災厄は静かな朝に
買い物を楽しんだ翌日。新生活にワクワクしていたオレたちを、現実に引き戻したのは街の代官からの布告だった。
まだ外が薄暗い早朝、オレたちは街のざわめきに気付いて目を覚ました。
兵士らしき鎧を着た男たちが、怒鳴り声を上げて市民に集まるように伝える。
その叫びは人間の不安を煽るように、切羽つまった声だった。
鎧を鳴らて走り回る兵士たちは、家のドアを叩いて住民を起こす。
そして、街の広場に集まるように怒鳴り、全ての住民に召集を命じた。
寝間着のまま目を擦り、アリス先生のパジャマの裾を掴んでいる結衣を、アリス先生が着替えを促す。
着替えたオレたちは街の広場に向かい、落ち着かない気持ちで代官の話を聞いた。
不安そうに周りの人間を見て、代官にブツクサ文句を言っている住民。
眠そうな子供を抱く母親。その肩を抱く逞しい父親。
商売の仕込みを中断して、損害が出たら代官に請求してやると意気込む、小狡そうな店主。
大勢の住民を見渡して、息を吸い込み街中に聞こえそうな大声で話し出した。
「親愛なるユアンの民よ!! 緊急事態が発生したので静かに聞いてくれ!!」
代官の普段の行いがいいのか、その必死な声に驚いたのかは判らないが、騒ぎがピタッと止まった。
「昨日の昼頃、冒険者ギルドから凶報がもたらされた! 事の始まりは数日前に、複数の猟師から獲物がまったく獲れなくなったと報告を受けた事だ! 私はすぐに原因の究明を冒険者ギルドに依頼した!」
冒険者は兵士より森になれてるからな。兵士は警備などが仕事で、捜査などは騎士団がすると以前に聞いた。
戦時には騎士が指揮官となり、兵士を率いて戦う。
この小さな街には騎士団は常駐していないし、貴族の直属なので、代官から領主に報告してから動く。
なので、冒険者ギルドに依頼をするのが1番早い。代官は仕事が出来る人みたいだ。
「冒険者ギルドから届いた報告は、ゴブリンロードの群れを発見したという報告だった!」
静かに代官の話を聞いていた民衆の、息を呑む音が広場を支配した。
「その報告を受けた私は事態を重く見て、偵察兵に更なる調査を命じた! その日の夜遅くに帰還した偵察兵の報告を聞いて会議を開き、私は決意した!」
帰って来るのが早いのは、距離が近いのか、浮遊円盤を使ったのか判らないが、代官の顔を見ると、あまり猶予はないんだろう。
「住民はすべて避難させる! この街の戦力では守り切れないと判断したからだ!!」
この街の住民は約1万人だったな。街の戦力は知らないけど、冒険者の数は200人くらいだと聞いている。
兵士数は500人居れば良いほうだろうな。先輩冒険者たちに聞いたゴブリンロードの話からして、ゴブリンの数は1万以上かもしれない。
ゴブリンロードの側には、マザーゴブリンが居ると聞いた。見掛けたら何を置いても、すぐに倒さなければならない魔物だと。
マザーゴブリンは体長30mはあり、1日に最低100匹はゴブリンを産む魔物だ。
時間が経てば経つほど厄介な軍団が形成されてしまい、周囲の生態系を破壊する。
早い段階で見付ければ、高ランク冒険者が退治に行くが、発見が遅れると国軍が動く必要がある。
「ゴブリンの数は10万匹以上だと報告を受けた!! 既に領軍に出動要請をしている! 住民は直ちに避難を開始せよ!」
10万匹だって? 煌力を手に入れてオレは安心していた。だけど、この世界にいる魔物は常識を外れた存在だと、改めて認識した。
呆然と立ち竦む住民に向け、力強い声で叫ぶ渋いオジサンが居た。代官の横に飛び出して叫んでいる。
「住民の避難誘導は我々冒険者ギルドが受けた!!! 誰一人欠くことなく、領都まで送り届けよう!!」
よく見たら、いつもは置物のように、無言でギルド職員たちを見ているオジサンじゃん。
ひょっとして冒険者ギルドの長だったのか? 変わったオジサンだなって、アリス先生と噂してたのに。
「兵士はこの街に残り、防備を整えて時間を稼ぐ! 安心してギルド員の誘導に従って欲しい!!」
兵士は残って戦うのか。10万相手じゃ時間を稼ぐのも厳しいんじゃ?
「勇人! 考え事してる場合じゃないぞ! アタシたちも家に帰って家具を収納するぞ!」
アリス先生が、考え込んでいたオレの手を引っ張る。反対の手で結衣を掴み、人の波に逆らうように家に帰った。
小さな先生の手が、オレには何故か頼もしく感じた。なんだかんだ言われても、先生は大人で、オレは子供なんだと思った。
「準備できたな? このあとはギルド職員に付いて行って避難だ!」
「えっ! 戦わないんですか?」
びっくりしてオレは尋ねた。落ち着いてあとから考えたら、ガキみたいだと自分でも思ったが。
「10万匹なんて勝てないから逃げる! 自分たちの安全が最優先だ! これは保護者として譲れない!」
そうだった。結衣の安全を無視してまで、勝てない戦いをする必要はない。しっかり現実を見ないと。
煌力を使えるようになったといっても、まだ使いこなせていない。
1万なら勝てるかもしれないが、10万はさすがに魔力が持たない。
十分な戦力が有って、休憩を挟めない状況だと絶対に力尽きて死ぬ。
「分かりました。すぐに避難します!」
冒険者に、強制的に命を懸けさせる法はない。冒険者は軍人じゃないと先輩にも教えて貰った。
「逃げる時に追い付かれたら、身を守るために戦いますから、その時は結衣をお願いします」
「判ってる。悔しいけど勇人のほうが強いしな。その時は覚悟を決める」
ゴブリンの群は4~5日は来ないと発表された。まだ軍勢を殖やしているそうだ。
距離もあるし、飢えているらしく人間を見たら襲うだろうから、街に残った兵士が門を守っている限りは、こっちを追ってくる可能性は薄いと発表された。
冒険者ギルドからは、死ぬのは兵士、大人の冒険者の順だ。早く逃げろと言われて、避難民の護衛すら依頼されなかった。
護衛を受けたのは、大人の冒険者たちだった。オレも、早く立派な大人になりたい。子供扱いなんて、誰にもされない男になる。絶対に。
「…………みんな流石に疲れてますね」
そう言ったオレの声も疲れていた。結衣も先生も答える気力がないらしい。
もうそろそろ、街にゴブリンたちが来る頃だろう。援軍とはまだ、すれ違っていない。
ここ数日、何度か魔物に襲われたが、冒険者ギルドの先輩や職員が蹴散らした。
街に残ってゴブリンを引き付けている兵士の人たちは、まだ無事だろうか?
普段の置物みたいな姿からは想像も出来ない、いざという時には頼りになるギルド長も、無事だといいけど。
夜になると、避難民たち死んだように眠る。オレは悔しくて眠れず、煌力の修業をこっそり続けていた。
「ボウズ、ちゃんと眠れ。訓練もいいが、休む時は休むんだ」
そんなオレを気にして、声を掛けてくれるのはランドのオッサンだった。
「おっちゃんも男だからなぁ。よく解るよ。真面目に生きてりゃ、どうにも情けなくて悔しい時ってあるよな。でもな、回り道も悪くないぞ? お蔭でおっちゃんは、いろんな人に会えて大人になれた」
オッサンの静かな声は、いつも豪快なオッサンらしくなく、だからこそ大人も悩むんだと、素直に信じられた。
立派な大人は、ただ外に出さないだけなのだと思った。
「真っ直ぐ急ぐのも悪くはない。けどな寄り道しなけりゃ手に入らないものも有るのさ」
オレの焦りはオッサンの静かな声を聞き、いつの間にか肩に寄りかかって眠る頃には小さくなっていた。
翌朝、スッキリした気持ちで目覚めたオレは、昨日より上手く、煌力を操れるようになっていた。
焦って修業しても身に付かないって、じいさんにも教わったはずなのにな。実感してなかったんだな。
何日も眠れずにいた体は、一晩寝ただけで疲れは取れず、足取りは重かったが、心に重しはなくなっていた。




