「 」
でも、私は私の意思を持って歩き続けた。いつかの、マンションにつく。エントランスの前で傘を閉じて、水を軽く払う。
階段とは目を合わせないようにして、エレベーターに乗りこみ最上階のボタンを押した。最上階につくまでの時間が、予想以上に長く感じる。
そこからは2段めを踏まないようにしながら階段を上り、屋上に向かう。屋上へと通じる扉の鍵はかかっていなかった。
雨に濡れる。もう傘は必要ない。
先ほどよりも弱まっていたが、降り続ける雨が空から伸びる数多の白い線として、私の右目に映っていた。
しっとりと服が濡れると、服の色がさらに闇色へと近づく。両足の意思には抗い、ゆっくりと重い足を動かす。そして、屋上の柵を越えると、元・12番めの死神の子の顔が脳裏をかすめた。
彼曰く、私と彼は高校の美術部で出会った。その時、画家の中ではポール・セザンヌが好きな彼は、『サント・ヴィクトワール山』のようなタッチの風景画を好んで描いていた。
私はまず、彼の絵に惚れこんだ。多彩な色づかい。それでいて、私から見ても彼の絵は2番めの神が言うように「水面と水中の間から物を見て」描いている作品のように感じた。
それから、何となく一緒にいることが多くなって、いつのまにか一緒にいることが当たり前になった。彼の存在は私にとって不思議で、付き合っていると思ってはいるものの関係を言葉に示したことがない。
彼が高校を卒業しても、頻繁に連絡を取ったり2人で会ったりしていたけれど、お互いに1度も「好き」と言わなかった。
あまり彼は言葉を信じる人ではないから、言うことに意味はないと思っていたのかもしれない。本当のところはわからない。
ただ、私は私なり好きで——。でも、好きだからこそ彼には言えないことも多かった。
彼の言葉よりも他人の言葉を聞き入れて、彼の行動よりも他人の行動を受け入れて、彼のことよりも他人のことを考えて、実は私が傷ついていること。
そのことが言えないのに、外で作った傷を彼に話して慰めてもらうことはできない。そのことは言ってはいけないとも思う。
他人からすれば私が好んで作っているとも言えてしまう傷は、私が自分で処理するしかない。処理できないのならば私は私の傷を作った人を責めるか、傷を作った人に癒してもらうか。選択肢は2つ以外にない。
やっぱり彼には話しようがなかった。たとえ、他人のことを考えて私が傷を作っていると伝えたとしても、彼が私の側にいてくれるのかはわからない。
私が女の感情のままに、私の胎児を殺させたように。私のせいで彼は、彼の大切なものを失う可能性もあるのだから。
私には、彼だけを優先することができていなかった。つまり、私は究極のお人好しだった。
否。傷つけられる痛みを知っていたから、他人を傷つけることが怖かったのかもしれない。その証拠に、私は私自身が気づかないところでなら平気で他人を傷つけた。
もうとっくに私は気がついていた。大切な人と一緒にいたければ、「他人を傷つけるくらいなら自分が傷ついた方がいい」という考えは間違いで、「自分1人の自分ではないから自分は傷ついてはいけないのだ」という考えを持たなければならないこと。
ずっと、何よりも本当は。その考えを持てないことが1番つらかった。私は大切な人を大切には扱えないし、大切なものを守れない。私は誰かと、付き合っていてもいいような人間ではない。
私の体はすでに冷え切っていた。私の中へと侵蝕した闇の重さに体が傾く。その瞬間、私の世界が歪んだ。
「すばるくん」
私の声は、誰にも届かない。
了




