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その子供は両親のどちらとも違う藍色の髪を持って生まれた。
不義の子と言われ、亜人の血を引く者だと蔑まれ、悪魔の子だと恐れられた。
生まれてすぐに両親から引き離され、蔵の中で育てられた。世話は下っ端の使用人に任され、人として最低限の暮らしだけが与えられた。
状況が変わったのは彼が五つになった頃だ。
彼の家、武藤家は武芸に秀でた家柄であり、裏稼業として対亜人専門の殺し屋を営んでいた。
そして――まだ幼い少年には殺しの才が溢れていた。
誰に教えられるでもなく、一通りの武術を完璧にマスターしていた。高度な術を息するように扱え、幼いながらに最強の片鱗を見せていたのだ。
世の中というのは実に都合がよく、彼の才に気付くとすぐに掌を返し、神の子と崇めるようになっていった。
幼く、自我らしい自我を持たないのをいいことに対亜人用の殺戮人形へと育てられることになったのだ。
当の本人はころころ変わる周囲の対応などに興味もなく、ただ流れるままに生きていた。
自分の人生にすら執着を持たない天才。
人形のように空っぽな少年。それはどこか気味が悪いもので、神格化するのを免罪符に武藤家の人間はやはり彼を遠ざけるように接していた。
そんなことすらどうでもいいと考える少年へ近付く一人の少年がいた。
「お前がカミサマ?」
ただぼーっと立っていた彼へ向けて不躾にそう問いかけた。
肩下くらいの長さの青銀の髪を無造作に結び、ほとんど襤褸に近い服をまとった青年だ。
「俺はヤツブサ。よろしくな、カミサマ」
差し出された手を彼はただ見つめるだけだ。
反応らしい反応もなく、少年ヤツブサは眉根を寄せた。
「こういうときは握手すんだよ、ほらっ」
言いながら、ヤツブサと名乗った少年は強引に彼の手を取って自分の手と握手させる。
それを怒るでもなく、彼はきょとんとただ見返すだけだ。
「お前、名前は?」
問いかけられても彼は見返すだけ。
打っても響かない彼の態度をみなが気味悪がり、その時点で諦めたように離れていく。けれど、この少年は違った。
「名前だよ、な、ま、え。もしかしてないのか?」
「わからない」
ぽつりと口の中で呟くような返答。
名前はあるのかもしれない。しかし、彼は生まれてこの方、誰からも名前を呼ばれたことがなかった。
初めは忌み子として忌避され、今は神として崇められる。呼ばれるときは蔑称か、神様かのどちらかだった。
興味もなかった。悲観もなく、ただ受け入れるだけの彼に自らの名前を知る機会などありはしない。
「んじゃ、俺がつけてやるよ」
当たり前のようにヤツブサはそう言った。
自分の名前を知らないという彼を否定も肯定もせず、ただそう言った。
「んー、んー……お前はカミサマだから……あ、そうだ。カムイ、神威だ!」
「かむい」
「そ、神威。カミサマのことをカムイって言うとこがあるんだってよ。だから神威」
名付けの由来を耳半分で聞きながら、彼改め神威は自らの名前を何度も反芻する。
何度も何度も。まるで、自分の中にその名前を定着させようとしているように。
「今度から神威って呼んだらちゃんと返事しろよ」
「わかっ、た」
神威はたどたどしく頷き、ヤツブサは笑った。
「実は俺のヤツブサって名前を自分でつけたんだ。いかすだろ?」
ヤツブサの言葉を聞き、それを理解するために頭を働かせはしないまま、ただ頷いた。
興味津々に自分へ話しかけるヤツブサのことも、神威にとってはどうでもいいものだった。
無気力に、無関心に生きている神威は流されるままに頷く。
打っても響かない、人形のようだと揶揄される神威にヤツブサはただ興味だけを向けていた。
「よし、決めた。お前のことは俺が面倒見てやるよ」
そう言って差し出された手を取る姿さえも機械的だ。
手を差し出したら握るのだと他でもない彼に言われたばかりだから。
その日からヤツブサは頻繁に神威のもとへ訪れるようになった。ふらっと現れ、あれやこれやと世話を焼き、ふらっといなくなっている。
ヤツブサは武藤家の人間ではないらしく、人がいないのを見計らって姿を現し、人の気配を感じたらすぐにいなくなる。なんとも器用なものだとぼんやり考える。
「おっ、今日はもう起きてんな」
「おはよう、です」
朝はそう挨拶するものだと彼に教えられた。
やはり機械的な対応にもヤツブサは満足げに笑う。
「今日はでかい仕事があるらしいな」
「そうなんですか?」
「なんだ、知らないのか? 神威らしいっちゃらしいけどな」
神威には戦いの才能があった。
人間の脅威となる亜人種を言われるがまま、命令されるがままに殺してきた。妖を相手することが多いからか、いつしか最強の妖退治屋なんて呼ばれている。
戦うことは好きでも嫌いでもない。
殺すことは好きでも嫌いでもない。
刀を振ることは嫌いではない。神威の偉業を聞いて、誇らしげにしているヤツブサを見ているのは嫌いではない。
嫌いではないからやっている。神威の行動理念はそれだけだ。
「西の方を牛耳っている妖の集団を駆逐するってのが今回の任務らしいぜ。上級が何人かいるって話だ」
神威は任務の内容を知らないことが多い。知らなくても問題はないし、興味もない。
内容がどうであれ、神威のすることは言われたことをこなすだけだ。
そんな神威にヤツブサはどこからか仕入れてきた情報を教えてくれる。
今回の相手は誰だとか、弱点はどこだとか、誰それが裏で仕切っているだろか。
ただ聞きかじっただけでは知ることのできない情報までも与えてくれる。
そこそこの付き合いとなっても、神威はヤツブサの素性を知らない。
「お前なら問題ねぇだろうけど、まあ気をつけることだな。なにせ、あそこには龍の根城があるからな」
「……龍」
「おっそろしい龍様だ。うっかり逆鱗にでも触れちまったら、いくらカミサマでも勝つのは難しいだろ?」
龍についての話はヤツブサから聞いたことがある。
かつては数十体もいたが、今は一体だけしか残っていない最強種族。
「分かりました。気を付けます」
「ああ」
短く返したヤツブサのその目はどこかいつもと違う気がする。
そのことに気付きながらも、神威はただ受け流して今日の任務をこなすことに意識を傾ける。
ヤツブサが何を思い、何を考えているかなんて神威にはどうでもいいことだ。
硬い地面を駆ける。迫り来る気配を感じ、握りしめた刀を横に薙げば、赤い液体が飛び散った。
服や肌を汚す液体など気にも留めず、弓へ変化した刀の弦を引く。生まれた霊力の矢が宙で分かれ、遠くから自分を狙う妖の命を一瞬で刈り取った。
弓を刀に戻す。右の敵を刀で切り捨て、左の敵を風刃で切り裂く。
その間、歩みを緩めることはなく、神威は一人で戦場に立っていた。
敵は四十強。仲間は約二十人といったところだ。
人間は弱い。本来であれば、数で押し切ることを想定して隊が組織されるが、神威一人の実力により少数での戦闘に至っている。
一人きりで戦場に立っていることが何よりの証明だ。他の者は神威の速さについていけず、少ない取りこぼしを後ろで相手している。実に楽な仕事だ。
中級が十六人。上級が四人。後は雑魚。
神威は戦闘に身を投じながら、ヤツブサに与えられた情報を反芻する。しかしながら流れで殺し続けているので、どういう内訳の何人が残っているのかは分からない。
上級の何人かはすでに殺してしまっているかもしれない。
「おめェ、仲間を好き放題殺してくれたみたいだな。俺サマが――ぁあ?」
道を塞ぐように現れた巨体。その骨太の首を目掛けて刀を振るう。
渾身の一撃は半ばで止まり、目を丸くした神威は相手の胴を蹴って距離を取った。
「てめぇ、人の話は最後まで聞けって教わらなかったのかぁあ?」
「何か話していましたか? 気付きませんでした。謝罪します」
人の話はちゃんと聞くようにヤツブサにも言われている。非はこちらにあると素直に謝罪を口にした。
戦闘中になると興奮して周りの声が聞こえなくなるのは神威の悪い癖だ。
「調子の狂う奴だな、てめぇ。まあいい。仲間がやられたんだ。こちらは手加減してやらねェぜェ――おぉぉった」
筋肉ばかりの太い腕が力任せに棍棒を振るう。人間など簡単に砕いてしまう一撃だ。
力もさることながら動きも速い。掠めただけでも、骨をやられそうな一撃を軽い挙動で避けて、神威は棍棒を振るったばかりの相手の腕に立った。
「私は最初から手加減していません」
腕を蹴り、中で回転するように跳躍。回る反動を使って、太すぎる腕を斬り落とした。
溢れ出る血を浴びながら地面に着地し、今度は懐に潜り込む。
「んんぁあ!? やらせると思ってんのかぁあ」
真っ直ぐに斬り込んだ刀が握られる。その手から血を流しながらも大男はへし折らんばかりに刀を握る。
最強と呼ばれていようとも所詮は人間。筋肉で固められた身体を持つ妖の力には敵わない。
「このままへし折って――」
「残念です。これは貴方にあげます」
押しても引いてもびくともしないなら仕方がない。
潔く諦めた神威は大男の宣言を後押しするように自ら刀を折った。そして、不格好に折れた刀の先を縦横無尽に振った。
「終わりです」
最後、と言うように背を向ける神威。
無防備な後ろ姿に噴出した血が雨のように降り注ぐ。
「な、なん……?」
理解が追い付くよりも先に無数に切り刻まれた大男の身体はばらばらに崩れ去った。
「これと同じものを」
相手の死など興味のない神威は折れた刀を放って唱える。紡ぐ。
銀色に輝くその目。神威の手元に先程まで使っていた刀と同じものが現れる。
戦場で初めて立ち止まった神威を目掛けて襲い掛かる妖へ、新しくなった刀を振るって死を与える。
先程倒した大男はおそらくリーダー。上級に相応しい実力を持った彼を倒せば、後は流れ作業だ。やはり他の上級は知らないうちに殺していたらしい。
ものの数分、ほとんど一人で壊滅状態まで持ち込んだ神威は迫り来る気配がなくなったことに息を吐いた。
ここまで来たら敵の戦意も消える。生き残っていた者も絶望に満ちた目で惨状を見ているだけだ。
しかし、今回の任務は殲滅。残らず殺し尽くすのが神威の仕事だ。
ならば、と恐怖に満ちた妖へ刃を向けて――。
「――神威、氷の壁を作れ!」
滑り込んだ声に予定を変更し、霊力に命令を下す。
一瞬のうちに分厚い氷の壁を出現させた神威の身体が何者かに抱え上げられた。
ここは敵地だ。本来なら近付く者へもれなく刃を向けていた神威は、その人物を受け入れ、抱えられたまま森の中へ。
そのコンマ数秒後、頭上から炎の息吹が降り注ぎ、戦場を焼き尽くした。
氷の壁によりわずかな余裕が得られたことで、神威たちは無事に逃げ延びることができた。しかし、それ以外の者たちの無事までは期待できないだろう。
隅から隅まで焼き尽くした息吹の先には黒焦げた大地しか残っていない。
「あ、ああああれはなんだ……?」
刹那の蹂躙を無感動に見つめていた横で聞こえた声に視線を向けた。
知らない顔だ。見覚えがない。いや、どこかで見たような気がする。
人の顔を覚えるのが苦手な神威は首を傾げて、怯えを映し出す人物を見つめる。
「龍だよ」
「龍!? そんな馬鹿な……あれは空想の存在のはずだ!」
「お前らがそう思ってただけだ。龍は実在すんだよ。ま、もう一匹しか残ってねぇがな」
戦闘に身を投じていた神威に言葉を届けられ、あまつさえ近付ける唯一の青年が飽きれた口調で返した。
「お前っ、あれを倒せ。俺を守れ。それがっ、お、お前のような化け物の役目だろう!?」
「貴方、誰ですか?」
「は、はあ!?」
神威はあまり人の顔を覚えるのが得意ではない。
今回共に任務をこなす約二十人のうち、誰一人として名前も顔も覚えていないくらいだ。
やたらと偉そうなので指揮官に近い人だとは思うが、特定には至らない。
「はぁ、お前らしいっちゃ、らしいか」
正直、神威がちゃんと顔も名前も覚えているのなんてヤツブサくらいだ。
それだけ信頼しているとか、興味があるとかではなく、単にいつも傍にいるからだ。しつこく神威に絡んでくるものだから自然と覚えたのだ。
「こいつは武藤家のお坊ちゃんだ。武藤空悟。今回の任務の指揮官で、お前の兄貴だよ」
「そうなんですか」
悪魔と誹られていた頃も、神と祀られている今も、家族との関わりはまったくない。
ヤツブサの説明を受けたところで、実感は湧かない。血の繫がりなど神威にはどうでもいいのだ。
「ようやく分かったか! 俺はお前のご主人様だ。とっととあの化け物を殺せ」
「そのようですね。では……」
「待て」
武藤家の命令には従う。幼い頃からそう教えられている。
刀を握り直し、黒焦げの大地に歩み出そうとした神威をヤツブサが引きとめる。
「いくらお前でも龍の相手は無理だ」
「余所者は黙れ。そもそもなんだってそんな偉そうに――」
「坊ちゃんこそ、黙っとけよ。俺は神威と大事な話をしてんだ」
鋭い目で空悟を黙らせ、ヤツブサは神威に向き直る。
「龍は話の通じない怪物じゃねぇ。倒す必要はない」
ヤツブサは他の者たちとは違う。
一方的に命令するのではなく、語りかけるように指示をする。
どちらにせよ、従うべきならば神威は従う。けれど、ヤツブサは機械的な神威への義理をきちんと果たしてくれるのだ。
「俺が龍と話をする。お前は俺を守れ」
「分かりました」
思考を、殺すことから守ることへと切り替える。
神威は守ることが苦手だ。命を奪うこと、壊すことばかりが得意で、守ることはすぐに頭から抜け落ちてしまう。
そんな神威の性質を理解しているヤツブサの言葉に、神威はただ真摯に頷いた。
「んじゃま、行くか」
龍はこの世でもっとも強いのだと言っていた当の本人はどこまで気楽に黒焦げの大地を踏んだ。
宙に浮かぶ巨大な龍は、その鋭い目で値踏みをするように二人を見ている。
「龍とは蛇のような見た目をしているんですね」
「お前、緊張感ねぇな。怒らせてうっかり殺されても知らねぇぞ」
「ヤツブサのことは守りますから大丈夫です」
どこかずれた神威の返答に深く息を吐き出し、ヤツブサは龍と相対する。
三十メートルは優に超えているであろう体躯をうねらせ、龍は遥か上空に佇んでいる。その鱗は青く、陽光を受けて銀に輝く姿は、ヤツブサの髪によく似ている。
向けられる鋭い眼光にも、神威はヤツブサの面影を見て取った。
「龍よ! 話がしたい! 怒りを収めて降りてきてくれないか!」
声を張り上げるヤツブサに龍は眼光をさらに強くする。
また炎の息吹が放たれるか、と神威は数歩前に出ていつでも氷の壁を生成できる準備をする。
言われた通り、守るために全霊を尽くす神威を見て、龍はふと瞑目した。
やがてその巨体がゆっくりと地上へと降りてくる。
「話とはなんだ?」
「応じてくれて助かったぜ」
話が出来る距離まで降りてきた龍と向かう合うヤツブサを見て、神威はやはり似ていると考える。
だからどうということもないが、なんとなく見ていて面白い。
「寝床で騒いで、死体を量産されて怒りたくなるのは分かる。でも、ここは俺の顔に免じて許してほしい」
「それを聞く通りがどこにある?」
「ま、当然の返しだ。あんたにとって俺の価値なんてありんこ以下だろうしな」
最強種族の龍相手にも恐れることはなく、敬い崇めることもなく、ヤツブサは言葉を並べ立てる。
神威相手でもそうだった。それがヤツブサという男なのだ。
「あんたが必要だと思ったとき、俺が力を貸す。情報が欲しいならいくらでも調べてきてやるし、戦力が欲しいならこいつ、神威を説得してやる」
「そんな条件を呑むとでも思っているのか?」
「思ってるさ。神威はこれからどんどん強くなる。龍だって超えるくらい強く。ここで無下にしたことを後悔したくねぇだろ。……それに、だ」
一度言葉を切ったヤツブサはその目を銀に輝かせた。
「あんたは俺のことも無下にできないはずだ」
青銀の髪が風に煽られて揺れる。
龍の鱗もまた、陽光を浴びてきらきらと輝いた。
黒焦げの大地。焼け焦げた死体が転がる、元戦場。
そんな事実は嘘だとでもいうような美しい光景が神威の目には映し出されている。
「いいだろう」
低い声の肯定。満足げに笑うヤツブサへ、輝く何かを授ける。
「余の鱗だ。契約の証として持っておくがいい」
「俺にはあげられるもんがないんだが……そうだな。神威、ちょっと刀を貸してくれ」
神威から刀を受け取ったヤツブサは長く伸びた己の髪を雑に切り取った。不揃いになる髪など気にも留めず、たなびく青銀を差し出した。
「これで契約は成立だな」
差し出された髪はふわりと宙へ浮き、龍の手元に渡る。
己の身体の一部を交換して交わされる契約。それは最上位のものだ。
もし違えれば、互いの肉体も魂も焼け消える。そんな契約を交わし、ヤツブサはただ笑っていた。




