第五十八話 思うあまり
「身内の恥だ」
魔王城、謁見の間にて。
各地に散らばっていた四天王、五帝、六魔侯爵、七大罪を集めた魔王は、表情を歪めて言葉を吐き捨てた。
「死してなお、生に縋りつくとは……情けなくてイライラする。エルフにも迷惑をかけた。後で謝っておけ」
城内は静まり返っている。魔王の怒りを前に、みんなはただ頭を下げていた。
「一応聞いておくか……貴様らの中に、先代魔王を慕っている者はいるか? あちらに味方したいのなら、すぐに出て行ってくれて構わんが」
「魔王様。それはオレたちへの侮辱です。訂正してください」
魔王も平常心を失っているのか。いつもらしくない八つ当たりのような言葉に、反応したのは意外にもドラゴだった。
魔王に従順なドラゴが、頭を下げたままではあるが……しっかりと反論している。
「お気持ちは分かりますが、どうか冷静に」
「……ああ、そうだ。そうだな、ドラゴよ。貴様の言葉は正しい。すまなかった、貴様らの忠誠心を疑うような発言、訂正しよう」
魔王は息を吐き出して、玉座に深くもたれかかる。ドラゴに諫められて少し落ち着いたらしい。
ただ、苛立ちはなおも消えていないようだ。
「先代を殺さなければならない。元は身内なのだからな、他種族の手を借りるのは恥だ……我らで、殺す」
にじみ出る殺意は、まさしく魔王のそれであった。
俺の前では決して見せない、残酷な魔族の一面。部屋の隅にいる俺は、なんだか彼女の顔を見ていられなくなる。
ああいう顔は、あまり好きじゃない。
魔王には笑っていてほしい。でも、この件に関して俺は部外者に近いのだ……余計な口を挟めない状況だ。
だから俺には、傍観することしかできなかったのだ。
話し合いはなおも続く。
「すぐに出るぞ。さっさと殺してしまおう」
「お待ちくだされ。魔王君、焦りは禁物ですぞ……先代は魔法を無効化するアイテム『浄化のアミュレット』を持っているようでしてな。対策が必要かと」
「……そうですよ、魔王様? ただでさえ魔法が通じないんです。メンバーも厳選しなければなりませんし、装備も揃える必要があります」
四天王である、スケさんとユメノが懸念点を上げる。死霊族には光属性と炎属性の魔法意外、攻撃が通じないのだ。対策が必要である。
加えて、蘇った先代に至ってはその魔法さえも無効化するアイテムを保有しているのだ。
感情に任せて動くのは危険だろう。しっかりとした下準備が必要だった。
「……で、あれば、少数精鋭で臨むべきか? 我、ドラゴ、スケさん……タマモとユメノは無理か。六魔ではシロ、デビル、プリストくらいか。五帝ではファイヤマン、ソードマンに……七大罪は、該当する者はいないな」
現状、死霊族に効果的なのは魔王が挙げた八人で全員だろう。
いや、違う……本当は、魔王も気付いているはずだ。この場にいる者たちも、分かっているはずだ。
誰よりも、ふさわしい人物がいる。
先代魔王の天敵ともいえるような存在が、この中にはいる。
それは――俺だ。
「魔王」
「ならん。勇者よ、貴様は絶対に行かせない」
俺も一緒に行こうか、と言う前に魔王が首を横に振った。
「でも……」
それでも、俺以上に相応しい者はいないのだ。何せ、先代魔王を殺したのは、他の誰でもなく俺なのである。
あいつを殺すことのみを考えていた時期がある。
勇者として、先代魔王は最も脅威的な相手だった。人間に害をなす存在だったので、徹底的に抗っていた。
そして俺は、先代魔王を殺したのである。
だが、魔王は絶対に頷こうとしなかった。
「貴様はもう、勇者ではないのだぞ……セフィラの力もないくせに、我らと同じように戦えるわけがない。思い上がるな」
「っ…………」
厳しい言葉だが、否定はできなかった。
俺はもうマルクトの加護を失っている。勇者の剣もない。少し戦闘に心得がある程度の、ありふれた人間になっていた。
「それにな……貴様を連れて行ったとして、真っ先に狙われるのが勇者なのだぞ? 最も恨まれているくせに、自ら危険に飛び込むな」
魔王は俺を守ろうとしていたのだろう。
だから、焦っている。俺に危害が及ぶ前に、先代を殺そうとしているのかもしれない。
あの、残虐にして非道の先代魔王なら、力を取り戻した時に間違いなく俺を狙うだろう。
その前に、魔王は先代を殺そうとしていたのだ。
いつだって、彼女は俺のためを思っている。
「――――」
その思いに、俺は何も言えなくなるのだ。
嬉しい。思いやりが、ぬるま湯のように心地良い。
でも、それでいいのか?
俺は、ただ守られているだけでいいのだろうか……?
そんな迷いはあるが、やはり最後まで何も言うことはできなくて。
そういった抑制心があるせいで、俺は聞き分けの良いお利巧さんを演じることになるのだ。
もっと、わがままを言っても良かったのに。
俺は、魔王の思いを裏切りたくなくて、結局は言われたままに聞き入れてしまう。
「今から出る。勇者よ――待っていてくれ。すぐに終わらせてくるのだ」
魔王はいつも通り、優しい笑顔を向けてくれた。
先程とはまるで違う穏やかな表情だというのに、何故か俺の心はざわついている。
「先代から、魔法無効化アイテムも奪ってくる。その時は、夫婦として営もうではないか」
その言葉の直後に、魔王は転移して行った。
俺を置いて、第四世界『ケセド』に――先代魔王討伐に行ったのだ。
未だ、ざわつきは収まらない。
「魔王……」
どうか、無事で帰ってきますように。
俺には、それだけを祈ることしかできない。
でも、その祈りが届くことはなかった。
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その夜のことだ。
眠れずにぼんやりしていた頃、にわかに魔王城が騒がしくなった。
何かあったのかもしれない。
そう思って謁見の間に顔を出すと、そこにはケセドから帰還した魔王たちがいた。
「クソ! 死にぞこないが! まさかケセドのセフィラになっていたとは!!」
「魔王様。興奮しないでください……魔力が欠乏しているのですよ? 無理に動かないでください」
ユメノに介抱されているのは、大丈夫と言い切ったはずの魔王だ。
彼女は声を荒げているが、その四肢には力が入っていないようだ。地面に横たわり、ただ声を上げるばかり。
どうやら魔力の欠乏状態らしい。今は指一本動かすのも億劫だろう。
その他の遠征メンバーも酷く疲労しているようで、地面にへたりこんでいた。
「魔王……っ! 大丈夫か!?」
「ゆ、勇者かっ……」
すぐに俺は駆け寄って、彼女に触れる。外傷が見当たらずに安堵したのも束の間……疲労して脱力した様子を見て、胸が痛くなった。
「心配は不要だぞっ。ただ、少し魔力を奪われただけだ……すぐに回復する。勇者は何も心配せずとも良い。起こしてしまって悪かった。大丈夫だから――そんな顔、しないでほしいのだ」
疲れているだろうに、俺を安心させるために言葉をまくしたてる。
こんな状態になっても、俺のためを思う彼女の愛情に、胸がより痛んだ。
「大丈夫って、そんなわけないだろ」
あの魔王が、魔力を欠乏するほどの戦いがあった。
それは即ち、一歩間違えれば死に直結するほどの戦闘だった、ということである。
「べ、別に問題ないのだっ。勇者よ、気にしなくても良いから……」
なおも取り繕う魔王。
そんな彼女の言葉を遮ったのは、一緒に遠征していたドラゴだった。
「魔王様は先代魔王に魔力を奪われている状態だ。蘇った先代魔王は、ケセドのセフィラだった……略奪の魔法を使用したのだ」
ドラゴが説明をしてくれた。魔王の意に反して、彼が現状を語った。
「ドラゴ! 貴様は黙っておけ!!」
「いえ、これは伝えなければならないんです……魔王様、ご理解ください」
「許さん! 勇者を巻き込むな……これ以上、勇者を傷つけるわけにはいかないのだっ。我はすぐに回復する。それで今度こそ、先代を――」
喚く魔王の姿が、痛々しくて。
俺は、思わず彼女を抱きしめた。
「魔王……いいんだ。落ち着け。俺のこと、心配してくれてありがとう。だけど、ごめん」
「――っ!?」
魔王の顔を、胸に抱く。胸元に魔王の口を押し付けることで、ば魔王は声を上げることができなくなった。
俺を振り払うことができないくらい、彼女は疲労しているのである。
「ドラゴ、説明を続けてくれ」
「……オレたちは、おびき寄せられたんだ。スケさんを無傷で魔界に返して、情報を流したのも罠だったんだろう。先代がオレたちから魔力を奪って、完全体になるために」
生命樹の寵児として、先代魔王は略奪の力を手に入れた。それを用いて、生前の力を取り戻すために、魔王たちから魔力を奪った。
「強かった。何よりも、魔法が無効化されるのが厄介だった……だというのに、触れたら魔力を奪われる。どうにか物理的攻撃を仕掛けても、死体だから効果は薄い――オレたちは、何もできなかった」
悔しそうに拳を震わせながら、ドラゴは呻く。
「あのままだったら、危なかった……魔王様も倒れ、敗北しそうになった寸前だ。勇者が魔王様にあげた指輪が、光った。それと同時に、オレたちはここに戻っていたのだ」
言われて、俺は魔王の左手薬指を見る。俺が与えた銀の指輪にはヒビが入っていた。
世界樹の世界店で、白金貨千枚払って買った指輪だ。支払う値段に応じて強力な効果が付属されるというこの指輪が発動したらしい。魔王を守ってくれたのだ。
「す、まない……指輪、壊してしまった。せっかく、勇者がくれたのに……」
魔王は、なけなしの力を振り絞って、くぐもった声を発する。
こんな状態なのに、魔王は俺のことばかり考えている。
「…………」
――胸が、痛かった。
彼女の狂おしいほどの愛情に、胸が締め付けられていた。
いつだって、俺を一番に考えてくれて。
俺のためだけを、思ってくれて。
俺の幸せを、何よりも優先してくれて……だというのに俺は、それを享受するばかりだ。
彼女の思いを、裏切らないように。
そうやって遠慮して、嫌われないように臆病なまま、今まで過ごしてきた。
その結果がこれである。
魔王は、俺を思うあまり……傷ついていた。
最愛の人が、傷つけられた。
それが、何よりも許せなかった。
魔王に甘えてさえいれば、幸せになれると俺は思い込んでいたのである。
そんなの、違う。魔王のために、俺が我慢するのは……誰よりも、魔王が望んでいなかったことのはずなのに。
『もっと、わがままを言っていいのだ』
実質、そう言ってくれた魔王の思いを、俺は今まで裏切り続けていたのかもしれない。
こんなの間違っている。
魔王が俺に何もしないことを望んでいたから、何もしない――という俺の選択は、間違っていた。
もっとわがままに振る舞うべきだったのだ。
それが、魔王と俺の幸せである。
お互いが、お互いを思いすぎるあまり、俺たちはすれ違っていたのだ。
ダメだ。
このままは、ダメだ。
魔王は優しすぎて、俺の選択を受け入れてしまう。俺を堕落させてしまう。
だからといって、ダメになるわけにはいかない。
俺が幸せになるためには、魔王も幸せにならないといけない。魔王が幸せになるためには、俺が幸せにならないといけない。
お互いが幸せになるためには、受け入れるばかりじゃダメだ。与えるばかりもダメだ。
お互いに受け入れあい、与えあってこそ、幸せは訪れる。
その関係こそが『夫婦』なのである。
だから、俺は決意する。
もっとわがままに、自分勝手に……魔王を『幸せ』にする覚悟を決める。
それが、俺のやりたいことだ。
俺が、心から望んでいることだ――
「俺が出る」
短くそう言い放って、俺は魔王を抱き上げた。
いつもは抱っこされてばかりだが、たまにはこうしてあげるのも悪くない。
小さな体は、信じられないくらい軽くて……愛しかった
「俺が、先代魔王を殺す」
そう言い放てば、胸元の魔王が首を横に振った。
「ならん! 勇者は、ここでゆっくり……」
「イヤだ!」
「――ふぇ?」
俺が発した否定に、魔王はぽかんと呆けた。
それも無理はない。何せ、今までこんな風に、魔王の意見を否定したことがないのだ。
しかし俺はわがままを口にする。
「俺が行く! 先代をぶっ殺す……可愛い可愛い魔王を傷つけやがって、絶対に許さない。殺す。二度目の引導も、俺が渡してやる!!」
「ゆ、勇者? 落ち着いて話を……」
「イヤだ!」
魔王はお姫様抱っこされた状態で、何やら混乱しているようだった。
「ゆ、勇者が反抗期だ……くっ、ドラゴよ! 勇者を止めよ。魔王としての、命令だ!」
と、ここで魔王は強権を行使する。その命令をドラゴは拒絶できないのだろう。
「……許せ、勇者」
すぐに俺を拘束にかかるが、それよりも早く俺は薬指を見せつけてやった。
この指には、魔王からもらった結婚指輪がある。
黒くて禍々しいこの指輪は――代々、魔王が受け継いできたものだ。
つまり、この指輪をつけている者こそが、魔王ということだ。
「おいおい、ドラゴ……俺を誰だと思ってるんだ? この指輪を見ろ、魔王の象徴だぞ? つまり、二人目の魔王なんだぞ? 勇者魔王ってことになるんだぞ? 何を、捕まえようとしてるんだ?」
白々しくそう言い放つ。ドラゴは苦笑しながら、俺を見ていた。
「二人目の魔王として、命令だ。俺をケセドに行かせろ」
「ならん! そんな、子供みたいな言い訳が通じると思うなよ!? ドラゴ、止めるのだっ……いや、ドラゴじゃなくてもいい。誰でもいいから、止めろ!」
魔王が何やら喚いているが、誰も動く気はないはない。
というか、みんなやれやれと言わんばかりに肩をすくめていた。
「二人目の魔王様に言われては、しょうがないな……申し訳ありません、魔王様。勇者だか魔王だか知りませんが、こいつの命令も破ることはできないようです」
みんなを代表するように、ドラゴが首を横に振る。
「くっ……ゆうしゃぁ」
魔王は涙目で俺を見ていた。
そんな顔が愛しくて、俺はそのほっぺたにキスをする。
もう、覚悟はできてるんだ。俺にも、魔王を守らせてくれ。
「あのさ……俺、本気出したら凄いんだぞ?」
「そ、そんなの、知ってるから止めてるのだっ」
「いやいや、任せてくれって。確かに、マルクトの加護も勇者の剣もないけど――俺は、人間の勇者じゃなくなったけど」
それでも勇ましき者の称号は捨てていない。
「魔王だけの『勇者』になるって、決めたんだ。大丈夫だよ、信頼してくれ」
笑いかけて、いつもやられているように魔王の頭を撫でる。
そうすれば、たちまちに魔王は顔を真っ赤にしてしまのだった。
「にゃ、にゃにをぉ」
やっぱり可愛いな、こいつ。
「愛する人のためなら、例え世界だって滅ぼすよ。俺はそういう存在になったから」
そう言って、俺は顔を上げた。
さて、始動である。
ケセドを……魔王を傷つけた輩の存在する世界を、滅ぼしてやろうではないか。
「行くぞ、ついて来たい奴らはついて来い……俺の力を、見せてやろう」
そうして、俺と魔王、それからドラゴやユメノあたりが俺についてきた。
世界樹の世界店を経由して、ケセドに赴く。
「お、大量じゃん」
お店の周囲には、無数の死霊族がうじゃうじゃしていた。
どうやら俺たちの襲来を予測して、待ち構えていたらしい。
「勇者……今からでも遅くない。戻ろう」
魔王がなんか言ってるけど聞こえないふりをして、俺は意識を研ぎ澄ませる。
「光の聖霊よ……俺に、力を貸してくれ」
空気中に漂う精霊に、呼びかける。
俺が使える精霊術を、全力で行使する。
「愛する人を、守りたいんだ」
その深い思いが、精霊に強く干渉した。
光が、俺に収束する。眩い光が、どんどんと膨れ上げっていく。
そして――
「『聖撃』」
――第四世界『ケセド』が、白に染まった。
光の奔流が、死霊族の群れを襲う。光は一瞬で消えて行った。
後には――何も、残らない。
死霊族の姿が、跡形もなく消えていたのだ。
「……な、な、なっ」
魔王がぽかんと呆けている。俺にここまでの力がないとばかり思っていたようだ。
まったく……愛の力は、時に理屈を吹き飛ばすのである。
そんなことをも分からないとはな。
「俺が、守るよ」
もう一度、魔王に笑いかける。
「…………う、うん」
今度はきちんと、受け入れてくれた。
真っ赤な顔で俯く魔王を抱いたままに、俺は歩き出す。
目指すは――魔王を傷つけた、先代魔王だ。




