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海の絵  作者: 上原直也
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3

それからわたしたちは車を三十分程走らせたあと、海岸線沿いにある小さな喫茶店に入った。


店内は三時過ぎという中途半端な時間のせいか、ガラガラに空いていた。ほとんど貸しきりといってもいいくらいの状態だった。


 わたしたちは窓際の席に腰を下ろすと、注文を取りに来たおばさんの店員にわたしはアイスティーを注文し、葛岡くんはアイスコーヒーを注文した。


 暇なせいか、注文したアイスティーもアイスコーヒーすぐに運ばれてきた。わたしはガムシロップもミルクも何も入れずに飲み、葛岡くんはガムシロップもミルクもたっぷり入れて、それをよくかき混ぜてから飲んだ。それだったら最初からアイスオーレを頼めばいいのにと思うくらいだった。


 ふと、窓の外に視線を向けてみると、そこには海が見えていた。道路を挟んだ向かい側には海が見えている。海の青を見つめていると、いつの間にかその色素が自分の心のなかにまで染みこんでくるような気がした。


「どう?東京の学校は楽しい?」

 と、葛岡くんはしばらくしてからそう尋ねてきた。わたしは窓の外に向けていた視線を葛岡くんの顔に戻した。そして少し考えてから、

「うーん。どうだろう。普通かな」

 と、短く答えた。


「特別大きな不満も満足もないって感じ。・・・高いお金払って大学に行かせてもらっておいてこんなことを言うのもどうかと思うけど、でも、まあ、大学なんてこんなものかなって」


「なんか冷めてるんだね」

 と、葛岡くんは微笑して言った。


「うーん。冷めてるのかな?わたし」

 と、わたしは軽く首を傾げて言った。

「でも、なんとなく物足りない感じがするっていうか・・・でも、たぶんそんなふうに思うのは、わたしがいろんなことに多くのことを期待しすぎるからなんだよね。きっと。だから、最近はあんまり期待しないようにしようと思って。こんなもんだろうなって一歩気持ちをひいておけば、そんなにがっかりすることも少なくてすむかなって」


「なんかネガディブだなぁ」

 と、葛岡くんはわたしの科白に小さく笑って言った。でも、それから少し真面目な表情に戻ると、

「まあ、でも、そういう気持ちもわかるけどね」

 と、付け足して言った。

「・・・俺もそういうこと思うことあるし」


 葛岡くんはそう言ったあと、何秒間のあいだ何かに思いを巡らせている様子でいたけれど、

「西川さんは大学で何をやってるんだっけ?」

 と、気を取り直したように改まった口調で尋ねてきた。


「美術。油絵をやってるんだけど」

 と、わたしは氷の入ったアイスティーのグラスをストローで意味もなくかき混ぜながら答えた。

「・・・そっか。西川さん、美術部だったもんね」

 葛岡くんはわたしの返答に頷くと、軽く眼差しを伏せた。


 葛岡くんの顔の表面に、青色の色素を含んだような感情が淡く広がっていくのがわかる気がした。きっと葛岡くんは歩美のことを思い出しているんだろうなと思った。そしてわたしも歩美のことを思い出した。そういえば、歩美が死んだのは夏だった。ちょうど今と同じ季節。


「大学を卒業したらどうするの?学校の先生とか?それともプロの画家を目指したりするの?」

 少し間を置いてから、葛岡くんは伏せていた眼差しをあげると、明るい口調を装って尋ねてきた。


「まだ何も決めてないの」

 わたしは葛岡くんの問に苦笑するように口元を綻ばせて答えた。それから、残りわずかになってきたアイスティーを少し飲んだ。

「でも、学校の先生になることはないかな」

 と、わたしはちょっと考えてから答えた。


「向いてないと思うし、あんまり興味もないから。だけど、かといって、普通のOLやるのもいまひとつピンとこなくて」


「じゃあ、フリーターやりながら絵を描く感じ?それとも留学とか?」


「うーん。そうしたい気持ちもあるんだけど、でも、わたしそこまで自分の才能に自信がもてなくて。わたしくらいのひとってきっといくらでもいるだろうし、だから、全部中途半端なんだよね。わたし。決めきらないの。自分がどうしたいか」


「そっか」

 と、葛岡くんはわたしの言葉にどうコメントしたらいいのか困ったように曖昧に相槌を打つと、

「でも、まあ、卒業するまでまだ時間あるし、そのあいだにゆっくり答えを探せばいいんじゃない?」

 と、慰めるように穏やかな笑みを浮かべて言った。


「そうだよね。ありがとう」

 と、わたしは微笑して答えた。


「葛岡くんは?」

 と、わたしはふと思いついて尋ねてみた。「今、何してるの?」


「俺?俺は今、公務員の専門に通ってるよ。それで将来は地元の市役所で働けたらいいなって感じ」

「わたしと違って結構堅実だね」

 と、わたしは小さく笑って言った。

「でも、そっちの方がいいかも。公務員って安定してるし」


「ほんとうはどうしても公務員になりたいってわけでもないんだけどね」

 と、葛岡くんは苦笑いして言い訳するように言った。

「ただ、親がうるさくてさ。親も公務員やってるから、それが一番いいって考えるみたいでさ。・・・それに俺も親の反対を押し切ってまでどうしてもやりたいことっていうのもないし、それで、まあ、なんとなくって感じなんだけど」


「そっか」

 と、わたしは適当なコメントが思い浮かばなかったので、ただ相槌を打った。


「・・・俺も西川さんみたいに何かはっきりやりたいことがあればいいんだけどね」

 葛岡くんはそう言うと、少しうらやましそうにわたしの顔を見た。

「夢を持ってそれに向かって生きていくのってカッコイイなって思うし」


「わたしの場合はそんなカッコイイものじゃないけどね」

 と、わたしは葛岡くんの言葉に恥ずかしくなって笑って答えた。


 それから、ふと会話は途切れて、しばらくのあいだわたしも葛岡くんも黙っていた。そのあいだわたしは黙って窓の外に見える海を眺めていた。


 海は凪で、空にはぼんやりとした灰色の雲がかかっていた。店内は相変わらず空いていて、押さえたボリュームでクラシック音楽が流れていた。繊細で綺麗な感じのするピアノ曲だった。たとえば雨が緑の木々を静かに濡らしていくような。それはどうしてか哀しい記憶のように感じられた。

 


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