勇者と王女の物語⑤
「……はっ!」
さらに1週間が経った今日、私は兵士たちの訓練場だというこの場所で体を動かしていた。
「ふっ! たっ!」
ただ、これは別に勇者として戦う覚悟を決めたという訳ではなく、体を動かしている間は嫌な事を忘れられるという現実逃避でしかない。
昔からこうやって体を動かす事は好きだったけれど、それをまさかこのような形で役立てるとは考えもしなかった事である。
「すー…」
そして今のこの『体』でしか出来ない事も少しだけ分かって来た。前にやった飛び上がっての連続攻撃もそうだしこの、
「ふっ!!」
漫画でしか見た事のないあれ、一瞬で相手の背後を取るなんて動きもこの体であれば可能なようだ。
すごい、こんな動きをしても見えるんだ…。
それに体の動きに思考が追い付かないという事もなかった。これは教えて貰った事なのだが、なんでも勇者は歴代の経験を引き継いでいるらしく、もしかすると過去に無手で戦った勇者がいてその影響を受けていたりするのかもしれない。
「せい!」
バンッ!!
でも、やはりこの力だけは恐怖の対象でしかなかった。
私が対象としていたのは木像の人型なのだが、私の掌底が当たった瞬間まるでトップスピードのダンプにでも撥ねられたかのように吹っ飛んで行ったのだ。
ガンッ! ガラン! …カラカラカラ。
そして訓練場の壁に激突した人型は強烈な破砕音を響かせながら砕け散る。
それ程力を籠めた訳でもないのにこの威力だ。訓練用の的だから良いものの、これがもし人間であったら一体どのような惨状になってしまう事か…。
パチパチパチパチパチ
とその時、訓練所の入口の方から拍手の音が響いて来る。
「お見事ですユキノ様」
振り返った私が入口へ視線を向けると、そこにはいつもとは少し毛色の違う服を着たエレノア様が立っていた。
―――――――――――――――――――――――
「王女様?」
「エレノアで良いですよユキノ様」
それなら私も雪乃で良いのだけれど…うーん? もしかして勘違いしているのかな?
「ではエレノア様、その服は? いつものドレスとは違うみたいですけど」
「これですか? 今日は学院に行く用事がありましたのでこれはそこの制服ですね」
へー、王族なのにエレノア様も制服着て学校に行ったりするんだ? 家庭教師でも付いているようなイメージだったけれどそうでもないのかな?
「なるほど、エレノア様も色々と忙しいのですね」
「…そうかもしれません。そう言えばユキノ様がこちらの来た時に着ていたお召し物、あれも制服であったとお聞きしましたが」
「はい、あれは学校指定の制服です」
あの時着ていたのは夏服なのに黒を基調とした珍しいデザインの制服だ。選択式ではあったがあの一風変わったデザインが好みに合い即決したのを覚えている。
「…あれは可愛かったわね」
「え? 何か言いましたか?」
「いえ何も」
ちなみに、着替えなんかは全てお城の人たちが用意してくれていたのだが、最初に渡された大人用のはまったくサイズが合わず子供用を急ぎで用意して貰うという出来事があった。
担当していたメイドさん?は必死に謝っていたが、あの時だけはなんというかこう…私に落ち度はないのになんだか申し訳ない気持ちになってしまったのを覚えている。
「それにしてもユキノ様の戦い方は珍しいですね、武器を持たない戦士の話は聞いたことがありますけれど」
「あ、これですか? えっと、空手っていう武道の1つでして…」
でもここ最近になりエレノア様が向けてくれる好意が少しだけ私の心を癒してくれるようになっていた。
お城の人達も概ね好意的ではあるけれど、お姫様のそれは勇者としての私ではなく雪乃という個人に向けられているような気がするのだ。勇者としての仕事に消極的な私を責めたりもしないし、同年代の友人のように接してくれる彼女との時間はとても楽しいものであった。
「ふふっ、格好良いですわユキノ様」
「そ、そうかな?」
少し見栄えの良い型を見せるとエレノア様は楽しそうに褒めてくれる。
それが嬉しくて私もついつい慣れない型を披露してしまうのだが、それで失敗したとしても彼女は楽しそうに笑ってくれるのだ。
最初はちょっと緊張したけれど…でも、同い歳の女の子なんだよね。
もし彼女とお友達になれたら、この先の10年という苦行を少しでも楽しいものに変えられるかもしれない。いつもは引っ込み思案な私だが、今この時だけは勇気を振り絞って彼女に…。
「おや?」
とその時、2人きりであった訓練場内に聞き覚えのある男性の声が響いた。
あ、あの人…。
そちらに視線をやると訓練場の入口から3人の人物が入って来るのが見える。
1人の男性にお付きの2人という感じなのだが、私はその先頭を歩む男性の姿を見て先までの楽しい気持ちが一気に萎んでいくのを感じた。
「これはエレノア殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
その人物、神官服を身にまとった男性はエレノア様に近づくとその前に跪いて礼をする。その完璧なまでに洗練された所作は惚れ惚れするほどなのだがしかし…。
「おや、勇者様もまだこのような所にいらしたのですね」
「っ!」
どうやら私は彼に嫌われているようなのだ。
「バルダット様、そのような言い方は勇者様に失礼では?」
「そうでしたか、それは失礼いたしました」
私を責めるような言葉に苛立ちを見せるエレノア様だが、その矛先を向けられた彼、オスラン・バルダットさんは涼し気な顔で受け流してしまう。王女様に嫌われる事なんてなんでもないという風であり、その謝罪も完璧な所作だけの欠片も誠意が感じられないものであった。
バルダットさんは20過ぎくらいのイケメン外国人俳優といった外見のかなりモテそうな容姿をしている。最初に言葉を交わした時は一瞬見惚れてしまった程であり、さらに神官というこの国では上位に位置する職にも就いているらしい。
敬虔な信徒としても有名なようで、私を召喚したあの儀式にも参加しており次代の勇者登場を誰よりも喜んでいたとも聞く…だからなのだろう、勇者としての務めを蔑ろにする私が許せないようであった。
「それで、勇者様はいつ王都を発たれるのですか?」
「そ、それは…」
責めるようなバルダットさんの言葉に私はさらに委縮してしまう。
イケメンが怒ると怖いと聞くがまさにその通りで、彼に睨まれた私は目を逸らして俯く事しか出来なかった。
「まったく、どうしてルディエスカ様に選ばれた栄誉を理解出来ないのか…」
「バルダット様、お言葉ですが彼女の居た世界にルディエスカ様は…」
「それは関係ありませんよ殿下、ルディエスカ様に選ばれた勇者がこの世界に献身するのは当然の事なのです。現に先代の勇者は召喚された翌日には王都を発ったという話、それこそが勇者として召喚された者のあるべき姿ではありませんか」
おそらく彼にとっての女神ルディエスカは他の人が思うよりも特別な存在なのだろう。その神が作ったというこの世界をとても大切に思っており、だからこそその守り手である私の怠慢が我慢ならないのかもしれない。
「もしや召喚は失敗だったのでしょうか? よもやこんな何も出来ない子供が勇者になってしまうとは」
「ちょっと! あなたいい加減に…っ!?」
でも…だからって…そんなの酷すぎるよ…。
「うっ…うぇ…うぅ…」
「ゆ、ユキノ様!」
バルダットさんに向けられた一方的な敵意に私の目からは大粒の涙が零れ落ちていた。
「私…だって…好きでこんな所に来たわけじゃ…」
確かに私は何もしていないかもしれないが、勝手に呼び出した上で勇者という役目を押し付け、それで何も出来ないからと責め立てるのはあまりにも理不尽ではないか。
「………やはり子供ですね、泣いた所で何の解決にもならないと言うのに」
しかしバルダットさんはそう告げるともう私には興味がないと言わんばかりに視線を逸らしてしまう。
「殿下、勇者様がその務めを果たされるよう説得をお願い出来ますか?」
「…ええ、私が付いているからあなたはもう行きなさい」
「はっ、それでは失礼いたします」
そして、震える私の肩を支えてくれるエレノア様の温もりも…、
「ユキノ様…」
今の私を慰めるにはあまりにも小さすぎるものであった。
「もうやだ、帰りたいよ…」
バルダットさんが居なくなった後も私は自分でも良く分からなくなった感情に苛まれていた。
どうして勇者なんかに選ばれてしまったのか。
どうしてあんな酷い事を言われなければならないのか。
どうしてこんな世界の為に私が苦しまなくてはならないのか。
どうして、どうして、どうして…最早悲しいのか悔しいのか、それとも腹立たしいのかすら分からなくなってしまう。
本当に各国を巡る旅になんて出なければならないの? 神の威光を示すだなんて胡乱な事が必要なの? そんな事の為にこの世界は私を苦しめるの?
やだ、いやだ、私はそんな事はしたくない! 出来る訳がないよ! 私はまだ16の子供なんだよ、早く私を家に帰して、学校に行かせて、友達に、家族に、皆に会わせてよ…。
「エレノア様、私は…本当に勇者の務めを果たさないといけないのでしょうか…?」
だから、この問い掛けは質問であると同時に救いを求める私の感情が吐露されたものであった。
私に好意的なエレノア様なら助けてくれるかもしれない。王女様だしその権力があればなんとか出来るのでは、私とお友達になってくれそうな彼女なら守ってくれるのではと…。
「…はい、勇者としてに選ばれた以上ユキノ様がその務めから逃れる事は出来ないでしょう」
しかし彼女の答えは私の望んでいるものではなかった。
「ですがご安心を! ユキノ様の事は私が全力でサポート致しますので困った事があれば何でも仰って下さい!」
その言葉は私を救ってくれるものではなかったし、彼女もまた、私の事を『勇者』としてしか見ていないと知らしめるものでしかなかった。
「…」
「ユキノ様…?」
結局この国での私の居場所は『勇者』という役割の中にしかなく、それを放棄している私にはなんの価値もないという事なのだろう。
「もう…良いですよ王女様」
だったら私だってこんな国がどうなろうともう知った事ではない、勇者が居ない事でこの国が滅びるのなら勝手に滅びれば良いのだ。
この世界に勇者が必要であるならいずれは私を送還する時が来るはず。彼らがどれだけ私に悪印象を持とうと送還は拒否出来ず、私はそれまでの間この『勇者』の力を利用して逃げ続ければ良いだけなのだから。
「ユキノ様、それはどういう…」
「もう放っておいて下さい!」
「あっ! ま、待って下さい! ユキノ様!」
エレノア様に背を向けた私はそのまま訓練場から逃げる様に飛び出した。後ろからは私を制止する彼女の声が響いて来たが、もはやその言葉は私の足を止める理由にはなり得ないのであった。




