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第五十四話 ただ一人有能な六魔侯爵『タナカ』さん

「えっと、後はタナカさんだけか」


 六魔侯爵による『俺の性欲取り戻せ』作戦はことごとく失敗に終わっている。既に五人が終えていたので、残るは黒魔侯爵のタナカさん一人だ。


 あの人は六魔の中でも比較的まともというか、人間以外のことでは常識人なので、前の五人のようなことにはならないだろう。


 まともな手段でくるか、あるいは何もしないかのいずれかだと思う。少なくとも突拍子のないことはしないはず。




 そう思っていた時期が俺にもありました。




「――――え?」


 天幕に入ってすぐ、俺は驚いてしまう。

 何せ、目の前に――人間がいたのだから。


「勇者殿、どうぞご自由に」


 隣のタナカさんは、いつも通り穏やかな顔で俺を促す。


「こちらは王族唯一の生き残り……メレク・マルクトの妹君にあたる者のようです。名はセーラ。存在が秘匿されており、城の隠し部屋に監禁されてたようでしてな。先日、獣魔の密偵が見つけて、こちらに連れてきた次第です」


 淡々と続けられる言葉には、微かな敵意が宿っていた。

 タナカさんは人間を嫌悪している。俺は魔王の配下にあるということで大丈夫そうだが、その他に対してはなおも棘があった。


 人間のこと以外では常識人だが、人間のことになると途端に過激になるタナカさんだ……まさかこんな手で来るとは。


「王族には、勇者殿も恨みや憎しみがあるかと思いましてな。欲望のままに、壊してもよろしいのでは?」


 感情を発散させて。性欲を取り戻せと言っているらしい。なんて残虐な作戦なのか……


「お好きにどうぞ」


 冷たい声だ。ともすれば殺意すら宿るその声に、しかしセーラというメレク姫の妹は反応しなかった。


「……あなたが、勇者様?」


 透き通るような声である。金髪は姉であるメレク姫と同じなのだが、髪の毛はボサボサだった。衣服も汚らしく、体も薄汚れている。


 とても王族には見えない。年の頃も、恐らくは十程度くらいか。


「タナカさん、おかしいぞ。マルクトの王族は、デブとメレク姫の二人しかいなかったはずだ。あの二人以外は、全員暗殺されてたはず」


 デブとは、メレク姫の父である。魔王が殺した、豚のように卑しい王だった。自分を脅かす者に怯えていたデブは、親族を片っ端から暗殺していたらしいのだ。俺が魔族と戦って人間を守っている間に、人間はそんなくだらないことをしていたのである。


 だからこそ、このセーラという存在が不思議だった。


「……恐らくは、メレクに万が一が合った時の予備でしょうな。おぞましい人間であれば、これくらい平気でやるでしょう」


 ああ、そうだ。あの王族であれば、こうやって人間一人監禁するくらい、平気でやる。

 それが分かっているからこそ、俺はこれ以上の否定をできなかった。


 この子はきっと、王族なのだろう……ただ一人の、王の血を引く者なのだ。


「彼女は魔王軍に降伏しております。魔王様にはまだ存在を知らせておりません。まず、勇者殿に判断を仰ぐのが適切かと思ったのです」


「そう、か……」


 タナカさんの言葉に、俺は唇を噛む。

 あの、メレク姫の血縁が……俺を殺そうとした王族の妹が、そこにいるのだ。


 複雑な感情が、胸中で渦巻いている。


「勇者殿の気の向くままにしてください。私は外に出ておりますので」


 タナカさんはそう言って、天幕から出て行った。


 後には、俺とセーラの二人が取り残される。

 タナカさんが出て行ってすぐに、セーラがゆっくりと口を開いた。


「勇者様……セーラは、あなたに会いたかったです」


 そう言って、彼女は――俺に、深々と頭を下げる。

 それは、土下座だった。


「ごめんなさい」


 小さな言葉が、思いと共に紡がれる。


「父と、姉のしでしかしたことを……謝らせてください。王族の一人として、贖罪をさせてください。人間という種をお守りくださった勇者様に、感謝をさせてください」


 その様子に、俺は言葉を失った。


「っ……」


 あの王族の生き残りなのである。自分のことしか考えない、デブとメレク姫と違い……セーラは、俺に頭を下げていたのだ。


 予想外の事態に、俺は何も言えなくなってしまう。

 その間、セーラはずっと頭を下げたままだった。


「勇者様の気が済むのであれば、セーラの身を自由にしてください。壊そうと、殺そうと、構いません。それで、勇者様の許しをいただけるのであれば、何でもします」


 言葉に、嘘はなかった。

 滴る涙が、その証拠である。


「ぬぅ」


 そんなセーラを見て、俺は抑えていた感情が爆発した。

 拳を握って、力任せに叫ぶ。





「タナカぁあああああああ! めんどくさいこと押し付けんなよ、バカかあんたは!」





 雄叫びは、こんなめんどくさい状況を作った、タナカさんに向けて。


「――へ? あ、あの、勇者様?」


 突然の叫びに、セーラも戸惑いを見せていた。しかし俺は止まらない。

 涙を流す彼女に歩み寄り、そのほっぺたを手のひらでつまんだ。


「おい、セーラとか言ったな? お前、何してんだよ……俺に謝ろうと、意味なんかないんだよ。俺はな、お前の姉も、父も、許すつもりなんてない」


 どう言われたって、人間を危うくしたあいつらを、俺は絶対に許さない。

 そうだ。俺は怒っていた。めんどくさい奴を押し付けたタナカさんにも、そして……こんな風に自棄になっている、セーラに対しても。


「重ねて聞くぞ。お前は何をしてるんだ? 俺に悪いと思ってるなら、王族として人間を導けよ。その責務を果たせ。お前の身一つで、俺は満足なんかしない」


 すすけたほっぺたを、引っ張って伸ばす。想像以上に伸びていた……柔らかいな。もっと綺麗にすれば、きっと愛らしい女の子になるだろう。


 こんな可憐な子を壊すとか、手をかける、だなんて……俺に出来るわけがない。


 それに、俺はもう魔王のおかげで幸せになっている。今更、過去の因縁に囚われるような愚かなことはしないのだ。


「降伏なんてしてる暇あったら、人間を立て直せ。それだけが、お前にできる俺への贖罪だ」


 言い捨てて、俺はセーラのほっぺたを離す。


「……ゆうしゃ、さま?」 


 セーラはぽかんと俺を見つめ続けるのみだった。


「それで、いいのですか?」


「いいよ。俺がタナカさんに話は通しておくから、きちんと仕事しろ。今の人間界を導けるのは、たぶんお前だけだ」


「……本当に、ですか?」


「しつこいな。お前なんかに構ってるほど、俺は暇じゃないんだよ。やせ細った体に興味もない。もっと食べろ。よく寝ろ。生活を充実させろ。ほどほどに頑張れよ、あんまり頑張りすぎるのも毒だからな。しっかり、生きていけ」


 俺から言えることは、これ以上ない。


 もう、人間とは縁を切った身である。今、人間が指導者を失って、混乱の最中にあるのは予想できるが、だからって関わる気にはならない。


 だからこそ、セーラには生きてもらわなければならないのだ。彼女が人間を導くことが、人間にとって最良のことだろう。豚とメレク姫と違って彼女は理性的なようだし、王としての資質がありそうだ。


「――ありがとう、ございます」


 俺が背を向けると、たどたどしい言葉でセーラが礼を言った。

 微かな衣擦れ音から、彼女が再び頭を下げたことを感じる。


「……また、会えますか?」


 そして、その縋りつくような言葉が、俺の後ろ髪を引っ張った。

 助けてやりたい。そう思わせるような資質は、やはり王族だからなのか。


「会わない」


 しかし、今の俺は魔王が全てなのだ。

 もう、人間の勇者ではない。王族と関わる気なんて、ない。


「でも、また人間界が元気になった時は……遊びに行くかもしれない」


 それでも、王族としてではなく、セーラ本人とであれば会ってもいいような気がした。

 俺が果たせなかった、人間の救済を――彼女が成し遂げられた時であれば。


「――感謝、します……勇者様っ」


 震える声を背中に、俺は今度こそ天幕から出て行った。

 いつの間にか強張っていた体を解しながら、穏やかに微笑んでいるタナカさんに歩み寄る。


「厄介なこと押し付けるなよ……」


「いやはや、あの子が勇者殿にお会いしたいと言っていたものでしてな。謝りたいから、降伏したらしいです」


「……セーラは、人間界に帰してやってくれ。あの子は、立派な王になれるよ」


「そうでしょうな。私から見ても、そう思います」


 相変わらず人の良さそうな顔である。過激な内面とは大違いだ。


「そういえば、勇者の資格を剥奪されたそうで」


「……もう知ってんのか」


「魔界で広まってますよ。まったく、勇者殿は本当にお優しいですな」


「優しい? なんで」


「人間界に新たな勇者を誕生させるために、勇者の資格を捨てるなんて――本当に、勇ましい方だ」


「…………別に、そんなつもりなかったけど」


 言われて、俺は苦笑する。

 本当に、そんなつもりはなかった。俺は勇者の資格を捨てるつもりなんてなかった。


 でも、勇者であることに拘っているわけでもなかったのだ。無意識的に、勇者の資格を必要としていなかったというのは、事実。


 あまり強く否定もできなかった。


「これで、清算は済みましたかな? 人間界の心配はもう不要ですので……存分に、魔王様と子作りに励んでください」


 そう言うタナカさんに、俺は肩をすくめる。


「心配なんて、してねーよ。余計なお世話だ」


「左様ですか。で、あれば、頑張ってください」


「言われなくても」


 そっぽを向いて、歩き出す。

 悔しいが、少しすっきりしている自分がいた。人間界のことが気がかりじゃなかった、と言えば嘘になる。


 これは、タナカさんなりのエールのようなものだろう。

 何も心配なく、魔王とイチャイチャしていいということなのかもしれない。


 その気持ちを受け取って、俺はこの場を後にするのだった。


 六魔による『俺の性欲取り戻せ』作戦は、これにて終わる。


 結果は、あまり効果があったとは言い難いが……それでも、まぁ悪くなかった。

 よし、過去の憂いもなくなったことだし。


 魔王とエッチすることを、頑張るか!

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