第五十九話 ご挨拶
「【炎撃】」
炎の聖霊に呼びかけて、火炎の奔流を放つ。膨大な量の火炎は周囲から迫る死霊族を呑みこむように広がっていった。
セフィロト第四世界『ケセド』。ここは死霊族の支配する地。
腐った肉体を動かすゾンビやら、骨だけのスケルトンやら、そんな見た目があまり良くない死者で溢れている地だ。
景色も悪い。乾いた大地には無数の墓石が突き立てられている。大小様々な形の墓石が、奴ら死霊族の住処なのだろう。うじゃうじゃ湧き出ている。
空気もひんやりしているし、空に至ってはどんよりと雲が覆っていて薄暗いままだ。このケセドでは太陽が顔を出すことはない。
不気味な世界である。
「デートにはあんまりふさわしくないよな」
片手で魔王を抱く俺は、せっかくなのでケセドを壊すことにした。
この地を残す理由が俺にはないのである。死者は大人しく死んどけよ、動くな。
「【聖撃】」
今度は光の奔流を、円状に放つ。ただそれだけで周囲一帯の死霊族が消えていくから面白いものだ。
レベルが違いすぎる。ただ数が多ければ良いってものではない。
質がなければ、俺には通用しない。何せ、あの頭がおかしいくらい戦闘狂の一族を、たった一人で相手にしていたのだ。実は一対一の戦いより、一対多数の戦闘の方が得意ですらある。
「ゆ、勇者よ……貴様、こんなにも力を隠していたのか?」
魔王は俺にしがみつきながら、こんなことを問いかけてきた。
「隠してるつもりはないけど、まぁこれくらいはできるよ」
「……加護も武器も、ないのだぞ? 普通はもっと弱体化しているはずだろうがっ」
「じゃあやっぱり愛の力だな。魔王のためならいくらでも強くなれるってやつだ」
「そ、そんな適当なっ」
魔王は憮然としているが、ともあれ種明かしをすると何とも簡単な話である。
マルクトの加護の効果は『強化』だ。俺の力を何倍にも跳ね上げてくれていたが、実質的にそれが俺の強さだったわけではない。
勇者の剣も同様。精霊の力を借りやすくなるという効果こそあったが、剣がなくなったところで俺の精霊術がなくなるわけじゃない。
確かに力は落ちたかもしれない。でも、弱くなったつもりもない。
俺は勇者だ。勝つと決めたら、最後まで絶対に諦めない。
この不屈の闘志こそが、俺の本質的な『強さ』だと思っている。
それは即ち、思いの力ともいえるだろう。
故の、魔王への愛なのだ。魔王への愛が、俺を強化していると言っても過言ではない。
魔王のために、ケセドは滅ぼす。
そして――先代魔王も、ぶっ殺す。
「おら、出て来いよ……先代。隠れてんじゃねぇよ!」
四方八方に攻撃をまき散らす。大規模な破壊によって死霊族の数も大分減らされていた。
このままでは、死霊族の戦力がなくなるだろう。そうなった時、他種族が大勢で攻め入られたら先代魔王が敗北するのは必須。
だから奴は、俺の前に姿を現さないといけなくなるのだ。
「――よぉ、人間。久しぶりじゃねぇか」
ほら、来た。
後方から、不意に声が響く。恐らくは転移魔法で現れたのだろう。このまま俺に攻撃をしかける算段かもしれないけど……読んでたんだよなぁ。
「じゃあ、死ね」
「いや、死なないけど」
「――っ!?」
軽く攻撃をかわす。死角からの攻撃なら当たるとでも思っていたのか、回避されてそいつは面食らっていた。
バカめ。俺が今までの戦闘でどれくらい死角から攻撃を受けたと思っている? 一人で魔族を相手してたんだぞ? この程度の不意打ちで仕留められるとは思うな。
「ちっ……相変わらずうざってぇ」
視線を向ければ、そこには腐った死体があった。
まず、大きい。巨体は生前と変わらないようだ。魔王の父親のくせして凶悪な顔つきも相変わらず。変わっているのは、腐った肉体を補うつもりか全身が鎧に覆われていることくらいだろう。
うん。全然可愛くない。
魔王の父親なのに、まったく似ていない。こいつこそが、先代魔王である。
「ドラゴ、ユメノ……とりあえず警戒はしといてくれ。攻撃は全部俺が対処する予定だけど、巻き添えをくらう可能性もあるから。あと、魔王もよろしく頼むぞ」
流石に、先代を前に魔王を抱えたまま戦うほどの余裕はなかった。
ドラゴとユメノに魔王を預ける。彼女は何か言いたそうに俺を見ていたが、大丈夫だと笑いかけてやった。
「さっさと殺して、夜は二人運動会でもしよう」
我ながら今の台詞は良かったかもしれない。
なのに何でドラゴもユメノもため息を吐いているのか……もしかしたら、バカ夫婦とでも思われているんだろうな。まぁ、否定はできないか。
何せ、妻のために俺は一つの世界を滅ぼそうとしているのだ。バカと思われるのは仕方ない。
そして、そう思っているのは……目の前の先代もだったようで。
「ぁあん? てめぇ、俺のガキで性処理してんのか!? ガハハハハハ!! こんな肉付きの良くないガキで、性欲が満たされるわけねぇだろ!」
なんかいきなりバカにしてきた。
ふぅ、やれやれ……こいつは何も分かっていない。
「そこがいいんだろうが!!」
肉付きが薄いから、性欲が満たされないなどいう論理が俺にはまずありえなかった。
「性欲なんて満たされまくりに決まってる! お前は浮き出たあばら骨の美しさを知らないのか? 鎖骨の描く芸術的なカーブを見たことないのか? 股関節のくぼみに溜まった扇情的な汗を見たことがないのか!?」
語る。熱く熱く、魔王のエロさを熱弁する。
「肉なんて邪魔でしかないんだよ! 魔王はな……俺の嫁は、世界で一番エロいんだ!!」
ケセドに、俺の叫びが響き渡った。
先代は俺を見て頬を引きつらせている。何だ、文句あるのか。
「ゆ、ゆうしゃぁ……今のは、恥ずかしいぞっ」
魔王が後方から声を震わせていた。可愛い声だ。
「今、てめぇ……嫁って言ったか?」
先代は俺の言葉を聞いて、イライラしたように荒い息を吐き出していた。
ああ、なるほど。俺の性癖に表情を引きつらせていたわけではないのか。
こいつ、俺が魔王と結婚したことが、許せないんだな?
それも無理はない。何せ、魔王と結婚した俺は……こいつの、義理の息子になるのだから。
「お義父さん!」
「俺様をお義父さんと呼ぶんじゃねぇえええええ!!」
自分を殺した相手が身内になっているのだ。これが先代はむかつくのだろう。
こいつには魔王に対する愛情はないだろうが、魔王と結婚することで俺が息子になるのを何よりも嫌悪しているのである。
まぁ、俺もイヤだ。こいつがお義父さんとか気持ち悪くて仕方ないのだが、礼儀はきちんと通すのが筋だな。
「そういえば挨拶がまだだったな。お義父さん、俺はお前の娘さんと結婚したから。娘さんは俺に任せて、安心して死ね。っていうか生き返ってくんな」
「ふ、ざけっ……!!」
あまりの怒りに言葉すら上手く喋れないようだ。
やれやれ、心の狭いお義父さんだ。毒親にしかならないので、さっさと殺さないと。
「殺す……てめぇを殺して、俺様は完全復活を遂げてやる! さっき来た奴らの魔力で、大分力が戻ったからな……てめぇ一人殺すくらい、造作もねぇよ」
どうやら、さっき魔王とか他の連中の魔力を奪うことで、元の力が戻りかけているらしい。
でも、戻りかけているだけでまだ完全体ではないようだ。
さっきの戦い、先代が誤算だったのは魔王たちが早々に逃げたことだろう。魔王だけは執拗に魔力が吸われたのか消耗が激しいが、ドラゴあたりはまだ自分の足で動けているくらいには元気なのだ。俺のあげた指輪のおかげで、先代はまだ完全ではない。
完全体にはもう少し魔力が必要なようだが……残念だったな。
俺が来たから、もうこいつは終わりだ。まぁ、完全体になっていたところで俺がこいつに負けるわけないので、どっちみち終わりなのだが。
「さっさと来いよ。また殺してやるから」
挑発するように、中指を立てる。
短絡的な先代は、これだけで激昂するから単純なものだった。
「死ねぇえええええええええ!!」
すぐに、先代の姿が消える。魔王の系譜が持つ【転移】魔法だ。これを使うことで、俺の意識外から攻撃を仕掛けようとしているのである。今の先代には【略奪】もある。
触れるだけで、奴の攻撃は果たされる。転移との相性が良い力だ。これがあって、魔王やドラゴなんかは不意を突かれたのだと思った。
うん、俺には通用しないけどな?
「【炎撃】!!」
転移直後、頭上に奴の気配を感じた。俺はそちらに手のひらを向けて、炎を放つ。
「なっ――!?」
先代は、まるで攻撃されたことが信じられないと言わんばかりの表情のまま、吹き飛んでいった。
まったく、こいつはバカだな。
「俺が、今まで誰とどれだけ戦っていたと思ってる? そこにいる可愛い魔王もな、戦ってる時お前みたいに転移魔法でチョロチョロ移動するんだよ。転移の出現場所くらい感じ取れなくて、戦えるわけないだろ」
生前、先代の攻撃は巨体を活かした肉弾戦がメインだった。今は死霊族になっているので、生前ほどの頑強さがなく、その戦法はとれなくなっている。代わりに転移を多用することで、相手を圧倒してきたようだが……その戦法は、俺の嫁が好んで使っていた手である。
対策ができていないわけがなかった。
「ど、どうやって!?」
「勘だな。集中してたら、なんとなく分かる」
「それは勇者だけだぞっ。他の者には絶対にできないからなっ」
後方から愛する嫁がなんか言ってきたけど、今は聞こえないふりをすることにした。
勇者時代、極限まで研ぎ澄ませた集中力で、俺は転移魔法さえも看破できるようになった。魔王と戦うためには、これくらいできなければ話にもならなかったのである。
「やはり、勇者だったら大丈夫か」
「そうですね。あの人、全世界で唯一『魔王』という存在の天敵ですからね。相性が悪いんですよ」
ドラゴとユメノも二人で何やら頷いている。
二人は最初から分かっていたのだろう。一応、お目付け役としてついてきたが、俺が出ればそれだけで今回の戦いは終わると理解していたのだ。
前回は魔王が俺を戦いに出さないと決めたからこそ、その意に従っていたようだが……本音では、最初から俺が出て行けば良いと思っていたことだろう。
悪いな、ちょっと夫婦間で話が合ってなかった。
でも、もう大丈夫だから。
「おいおい、まさか……もう終わりとか言うなよ? 転移してドレインするだけが、お前の戦術だったりするのか? その程度とか、笑っちゃうぞ」
「て、てめぇ……っ」
先代は呻くように俺を睨んでいる。まぁ、普通なら転移してドレインするだけで十分だと思うよ。俺以外の生物を相手にすれば、いい戦いできるだろう。
でも、俺にその戦法は通用しない。
「お前さ、実は俺のこと怖がってるだろ? この世界に来た当初も、すぐに出てこなかったもんな。力がある程度戻ってても、一番恨んでるはずの俺を殺しに来なかったし……本当は、俺に怯えてるんだろ?」
「ち、が――!?」
否定しようとしてはいるが、俺の予想は正しいはずだ。
こいつは生前、自身を最強だと驕っていた。だというのに、俺に殺された。
この世界でただ一人負けた『勇者』という存在に、恐怖するのも無理はない。
「お前はもう終わりだよ。大人しく死んでろ……お義父さん? 娘さんの幸福を邪魔すんな」
「て、てめぇええええ!! 思い上がるんじゃねぇぞ!? 俺様にはまだ、略奪の力がある! アイテムのおかげで魔法も効かねぇ! てめぇに触れさえすれば、俺様の勝ちだ!」
うん。それはそうだろう。先代が俺に触れることができたら、勝てると思う。
ただ、精霊術は魔法ではないので無効化されないということをこいつも分かっているはずだが……焦っているのだろう。恐らくは、虚勢を張っているのか。
「ぐがぁああああああああ!!」
巨体を揺らして、先代魔王が突っ込んでくる。
こいつ、自分が死んだ時のことを覚えてないのだろうか。
「いや、体術で俺と戦うとか……無理だろ」
軽く、先代の動きを回避する。所詮は身体能力にかまけた大振りの攻撃である。こんなものに、俺が当たるはずなかった。
魔族と人間は身体能力に大きな差がある。その差をなくすために、俺は技術や体術を磨いてきた。
先代のような、明らかに力押し一辺倒の戦法に屈するわけがない。先代の生前も、体術で俺が圧倒していたのだ。
「くっ、がぁ!!」
足掻いても、無駄だ。俺は先代の動きを次々と回避する。
「【聖撃】」
時折、攻撃もしかけてダメージを与えることも忘れない。転移されようとも難なく迎撃できるので、何も問題はなかった。
他の者――例えばドラゴであれば、この転移で手こずっていただろう。ドラゴは炎を放つことで先代にダメージを与えられるが、ドレインによって無力化されてしまう。
だが、俺には通用しない。
先代の攻撃は、俺にまったく効かないのだ。
「――そろそろ、終わりにするか」
ある程度ダメージを与えた頃に、俺は先代にそう宣言する。
「っぁああああああああああああ!!」
無茶苦茶に叫ぶ先代には、答える余裕もないようだ。
いよいよ、俺という脅威を前に我を忘れているのかもしれない。
哀れだな、先代魔王……大人しく死んどけば良かったものを。
「光の精霊よ、炎の精霊よ……俺に、力を貸してくれ」
精霊に呼びかける。周囲だけでなく、ケセド全体の精霊に俺の声を届ける。
俺はもともと、精霊に愛されやすい体質らしく精霊術には適性があった。
精霊は強い思いに応える存在だ。俺の思いが強ければ強いほど、大きな力を貸してくれる。
今も、そうだ。
「愛する魔王を、幸せにしたいんだ」
俺の感情に、精霊が反応してくれる。
ケセドという世界中に存在している、光と炎の精霊が力を発現する。
放つは、光と炎による一撃。
「【聖炎】」
合図と同時、ケセドが光と炎に包まれた。
「――――」
全てが、浄化されていく。
ケセドに存在する、死霊族が跡形もなく消えていく。
そして、先代魔王もまた……声を上げることもできずに、消えていった。
後には、何も残らない。
墓石も、ひんやりとした空気も、死霊族も、空を覆う雲も、全てが吹き飛ばされていた。
まさしく、ケセドという一つの世界が、俺によって壊れたのである。
「……やるならやると、先に言え!」
光と炎が収まって、ドラゴが俺に詰め寄ってきた。
こいつが、魔王とユメノを俺の攻撃から庇ってくれたのだ。龍の肉体からは煙が上がっている。
俺の全力攻撃に耐えきれるようになったのか。
存外、こいつが魔王になる日もそう遠くないかもしれない。確実に力が上昇しているようだ。
「お前なら大丈夫と思ったんだよ。蜥蜴だから、炎くらい耐えられるかなーって」
「蜥蜴ではない! 龍だと何度も言ってるだろうがっ!!」
怒鳴るドラゴに肩をすくめる。まあ、よくやってくれたよ。
「ありがとうな」
「……ふん。お前のためではない、魔王様のためだ」
素直に礼を口にすれば、ドラゴはそっぽを向いてしまう。可愛くない奴だな。可愛かったらそれはそれで気持ち悪いから、今のままでいいんだけど。
さてさて、俺の可愛い可愛い魔王はどんな顔をしているだろう?
「勇者……?」
呼びかけに、顔を上げる。そこには、ふらふらと俺に近寄ってくる魔王がいた。
少しは回復したようだが、まだ足取りは覚束ない。彼女をすぐに抱き上げて、その身体を支えてあげる。
「終わったよ。俺が、勝った」
ニッコリと笑いかければ、魔王は俺にしがみつくように抱き着いてきた。
「……勇者は、やっぱりカッコイイな」
安堵しように、彼女は微笑んでいる。そんな魔王の存在が、愛しくて仕方がない。
彼女を守れた。
それが、とても嬉しかった。
「帰ろう。俺と魔王の部屋に」
「……うん」
そのまま、魔王を運ぶ。
もう全部終わった。後は、いつも通り二人でイチャイチャするだけである――




