12
「さて、準備は整った」
薄い唇が形のいい笑みを浮かべた。
美しさを詰め込んだような少女は笑みを浮かべたまま、剥き出しの地面を歩く。身の丈以上もある長い金髪が解けた絨毯のように彼女の歩みに軌跡を残す。
「咲けよ」
凛、と声が響く。
そこは草木も生えぬ場所だった。焼け焦げた土地だけが残り、再び生命を宿すには長い年月が必要となるような場所だ。
そこに女性の声は高く響き渡った。
「咲け。応えよ。我が言霊が届いているのであれば、その身で価値を示すがよい」
歌うように紡がれる声は金の光を散らす。燐光は世界を美しく彩り、地面を震わせた。
一つ。二つ。焼けた地面が芽吹き、瞬く間に根を張り、枝を伸ばし、美しき花を咲かせる。
神の御業とも言うべき瞬間を、女性とともに見つめるものが二人。
「流石です、姫」
金色が神秘的に舞う世界を夢心地に眺めながら呟くのは藍髪の青年。竹刀を腰に佩いた青年はただ女性の美しさに見惚れている。
「相変わらずの手際だな」
感心したように呟くのは紅目の青年。驚くことも見惚れることもなく、目の前の奇跡を当たり前のように眺めている。
「妾にかかれば造作もない」
龍の息吹により死に絶え、美しき花園に生まれ変わったばかりのその場所には三人の異端者が集っている。
妖を統べる王と名を共有する金色の美女。万物を守りし、妖しの華、妖華。
同族からの畏怖の念を一身に集める紅目の青年。万物を操りし、角なし鬼、紅鬼。
意思も意志も淡い、人の皮を被った銀色の怪物。万物を紡ぎし、藍髪の神子、神威。
歪みから生まれた異端者たちは決戦後にて、創造神を相手取る。
「来たか」
低く紡がれた先に白き少女が姿を現す。
白いセーラー服を揺らし、歩み寄る純白の少女。全ての色が抜け落ちたその姿はどこか神々しさを纏っている。
「綾木世界ではあるまいな?」
「セカイを知ってやがるんです? ……何か吹き込んでいやがらないですよね」
「さてな。そうだとして素直に聞く娘でもあるまい」
睨みを利かせる白い少女に妖華は涼しい顔で答える。
自らを観測者と名乗る少女は自分を譲らない頑固さがあった。たとえ、誰が言葉を尽くして説得しようが簡単に折れてはくれないだろう。
「まあ、いいとしてやります。それより本題に入りやがりましょう」
白い少女もとい綾木世界の姿を使って現れた帝天は白い瞳で三人を順繰りに見る。
「降参ってわけじゃねぇでしょうし、さっさとおっぱじめてくれたらいいですよ。んで、さっさと終わらせちまいましょう」
自分の勝ちを確信している表情で帝天は告げる。負けることなど欠片も思っていないらしい。
その驕りが妖華たちにとって都合がいい。
「テンに喧嘩を売ったこと、後悔しやがれです」
「喧嘩を売ったのは貴様の方だと、妾は記憶しておるが」
吐息を零すような妖華の言葉を合図に神威が花園から飛び出す。竹刀を抜き、竹で作られた刀身を抜き身の刃へと変える。
「――」
一息で帝天に詰め寄り、元は竹刀だった刀を振るう。
龍刀。そう名付けられた刀は持ち主の意思に応えて姿形を変える代物だ。
「その程度見えやがります」
不可視の力が渦を巻き、神威の攻撃が半ばで止められる。即座に一歩後退し、再び地面を蹴って突っ込む。
「――この攻撃は何にも止められない」
まったく同じ攻撃を放つ神威。一度止められた一閃は不可視の力ごと切り裂き、帝天へ牙を剥く。
「見えると言ったはずです」
何にも止められない。そう言霊が込められた攻撃は帝天が持つ白い刀に止められる。
「持ち主の意思に応える刀。てめぇの刀です」
「創造神とやらは真似事が得意らしい」
低い嘲りとともに帝天の足元が盛り上がる。
土が、花々が帝天の動きを絡めとるべく襲い掛かり、帝天は白い刀でそれらを切り裂く。
「美しきを斬るか」
無残に舞う花弁が怒りを示すように爆ぜた。小さな爆発はいくつも重なり、帝天の身を焦がす。
肉が焼けた匂いが漂う中へ、神威が踏み込む。その身を妖華が障壁を展開して守る。
鋭く突き出される刃。そのきらめきはわずかに帝天には届かない。
「――この刃は白き少女を貫く」
紡がれる言葉に応えてその刀身が伸びる。いや、纏う霊力が刃となって帝天へ襲い掛かっているのだ。
神威の言葉は強い言霊となって事象に干渉する。
「っかは」
爆風の中で視界を奪われた帝天の身を霊力の刃が貫く。的確に急所を狙った一撃だ。
粉塵に赤を混ぜながら倒れ伏す少女の身体。
血の色で白を染めた姿を認める妖華はつい、とその目を細めた。と同時に身を翻し、障壁を展開する。
幾重にも重なり合った障壁を二枚ほど刀で突き刺した白い少女は、愛らしい顔を悔しげに歪めた。
「気付きやがりましたか」
「小手先の策なぞ、すべてお見通しじゃ」
神威の攻撃により血に染まった少女の身体が溶けて消えるのを目端で捉えた。
偽物というわけではないだろう。肉体を新たに作り替えたのだ。
「姫から離れてください」
策を見抜いていなくとも驚きを抱かない神威は機械的に刃を向ける。
愛しき存在を手にかける存在は許せない、とその目には珍しく怒りが宿っている。神威の中では激情とも言うべき感情は殺意をまとった剣撃を放つ。
常に研ぎ澄まされていた一手より洗練され、速度も威力も段違いに高まっている。
見開かれた瞳で一手一手を追う帝天ではあるが、その速さに回避が追いつかない。
深手は避けながらも、白い肌には次々と赤い線が刻まれていく。
「我を忘れては困るぞ」
繰り出される最強の剣撃の中、圧縮された空気の刃が帝天を襲う。
紅き目を輝かせる紅鬼は空気を刃として操りながら、帝天の足元が疎かになる瞬間を見定める。
善戦。このまま勝利を得るのも難しくない状況に、金の目はただ警戒を募らせて戦況を見守る。
「……神威。引け」
短い指示を受け、怒りを鎮火させた神威は大きく後ろへ跳躍して妖華に並び立つ。
神威への指示で状況を汲み取った紅鬼もまた帝天への攻撃を止める。
猛攻からようやく逃れた帝天は赤に覆われたその身体を不安定に揺らし――瞬間、溶けた。
「くく、ようやく本気を見せるといったところかの」
観測しかできない少女の姿を使ったところで神威と紅鬼の相手にはならない。
「少し、舐めていたようだ」
少女の声とは打って変わった低い声が妖華の笑みに応える。
新たに作り出されるのは妖華もよく知る人物の姿であった。
「その身が白いのは何とも奇妙なものじゃな」
かつて名もなき邪念体に妖華自ら肉体を与え、愛しき半身が名前と居場所を与えた。
にもかかわらず、反旗を翻した愚かな存在。
「オンモ。力を振るうに相応しい器じゃな」
「お主らの相手にもちょうどいい」
低い声を放つ白き男はふと頭上を見上げる。腕をあげ、自らの霊力を空に放つ。
青々としていた空に影が差し、厚い雲が瞬く間に一帯を覆っていく。と同時に黒い雪が視界にちらついた。
「これは……」
肌を叩いた黒雪に紅鬼が不可解そうに眉を顰める。
「そなた、この世を滅ぼす気か?」
「今の世がどうなろうと我の知ったことではない。我が望むはお主らの滅びのみ」
「これが多くの崇める神か。愉快な話じゃな」
神は平等とはいうが、まさしくその通りだと妖華は考える。
平等に世界へ興味がない。我欲のみを持つその存在を神と呼んでいるなど痛快以外の何物でもない。
「我にはどうでもいいことだが、お主らは違うのだろう」
「人質か。存外卑怯な真似をする」
降り積もる黒雪は触れたものを蝕む邪気の塊だ。
陽の力を奪い、陰の力でその身を染めていく。
肌を撫でるたび、おぞましいものが内に入ろうと蠢いているような感覚が襲い掛かる。そのすべてを自らの霊力で焼きながら妖華は帝天を睨みつける。
「見込み違いじゃな。妾もそなたと変わらぬ。有象無象が犠牲になろうとも些事じゃ」
守りたいものを守る。それが妖華の望みである。
それ以外がどうなろうと興味もないし、心も動かない。
これが妖たちに神と呼ばれるものの正体。これもまた愉快な話だ。
「守るため、妾はそなたを討つ。のう、神威よ」
陽の力に惹かれる黒雪をその身にまといながら藍色の影が踊る。
長い一房で軌跡を作り、銀閃で黒雪ごと帝天を斬り払う。
紙一重で避ける帝天の服が裂け、数滴の血が黒に染まりゆく世界に差し色を入れる。
「美しき世界を穢した罪は重いぞ」
とん、と軽く地面を叩く。
黒雪の汚染され、枯れ果てていた花々が再び美しさを芽吹かせる。禁を纏う神秘的な花園は、天より注がれる邪気を浄化する。
零れ落ちる花弁は風もないのに美しく舞い、守るべきものを守るために奮闘する。
金色が満ちる世界の中、神威は銀閃を振るい、間隙を縫って紅鬼が攻撃を仕掛ける。
傷をつけられたのは不意を突いた先の一撃のみ、すべて防がれ、あしらわれ、巧みに避けられている。
先読みの力と戦闘に特化した肉体が合わさった帝天にはどの攻撃も届かない。
「威勢がよくとも結果がついてこなければ意味がない。見るがよい」
声と同時に妖華の傍らに刀が突き刺さった。
いや、刀だけではない。肘の辺りで斬り離された腕が刀を――龍刀を握った状態で突き刺さっている。
慌てる金目の先では今まさに神威の身体が吹き飛ばされ、地面に叩きつけられるところだった。
「――っ」
咄嗟に花たちへ命令を下す。
一箇所に身を寄せ合う花はクッションとなり、神威の身体を受け止める。
「紅鬼! 時間稼ぎを――っ」
「頼みの綱はこれでしまいか?」
白い腕が紅鬼の首を掴んでいる。徐々に強められる力に紅鬼は苦悶の声を零す。
刹那だけ迷いを宿し、しかし妖華は紅鬼から視線を外して神威の治癒に専念する。
「舐めるではないぞ」
小さな呟きとともに白き肉体を空気の槍が突き刺した。
掴む腕が緩んだのと同時に紅鬼は帝天へ蹴りを入れ、転がるように距離を取った。
「っ、ごほっ、ごほっ」
咳込みながら新しい酸素を味わう紅鬼を横目に、治癒が完了したと妖華は金の目を細めた。
「流石は姫、見事な手際です」
継ぎ直された右手の感触を確かめながら、神威は帝天に肉薄する。が、その白い身体は切っ先が届く寸前で消失した。
「後ろだ」
聞こえた声に神威はほとんど反射で龍刀を振るう。首の取れる位置を的確になぞる刃。
帝天はそれを避けようともしない。白い首に刃が吸い込まれ、血飛沫が神威の身体を汚す。
抵抗なく胴体と切り離された首は宙を舞い、笑んだ。
「――! 距離を取れ」
狙いを悟った妖華の叫びを聞き、神威と紅鬼はそれぞれに身を守る行動を取る。
距離を取り、防御姿勢。その裏で妖華は結界を生成する。
宙を回転する首は三人の姿を嘲笑するような笑みだけを浮かべて、世界を白い光で埋め尽くした。
視界を焼かれ、遠くなった耳に何かが割れる音が聞こえた。
遅れてやってくる激痛に顔を顰め、手を伸ばす。指先に金の光が集い、膨れ上がる。
「吹き、飛ばっ」
苦悶の中、紡いだ言葉に応えた金の光が白を呑み込み、辺りに静寂を齎した。
「っは、はぁ、はぁ……くっ、かむ、い……こ、き」
花々は消え失せ、剥き出しになった大地に膝をつき、妖華は倒れ伏した二人へ呼びかける。
「ひ、め」
神威の身体が身じろぎ、銀の目が妖華を捉えた。
愛しい人を目に収め、神威はただ笑う。
「あなたは……やはり、美しい」
白に焼かれ、赤く爛れた顔を見ても美しいと彼は笑う。長い髪すらも焼かれ、縮れた髪が肩を擽る。
「完敗、か」
遅れて意識を取り戻したらしい紅鬼がぽつりと呟く。彼の見つめる先にはおどろおどろしい雲が渦巻く空が広がっている。
降り積もる黒雪を無感動に見つめ、紅鬼もまた笑った。
二人を順繰りに見た妖華もまた空を見上げ、黒く染まる中に存在する異質を見て笑う。
それは三本の矢だった。眩い純白をまとう矢は黒雪の中で無感動に落下する。
避ける気力はない。守る術も―――――そもそも必要ない。
三人の出来損ないの神はただ笑って、白き矢を受け入れた。
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこには三人の亡骸がある。
妖しの華と呼ばれた魔性を纏う金の花。
角なしと卑下され、畏怖を纏う紅の鬼。
怪物と称され、脅威を与える銀の子。
世界を歪め、帝天に弓を引いた愚かな者は今ここで死に絶えた。
ならば、と焼け焦げた土地でただ一人だけ生きているその存在は纏う殻を脱ぎ捨てた。そこにあるのは朧げな白のみ。
「これで、やっと……」
老若男女、すべての声が入り混じった声が吐息混じりに呟く。
「――再構成」
時間が静止する。黒く染まりつつあった世界は不自然に止まり、ゆっくり解けていく。
草木も、地面も空でさえも、その存在を無へを返していく。
一度解かれた存在はまた新たに別のものに作り替えられる。その、はずだった。
「――待ってたぜ、お上さんよ」