第三十六話 勇者は魔王に一目嫌いしていた
勇者の始まりを語るにあたって、まずは彼の幼少期について説明しなければならないだろう。
彼が幼い頃、人間界マルクトの情勢は酷く不安定だった。
というのも、魔族による度重なる襲撃によってじわじわと苦しめられていたのである。
しかし魔族は、戦力差は明らかだというのに、一気に攻めたてることはしなかった。
当時の魔王は人間を弄んでいたのだ。
そんな状況の中に生まれた勇者は、幼い頃からすでに訓練兵として徴収されていた。
この頃の子供たちは全員、戦力として鍛えるために訓練学校に通わされていたのである。
才能はほどほどで、当時の彼は飛びぬけて何かが秀でていたわけではない。
むしろ、彼の兄貴分である、後の魔法使いの方が幼少期はもてはやされていた。
「俺はな、将来魔法使いとして勇者の背中を守るんだ! いつか絶対に、勇者パーティーに入ってやる」
幼き頃の勇者は兄貴分である魔法使いの背中を追いかけて育った。
正直なところ、彼は別に戦いが好きだったわけではない。でも、兄貴分のようにカッコ良くなりたくて、つられるように訓練に励んでいた。
幼馴染の僧侶と一緒に、少しでも兄貴分に認めてもらおうと努力していたのである。
だが、そんな少年たちが呑気にしていられるほど戦況は芳しくなかった。
勇者、魔法使い、僧侶は少し成長したと思ったら、すぐに戦場へ駆り出されることになった。
相手はほとんどが弱小の魔族。だが、実力の伴わない三人は度々命の危険にさらされるようになる。
だが、三人は力を合わせて乗り越えてきた。お互いに成長して、どんな苦難を前にしても逃げずに立ち向かっていた。
やがて三人のパーティーは有名になり始め、それからしばらくした頃には王女様のお目にかかるようになった。
「あなた達が、次代の希望です――共に、頑張りましょう!」
このあたりで、パーティーのメンバーが増えた。
後輩にあたる、後の戦士と武闘家が入り、パーティーはますます活気づいた。
パーティーの仲も深まったのもこの頃である。
後の勇者が、ずっと大切にしていたのも……その頃の、甘い記憶だった。
みんなが、一つの目標に向かって邁進する。
歩みはほどほど。少し速い程度に、されども人間界でも屈指の実力者となり始める。
そしてここから、勇者の勇者としての覚醒も始まっていた。
大切な仲間を守るために……彼はその一心で、どんどんと強くなっていったのだ。
後輩である戦士と武闘家を鍛え、後衛である魔法使いと僧侶を守るのも当たり前のようになり、やがてパーティーにおける勇者の立ち位置は一番となる。
そのことが、幼少期は天才と呼ばれていた魔法使いにとって、面白くなかったようだ。
幸せなパーティーは、勇者の覚醒と共に亀裂が入ったのである。
時間が経つにつれて亀裂は広がり、やがては勇者だけが飛び抜けたちぐはぐなパーティーになっていく。
魔法使いはふてくされるようになった。僧侶は魔法使いと勇者の板挟みになっておどおどするばかり。後輩の二人は勇者という化物を前に努力を放棄し、パーティーの雰囲気は険悪となる。
そのせいで王女様もパーティーに寄り付かなくなり、そして彼女は日々溜まるストレスの発散を別のもの――つまり、男に求めるようになった。
このあたりは当時の王である、豚のように卑しい王女様の父のせいもあるだろう。
だが、王女様が落ちぶれていったのは事実である。
勇者が守りたかった大切なものは、いつの間にか壊れつつあった。
原因をあげるとするならば、個々人の心の弱さに他ならないだろう。
勇者という眩い光を前に、彼らは目を背けてしまったのだ。
だというのに勇者は、それを自分のせいにしていたのである。
(俺が、壊してしまった)
この時初めて、自身が勇者であることを後悔してしまった。
自責し、自省し、自粛して……それでも仲間達が元に戻ると信じて、勇者は更なる努力に努める。
彼らがやらない分、勇者が全てをやった。
彼らの背負わない責任は、勇者が背負い込んだ。
そうした中で、一番の転換点となったのは――やはり、先代魔王との決戦であろう。
当時の勇者が死に絶え、あらかたの戦力を失った人間は自暴自棄となっていた。
しかし新たに勇者となった彼だけは諦めずに、魔王に立ち向かった。
誰もが負けると思っていた。敵うわけがないと諦めていた。
だが、彼は――仲間達が帰ってくる場所を、守りたかった。
ただそれだけの理由で、勇者は先代魔王を倒したのである。
(これで、みんなと……またっ)
勝利を収めた勇者は、背後に居た仲間たちがもしかしたら勝利を祝福してくれるかもしれないと、期待を込めて振り向いた。
だが、後ろには……誰も居なかった。
みんな、とっくに勇者を見捨てて逃げていたのである。
(……そう、だよな)
自嘲めいた笑みを浮かべる彼は、先代魔王の亡骸を踏みつけてそのまま立ち去ろうとする。
その時に、彼は彼女と出会ったのだ。
「勇者――我が、次なる魔王だ。よろしく頼むぞ」
(……なに、笑ってるんだよ)
一目見て、勇者はこの幼女を嫌いになった。
戦闘の場を見て笑う彼女に苛立った。
彼にとって戦いとは、即ち殺し合いである。
笑えるような代物ではない。だというのに笑う幼女魔王を、彼は嫌悪した。
見た目は可愛かった。でも、それだけだ。
このまま襲い掛かって来るなら殺してやる、と、勇者は殺気だつ。
だが、拍子抜けにも彼女はすぐに帰っていった。
(変な奴だな……なんか顔も赤くなってたし、もしかして風邪でもひいてたのか?)
ともあれ、魔王は撃退した。
人間を無事守り抜いた。
これでみんなまた、前を向いてくれるはず――そう思ったのに。
(……やっぱり、か)
何も、変わらなかった。
勇者はパーティーの中でも浮くようになり、豚のような王から報酬を渋られ、挙句の果てには民衆からもあまり目を向けられなくなる始末。
こんな現実が嫌だった。
せめて自分が頑張っていれば、世界は変わってくれる、と……そう信じたかった。
故に勇者は、いつかみんな気付いてくれるはずと信じて、たった一人の戦いに明け暮れた。
孤独に、魔王軍と戦い続けた。
その過程で、勇者がいるから訓練学校は不要とみなされ、潰された。腕のある者はほとんどいなくなった。
仲間達も日々を怠惰に暮らすようになった。
勇者に金魚の糞のごとくつきまわり、報酬だけもらって贅沢三昧する仲間達を見て……勇者は荒んでいくことになる。
そんな中で唯一の癒しとなったのが、事もあろうに戦場であった。
幼女な魔王との戦いのみが、勇者にとっての救いとなっていたのだ。
魔王は戦いの時、いつも話しかけてくれた。
何気ない会話がこんなにも楽しいものなのか、と……当時の勇者は思っていたほどである。
『勇者よ、また強くなったようだな!』
『少し背が伸びたのではないか? 成長期なのは良いことだ!』
『なぁ、勇者はどのような女の子がタイプなのだ? いや、別に他意はないぞっ?』
『昨日のご飯が凄く美味しくてな! 思わずおかわりしてしまったっ』
『今日は良い天気だ。たまにはのんびり日光浴も悪くない』
『……勇者よ。ちょっと戯れにお茶でもしないか? あ、今の無し。すまぬ、忘れてくれ』
――と、次第に会話の内容が適当なものになっているが、それだけ勇者は魔王とお喋りするようになったのである。
最初、勇者は魔王のことが嫌いだった。
でも、何度も顔を合わせて、会話を交わす中で……いつの間にか嫌いという感情はなくなり、代わりに好意のようなものが芽生えるようになる。
「お前は、先代魔王とは違うな……いい奴だと思う。多分、お前が魔王じゃなかったら、仲良くなれたかも」
思わず口に出た思いだった。
彼女がもし、勇者の仲間だったなら……彼はきっと、結婚を申し込むほどに好きなっていただろう。
そう思わせるくらいに、魔王のことが好きになっていたのだ。
しかし、彼はマルクトの守護者である。
例え彼の身体が壊れようとも、一生守り続けると誓っていた。
仲間達が、もしかしたら元に戻る可能性もあるから……みんなのために、勇者は頑張り続けていたのである。
頑張って、頑張って、頑張って。
そして、いよいよ壊れそうになった時……魔王が、こんなことを言ったのだ。
『勇者よ。貴様の行いは、本当に人間のためになっているのか?』
良かれと思って、彼は守り続けていた。
しかし、彼の行いは過保護でしかなかった。
真実、勇者の行いは誰も救っていない。
ただ、みんなを甘やかしていただけで、何も意味などなかった。
例えば、仮に勇者が死ねば人間界はすぐに終焉を迎えるだろう。
その事実に気付いた勇者は、大いに揺れた。
(俺は、間違っていた……?)
自分の行為は誤っていた。
そう思うと、不意に彼は虚無感を覚えてしまう。
今までの頑張りは何だったのかと、全てを投げ捨てそうになる。
そんな時に、彼が脳裏に浮かべたのは――魔王の姿であった。
王女様に、いい加減魔王を殺せと命令された翌日。
最終決戦という名目で訪れた魔王城で、勇者は心に迷いを抱いたままに魔王と対面する。
そこで言われたのが、こんなことだった。
『世界の半分をくれてやるから、我と共に来てくれないか?』
勇者自身を……肩書ではない。彼の持つ力でもない。
勇者という人間そのものを、魔王は欲しいと言ってくれたのだ。
ここで勇者は、魔王に心を奪われる。
(こいつの隣なら、俺は……っ)
幸せになれると、確信した。
人間よりも、仲間よりも。
勇者は、魔王と一緒に居たいと思ったのである。
こうして彼は、人間界を裏切ることにしたのだ。
かくして、二人の運命は交錯した。
勇者と魔王という相容れない立ち位置に在りながら、二人はお互いを求めて一つになったのである。
この運命に、勇者は感謝していた。
魔王と出会うために、勇者は勇者となった。
そう思えるだけで、彼は勇者になれたことを後悔しなくなったのだから――




