お嬢様とメイドと婚約破棄3 ~メイドがもうすぐ赤ちゃんを産みます。お嬢様は張り切って、メイドのお世話をします~
お嬢様とメイドと婚約破棄シリーズの第三弾です。
前作未読でも問題ない作りにしたつもりです。
前作より少し短いです(12000文字くらい)
最後まで読んでもらえると嬉しいです。
「アリス様! エディ君との婚約破棄を要求します!」
令嬢がアリスを指さし、婚約破棄を要求する。
アリスの隣には、婚約者のエディが座っている。
四月初旬の暖かい季節。場所は貴族学園の庭園。昼食を食べ終わり、食後のティータイム中の出来事だ。同じテーブルには、他にも複数の女子生徒が座っている。
「え~と、今は……」
「婚約破棄を要求します!」
返答しかけたアリスに対し、令嬢が再度婚約破棄を要求する。
女子生徒達は成り行きを見守る――
期待に満ちた眼差しで。
令嬢はアリスを真っすぐに見据える――
やはり、期待に満ちた眼差しで。
アリスとエディが顔を向けあう。
彼女は少し面倒そうな表情だ。彼はそんな彼女に苦笑している。
アリスが仕方なさそうに頷くと、エディは席から立ち上がる。
彼はアリスの手を取り、自分の口元に近づける。
そして、彼女の手の甲にキスをした。
女子生徒達は目を輝かせ、口元を隠し声を抑える。
令嬢も頬の緩みを抑えられていない。
そして――
「私はアリスさん以外の女性と結婚する気はありません。私のことは諦めてください」
『きゃーーー!』
エディが『セリフ』を言い終えると同時に、女子生徒達が興奮したように声を上げる。
婚約破棄を要求した令嬢も一緒だ。
「エディ君、すてきですわ」
「アリス様の照れた顔もかわいいです」
「わたくしも言われてみたいですわ」
彼女達は二人を褒め称える。中々に姦しい。
「あはは……喜んでもらえて嬉しいですわ」
アリスが笑顔で答える。
つまり、一連の行動はごっこ遊びだ。最近、貴族学園で流行している寸劇『婚約破棄を要求しますわ』を演じたもので、婚約破棄の要求から男性の拒絶までが一連の内容となっている。
興奮する女子生徒達を相手に、アリスは必死に笑顔を作る。
「(何回やらされるんだろう……私、照れてないし……)」
◇
アリスは帰宅した後、自宅の隣にある侯爵邸を訪ねた。ここはエディの家でもある。
今は邸の庭園で、侯爵家の若奥様であるクラリッサとお茶会をしている。
「また、あの寸劇をやらされたよ……」
「ふふふ、お嬢様も大変ですね」
アリスは今日の出来事について愚痴を零す。
クラリッサは彼女を慈しむように見つめる。
アリスは現在十二歳。貴族学園の三年生だ。伯爵家の一人娘で跡継ぎでもある。昨年は二年生過程を首席で修了。侯爵家の三男エディとの婚約が成立し、充実した毎日を送っている。
クラリッサは現在二十二歳。元第一王女で、現在は次期侯爵夫人。昨年の二月、侯爵家の跡継ぎであるチェスターと結婚した。彼女はアリスをとても大切にしており、幼い頃から彼女付のメイドを務めている。今はとある理由で休職中だ。
アリスの婚約者のエディと、クラリッサの夫のチェスターは兄弟なので、将来二人は義理の姉妹の関係になる。既に、実の姉妹以上の関係ではあるが……。
「大変なのはエディ君だけどね。チェスターさんの弟だから、求められることが多いんだよ」
「何が流行するか分かりませんね」
実はあの寸劇、一昨年の年末にあった出来事が元になっている。場所は伯爵家の庭園。数名の貴族が参加したお茶会での出来事だ。婚約破棄を要求されたのがクラリッサで、それを拒絶したのがチェスターだ。二人が結婚する少し前の出来事になる。
小規模なお茶会だったので、目撃者は数人しかいない。しかし、その内容が貴族の間に広まり、貴族学園で流行してしまった。
「まあ、演技だから良いけどさ」
「そう言えば例の件、実際に婚約破棄が成立したそうですよ」
「えっ、そうなの?」
「殿方の意思が固く、関係の修復は不可能みたいです。話を聞く限り、婚約者の方に原因があるみたいですね」
貴族学園で流行しているのは婚約破棄『ごっこ』だ。決して本気ではない。しかし、貴族社会では、本気で婚約破棄を要求する事例が数件出ている。二人の件が元になっているせいか、全て令嬢からの婚約破棄要求だ。
多くの場合、二人と同じように男性が拒絶して終わる。婚約破棄が多発するようでは問題なので、健全な結果と言えるだろう。
――しかも、良い効果まである。
それらの出来事の後、二人の関係が良好になっているのだ。男性の毅然とした態度が、女性の琴線に触れた結果らしい。
婚約破棄を要求した側にも効果が出ている。婚約破棄要求の後、何故か彼女達には良縁がやってくるのだ。ちなみに、二人の時の令嬢も良縁に恵まれている。
そんな中、クラリッサが話しているのは悪い事例だ。
アリスが彼女に問い返す。
「婚約者さんは何をしたの?」
「十二歳のお嬢様には言えない内容です」
二人の会話に間が生じる。
「……聞かないでおくね。それで、婚約者さんの家は抗議しなかったの?」
「自分の娘に非がありますからね。私達の事例もありますし」
「ああ、なるほど……」
貴族の婚約は家同士の約束だ。本来、他人が口を出して良いことではない。しかし、全ての案件で問題になってはいない。これにも二人の事例が関係している。二人が令嬢の行動を問題にしなかったのだ。二人の家は王家と侯爵家だ。他の貴族は同じように対応する。
「じゃあ、その婚約破棄を要求した人と結婚するんだ」
「そこは何とも言えません。ですが、跡継ぎからは外されたみたいですね」
「えっ? ……もしかして、男性も?」
「ええ。十二歳のお嬢様には言えないことをしていました」
「……」
アリスは意図的に口籠る。
多少の想像はついたが、発言しない方が賢明だと考えたのだ。
彼女は話題を変えるべく、近くのメイドに話しかける。
「え~と……サラ、紅茶を入れて貰える?」
「私にもお願いします」
「かしこまりました」
アリスが紅茶を頼むと、クラリッサも便乗した。
若いメイドが紅茶を入れ始める。
メイドの名前はサラ。侯爵家ではなく伯爵家に仕えるメイドだ。アリス付のメイドで、クラリッサの後任候補でもある。休職中のクラリッサに変わり、全面的にアリスのお世話をしている。
何故、クラリッサが休職中かと言うと――
「そう言えば、紅茶って妊婦さんが飲んで良いの?」
「飲みすぎは良くないと言いますね。一応、私も控えてはいます」
「大変だね」
「仕方ないですね。まあ、色々聞きながら生活していますよ」
クラリッサは自分のお腹を優しくなでる。
そう――彼女は妊娠しているのだ。
「もうすぐだね」
「臨月ですからね。この子が生まれたら、かわいがってあげてください」
「もちろん! アリスお姉ちゃんが、一杯かわいがってあげるよ」
「関係で言えば、将来は叔母ですけどね」
「お姉ちゃんなの!」
二人が談笑する中、サラがカップに紅茶を注ぐ。
アリスとクラリッサはその紅茶を一口飲む。
「八十五点」
「うっ、九十点の壁が高いです」
クラリッサの採点に、サラが悔しがる。
彼女が紅茶を採点するのは恒例だ。
「私には違いが分からないよ」
アリスが苦笑する。
彼女も味の違いが判る方だが、既に判断出来ないほどレベルが高いのだ。
「微妙に違います。安定して九十点を出せないと、合格はあげられませんね」
「それ、合格出来るの?」
「お嬢様が成人する頃には、合格できるかも知れません」
「その頃には、サラもお嫁に行っているよ」
「では引き続き、私がメイドを務めることになりますね」
クラリッサが笑顔を見せる。
つまり、アリスのメイドを辞める気はないと言っているのだ。
彼女の態度にアリスとサラが苦笑する。
「じゃあ、私もメイドの勉強をしようかな。サラの結婚とクラリッサの妊娠が重なるかもしれないし」
「メイドの道は厳しいですよ」
「私も先輩メイドとして、色々教えますね」
「お手柔らかにね」
三人が笑い合う。
彼女達の周りには、たくさんの幸せが溢れていた。
◇
その日の夕刻、伯爵邸に緊急の知らせが届く。
「魔物の大量発生だと?」
伝令からの報告を受けているのは、アリスの父親である伯爵だ。
アリスも隣で聞いている。母親とサラも一緒だ。他にも数名の使用人がいる。
「場所は王都の北の森。魔物が次々と溢れており、規模は現状不明です。冒険者では抑えきれないため、騎士団に出陣命令が出ました。各貴族家にも、出陣の要請が出ています」
伝令の騎士が言葉を終える。要請と言っているが、実質命令だ。
伯爵は悩む素振りもなく頷きを返す。
「承知した。出陣はいつだ?」
「騎士団の先遣隊は既に出ており、本隊が二時間後に出陣の予定です。各貴族家は、これに合流して欲しいとのことです。集合場所は北門です」
「分かった。すぐに準備する」
「ご協力に感謝します」
伝令が城に戻って行く。
アリスが不安そうな表情を見せる中、伯爵は毅然とした態度で行動に移る。
「話のとおりだ。皆に伝えよ、最低限の警備を残して出陣する。準備を急がせろ」
「承知しました」
使用人の一人が部屋を出て行く。
次に、アリスの母親が伯爵に尋ねる。
「お食事はどうなさいますか?」
「邸で食べる時間はないな。何か携帯出来るものを用意してくれ」
「分かりました。――すぐに料理長に伝えて。多めに作って貰って構わないわ」
「承知しました」
メイドの一人が部屋を出て行く。
アリスが不安そうに伯爵に話しかける。
「お父様……」
「心配するな。北の森の大きさなら、騎士団が対応出来ないほどの魔物は発生しない。我々は念のため出陣するだけだ」
「……はい」
アリスが小さく頷く。
彼女の胸中は不安で一杯だった。父親が魔物討伐に出ることはこれまでにもあった。しかし、今日ほど緊迫した雰囲気はなく、もっと気楽な感じだった。
伯爵は彼女の頭を優しく撫で、自身の準備のために部屋を出て行く。
部屋に残されたアリスに、母親が話しかける。
「アリス、私達にも出来ることはありますよ。あなたも協力しなさい」
「……」
「大丈夫です。何も起きません。自分のすべきことをなさい」
「……分かりました」
アリスは不安な気持ちを抑え、母親と共に行動を開始した。
◇
邸の門前に人が集まっている。これから、伯爵達は魔物討伐に出陣するのだ。人数は十数名。伯爵家と言っても、大量の私兵を抱えているわけではない。
メイド達も見送りをしている。伯爵と一緒に行くのは彼女達の同僚だ。その中にはサラの姿もあり、同い年の男性兵士と話をしている。二人は少し仲の良い関係だ。
「……無事に帰って」
「ああ、約束する」
不安そうなサラに対し、男性兵士が慰めるように返事をする。
アリスもこの場にいる。
母親と共に、伯爵を見送りに来たのだ。
「では、行ってくる」
「ご武運を」
「お父様、無事にお帰りください」
「うむ」
伯爵は頷き、兵士達と共に出発する。
アリスが伯爵達を見送っていると、侯爵邸の門前に集まる人達の姿が目に入った。あちらも出発する所なのだ。
クラリッサの姿もある。彼女は大きなお腹を抱え、夫であるチェスターの見送りに出ている。気丈に振舞ってはいるが、彼女の不安がアリスには伝わって来た。
「クラリッサ、大丈夫かな……」
アリスの呟きを聞き、母親もクラリッサに視線を向ける。
「そうね。妊娠中だものね」
「うん、不安だよね」
妊娠中は精神的に不安定になりやすいという。アリスもそのことは知っており、クラリッサを不安にさせないように注意してきた。
心配そうな表情のアリスに、母親が話しかける。
「ふふふ……それなら、アリスが元気づけてあげなさい」
アリスが母親に視線を向けると、彼女は柔らかな笑顔を見せていた。
「アリスが笑顔を見せれば、クラリッサ様もきっと元気になるわ」
「そうかな?」
「ええ、間違いないわよ」
彼女の言葉は間違っていない。クラリッサにとって、アリスはそういう存在なのだ。実の両親や夫のチェスターよりも、ある意味で親密な関係と言える。
「……うん!」
アリスの目にやる気が漲る。
彼女はクラリッサ達の方を向き、大声で叫んだ。
「侯爵様! チェスター様! ご武運を!」
突如響き渡った声に、クラリッサや侯爵家の面々、歩いていた伯爵達、全員の視線がアリスに向く。
「クラリッサのことはお任せください! 私がしっかりお世話をします!」
アリスが皆に笑顔を見せる。
すると、皆の顔にも笑みが見え始める。
「アリス! すぐに戻ってくる! それまでクラリッサを頼む!」
チェスターだ。
彼の顔にも笑みが浮かんでいる。
「お任せください! ――あっ、明日は朝からそっちに行くね!」
「お待ちしています! 今日はしっかり寝てくださいね!」
今度はクラリッサだ。
彼女も笑顔だ。先程までの顔が嘘のように見える。
「うん!」
アリスが返事を返す。
兵士の顔からは緊迫感が消え、笑顔とやる気が満ちている。見送る人達からも不安感が消える。彼等はきっと無事に帰ってくる。誰もがそう確信した。
◇
翌日。昨日の宣言どおり、アリスはサラと共に侯爵邸にやって来た。クラリッサのお世話をするためだ。
「まあ、お嬢様に任せられる仕事はありませんけどね」
やる気満々でやって来たアリスに、クラリッサが笑顔で告げる。
彼女の隣には、苦笑ぎみのエディが立っている。
「え~、何かないの?」
「メイドの仕事は、そんなに簡単ではありません」
クラリッサの答えに、アリスは不満そうな顔を見せる。
「張り切って来たのに……」
「お嬢様は、私の相手をしてくだされば十分です」
そう言って、彼女はアリスに席を勧める。
アリスは渋々席に向かう。
サラが紅茶の用意を始める。この面子の時は彼女が給仕をする。侯爵家のメイドも分かっているので、この場には四人しかいない。
アリスは席に座ろうとした所で、何かに気付いたように立ち止まる。
彼女はサラに視線を向け、花が咲いた様な笑顔を見せる。
「私が紅茶を入れるよ!」
「……お嬢様がですか?」
サラが紅茶を入れる手を止め、アリスに問いかける。
かなり不安そうな表情だ。自分の仕事が取られそうだからではない。アリスが紅茶を入れるのが不安なのだ。
「うん、私も何かしたいからね」
「ですが、紅茶を入れたことはないですよね?」
サラの言うとおり、アリスは紅茶を入れたことがない。紅茶はメイドが入れており、彼女は飲む専門だ。
「大丈夫。何度も見ているから」
「そんなに簡単じゃありませんよ」
クラリッサが苦笑しながら言う。
あまり、止める気はないようだ。
クラリッサの態度を見て、サラも任せることにした。
アリスの作業を、隣で見守っている。
「期待していてね。七十点は取って見せるから」
自信を見せる彼女の手際は悪くない。動きに迷いはないし、素人目には手馴れた動きに見える。
アリスは手早く四人分の紅茶を入れ、各々の前にカップを置く。
「どうぞ、ご賞味ください」
アリスは得意気だ。本当に自信があるのだろう。
三人が彼女の紅茶を一口飲む。
そして――
「「四十点」」
「えー!」
クラリッサとサラに不合格を言い渡された。
「香りが出ていません。お湯を注ぐタイミングが遅いです」
「蒸らす時間も足りていません。味が薄いです」
二人が冷静に評価する。
お嬢様に対する態度ではない。後輩メイドへの対応だ。
「私は美味しいと思いますよ」
「本当!」
エディがアリスを褒める。
彼女も素直に喜びを見せる。
しかし――
「エディ、嘘はいけません」
「そうです。エディ様、嘘は駄目です」
メイド二人に嗜められる。
アリスは一転、表情を曇らせる。
「エディ君、嘘なの?」
「ほ、本当ですよ。初めて入れたとは思えません」
「何点くらい?」
「えっ……その……六十点……いや、七十点くらいは……」
アリスに問いかけられ、エディはしどろもどろに答える。
彼女は徐々に不満そうな表情に変わる。
「お嬢様、御自分で飲んでみれば分かりますよ」
「……そうだね」
不満を抑え、アリスは自分の紅茶に口をつける。
彼女の自己採点は――
「……六十点くらい?」
「「四十点です」」
甘い採点を訂正される。
先輩メイドは甘くない。
「……はい、四十点です」
アリスが肩を落とす。
「はぁ~、こんなに違うんだ……」
「簡単には出来ませんよ。初めてにしては上出来です」
クラリッサはそう言って、アリスの紅茶を飲み進める。
厳しい採点とは裏腹に、とても嬉しそうな表情だ。
「無理して飲まなくても良いよ」
「お嬢様が入れてくださった紅茶です。全部飲み……」
「クラリッサ?」
クラリッサが苦しそうな表情を見せる。
その様子を見て、アリスとエディが慌て始める。
「どうしよう! 私の紅茶で……」
「皆を呼んできます!」
「お嬢様、エディ様、落ち着いてください」
サラは二人に言葉をかけ、苦しそうなクラリッサに問いかける。
「クラリッサ様、もしかして?」
「……そのようです」
「分かりました。皆さんを呼んできます」
「「!」」
二人の会話で、アリスとエディも気付いた。
彼女は紅茶で苦しんでいるのではない。
陣痛が始まったのだ――
サラが足早に部屋を出て行く。
アリスとエディは部屋に残された。
「ど、どうしよう。何したら良い?」
「落ち着いてくださいアリスさん。準備は整っています……あっ、お茶会のセットが邪魔になるかも知れません」
「そうだ! 落として火傷したら大変!」
「すぐに片づけましょう!」
二人は明らかに混乱している。
クラリッサは苦しそうな表情で二人に声をかける。
「……二人共」
「「はい!」」
「……黙って座っていなさい」
「「……はい」」
「……よろしい」
間もなく、メイド達が部屋に入って来た。
◇
出産が始まった。
すぐに各所に連絡が行き、侯爵邸には大勢の人が集まって来た。クラリッサの主治医で王家お抱えの女医、彼女を補佐する大勢の助産師、クラリッサの母親である王妃、アリスの母親もやって来た。
母親が来たのは、アリスの動揺を抑えるためだ。
アリスの動揺は時間が経つほどに深まった。サラやメイド達も落ち着かせようとしたが、動揺は治まる様子を見せない。伯爵邸に戻ることも勧めたが、彼女は頑なに拒否した。そこで、彼女の母親を呼ぶことになったのだ。
母親が来て、アリスは徐々に落ち着きを見せた。
周囲も安心した表情を見せた。
母親とサラと三人で、クラリッサの出産を待つことにした。
クラリッサの苦しそうな声が、分娩室の外にまで聞こえてくる。
今までに聞いたことがない声だ。
刻一刻と時間は過ぎていく。
アリスは食事も取らずに待っている。
不安な気持ちを抑え、クラリッサの無事を祈り続ける。
そして――待ちに待った声が聞こえた。
赤ちゃんの産声だ。
アリスが顔を上げる。
分娩室の扉が開く。
助産師の一人が笑顔で出て来た。
「生まれました! 男の子です! 母子ともに問題ありません!」
「「!」」
アリスは母親を見る。
彼女もアリスを見た。
「お母様!」
「アリス!」
二人は抱き合い、喜びの声を上げた。
サラや侯爵家の使用人からも歓声が上がる。
言葉にならない喜びの声だ。
分娩室から侯爵夫人が顔を覗かせる。
「生まれたわよ。二人もどうぞ」
「良いのですか?」
「もちろんよ」
侯爵夫人が笑顔でアリスに入室を勧める。
彼女にとって、アリスは既に娘同然だ。
アリスが嬉しそうに入ろうとする。
すると、玄関の方から声が聞こえた。
「旦那様達が戻られました! 全員無事です!」
帰還の知らせだ。
皆の視線が玄関の方に向かう。
「……タイミングが良いんだか、悪いんだか」
侯爵夫人が苦笑する。
その言葉に、アリスの母親が答える。
「ふふふ、赤ちゃんに会うのは後ですね。――アリス、夫人の代わりにお出迎えよ」
「はい!」
アリスは元気よく頷いた。
侯爵夫人は出迎えを出来る格好ではない。それに初孫が生まれたばかりだ。側にいたいだろう。アリスは母親が気を使ったのをすぐに理解した。
「悪いわね」
「大丈夫です。任せてください」
「汚れた格好で来させちゃ駄目よ」
「分かりました」
アリスは力強く答え、母親とサラと三人で玄関に向かった。
◇
玄関にはエディも来ており、何やらチェスターを必死に抑えている。侯爵も協力している様子だ。
「兄上! その格好では駄目です!」
「離せ! 一目見るだけだ!」
「駄目に決まっているだろう! 風呂が先だ!」
アリスはすぐに状況を察した。
チェスターが出産の知らせを聞いたのだ。
彼女は苦笑しながら話しかける。
「チェスターさん」
「アリス! クラリッサは!?」
「母子ともに問題ないそうです」
「そうか、よし、一目見てから――」
「駄目です。お風呂が先です」
「アリス!?」
「夫人からの指示です。諦めて、お風呂に入ってください」
アリスがそう言うと、チェスターは残念そうな顔でようやく諦めた。
侯爵夫人には逆らえないようだ。
「仕方ない、手早く風呂を済ませよう」
「きちんと洗ってきてくださいね」
「……分かっている」
チェスターは足早に風呂に向かった。
その様子を見ていた侯爵が苦笑し、アリスの母親に話しかける。
討伐の結果を伝えるためだ。
「伯爵達も全員無事ですよ。傷一つありません」
「戦闘はなかったのですか?」
「騎士団だけで十分でした。まあ、予想どおりです」
「ふふふ、それは良かったです」
伯爵が予想したとおりの結果だ。同じ予想を侯爵もしていたことになる。
「では、私も風呂に行かせてもらいます」
「教えていただき、ありがとうございます」
アリスの母親が礼を言うと、侯爵は一度頷き、風呂に向かった。
二人を見送った後、母親がアリスに向き直る。
「私も邸に戻ります。チェスターさんが出てきたら、貴女も戻っていらっしゃい」
「はい、お母様。――あっ、サラも連れて行ってあげてください」
「お嬢様!?」
「お出迎えしてあげた方が良いよ」
サラが少し顔を赤くする。
アリスの言っているのは、彼女と仲の良い同僚の兵士のことだ。
「そうね、サラも一緒にいらっしゃい」
「奥様……」
「エディ君、アリスをお願いね」
「お任せください。アリスさんは私が送って行きます」
エディが力強く請け負う。
母親は笑顔で頷き、恥ずかしがるサラを連れて伯爵邸に戻って行った。
「それじゃあ、エディ君」
「はい」
「私はクラリッサと赤ちゃんに会いに行くから、チェスターさんの監視をお願いね」
「分かりました」
男のエディは分娩室に入れない。
チェスターの監視を任せ、アリスはクラリッサの元に向かった。
一応、走ってはいないが、かなりの早歩きだ。
彼女は既に満面の笑顔になっている。
すぐに分娩室に到着する。
閉まっている扉をノックし、声をかける。
「アリスです」
「どうぞ」
侯爵夫人の声が聞こえた。
アリスは扉を開け中に入る。
視線の先に、授乳をするクラリッサの姿があった。
「うわぁ、もう、おっぱい飲めるんだ」
「個人差があるんだけど、この子はすぐに吸い付いたわね」
侯爵夫人が説明をしてくれる。
アリスが授乳の様子を見ていると、彼女を見つめるクラリッサと目が合った。
アリスはハッとして、クラリッサに大事な言葉を伝える。
「おめでとう、クラリッサ」
「ありがとうございます、お嬢様」
二人が笑顔を見せあう。
「チェスターさんはお風呂に行ったよ。汚れたまま来そうだった」
「声が聞こえました。お手間を取らせましたね」
「少しでも役に立てたなら、それで良いよ」
アリスは赤ちゃんに視線を向ける。
赤ちゃんは既に、おっぱいから口を放していた。
「飲み終わったんだ」
「そうみたいですね」
クラリッサは愛おしそうに我が子を見つめる。
隣では王妃も同じような顔をしていた。
「直に眠ると思うわよ」
「そうなんですか?」
「赤ちゃんは、おっぱいを飲むか眠るかのどちらかよ」
王妃がアリスに説明をする。
そして、彼女の言うとおり赤ちゃんは眠り始めた。
「さて、私も城に戻るわ」
王妃が帰る準備を始める。
国王も討伐から帰ってきているはずだ。
「アリスは戻らなくて良いの?」
王妃が問いかける。
「私も戻ります。チェスターさんも、お風呂から出たみたいですし」
アリスの耳にチェスターの声が聞こえた。すぐにでもやって来るだろう。
アリスはクラリッサに向き直る。
「クラリッサ、また会いにくるね」
「はい、お待ちしております」
二人は幸せ一杯の笑顔を交わした。
◇
出産から一ヶ月後――
「あっ! アルが笑った」
平日の放課後、アリスはサラと一緒に侯爵邸に来ていた。
もちろん、クラリッサの赤ちゃんに会うためだ。アリスはあれから頻繁に侯爵邸を訪れている。以前から毎週のように来ていたが、最近は学園の放課後にも来るようになっている。クラリッサの赤ちゃんに夢中なのだ。
赤ちゃんの名前はアルバートに決まった。愛称は『アル』だ。少しだけアリスに似ている。順当に行けば、彼は将来の侯爵になる。
「この子も、お嬢様が大好きなのですね」
「えへへ、そうだと良いな」
アリスが嬉しそうに笑う。
すると、アルが泣き始めた。
「アルが泣いちゃった。どうしよう? おしっこかな?」
「いえ、お腹が空いたのでしょう」
クラリッサはアルを抱き上げる。すると、アルはすぐにおっぱいを求め、一生懸命に飲み始めた。
「うわぁ、かわいいね~」
アリスが顔を緩ませる。
その様子にクラリッサも笑顔を見せる。
「かわいいですけど、お世話をするのは大変ですよ」
「クラリッサでも大変なんだ?」
「ええ、お嬢様のお世話の何倍も大変です」
「それはそうだよ」
二人が笑い合う。
「私も赤ちゃんを生むんだよね」
「不安ですか?」
「不安って言うより、想像がつかない」
「それは仕方ありませんね。私もそうでしたから」
クラリッサがアルを見ながら言う。
アルは一生懸命におっぱいを飲んでいる。
「お嬢様の時は、私やサラがお手伝いしますよ」
「はい、しっかりお世話させてもらいますね」
クラリッサの言葉に、サラも笑顔で応じる。
すると、アリスが悪戯っぽい笑みを見せる。
「サラも一緒に妊娠しているかもね? 最近、良い感じみたいだし」
「!? お嬢様っ!」
「あら、進展したのですか?」
「クラリッサ様まで!」
サラが頬を染める。
アルの側なので、興奮しながらも声量は控えめだ。
彼女と同僚の彼は一緒にいる機会が多くなっている。正式にお付き合いを始めたのだ。以前から互いに好意を持っていたが、二人の関係が進展した理由は先日のお迎えだ。アリスが侯爵邸にいるのに、サラがわざわざ戻ってきたのだ。誤解しようがない。
サラは照れ隠しのように話をする。
「仮に結婚しても、お嬢様のメイドを辞める気はありません!」
「まあ、二人の場合は、家族用の部屋に住めば良いだけだからね」
伯爵邸に限った話ではないが、既婚の使用人が暮らすための部屋も存在する。
「それに限らずです。お嬢様が結婚されるまで、メイドを辞めることはありません。それを許さない相手と、結婚することもありません」
「いや、クラリッサじゃないんだから……」
アリスが少し呆れる。
クラリッサはアリスのお世話のために、自分の結婚を何年も先延ばししていた。アリスの婚約が決まり、ようやく去年結婚したのだ。彼女の婚期を逃さないために、アリスは随分尽力した。
「そう言えば、同じようなことを言っているメイドが、他にもいましたね」
「えっ?」
アリスが授乳中のクラリッサを見る。
彼女は平然とした態度で話を続ける。
「お嬢様の結婚までメイドを続けるという子は多いです。伯爵家だけでなく、侯爵家の中にもいますね」
「はい。私と同じ考えの人は大勢います」
サラも発言を肯定する。
二人の言葉に、アリスが愕然とする。
解決した問題が再びやって来たのだ。しかも今度は何人も同時だ。
「だ、駄目だよ! 婚期を逃すことになるよ!」
「構いません。お嬢様の方が大事です」
「どうすれば良い? 何をすれば結婚する?」
「特にないですね。個人の意思ですから」
クラリッサの時は、婚約者を見つけるという条件があった。しかし、今回はその条件すら出してもらえない。このままでは、大勢のメイドが婚期を逃しかねない。
絶句するアリスに、クラリッサが話しかける。
「大丈夫ですよ。サラは結婚しても続けられますし、他の子は相手がいないみたいですから」
「大丈夫じゃないよ! 相手を見つけないと!」
「彼女達の意思を尊重する相手なら問題ありません。メイドを辞めろという相手なら……結婚しない方が幸せでしょう」
「条件が厳しすぎるよ!」
メイドの仕事は朝が早い。結婚後も仕事を続けるのであれば、敷地内に住むことがほぼ必須だ。つまり、相手は同僚ということになる。候補はほとんどいない。別居という手段もあるが、その選択肢を取るべきではないだろう。
「仕方ありませんね。結婚を無理強いも出来ません」
「大丈夫です。お嬢様の成人まで、たったの三年です」
「結婚は早くても四年後だよ!」
エディの方が年下だ。彼の成人までは四年ある。
「どうすれば……通える距離に家族寮を作れば……でも場所がないし……朝の仕事をなしにする……いや、そもそも相手の仕事が……他の家の使用人なら……」
アリスが頭を悩ませ、解決方法を模索している。
メイドの福利厚生に悩む令嬢もいないだろう。
彼女はメイドをとても大切にしている。自分のために婚期を逃すような真似はさせたくないのだ。そういうアリスだからこそ、メイド達も大切にしたいと思う。これを悪循環と呼ぶのは間違いだろう。
「お嬢様、色々考えておられるようですが、彼女達は気にしないと思いますよ?」
「私が気にするの! 皆には、幸せになって貰うんだから!」
アリスはそう言うと、再び悩み始める。
そこまで深刻な話でもないのだが、彼女としては許容できないのだ。
クラリッサとサラは、アリスを微笑ましく見つめる。
自分達のお嬢様を、更に好きになっていく。
「これは、結婚しない子が増えそうですね」
「ふふふ、そうですね」
「二人も、ちゃんと考えて!」
お嬢様とメイド達の関係は、これからも続いていく。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
如何でしたでしょうか? 楽しんで貰えたなら幸いです。
メイドの出産がテーマでした。
童話を書いた時にも思いましたが、生命の誕生、子育て、教育、この辺りの内容を書く時は気を使います。紅茶とか授乳とか、間違ったことを書いてなければ良いなと思います。
続編投稿しました。