12番めの死神の子
いつのまにか、私は寝てしまっていたようだった。意識しないうちに目を開けてしまった後で、ほっとする。
あの白い残骸は、きれいに片づけられていた。辺りを見回してみても、何も落ちていない。少しだけ、胸が軽くなる。ゆっくりと、私は落ちつきを取り戻していく。
窓から差しこむ夕日が、ベッドと丸テーブルとタンスしかない部屋をオレンジ色に染めている。窓の向こう側で、日が暮れはじめていた。
急に、私は懐かしさを感じた。裸足のまま窓ぎわに寄って、窓ガラスに指を這わせる。夕日を映しこんでいる色とは、真逆の冷たさに触れる。
——あの日も、今日のような夕焼けだった。
遠い日の帰り道。みんなは黒い影を伸ばして歩いていた。お母さんに手を引かれて、ぽつり、ぽつり、と子どもがいなくなっていく。
私はひとりぽっち。私は、私の帰り道が見つからないふりをして、電柱の細長い影に隠れて空を見上げていた。
空にはオレンジジュースをこぼしたような色の雲が浮かんでいる。それが私の瞳には、ふわふわの綿あめのように映っていた。
不意に、誰かが私の背中を思いきり押す。何が起こったのか、わからないまま。私は前に両手をついて倒れこむ。膝を地面にこすりつけるようにして、着地した。
誰かは私の前に回りこむと、すでに小粒の石が食いこんでいる私の左手を強く踏む。
「痛い」
私がにらみつけた先には、12番めの死神の子が立っていた。
8歳の私は、私をいじめてくるヒトの子を、『死神の子』と心の中で呼んでいた。死神ではなく、死神の子。
いじめる子の多くは、他の子には優しいこともあるのに、私には嫌なことばかりする。だから、いじめてくる子には、何かが取り憑いているのだと私は思っていた。それが、私が死神の子と呼ぶことにした理由。
1番めの神々と同じで、私の瞳にだけ死神の子はヒトではないように映ることがあった。死神の子の顔は大きくて、よく見えた。そして、死神の子の顔に表情はない。いつも、顔に壁を隔たらせているかのようだった。
12番めの死神の子は前足をどけることなく、言う。
「僕は痛くないもん」
2人、しばらく動かなかった。私は何も言えずに、ただ私の手を踏んでいる死神の子の足を見つめていた。茶褐色の短い毛が表面を覆っている。その足はなぜか、指先の鋭い爪が私の手を引き裂かないように、注意を払っていた。
夕闇が濃くなり、街灯の明かりがつく頃。死神の子は無表情のまま、何も言わずにどこかへ行ってしまった。
やっと解放された私の左手は痣になっていた。私は左手をさすりながら、死神の子のことを思い返した。
暗すぎるほど、真っ黒な大きな瞳。無表情な顔。絶対に、爪を立てない足先。でも、重くのしかかる足。すべてが、私の頭から離れてくれない。
ふと、私は今日あったことを2番めの神に聞いてもらおうと思った。
2番めの神とは、学校の先生や習い事の先生のことである。1番めの神々が常々、2番めの神の言葉をよく聞き入れるようにと言っていることと、先生はいつも自分が正しいと主張することが相まって、私は先生を『2番めの神』と心の中で呼ぶことにしていた。
電話をかけると決めたら、手を動かさずにはいられなかった。1週間に1回、スイミングスクールに通いはじめてから、1番めの神々は私にプリペイド式の携帯電話を持たせていた。
上着のポケットから、携帯電話を取り出して、スイミングスクールの先生の番号にコール。何回か呼び出し音が続いた後、電話はつながった。
「もしもし」
「………」
「もしもし」
「………」
返事はない。私は、聞こえていないはずがないと思った。2番めの神は、とても耳が良いことで知られていた。
でも。ぷつり、と音を立てて、電話は切れた。中身のない、ただ自分の声が繰り返されるだけの再放送みたいな電話。
2番めの神は時々、私の話を聞いてくれないことがある。しばらく、私は右の手で携帯電話を握りしめていた。
辺りは静まり返っていて、時間だけがゆるやかに流れていく——。