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 わたしはお父さんが嫌いだった。好きだった記憶がないの。多分物心ついた時からわたしはお父さんのことを嫌悪していた。

 お父さんはね、毎日毎日お酒を呑んでいた。スーパーかコンビニで買ってきた安酒を浴びるように呑んでいた。その度にお父さんは何かに対して怒りはじめる。それは政治だったりお隣さんのことだったり様々だった。多分、それ自体に対して怒ってはいないんだよ。怒ってから、その怒りを叩きつけるものを探していた。そうして怒って叫んでいると、アルコールが回ってくるのかふらつき始めて、呂律が回らなくなってくる。その頃になると理性も働かないのか、わたしかお母さんのどちらかを、もしくは両方を呼びつけるの。

 そしてお父さんは拳で、もしくは足で、わたし達に暴力を振るった。聞き取れない、聞き取りたくもない言葉で何かに対しての怒りをぶちまけながら力一杯にわたし達を殴り続ける。痛かった。怖かった。

 ねえ、小田君。君は寝てる時に誰かの叫び声が聞こえることがある? わたしには聞こえるんだよ。うとうとと意識が混濁し始めたあたりから、わたしの頭の中でお父さんの怒号が響き続ける。わたしか、お母さんを侮辱する汚い言葉達が響き続けるんだよ。わたしは今も眠れない。寝ようとするたびにお父さんの幻影に叩き起こされる。そしてそれが何日も続いて、体力が底をついた時、ようやく寝られるの。寝てるって言うよりかは気絶に近いかな。

 お父さんは昔、勤めていた会社をクビになってからそれからは仕事もせずに一日中家にいた。だから仕方なくお母さんがパートに出ていたの。わたしより早くに起きて、朝食を作って、わたしが起きる前にはもう家を出ていた。そして帰ってくるのはわたしよりも遅い。その頃まだ幼かったわたしでもお母さんが既に限界を迎えていることに気づいていた。でも休んで、なんて言えなかったの。そんなこと言えばお父さんに殴られるから。

 いつものようにお父さんがわたし達を殴り終わって、満足して眠った後、一度だけ、お母さんにキッチンに呼び出されて言われたことがある。


『あんたがもう少し大きくなったらね、お母さん、あの人と別れるから』


 お母さんはまるで叶いっこない大きな夢を語る子供のような表情でそう言ったの。その表情がずっと脳の中にこびりついて離れない。今でも、いつでも鮮明に思い出すことができる。目元の小皺の一本一本まで、鮮明に、明確に、思い出せる。お母さんはわたしを抱きしめた。肩に熱い涙の感触を感じたのを覚えている。


『あんたが大きくなったら、ちゃんと警察に行って助けてもらうから。あの人と、別れるから』


 一緒に耐えよう。ってそう言ったんだ。

 そして、その二週間後にお母さんは死んだ。パート先のスーパーから帰ってくる途中でトラックにはねられて死んだの。事故か、自殺かははっきりとしていない。結局、警察の人は注意力散漫による事故死ってことで片付けた。わたしも警察の出した結論に異論はない。お母さんは自殺するような人じゃなかった。あんなにつらい生活をしてたのにお母さんはわたしを守っていた。それくらい強い人だったんだ。そんな人が刹那的な感情に背中を押されて、トラックに飛び込んでいくなんて、そんなことするとは思えない。……信じたくない。

 だからお母さんが死んだのは事故だったんだよ。お父さんの所為で周囲の危険に対して反応すらできなくなって、はねられた。だから、事故なんだ。どうしようもない不幸な事故で、どうしようもない悪意を含んだ、殺人なんだ。だからわたしはお父さんを殺す。わたしの好きなお母さんを殺したお父さんを殺す。

 お母さんはまともな判断が出来ていなかった。わたしが大きくなるのなんて待たなければよかった。もう耐えられないって思ったその瞬間に警察なりなんなりに駆け込んでしまえばよかったんだ。そうすれば多少のトラブルはあれどお父さんとは別れられて、お母さんが死ぬことなんてなかった。今の日本は親切だからね、父親がいなくても、片親だったとしても、きちんと生きていけるんだよ。

 ……まあ、悔やんでも仕方ないね。お母さんが帰ってくるわけじゃない。

 だから、これは単なる復讐。単なる不幸な家族内で起こった、どこにでもあるような出来事に対する清算なんだ。

 ――っと、そろそろ見えてくる。あれがわたしの家だよ。



 □□□□



 まるで友達を初めて家に招待する子供のように、自分の家を指差す白石さんに僕はなんて言えばいいか、なんて声を掛ければいいのか分からなかった。彼女が今しがた語った過去の話は、確かにどこにでもあるような、何処かで聞いたことのあるような話だった。それでも、そんな経験をしてきた人間と出会ったのは初めてだった。

 僕は彼女に同情していた。彼女の母親に対して可哀想だと思い、彼女の父親に対してどぶ川に溜まった澱のような怒りを抱いていた。いつの間にか握りしめていた拳を開く。じんじんと痺れ始めていた。

 

「こっち」


 僕は彼女に促されて家に近づいて行く。何の変哲もない、少しだけ古さを感じる木造の平屋だった。恐らくリビングに当たるであろう窓から光が漏れ出ていた。あそこに彼女のお父さんがいるのだろうか。


「待ってて」


 白石さんがパーカーのポケットから鍵を取り出して、玄関の扉を開錠した。そしてゆっくりと扉が開かれていく。その奥に広がる薄闇が、今の僕には地獄のように思えた。ひとたび足を踏み入れたら二度と外に出られない様な、そんな禍々しいとすら感じる程の雰囲気を纏っていた。巨大なアギトが大きく開き、僕をばくんっと飲み込んでしまう。そんな荒唐無稽な想像に囚われたせいで身体中に悪寒が走った。

 白石さんが家の中に入っていく。僕もその後ろに続こうとしたが、しかし彼女はこちらを振り向くと「小田君はここにいて」と言った。


「殺すのはわたし一人でやる。わたし一人じゃなきゃ意味ないの」


 そう言って彼女は扉を閉めた。一人残された僕は暫く扉の前で立ちつくし、やがて庭先に座り込んだ。

 辺りには静かな闇が広がっている。今はまだ三月で、太陽が出ていなければ震えるような寒さが体を包み込む。僕は両手で自分を抱きしめ、そんな寒さに耐えた。

 

「ふう……」


 小さく溜息を吐く。吐きだした息が瞬く間に白く凍り付き、風に攫われては何処かへと消えていく。僕は目を閉じた。

 ……本当に付いてきてよかったのだろうか。付いてきたことが正解とは思えない。僕が付いてきたことで、もう直ぐ人が一人死ぬ。その人間が幾らクズだったとしても僕が間接的にとは言え関わってしまっているのだ。付いてきてよかったのかと考えずにはいられなかった。しかしいくら考えてもどうするのが正解だったのかは分からない。何が、正解だったのだろう。

 

「……」


 ……ああ。

 ああ、そうか。

 僕はゆっくりと瞼を持ち上げた。目の前にはやっぱり闇が広がっている。真っ暗だ。

 僕が彼女に恋した時点で、彼女に想いをぶつけた時点で、僕は既に正解の道からは外れていたのだ。

 あの日、あの時、あの桜の木の下で彼女に出会わなければこうはならなかった。僕はもっとまともな道を歩けていた。だけど、それでも彼女と出会わない世界線は嫌だなと思った。そう思えるほどには、僕は彼女の事を想っていた。

 その時、不意に何かを破壊するような、何かが壊れるようなくぐもった音が背後から鳴り響いた。僕は思わず立ちあがり、後ろを振り返る。光の漏れ出す窓から、聞き取れない叫び声のようなものが届いてくる。その声は彼女のものではなく、酒ヤケした男の声だった。

 心臓がばくばくと暴れ出す。四肢に十分に血液が回らないのか、感覚が遠退いて行く。

 白石さんは無事なのだろうか。もしかして返り討ちにあっているのではないだろうか。そんな想像が頭の中を駆け巡り、僕は落ち着かなくなってその場を行ったり来たりと歩き始めた。幾ら酔っているとはいえ、一人の少女が大人の男に真っ向から立ち向かって勝てるとは思えない。

 僕は玄関へ向かい、中に入ろうとドアノブに手を掛けた。しかし、鍵がかかっていて開かない。いよいよ最悪の想像が現実味を帯びてくる。

 それからたっぷり十分くらいの時間が過ぎ、玄関の扉がゆっくりと開いた。

 そして、白石さんが顔を出した。


「お待たせ。手間取っちゃって」

「……」


 僕は彼女の右目の周りが青く腫れているのを見て、へなへなとその場に崩れるように座り込んだ。きーんと耳鳴りがする。安堵の感情がとめどなく押し寄せてくる。

 肺の中の空気を全て吐き出すように僕は言った。


「……よかったあ」


 いっそ涙が溢れるのではないかと思う程、彼女が動いている姿は僕に安堵をもたらした。よく見ると、彼女のパーカーの袖にべっとりとどす黒いヌラヌラとした血液が付着していた。

 彼女は、やったのだ。

 自らの父親を殺してしまったのだ。


「入って」


 彼女は扉を大きく開き、中に入るように促す。

 僕は、立ち上がり、ゆっくりと彼女の家に入っていく。

 家の中は、他人の家特有の匂いと、生ごみのような饐えた臭い、そして僅かに血の匂いが充満していた。ずっとここでいたら酔ってしまうだろう。それほどまでに不快だった。

 短い廊下を進み、リビングへと向かう。フローリングの木目に血が滴っているのを見た。リビングはキッチンと一続きになっていて、そのキッチンにはコンビニ弁当の容器が大量に詰め込まれたゴミ袋がいくつも転がっていた。ダイニングテーブルには洗濯物が取り込まれたまま山のように放置され、皺を作っている。床に転がる酒の空き缶、そして数多の血液……

 

「あそこ」


 白石さんが部屋の中心に置かれた布張りのソファーを指差した。そのソファーの上に崩れるようにして男が倒れている。その男を中心としてあり得ない量の血の海が形成されていた。

 僕は慌ててキッチンに駆け込み、流し台の中に胃の中の物をぶちまけた。喉が焼けるように熱い。涙が頬を濡らす。暫く荒い息を繰り返し、流し台の隅に血に濡れた包丁を見つけてもう一度嘔吐した。

 そうしていると白石さんがやってきて、「大丈夫?」と僕の背中を擦ってくれた。優しい手つきだった。本当にこの手が人を殺したのだろうか。僕は信じられなかった。

 それから二人で協力して、白石さんの父親だった物を風呂場へと運びこんだ。彼女が何処からかノコギリを持って来て、それで死体を細かく切り刻んでいく。飛び散る血液に千切れる筋繊維、目を引くほど真っ白な骨、それらを見て、僕は何度も嘔吐を繰り返しながら時間を掛けて死体をバラバラに分解していった。終わる頃には全身が真っ赤に染まっていて、もう吐くことは無かった。最後にゴミ袋の中に死体を詰め込み、きつく縛ってから白石さんのバックパックの中に押し込んだ。大人の男の身体でも、バラバラにさえすればこんなに小さくなるんだと驚かされる。その後、これまた時間を掛けて家の中を二人がかりで掃除し、まるでそこで殺人が起こったなんて思えない程綺麗に磨きあげていった。

 それが終わると僕達は同時に「ふう」と達成感を含んだ溜め息を吐き、交代してシャワーを浴びた。とても気持ちが良かった。彼女は自分の服に、僕は彼女のお父さんのものだった服に身を包んだ。

 僕はバックパックを指差す。 


「これ、どうするの?」

「山に埋めよう」


 それから僕達は家をでて、近くの山に登っていった。暫く彷徨い、人目の付かない場所を選び、苦労して穴を掘ってバックパックを投げ入れる。再び土を入れて、足で踏みならした。

 僕達は一通りの作業が終わると、一本の太い木の幹に背中を預けて座り込んだ。白石さんの肩が僕の肩に触れている。それは柔らかく、優しい匂いがして僕はドギマギとした。人を殺し、それを埋めた後でも僕はまだ彼女の事が好きなようだ。どうしようもなく、想っているようだ。

 背の高い木々の梢の隙間から夜空が覗いている。そこに星々の輝きは無い。まるで吸い込まれそうな程の濃厚な闇が広がっているだけだ。

 不意に白石さんが僕の手を握って来た。指先を絡ませ、頭を僕の肩に預けてくる。僕は全身を緊張によって硬くした。


「ねえ」

「な、なに?」


 僕は裏返りそうな声でそう言った。彼女の体温が伝わってくる。


「好き」

「……え?」

「告白の返事。わたしも、君のことが好きだった。ずっと好きだった」


 頭の中が茹ってしまうのではないかと思う程、僕の体温が急上昇した。涙が、溢れてくる。

 嬉しかった。

 僕の初恋が実った瞬間だった。彼女が僕を受け入れてくれる。これ以上ないほどの幸福だった。

 彼女が口を開く。


「財布持ってる?」

「え? ああ、うん持ってるよ」

「スマホは?」

「あるけど。どうしたの?」


 白石さんがゆっくりと立ち上がった。暖かさが僕の肩から消えていく。彼女は振り返ると、手を差し出した。


「二人で逃げよう。何処かへ、ここじゃない何処かへ行こう」


 僕は彼女の手を取った。


 

 □□□□



 僕は両親に、友達と卒業記念の旅行に行くから暫く帰らないと連絡を入れた。もともと放任主義の家庭なのでそのあたりはスムーズだった。白石さんに至っては彼女の事を心配する人間はいないので僕達は誰にも咎められることなく何処へでも行くことが出来た。金銭面にしても、彼女は家からあるだけの現金、そして今はバラバラになって山に埋まっている父親のクレジットカードを持って来ていて、贅沢さえしなければ暫くの間生活していけるだけの余裕はあった。僕もあまり使ってこなかった小遣いを財布から出して予算の一部とした。 

 そして僕達は今までの人生を歩んできた街を出発した。

 ある時は電車に乗り、ある時は夜間バスに揺られ、またある時は徒歩でいろんなところを見て回った。ふらりと立ち寄った街の観光名所に顔を出したかと思えば、廃れた田舎町ののどかな田園を見渡しながら散歩したり、その日、その時に思い立った場所に脚を伸ばした。

 それは本当に楽しかった。誇張なんてなしに今までの短い人生の中で一番楽しかった。白石さんと――大好きな恋人といろんなものを見て、そして食べ、感じるという事はそれは素晴らしいモノだった。スカスカの心が満たされていくのを確かに感じることが出来た。

 昼は気ままに歩き回り、夜になって疲れると近くのビジネスホテルやラブホテル、それがなければ小さな公園のベンチで眠り、夜を明かした。晴れの日も雨の日も、僕達は寄り添って日々を暮らした。手を繋ぎ、腕を組み、一つの食べ物を共有し、世間に跋扈する数多のカップルたちと同じ様にお互いの気持ちを一つに絡ませ合って愛を紡いでいく。そんな放浪の旅の中で、いつからか白石さんは笑うようになっていた。今までのように目だけで微笑むのではなく、こけしのような表情ではなく、年頃の他の少女と同じ様に愛らしく笑うようになっていたのだ。今までの彼女からは想像もつかないような、太陽のような明るい笑顔だった。くしゃっと破願させる彼女の片頬にえくぼが出来ることを初めて知った。僕はそんな彼女の笑顔をスマホの写真フォルダに納めていった。何枚も何枚も、納めていった。

 旅はいつまでも続いた。白石さんの父親が働いていなかったことが幸いし、誰も彼女とその父親の失踪には気が付かないようだ。この旅はいつまでも続くような気がした。何処かで終わりがあるのは分かっているが、しかし本当にそれが訪れるのかと疑問に思う程、僕達は楽しく日々を過ごした。

 ある日の夜、僕達は古びたラブホテルの一室にいた。近くのコンビニで買いこんだ安酒で乾杯をして陽気に笑っていた。


「お酒ってこんな感じなんだね。初めて呑んだよ。変な感じー」


 そう言って白石さんはバスローブ姿で僕に倒れかかってきた。肩に触れる頭からシャンプーの甘い匂いが漂ってくる。僕はチューハイの缶に口を付け、一口飲んだ。


「僕も初めてだよ。悪くないね」

「ね」


 その日初めて知ったことだが、僕は意外にもアルコールに対して耐性があるらしい。そして白石さんは缶ビール一本で赤くなっていた。

 初めて感じるアルコールの楽しさに僕達は調子に乗って何本も缶や瓶を空にしていった。そうしていると僕はともかく白石さんはまるで液体のようにデロデロに酔っ払い、呂律が回らなくなり始める。いつになく笑い、そしていろんなことについて語り合った。

 その内、何かの拍子に彼女の胸が僕の背中に当たり、その瞬間に緊張が走った。驚くほど柔らかい双丘に僕は動けなくなり、白石さんも気まずそうに押し黙った。しかし彼女は何故か僕から離れようとしない。ずっと僕の背中には柔らかいモノが当たり続けている。

 僕は震える声で言った。


「ど、どうしたの?」


 僕がそう言うと、白石さんは両手を僕の身体に回し抱きしめてきた。首筋に熱い吐息がかかり、それが凄くくすぐったくて、僕の中の男がその瞼を持ち上げ始めた。

 彼女が僕の胸を、腹を、細い指先でゆっくりとなぞる。


「意外と筋肉あるんだね。男の子みたい」

「……男だからね」


 白石さんのその焼けるように熱い舌先が僕の耳をぺろりと突いた。


「する?」

「……」


 僕は暫く押し黙り、そしてさっきからずっと握り締めているチューハイの残りを一息で飲み干した。喉と腹がカッと熱くなる。

 僕は白石さんをベッドに押し倒した。はだけるバスローブに、そこから覗く白く細い鎖骨。そう言えば初めて彼女の鎖骨を見た。彼女はいつだってタートルネックのインナーを着ていたからだ。

 僕は目を見開いた。鎖骨に近い位置に古い傷跡があったのだ。何か鋭利な物で切り裂かれたようなそれを指先でなぞる。 

 白石さんは言う。


「それね、幼い頃、お父さんにやられたの。何かに怒っていたお父さんはわたしを力任せに掴んで窓に向かって投げた。わたしは背中からガラスを破ってさ、その時にできたんだよ。醜いでしょ? だからいつも隠してたんだ」

「……」


 僕はその日、彼女の身体の柔らかさを知った。



 □□□□



 旅を始めてから二か月が経っていた。僕は入学を希望した大学に恥ずかしながら落ちてしまっていたから時間はあったものの、その頃になると両親からいい加減帰ってこいとの電話が鳴り響き始めた。僕はどうにかのらりくらりと躱していたが、しかしそれも限界が近い。どうしようと白石さんに相談してみると、彼女は何でもないように言った。


「着信拒否にしちゃえば?」

「でも」

「わたしなんて家にスマホ置いてきちゃってるからね。今頃就職する予定だったパン工場から電話が何件も来ているだろうね」


 その時、僕は悟った。僕達にこれからは無いのだと。

 この旅が終点に行きついたとき、僕達もまた終わるのだと。


「……そうだね。僕もそうするよ」


 僕はスマホを初期化し、電源を消して駅の中に設置されているゴミ箱の中に捨てた。

 それからも僕達は思いつくままに旅をし続けた。もう終わりが近いという事を僕も白石さんも口にこそ出さないけれど感じているらしく、今までよりも大袈裟に笑い合って過ごし始めた。笑顔が絶えた時、その時に終わってしまうようなそんな気がしたのだ。終わりが、怖かった。

 ある日、あるビジネスホテルに泊まった夜のこと。白石さんは洗面所で歯を磨き、僕はベッドに腰かけてテレビをつけ、なんとなくニュース番組を眺めていた。あるスポーツの大会での優勝を笑顔でアナウンサーが語り、そして天気予報に移った。そしてそれが終わって次のコーナーになり、ふとアナウンサーの表情が曇った。

 その瞬間、僕に雷が落ちたような衝撃が走った。頭の中が真っ白になる。

 白石さんが洗面所から帰ってきて、僕の横に腰かけた。


「どうしたの?」

「……これ」


 アナウンサーが語ったは悲しげな表情を作ったままある事件についての報道をし始めた。

 僕はテレビを消した。白石さんが手を握ってくる。湿っていた。


「とうとう見つかっちゃったね」

「……」

「わたしたち、これからどうなるんだろうね」

「……」

「……」


 僕は彼女の肩を抱いた。


「寝ようか。今日は疲れた」

「うん」


 僕達は一つのベッドに二人で潜り込み、身体を寄せ合った。電気を消し、おやすみと言い合うと白石さんは直ぐに寝息を立て始める。もう、父親の叫び声は聞こえていないのだろう。しかし僕は目が冴えて眠ることは出来ない。暗闇の中で彼女の息遣いだけがこの空間に広がっていた。

 

 もとより破綻していた。何でもない平凡な高校生二人が人を殺して逃げ続ける事なんて出来ないのだ。それを僕達は知っていた。知っていてなお、それでも僕達は逃げることを選んだ。初めから破綻していることを認めていながら、僕は彼女と歩むことを選んだ。道の先に幸せなんて無いことを知っていたんだ。でも僕にその道以外の道を選ぶことは出来なかったし、それにもう後悔はしていない。

 初めからどうしようもなく破綻している僕達の恋は、終わりを迎えようとしている。それをどうにかできる程の力は僕には無かった。

 僕は眠る彼女を抱き寄せた。この暖かさは僕だけが知っている。

 遠くでパトカーのサイレンの音が鳴っていた。

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