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実質のトップに躍り出ながらも、一鬼は今まで通り自由気ままな生き方を貫いていた。
紅はといえば、里長を殺したことが広まり、より一層里の鬼たちから恐れられ、遠ざけられることとなった。
今まで里で強かったのは里長だ。それをあっさり殺してみせたのだから当然と言えよう。
一鬼と春華以外近付くものはおらず、それもまた今まで変わりないといえば変わりない。
違うのは、もう誰も紅のお気に入りである春華に手出ししようとしなくなったことくらいか。
限られた者とだけ触れ合う日々は楽でいい。相変わらず、釣りの成果はないままだが。
「なんとも嫌らしい森じゃな。よくもかような場で暮らせているものよ」
それは唐突に現れた。
金色の髪を引き摺るほど長く伸ばした女だ。
草木が鬱蒼と茂る森の中で、服も髪も一つとして乱さずに現れた金色の女。
彼女が言葉を発するまで気付かなかったことが不思議なほど圧倒的な空気をまとっていた。一瞬にして場を自分のものにしてみせる存在感がある。
「なんじゃ、妾の美しさに言葉を失ったか? 無理もない」
薄暗い森の中で彼女は輝いているように見えた。
金色の光をまとうその姿は神々しいほどに美しい。
「お主は……誰、だ? 何者だ?」
「不敬だと切り捨てるのは簡単じゃが、まあよい。妾と同じ好としてそなたの無礼には目を瞑ってやろう」
どこまでも高慢で、それを咎めることができないものを彼女は持っている。
「我が名は妖華。万物を守りし、妖しの華じゃ」
自分と近いものを彼女から感じながら、紅はただ圧倒されたように妖華と名乗る女を見つめていた。
「妾が名乗ってやったんじゃ。そなたも名を申せ」
「名は、ない。紅と呼ばれている」
「ふむ。見たところ、そなたは鬼のようじゃな。なれば、紅き目の鬼、紅鬼と呼んでやろう。光栄に思うがよい」
ぞんざいな物言いで告げる妖華。
角なしの紅を説明もなく、鬼と見抜いたその姿にただ驚いた。
角のあるなしという些末なことで悩んでいるなど馬鹿らしい。そう告げられたような気分だ。
「ここに何の用だ?」
「くだらん質問じゃな」
妖華の佇まいは真っ直ぐで歪みない。
まるで自分が世界の中心だと言わんばかりの、強き立ち姿である。
「そなたに会いに来た。他に何の理由がある?」
すべてを決めるのは自分である、と。周り流されることを愚かと言わんばかりの姿だ。
純粋に圧倒された。すごいと尊敬の念すら覚える。
「何故、我に?」
「簡単な話よ。妾と同じ異端の身に興味を持った、それだけじゃ。それだけじゃが、大きな意味を持つ」
「異端……そうか、お主も我と同じか」
ずっと感じていた異様な空気はそういうことだったのだ。
異端の身。創造神が定めた道筋から外れて生まれた異端分子。
角なしとして生まれたこと以上に紅へ大きくのしかかる運命だ。
「そなたには妾と並び立つ資格がある。が、なんとも退屈な男よな」
失望を混ぜた言葉に紅は否定の言葉を持たない。
「何をそんなに暗い顔をしている? 稀なる存在であることを誇るがよい」
「誇るなど……これがそんなに特別なものか。これが……」
この世の理から外れた存在。
同じ種族からも疎まれ、世界からも望まれていない特別に意味などあるものか。
こんなものを素晴らしいという者がいるなら、喜んで変わってやるところだ。
「くだらんな」
そんな紅の心情を金色の女は一言で切り捨てた。
「己の生に価値を決めるのは己だ。その権利を他人にくれてやるなど愚者の行い。くだらぬ感傷に浸るくらいならば、生の意味を定めることに費やすがよい」
呆れを混ぜた言葉に紅の心は容赦なく殴られた。
多くは紅を避ける。距離を取るように生きていれば、一鬼も春華も気を遣って踏み込んでくることはない。
けど、目の前の彼女は違った。ずかずかと無遠慮に紅の中へ入り込んでくる。
「己が決めた生。それ以外に必要なものなどありはせぬ」
世界から外れた存在。それ即ち、何者にも、創造神にすら縛られずに自分の意思で決められるということだ。
「妾は妾が守るべきものを守る。そう決めた。特別にそなたに妾の生き様を真似る権利を与えてやってもよいぞ? 同じ異端の好じゃ」
「俺の力は守る力ではない」
「破壊の力とて、守るために使えば守る力よ」
ふと思った。
万物を操る力。里長の命を奪ったその力を紅はあの日、何のために使ったのかを。
使い方を知っていても、あのときまで使おうとすら思わなかった力を何故使ったのかを。
春華が殺されると知ったからだ。守りたかったからだ、彼女を。
里長を殺した紅を恐れた他の鬼たちが春華に手を出すことはなくなった。これは彼女を守ったことになるのだろうか。
「そなたとて守りたいものはあるじゃろう?」
「そうだな」
思い浮かぶのは春華のこと。一鬼のこと。
異端の自分を受け入れてくれる二人のことだけは何としても守りたいと思っている。
「なれば、行動を示せ。そなたの国が如何様な変化を遂げるか、楽しみしているぞ」
美貌に変わらず高慢な笑みを乗せて、妖華は去っていった。
嵐のような女だと思いながら、悪くはないと考える。
同じ境遇を持つ存在。彼女を支えるものと並び立てるものを作りたいと紅は願う。
「……。そこで何をしている?」
木々の隙間に隠れるようにして立つ気配。今までも時折感じていて、気付かないふりをしていたそれに問いかけたのはきっと妖華の影響だ。
目を向けてみようと思った。自分以外の存在に、自分から踏み込んでみようと。
鮮烈な妖華の生き様を真似してみたくなったのだ。
「ぇ、と……あの、別に危害を加えようとしてたわけじゃないのよ。その、貴方のこと、気になって、ええと」
小柄な鬼だった。とはいえ、一鬼よりは身長がある女鬼は二つに括った月白色の髪を振り乱しながら弁明する。
必死の弁明にやはり自分が怖がられているのだと実感する。それなら近付かなければいいのに、とも。
「気分を害したのなら申し訳ない。いつも翁から貴方の話を聞いているもので、少し興味があったんだ」
一歩、女鬼を庇うように前に出たのは紫紺の髪を持つ青年だった。
こちらを恐れているような素振りは見せず、その暗い赤の目を真っ直ぐに向けてきた。
「翁……?」
「ああ。そうか、すまない。翁とは一鬼のことさ。我々はみな、翁と呼んでいるんだ」
一鬼はその見た目に反して、かなり長く生きているのだと本人から聞いたことがある。里の中でも上から数えた方が早いのだと。
「僕は幻鬼、彼女は百鬼。どちらも翁、一鬼を信奉する一派に属している」
人好きのする笑顔を浮かべて幻鬼と名乗った鬼は紅へと歩み寄る。
恐れをなし、遠くから覗き見るのが精々である多くを嘲笑うかのごとく、あっさとりと距離を詰めてみせた。
半瞬遅れて百鬼もまた幻鬼の後に続いて、紅へ歩み寄った。
昔も今も紅の住処に足を踏み入れるのは一鬼と春華くらいだった。数分前の来訪者も含め、今日は千客万来だ。
「ふむ。聞いていた通り、釣りはあまり得意ではないようだね」
湖へ釣り糸を垂らすだけ垂らしている紅を見て、幻鬼は無遠慮にそう言った。
「釣りならば、瀧鬼が得意だ。今度連れてきて指南させるのもいいかもしれないな」
「そんなことを言ってるとまた瀧鬼を怒らせるわよ」
「あれは照れているだけさ。瀧鬼は素直じゃないからね。そういうところが面白いんだが」
もはや遊ぶ気しかない幻鬼の態度を見て、少しだけその瀧鬼とやらに同情した。
変わり者の一鬼を信奉しているだけあって、彼らもかなり変わり者らしい。
「瀧鬼だって彼と親しくなりたいと思っているようだしね。言葉にはしていなかったが、そう思っているに違いない」
「……お主らは我が怖くないのか」
「ふむ、そうだね。……貴方よりも煉鬼の方が余程、顔が怖いと思うよ」
そういうことを聞いているわけではないが、その態度を見るに恐怖心など少しも抱いていないようだ。
「貴方にはここでの暮らしの方が気侭でいいだろう。しかし、一つ覚えておいてほしい」
掴みどころなく言葉を重ねていた幻鬼は不意に表情を変えた。
一度として逸らさないその目は静かで力強い光を湛えている。
「僕たち以外にも、貴方と親しくなりたいと思っている鬼たちがいる。そのことだけはどうか」
それは純粋な興味と行為による言葉だった。
今まで紅に関わろうとする鬼なんて一鬼くらいだった。他の者はみな、恐れ、遠ざけ、詰る。そう思っていた。
けれども、それは紅がそう思い込んでいただけだったのかもしれない。
紅が関わろうとしなかったら、他の者たちも遠巻きに見ることしかできなかったのかもしれない。
「よければ、また遊びに来ても構わないかい?」
「ああ」
「じゃあ、次は他の子も連れてくるわ」
二人はそうして帰っていった。
他者との関わりなんて煩わしいと思っていたのに、何故だか彼らの次の来訪が待ち遠しく思える自分がいる。
「遅くなってすまんの、紅の。……何かあったのか?」
「怖くない、と言われた」
紅は話すのが得意ではない。
要領の得ない言葉でも、何かを悟った一鬼は真剣な眼差しで続きを待つ。
「我と親しくなりたい鬼がいる、と言われた」
「そうか」
「また……遊びに来てもいいか、と」
「そうか」
相槌を打つ一鬼は来訪者の残滓を辿り、そっと笑みを零す。
複数の気配が残った空間。その一つ一つが紅に良い変化をもたらしてくれたのだと。
「破壊のための力を我は守るために使う。お主や春華を守るために。だが――」
生まれ落ちてから先、紅の表情は暗く沈んでいた。
世界にも、自分自身にも価値を見出せないまま、今日まで生きてきた。
運命に恨み言を零し、ただ無為に生を食い潰してきた。そんな生き方はもう、やめよう。
「守るものが増えるのも悪くないと、そう、思った」
「なれば、お主が守りたいと思うものを我も守ろう」
紅の手を、小さな手が触れる。
我が子の成長を喜ぶような一鬼の真紅の目が紅く瞬く。紅の目と同じ、美しい紅色に。
何が起こったのか、紅にもよく分からない。けれど、何か強いもので一鬼と結ばれたようなそんな気配がした。
そこで知る。紅の宿命は孤独になるためのものではなかったのだと。
課せられたものは誰かと繋がることもできるものでもあったのだと。




