叩く。
自分の胸に聞け、と神威の甘えた考えをぶち壊すように。
「俺との関わりをやめるってんならそれでもいいさ。俺はお前の考えを優先するぜ」
「それは……ヤツブサが困りませんか? 龍との契約もあります」
「あ? んなの気にするなんてお前らしくねぇな。別に構いやしないさ。俺は――」
青銀に光る鱗に触れるヤツブサ。
「譲れねぇもんは、欲しいもんはもう手に入れた。だから、契約を破って命を焼かれても構わねぇさ」
ヤツブサの生き方は自由気ままで鮮烈だった。
自分に従い、欲しいものを手に入れ、満足のいくままに生きるその姿。
中身もなく、興味もなく、流されるままの神威には絶対に手に入れられないものだったから。
「では、私はヤツブサを取ります」
「おいおい、それってお前の面倒を見ろってことか?」
「それが私の譲れないことです。駄目ですか?」
「はぁー、仕方ねぇな。名前をつけた好だ。最後までお前の世話係をやってやるよ」
その日から、神威は武藤家の言いなりに動くのをやめた。
流されるままに生きるのはいつも通り。けれど、流される対象を限定したのだ。
風に揺らされる湖ではなく、上から下へと流される川の水のごとく。
武藤家の人間は相当苦心しているらしい。何せ、当てにしていた道具が自分の意思を持ち始めたのだから。
神威を従わせるには大嫌いな亜人混じりの機嫌取りをしなければならない。そんな屈辱的なことは彼らの生き方が許さなかった。
「俺的には二番目のがおすすめだな。後は……四と五か」
武藤家から渡された依頼書の束。どれを受けて、どれを断るのか。そのすべてを今は神威自身が決めている。
ただその決定のほとんどがヤツブサの言葉を参考にしたものだ。
ヤツブサがすすめるものは受け、ヤツブサが止めるものはすべて断る。ヤツブサの言葉は単純で、それ故に素直に納得できるものが多い。
「一番上のは止めた方がいい。均衡が崩れちまう」
不思議とヤツブサは世界の情勢に詳しい。他種族の知り合いも多いようで、それぞれの種族の裏事情なんかも知り得ている。
いろんなところを渡り歩き、いろんな者と言葉を交わし、細かく情報を得ているらしい。幼子が独りでこの世界を生き抜くには必要なスキルだったとか。
「武藤家の奴らはなんでもかんでも殺そうとしすぎだ。共存する方が余っ程楽だってのに」
「しかし、人間は弱いです。身を守るために先手必勝するべきなのでは?」
「逆だ。弱いからこそ、対話して味方を増やす方がいいんだ。下手に殺して敵を増やすなんて愚策だよ」
視野が広く、頭も回るヤツブサ。世間知らずな神威は教えられることが多い。
少しずつ世界を知り、人形から人間になっていく感覚を味わいながら、武藤家の人間がヤツブサを遠ざけたがる理由を悟る。
彼らは神威に人間になってほしくないのだと。都合のいい人形でいてほしいのだと。
「種族が違うからって話が通じねぇわけでもない。事実、妥協できる部分を探り合って共存してる種族はたくさんいるぜ?」
「そういうものですか」
「そういうもんだ。亜人だと誹り、自分たちと違うものを徹底的に排除しようとするから人間には害をなす種族が多いんだよ」
むしろ多くは人間こそ、話の通じない種族として扱っているのだと。
「では、ヤツブサの言ったものだけを受けることにします」
ヤツブサの言葉に従うのは言いなりとは違う。納得したから、納得するだけの言葉をくれるから従うのだ。
武藤家の人々も同じように扱ってくれたのなら、少しは変わっただろうに。
もう神威は人形ではなく、意思を持った人間になったのだから。
神威は狭い世界の中で生きている。住人は神威とヤツブサだけの小さな世界。
遠ざけても、拒んでもいないのに神威の傍にいるのはいつだってヤツブサだけだった。
最強と呼ばれ、どこかずれた価値観を持つ神威に好んで近付くものなんて、命知らずな愚かな者くらいしかいないということだ。
それを寂しいとも辛いとも思わず、ただあるものを大切に抱くように生きていくだけ。
その日はヤツブサが傍にいなかった。龍に会いに行くとだけ告げて、ふらっと出掛けていった。
ヤツブサは自由人だ。どこかへ出掛けることは珍しくなく、それで何か問題が起きるわけでもない。
だから神威はいつも通り、一人きりで何をするでもなく時間を潰していた。
そうしていれば、そのうちヤツブサが帰ってくる。ぼーっとしている神威に呆れた表情を浮かべ、仕入れてきた情報を話してくれるのだ。
しかし、今日はいつもとは違った。
「貴方様に伺ってほしいお話があるのです」
ヤツブサが不在を狙ったように武藤家当主が神威の部屋を訪れた。一応、血の繫がり的には神威の父である人物である。
ほとんど関わり合いもなく、名前すら呼ばれたことのない相手に親としての情を抱くこともないが。
「なんですか?」
当主の顔には色濃く激しい戦闘の跡が残されていた。顔や身体に巻かれた包帯には血が滲んでおり、その怪我の量を見る限り、戦闘より蹂躙の方が近いかもしれない。
「どうか、我が妻を救っていただけませんか」
目端に涙を滲ませて、深く頭を下げられた。膝をつき、包帯が巻かれた額を地面に擦りつけて。
「何があったのですか?」
「我が妻は今、床に臥せっております。とある者にかけられた呪いが妻の身体を蝕んでいるのです」
彼の妻であれば、神威の母親でもある。顔を覚えていないとはいえ、とりあえず話を聞く姿勢だけは整えた。
「呪いとは?」
「妖の王にかけられたものです」
答える当主は申し訳なさそうに目を伏せる。
「我々は先日、妖の国に奇襲を仕掛けました。しかしながら奇襲は失敗に終わり、見せしめとして呪いをかけられたのです」
「なるほど」
「妖の国に手を出した非があるのは重々承知しております。ですが、妻は関係ない! どうか、妻を助けていただきたい」
必死な懇願は神威の心を動かさなかった。
様々なものに対して関心の薄い神威には情で訴えられても動かない。
ただ彼は父親で、その妻は母親だ。一応、自分の生みの親である人物を興味がないからと捨て去るのも忍びない。
ここにヤツブサがいれば判断を仰げるのだが、いつ帰ってくるのかも分からない以上、当てにするわけにもいかないだろう。
「その妖の王を討ち取ってくればいいんですね?」
「引き受けてくださるんですかっ⁉」
「はい。急ぎのようなので今からでも」
妖の国の場所はヤツブサが以前話していたので知っている。ヤツブサは妖の国にも不定期で訪れているらしい。
とはいえ、妖の王についてはよく知らないとそう言っていた。
王を名乗るからには強いのだろう。今まで相手にしてきた誰よりもきっと。
久しぶりに強者と戦えるとわずかに胸を弾ませて、神威は妖の国へと向かった。
単独で、持ち物も刀の一本だけ。
相手がどれだけ強者でも神威にはそれで十分だった。
「ここが妖の国ですか」
草木が生い茂る森を抜けた先に広がる幻想的な景色に流石の神威は息を呑んだ。
霊力、妖で言うなら妖力を仄かにまとった花々が一面に咲いている。本の中に迷い込んだかと錯覚してしまいそうなほどの美しさと神々しさをまとっている。
理想郷というものが本当に存在するなら、ここがそうかもしれない。
「何者じゃ?」
花園の美しさに我を忘れた神威へ、不機嫌に声がかけられる。
「そなた、妖ではないな? 妾の花園に許可なく足を踏み入れるとは命が惜しくないのか?」
その人物は金色の花だった。花園に咲き誇るどの花々よりも美しく、神々しく、可憐な花。
長すぎる金の髪を引き摺りながら、その女性は神威へと歩み寄る。歩く姿すらも筆舌に尽くしがたいほど美しい。
呼吸することさえ忘れて、神威は突然降臨した女神に目を奪われた。
「答えよ、何者じゃ?」
長い睫毛に縁取られた目は金色。不機嫌に彩られようとも、その美しさは衰えず、神威の心を高鳴らせる。
声も美しい。一音聞くたびに神威の耳は歓喜で震えている。
その声が自分に投げかけられ、その目が自分を見つめている。そう思うだけで心は沸き立ち、どうしようもない幸福感に包まれる。
たとえ、それが好意的なものでなくとも構わないと。
「答えぬか。ならば、仕方あるまい」
空気が震え、不可視の刃が花園を駆け抜ける。
ただ目の前の女神に心奪われている神威は向けられた攻撃に目も向けず、手を振るっただけの挙動で打ち消した。
瞠目し、息を呑むその姿も美しいと思いながらそっと膝をつく。場を飾り立てる花々を避けるように膝をつき、その手を差し出した。
「結婚してください」
「――。――は?」
突然の行動に警戒を滲ませていた女神は、神威の言葉をゆっくりと咀嚼して言い放つ。
そこですぐにまずは非礼を詫びなければ、と思い当たる。細かな礼儀は他者と触れ合う上でとても大切だとヤツブサが言っていた。
「突然の来訪、先程の非礼、重ねてお詫びします。貴方の美しさに見惚れてしまい、我を忘れていました」
「妾の美しさに、か。方便というわけでもないようじゃな」
思案する顔もまた美しい。この美しさはどれだけ著名な画家であろうと表現することは叶うまい。
「よい。許してやろう。美しすぎるのは妾の罪。見惚れてしまうのも当然のことと言えよう」
傲慢とも言える物言いは世界の真実だ。
彼女の美しさに見惚れること、それは常識の範疇。いちいち咎めていては罪人だらけになってしまう。
「そなた、名はなんと言う」
「神威、とそう呼ばれています」
「神威か、良い名じゃ」
初めて微笑んだその姿に心臓が止まる思いがした。
不機嫌な顔も、驚いた顔も、思案にくれる顔も、どれも筆舌し尽くしがたいほどに美しいが、微笑む顔はそのどれよりも可憐で愛おしい。
「神威よ。そなたの申し出は嬉しいが、妾は誰にものにもなるつもりはない」
「そう、ですか」
「じゃが、そなたのことは気に入った。特別に、この国へ自由に出入りできる許可をやろう。妾の話し手になるがよい」
「貴方様と言葉を交わせられるのなら、これ以上の幸福はありません。感謝です」
彼女を目にするだけではなく、話をする権利まで与えられるなど夢のようだ。寛大な措置にただただ頭を下げるばかりである。
「くっくっ、そなたは面白い奴じゃな。して、此度は何故、この地に足を踏み入れたんじゃ」
「――。ぁ、忘れていました。私は妖の王を殺すよう、頼まれてきました」
良くも悪くも神威は素直で純粋だ。聞かれれば、嘘偽りも誤魔化しもなく答える。その素直さが今回は悪い方向へと働いた。
上機嫌だった彼女がその目に怒りを宿らせ、それに応えるように周囲の空気が戦慄く。
「妾の前でよくもあれを殺すなどと抜かしたな!」
吠えるような声とともに花園が凶器へと変化する。美しく咲き誇る花々が一瞬にして敵へと変わり、神威の命を奪わんと見つめている。
「妖の王は貴方にとって大切な方なのですか?」
「あれは我が半身じゃ。害なすものはみな、この手で屠ってみせよう」
「なるほど。では、妖の王を殺すのはやめましょう」
「は?」
臨戦態勢にまでなっていた彼女は神威の言葉を呆けた声を漏らした。
「ヤツブサが言っていました。自分の気持ちに従えと。私は母の命よりも貴方を優先したい」
母と言えども顔すら覚えていない。そんな相手よりも、己の心を囚らえてやまない彼女のために動く方がずっといい。
「くっくっ、そなたは真に面白い奴じゃな」
ゆっくりと神威の言葉を咀嚼した彼女は楽しげに喉を鳴らし、花々へ命令を下す。
凶器でなく、場を飾り立てる美しい装飾品と戻る花たち。怒りはどうやら収まったらしい。
「母の命とはどういう意味じゃ?」
「妖の王に呪いをかけられた、という話でした。殺せば、呪いが解けるのだとか」
「ふん。くだらん戯言を吹き込まれたものよな。あれがそのような愚かしい真似をするものか」
怒りの矛先を神威から、神威へ話を持ちかけた人物へと変えながら、言葉が紡がれる。
「そなたを利用して邪魔ものを消そうとした、といったところか。傀儡を操りきれなかったのが敗因じゃな」
武藤家当主の言葉が嘘だったと知ったところで、神威の心に波風は立たない。なるほど、という納得だけがあり、それ以上のものは生まれない。
「ふむ、また闖入者か」
小さな呟き、それが言い終わるか否かのタイミングで、勢いよく神威に近付く影がある。
「この馬っ鹿」
そんな言葉とともに神威の頭に殴られる。情け容赦のない一撃に頭を揺らしながら、揺れる青銀を目で追う。
「驚いた。そなたなら躱せると思ったが……」
「避ける必要がないものですから」
「罰は甘んじて受けるってか? ったく、一人で妖の国に行ったって聞いた俺の気持ちにもなってみろ、馬鹿」
敵意のある攻撃なら反射で避けるなり、反撃するなりしている。しなかったのは彼の攻撃を避ける必要ないと知っているから。
単独で乗り込んだ神威を案じる心が混じった一撃は痛くはあるが、不快ではない。
「信頼です、ヤツブサ」
「そんな信頼いらねぇっつの。反省しろ」
また殴られた。こう何度も神威を殴れる者なんてヤツブサしかいない。
能力的な話ではなく、関係性的に話ではあるが。
「愉快な関係よな、くくっ。青銀の、それの手綱はしっかりと握っておくことじゃな。力に反して純粋すぎる。下手に動かれては被害が広がりかねん」
「あんたにも迷惑かけたみたいだな。悪い」
「なに、なかなか楽しめた。咎めはせぬ」
「感謝するぜ。あんたに敵対されちゃ面倒だからな」
どうやらヤツブサは彼女について何か知っているようだ。
「妾とて、そなたらと敵対したくはないからの。同じ異端の身として」
「……。流石に気付いていたか」
「隠せるなどと思い上がってはおるまい? 取り巻く歪みは明らかじゃからな」
大事な部分を隠された二人の会話は神威にはよく分からない。分からないので、ただ美しい彼女の声を聞くだけに集中する。
「尊き力じゃ。利用されぬよう、しっかり見ておくんじゃな、飼い主よ」
「飼い主じゃねぇよ。単なる世話係だ。神威、ぼけっとしてねぇで、とっとと帰るぞ」
内容を理解することを放棄して、話を聞いていた神威の腕がヤツブサに引かれる。
彼女と離れることを惜しいと思う神威はされるがままに、引っ張られながら視線だけを向ける。
「あのっ、名前は……っ?」
「妾の名は妖華じゃ。これもあれと共有しているものであるがな。呼び名はそなたが好きに決めるがよい」
「ならば、姫と」
静かに首肯する彼女もとい妖華に満足したように神威は視線を前へ向けた。
「次の来訪を待っておるぞ」
最後に聞こえた声は神威にとって至上の喜びだ。
次来るときは妖華ともっと話せたらいいとそう願った。




