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第五十五話 心が「ママ」を叫びたがってるんだ

「勇者! おかえりだぞっ」


 六魔の天幕から魔王のいる場所に戻ると、彼女は待ちわびたと言わんばかりに出迎えてくれた。

 俺のことで気を揉んでいたようで、用意された天幕にも入らずに待ちわびていたらしい。


「ただいま」


 手を上げると、彼女は俺に飛びついてくる。

 お日様とみるくがほんのり混じっているような、温かい香り――魔王の匂いがした。やっぱり彼女の匂いは、落ち着く。


「それで、性欲はどうなった!? きちんと戻ったのか?」


 俺の首元に顔を埋めながら、彼女は上目遣いでそんなことを問いかけてきた


「えっと……残念ながら、戻ったとは言えないかも」


 嘘をついても仕方ないので、率直に事実を伝える。


「でも、六魔は頑張ってくれたよ。あとは、もう少し時間が経てば、たぶん大丈夫だと思う」


 六魔は戦闘に関しては非常に優れた力を持つ将なのだが、その他については然程である。

 なので、魔王も過剰な期待はしていなかったようだ。


「そうか……やっぱり、か。仕方ない、な」


 しかし、落ち込んだように彼女はシュンとしている。

 その態度を見ていると、なんだか申し訳ない気分になった。魔王には笑顔でいてほしいけど……難しいものである。


「夫婦になっても、我と勇者の間にはまだ乗り越えるべき壁があるのだな。これも運命と割り切るしかない」


「……ごめんな」


「勇者が謝る必要などない。そんな顔をするな」


 彼女はいつも通り、優しい声で俺を許してくれる。

 魔王の優しさに甘えることしかできない自分が不甲斐なかった。しっかりしないと。


「それにな、勇者よっ。実はたった今、魔界から朗報が入ったのだ」


 そう言って、魔王はニヤリと笑う。

 何やら、嬉しい情報があるようだ。


「五帝が、第零世界『ダァト』で【欲望の果実】を手に入れたようだぞっ。効果は――食した者の欲望をさらけ出す、というものだ」


「【欲望の果実】……っ! 凄いな、あれを見つけたのか!」


 樹上世界セフィロトの人間界『マルクト』にあるのが、【禁断の果実】と呼ばれているリンゴである。

 一方、地上世界に対となって存在するのが、【欲望の果実】と呼ばれているザクロだ。


 リンゴは食した者に知性をもたらすとされている。故に、既に知性ある樹上世界の住人が食べたところで、効果は何もない。


 一方、ザクロは食した者の欲望を増幅させるといわれている。地上に跋扈する魔物が欲望のままに殺戮を繰り広げるのは、そのためらしい。


 ただし、ザクロは第零世界ダァトの秘境、セフィロトの住人では到達することが難しい場所に生えているというのだから、五帝の頑張り具合が伺えた。


「勇者が食せば、一時的に欲望が増幅されるであろう。あるいは、理性が壊れるかもしれん。だが、その欲望を我はしっかり受け止めたい!」


「え? あ、でも……ヤバいんじゃないか?」


「構わん。勇者はな、優しすぎるのだ……そこが魅力なのだが、たまには乱暴されたい」


 俺が言うのもなんだけど、魔王ってとことんクズに騙されそうだよな。

 とは思いつつも、やっぱり俺のことを受け入れたいと思ってくれる魔王の愛情が、嬉しくないわけではない。


 仕方ない……ちょっと抵抗はあるが、魔王のためならクズになってやる!


「魔界に戻るぞ、勇者よ!」


「分かった! 行こう、魔王!」


 そういうわけで、俺は魔王の転移によって魔界『ケテル』へと戻るのだった。





 魔王城に到着すると、玉座の近くで倒れているドラゴを見つけた。


 現在魔王代行であるこいつは、玉座に座る権利もあるはずなのだが……律儀にも忠誠心を発揮しているようで、座らずに空けて魔王を待っていたらしい。


「ドラゴよ、何を寝ている? 我が帰還したのだ、姿勢を正せ」


 しかし魔王は辛辣だった。いや、こいつは部下に対しては結構厳しい。俺にだけ甘々なだけか。


「――はっ! 申し訳ありません、魔王様! このドラゴ、玉座を無事守り通しましたっ」


 魔王の言葉に、ドラゴは慌てて身を起こす。

 ボロボロだった。相当戦いに明け暮れていたようである……相変わらず、魔界って頭おかしいよな。どいつもこいつも戦闘狂ばっかりで、ドラゴも苦労したらしい。


「御苦労。四天王なのだからな、これくらいやれて当然だ」


「ありがたきお言葉です」


 跪くドラゴに魔王は言葉をかけてから、俺を玉座に座らせた。ドラゴが死力を尽くして守ってたところに俺が座っていいのだろうか……まぁいいか。魔王が俺の膝上に座っているので、実質魔王が座っているといっていいだろう。だからドラゴ、睨むな。


「して、スケさんはまだ帰ってこないのか? そろそろ帰還しても良い頃合いだと思うのだが」


「まだです。連絡も今のところはありません」


「ふむ……そうか。あ奴であれば、心配は不要と思うのだが」


 魔王は難しそうな顔で唸っている。それも無理はない。

 何せ、スケさんは第四世界『ケセド』の行っているのだ。あちらにある魔法無効化アイテムを入手しようとしているらしいが、ケセドからは悪い情報が入っている。


 今まで、エルフの世界『イェソド』と人間の世界『マルクト』に侵入しているのだ。何かあってもおかしくはない。


「こちらに、死霊族アンデッドは来ているか?」


「……はい? いえ、そのような情報はありませんが」


 そして、魔界『ケテル』には来てないとのこと。どの世界にも侵入しているわけではないらしい。

 ふむ、目的がよく分からんな。魔王も判断に迷っているようだ。


「で、あれば、もう少し様子見だな。スケさんが帰ってきたら、即座に我に伝えよ」


 とりあえず、死霊族関連についてはまだ様子見することにした魔王。


「よし。それでは、五帝から献上された果実を寄越せ」


 そして魔王は、本題に入るのだった。


「分かりました! 今、メイドに持ってくるように指示を出しますのでっ」


「うむ。その後はドラゴよ、貴様は暫し休むと良い。この一日は、我がここに居るからな」


「りょ、了解しました! やっと寝られる……」


 ドラゴはすぐに走り去っていく。不眠不休で働いていたようで、休憩を喜んでいた。

 次期魔王候補として頑張っているな。遠くない時期、覚醒するかも。


「魔王様、【欲望の果実】をお持ちしました」


 ドラゴが出て行って、あまり時間が経たずにザクロが運ばれてきた。


「やった! 勇者よ、すぐに食べろ!」


 即座に魔王が俺に手渡してくる。まだメイドがいるんだから……あんまり焦るなって。


「…………よし、食べるぞ」


 メイドが出て行ったことを確認してから、赤い果実にかぶりつく。

 リンゴと違って触感はぶちゅぶちゅしていた。それでも味は悪くないので、思ったより簡単に完食することができた。


「どうだ!?」


「どうって……えっと――っ!?」


 食べた瞬間は何ともなかったのだが……唐突に、意識が乱れた。


 思考がまともにできなくなって、視界が明滅する。理性という壁が崩壊するような感覚だった。


 まずい……体が、熱い。

 自分が、抑えられないっ。


「さぁ、勇者! 我を、本能のままに……襲え!」


 手を広げて俺に体を差し出す魔王。

 それを見て、俺の欲望はとうとう爆発するのであった。




「ママぁあああああああああ!!」




 ――――え? 


 叫んだのは、心。

 欲望を解放したら、いつの間にか俺の心が――ママを叫んでいたのだ。


 マジかよ……

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