16.刑務所
祐子は刑務所で模範囚であった。
また他の受刑者も祐子の事をよく知っており、祐子へは受刑者の殆どが気を遣っていた。
ある日、祐子の元へ神父様が来た。
この神父様は、受刑者のために神の教えを説くのだ。
この神父様は受刑者の間でも評判が良く、悪人達も神父様には頭が上がらない程だった。
祐子は気になって神父様に、一つ聞きたい事があった。
「神父様、何故私はこれだけ不幸なのでしょうか? 神様がおられるとして、何故こんなにも不平等なのでしょう?」
「祐子さん、貴方の思いは私には理解できません。貴方の二つの事件はお聞きしています。私も神に祈ったものです。何故こんな目に貴女があわなければならなかったのか? 私も信仰が揺らぎました」
「神様は、悪人にも善人にも等しく恵み雨を降らせるお方、そう神父様は説いておられますよね。でも私も、私の家族も、Iのせいで不幸のドン底に落とされました。私という畑に塩が蒔かれたのです。豊かに実るはずだった未来は、枯らされてしまいました。Iはそうなりませんでした。Iを殺すには、私自身で成さなければなりませんでした」
「祐子さん、貴方は深い悲しみをお持ちの方です。誰もが貴方を憐れみ、同情しています。神様もきっとそうです。そして貴女にはまだ未来がある。貴女自身のためにやり直すのです。そのために神様はまた恵みの雨を降らしてくれます」
「私には、分かりません。私でなくて良かった。私の家族でなくて良かった。神父様の信じる神様という存在があるなら、私は……!」
「貴女は、私の話を聞きたいと言いました。貴女は救われたいのですか? それとも……怨みたいのですか?」
「わかりません、ただ返してほしいのだと思います。本来、私が受け取るはずだった未来を。それは失われてしまいました」
「私に貴女を救うことはできません。返すこともできません。しかしお話を聞くことは出来ます。神は憐れみ深く寡黙な方です。気持ちを吐き出せば、気が楽になることもあるでしょう」
「私は、全てを奪われたあの日、心に黒い水が溜まったのです。言いようのない恨み、不安、後悔。そしてそれを嘲るかのようなI。それが私の心の黒い水を濁らせた。私の心から取れない汚れになった。私は人を殺したくなかった。家族を殺されたくなかった。あの暖かいあの日が続けば良かった! どうして! こんなにも不条理なの! どうしてこんな思いをしなければならない! どうして!」
「貴女は、可哀相な方です。その傷は癒えないのでしょう。癒やし方も私には分かりません。しかしそれでも、前を向かねばなりません。貴女の人生は、貴女のためにあるのですから。いつでも私に吐き出してください、休んで下さい。前を向ける日が訪れるまで」
祐子は知っていた。これは不条理な愚痴だと。神父様は正しい。でも言いたかった。胸の底から溢れていた。世の理不尽を、誰かに聞いてほしかった。世の不平等を叫びたかった。世の狂わしさを、伝えたかった。
「ご免なさい、神父様。えぇ、神父様の言うことはわかります。そう、そんな貴方が信じる神様もきっとそうです。少し休みます」
裕子の黒い心の水は、いつになれば透き通った水になるのか。
それは誰にもわからなかった。




