第三話 幼女魔王(かわいい)
「これは『ドワーフの火酒』だ。酒豪のドワーフ族が造る酒の中でも最高級の品質でな、この前奪ってきたのを大切に保管していたのだ」
魔王城にて、俺は魔王の寝室に来ていた。彼女のベッドの上で、俺たちは向かい合っている。
「ドワーフ……確か第五世界の『ケブラ』だっけ? あそこには行ったことないなぁ」
「何? あそこはなかなかに面白い場所だというのに……今度連れて行ってやろう」
セフィロトにある十の世界の一つ、第五世界ケブラにはドワーフ族が住んでいる。
俺は基本的に魔界『ケテル』と人間界『マルクト』しか行き来しなかったので、他の世界については知識しか持っていない。
「いいな、それ。是非よろしく頼む」
「……貴様と旅するのは楽しそうだ。こちらこそ、よろしく頼もう」
盃に酒を注ぐ彼女は、嬉しそうに笑っている。
人間界ではこうやって喜ばれることはほとんどなかったので、なんだかむずがゆかった。
「よし、飲め」
酒が入った盃を、こちらに差し出してくる魔王。口元に近づけてくれるあたり、彼女が飲ませてくれる心づもりらしい。
こうやってお世話されるのも悪くなさそうだった。
人間界では自分のことは自分でやるしかなかったし、そもそも誰かに酒を注がれたこともない……素直に甘えたくなるが、今はダメか。
「待ってくれ。最初の一口なんだ、同時に飲もう」
魔王を制止して、もう一つの盃に酒を注ぐ。俺からも彼女の口元に盃を近づけてやった。
「くくっ、変なところを拘るのだな。それも魅力的だぞ……悪くない。では、乾杯」
そして、同じタイミングでお互いの口に酒を流し込む。
口内に染み込んでいくドワーフの酒は度数が高いのか、喉奥が焼けるように熱くなった。
だが、美味い。ドッシリとしたふくよかな香りは何か鉱物を連想させるような、舌に残る旨味からはドワーフの力強さを感じる味だ。
それでも、度数が強いのでたくさんは飲めなさそうだ。チビチビ舐める程度が丁度よい気がする。
「やはり良いな……ほれ、もう一杯」
しかし、魔王は見た目幼女の割に酒にも強いようだ。俺とは違ってケロッとしており、次の一杯を注いでくれる。
窓から差し込む月光を反射する黄金色の液体に、俺は思わず目を細めてしまった。
「勇者時代はさ、酒は祝い事の席以外飲まないようにしてたんだ。アルコールも一種の毒だし、勇者として相応しくないかなって思ってた」
「ストイックだな。うむ、立派な心構えである。しかしもう遠慮する必要はない……思うがままに、飲むといい」
魔王はそう言って、自分の盃を俺に傾けてきた。
彼女の優しい心遣いに、俺は過去を振り返ることを止める。
そうだ、これからの俺は幸せになると決めたのである。遠慮はするまいと、魔王の盃に口をつけて酒を一気に飲み干した。
途端、全身がカッと熱くなる。頭もふらふらしてきた……どうやら少し、酔ってきているらしい。
あまり酒に慣れていないせもあってか、アルコールには強くないのだ。
「魔王……今の恰好、可愛いな」
酔いのせいか、舌も軽い。思ったことをそのまま口に出してしまった。
「……そ、そうか? うむ、それならそうと早く言えば良いものをっ。気付かれてないと思っていたのだぞ?」
俺の言葉に、魔王は照れたように頬を赤くした。そんな彼女は、やっぱり可愛いと思う。
褐色の肌に、小柄な体躯。真っ黒な髪の毛は長く伸ばされており、その瞳は金色である。
体つきは幼いが、それでも侮ることはできないような、同じ生物とは思えない覇気を彼女は纏っていた。
そんな魔王は、確か第八世界『ホド』という世界の【サムライ】が着ている、【着物】なるものを着ているようだ。
男性の着物はもっと地味そうな記憶があるのだが、女性用のは割と派手らしい。
足元の丈は太もものかなり上だし、胸元は大きく露出していた。
そのせいで彼女の局部が見えそうになっている。
視線の置き所に迷う衣服だ。似合いはするが、ちょっとエロい。
とはいうものの、普段の魔王の方がもっと露出の多い服を着ているのだが。
戦闘時は黒マントに、なんとひものような下着をまとうのである。
あれの方がエロいので、今の恰好は清楚に見えなくもないくらいだ。
「でも、またどうしていきなりこんな格好を?」
「貴様と初めて盃を交わすのだ。普段の寝巻では失礼かと思ってな」
ああ、普段のひも下着は寝巻だったらしい。ってか、勇者との戦いに寝巻で挑むなよ……あれはあれで良かったけどさ。
「似合ってるよ。可愛い」
「くくっ……恥ずかしいではないか、そう何度も褒めるのはやめろ」
そこで、彼女は懐からキセルを取り出す。魔法で火をつけてから、煙を吹き出した。
「甘い匂い……でも、タバコだろそれ? 身体に悪くないのか?」
「【月花の煙草】だ。毒はない、というかこれは精神を落ち着けるためのアイテムでな……緊張した時に、吸うことにしている」
「緊張? なんで?」
「それは、貴様と対面しているからな。好意を寄せる者を前にして、ドキドキしない女子などいない」
「なんだそれ、可愛いな」
「……そんなこと言うなと言っておるだろう」
更に煙を吸い込む魔王。だが、口元が緩んでいるせいで上手く吸い込めてなかった。微笑ましいものである。
彼女を肴に、酒をさらに一口。
ああ、美味い……そして楽しい。こんなに嬉しい酒が今までなかった。気分も自然、良くなってしまう。
それは、彼女も一緒だったのか。魔王は目を細めて俺を眺めながら、ポツリと呟いた。
「貴様は誠に、良き男だ……」
「いきなりだな。まあ、そうでもないよ……現に、同族を裏切ってるわけだし。勇者としては、最悪だろ」
「痴れ者め。我の認めた勇者を愚弄するでない……貴様は、誰よりも勇者だよ」
俺の否定に、しかし魔王は更なる否定を返す。
「世界の半分を、私欲のために売ったとか言ったか? 阿呆が、我にそのような嘘が通用すると思っているのか?」
瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。上げかけていた盃を止めて、俺は顔を上げる。
魔王は、俺の心を見抜いていると言わんばかりに、優しい表情を浮かべていた。
「貴様の行為は、見方によっては世界の半分をまんまと手に入れ、それを売り払った裏切り者だが……見方によっては、世界の半分を我から守った英雄とも言えよう」
「え、英雄なんて、そんなこと……」
「人間界は、腐りきっておる。あのまま戦いが続き、そして貴様という最後の砦が何らかの理由でなくなった時、あっという間に人間は滅んでいただろうな。もう、勇者一人ではどうしようもなくなっているくらいに、あの世界は終わっていた」
魔族の『王』として、彼女は人間の腐敗に気付いていたらしい。
「率直に告げよう。我は人間の世界などいつでも落とすことが出来た。貴様一人を抑えつければ、どうにでもできる戦力は揃っていたのだ。そのことに、勇者も気づいていたのだろう?」
「……まあ、あれだけ戦力差があれば、気付かないわけがない」
俺以外、まともに戦えるのはパーティーメンバーの魔法使い、僧侶、武闘家、戦士のみ。
しかもその面々すら、魔族の幹部にようやく互角なレベル。
四天王や五帝、六魔侯爵など称号持ちともなれば手に負えなくなる。
その他の人間はゴミだ。戦いにすらならない。
「故に、貴様は勇者として人間界を救うために、自らの世界を裏切った。自分を頼りにして、支えられている現状をおかしいと思わず、搾取することのみを考える愚かな人間を、このままにしたくないと願ったがために」
それと、同時に。
「我から、世界を半分守るために……己の身を差し出したのだろう? まったく、なんて良き男なのだ。我が気に入るのも無理はない」
半分でいいから、世界を守ろうとした。
そんな思惑すら、魔王にはお見通しだったらしい。
「……そんなに大それた事じゃない。自分の行為に酔った愚か者の、自己満足な願いだ。俺の行為は人間にとって、裏切りであり迷惑なものでしかないだろうよ。だから、褒められるようなことじゃない」
全ては、俺の独善的な判断による行為でしかない。
それを良い行いだったと誇ることは微塵もできなかった。
だというのに、魔王は笑ってくれる。
「貴様がそう思っていようとも、我は貴様を評価するのだ。そして、同時に喜んでもいる……勇者程の人物を、世界の半分と引き換えに手元に置くことができた。なんと安い買い物だったか」
こんな俺を、認めてくれるのだ。
そんな彼女は、やっぱり素晴らしい王だと思う。
「あ、一応言っとくけどさ、勘違いすんなよ? 俺は自分の身を売った、だなんて思ってない。お前の隣に居たいっていうのは、本心だ。お前は俺に好意を持ってくれているらしいけど、俺だってお前に好意を持ってるってことも、理解しておいてくれ」
だからこそ、俺は彼女の【世界を半分やるから手を組め】という提案を受け入れたのである。
そこだけは勘違いしてほしくなかった。
「…………う、うむっ。理解、しておきゅ」
俺の正直な気持ちに、魔王はすぐ挙動不審となっている。
先程までの王らしい毅然とした態度はどこに行ったのか……これでは、普通の女の子だ。
本当に、可愛いと思う。こんな彼女とのこれからに、俺が期待を抱くのも仕方ないことだろう。