第三十二話 勇者
どうして今なんだ。
よりにもよって、魔王がいない時に……こんなことが起こるんだ。
魔王城にて。
魔王の部屋で落ち着かないひと時を過ごしていた時の事。
「勇者様。至急、地下牢までお越しください」
城に仕えるメイドが俺を呼んでいた。
何事かと聞けば、とにかく来てほしいと彼女は口にする。
「正直なところ、私共ではどう扱ってよいか分かりませんので」
彼女は困っているようだった。
牢というからには、誰かを捕らえたということなのだろうが……果たして、俺を呼ぶ意味とは。
よく分からなかったのだが、とにかくついていくことに。
「……ミナも、行くっ」
心細いのだろう、ミナも一緒に地下牢に足を運んだ。
そうして見えた人物の顔に、俺はうなだれることになったのだ。
「――っ、勇者!」
声が、聞こえた。
聞き慣れた、声であった。
かつてずっと聞きたいと思っていた、声だった。
「……僧侶、か」
牢に閉じ込められていたのは、幼い頃からの顔見知り。
僧侶、だったのである。
「なんで、お前がここにいるんだ……」
「勇者に、会いに来たの!」
俺に会いに来たと、僧侶は言う。
つまり、彼女は魔王城に侵入して捕まったというわけだろう。
よりにもよって今、魔王がいない時に現れるなんて。
なるほど。メイドが困っていた理由もようやく理解できた。
人間は敵だが、こいつはかつて勇者である俺の仲間だったのである。
魔王の溺愛する俺に関わる人物を、無碍に扱ってよいか判断できなかったのだろう。
あるいは、それを判断できるほど地位のある存在がこの城にいないということでもあるか。
聞けば、六魔侯爵に加えて、五帝も戦いに招集されているようだし。
人手不足の中、俺に判断を仰ごうとするメイドの態度は責められたものではなかった。
しかし……正直なところ、関わりたくないというのが本音だったりする。
だって、俺は――勇者なのだから。
「勇者…………助けて、ください」
人間を守ってきた、守護者なのだから。
「人間界に、エルフが襲ってきてるの! 私達じゃ、どうにもできないっ……あなたしか、いないの。どうか、お願いします。私達を――人間を、助けて」
頭を下げる僧侶に、俺は息を止めてしまう。
目を見開き、拳を握り……鼓動が、荒くなる。
「エルフ……そういう、ことか」
言われて、即座に状況を理解できる自分がこの時ばかりは嫌になった。
人間界は今、風前の灯だ。
何せ戦力がない。人間界に駐在していた六魔侯爵も現在は魔界に呼び戻されている。
エルフが人間界に攻めている。そう言われてみれば、不確かな点もつじつまが合った。
何かおかしいとは思っていたのだ。
だって、ミナを誘拐したのは人間なのである。
だというのにどうして、エルフは魔界を襲ってきたのだ?
恐らく、魔界側に攻めてきた戦力は陽動なのだろう。
魔界に戦力を集中させているうちに、本命が人間界を叩いてミナを助け出す――これが、エルフの作戦なのだ。
エルフは、想像以上に狡猾である。
奴らの目的がミナにあるのは間違いないだろう。
ただ、人間界の半分は魔族が支配しているわけで、簡単に奪うことはできないと予想したのだ。
エルフは人間界にいた魔族を魔界に押し込んで、脆弱な人間だけとなったところを叩こうとしている。
「人間界には、エルフのセフィラがいる! 私達じゃ、どうにもならない」
今度こそ、人間は終わる。
半分を魔族に支配され、さらに半分を――エルフに奪われるかもしれない。
何せミナを誘拐したのだ。
これは確実にエルフの反感を買っている。ミナを取り返すだけでは絶対に終わらない。何かしらの報復はきっとある。
絶望的な状況だった。
それを俺は、理解できてしまった。
「勇者っ。助けてください……都合のいい話なのは、分かってます。あなたにしてきたことは、反省してます。いくらでも謝ります。勇者に言われてから、私達は心を入れ替えました。毎日、鍛錬に励んで――いつか、人間を守れるくらい強くなろうと思っていた。でも、まだ時間が足りないの」
矢継ぎ早に言葉が繰り出される。
俺に思考する余地を与えないと、言わんばかりに。
「いつか、きっと! 勇者が満足するようなパーティーになる! だから、今はどうか……私たちが弱い今だけは、助けてください。お願い、しますっ」
僧侶は頭を下げて、懇願した。
涙ながらに、庇護を求めていた。
それが俺は、むかついた。
「なんで――こんな時だけ」
頼るのは、いつだって自分たちに都合が良い時だけ。
俺を道具みたいに扱うばかりで、大切になんてしない。
クソだ。こんな奴ら、仲間なんて思いたくない。
助けるなんて、有り得ない。許せない。ふざけるなと、叫びたい。
でも――
「クソっ! 俺は、どうして……っ」
助けたい。
そう思ってしまうのは、勇者としての責任感からなのか。
見捨てられないのは、俺が未だに人間を守るべき対象だと思っているからなのか。
いずれにしろ、そう考えてしまうのは俺の弱さだった。
――魔王……俺は、どうしたらいいんだ?
きっと彼女なら、行くなと言ってくれるだろう。
もしかしたら僧侶を即座に殺すくらい、怒ってくれたかもしれない。
それくらい人間側は、俺に失礼なことを言っている。
そんなの、自分でも分かってる。
なのになんで、俺は――
「…………っ」
行かなければならないと、体が勝手に動くのだ。
これが俺の、甘さである。
何をされても、どんなにひどい扱いを受けても、俺は勇者としてこいつらを助けてしまう。
最悪だった。
こんなクズ共を見捨てられない俺が、情けなかった。
待っていろ、という魔王の意思にも反することになる。
俺の幸せを願う彼女の思いを、裏切ることになる。
だけど。
「――最後だ。これで、最後だから」
これ以降、俺はもう人間を助けない。
人間から思いを振り切るためにも。
魔王との仲を、より深いものにするためにも。
ここで、人間側との確執を終わりにする。
助けて、以降はもう無視する。
だから、今回だけ――と、自分に言い訳する俺はやっぱり情けなかった……
「ありがとう! 勇者っ……牢を開けて! 転移魔法のアイテム、持ってるから」
僧侶は懐から魔法の水晶を取り出す。
セフィロトの世界店にある、転移魔法の込められたとても高価なアイテムだ。
これを使えばすぐにでも人間界に戻ることができる。
「……【マルクトの加護・発動】」
俺は加護を発動させて、牢を強引にこじ開けた。
中に入って、僧侶に歩み寄る。
メイドは何も言わなかった。彼女はただ見ているだけである。
しかし、もう一人……一緒についてきた少女は、俺を止めた。
「ダメっ! 勇者……行ったら、ダメなの」
俺の手を、小さな手が掴む。
後ろにはきっと、ミナがいる。
俺を止めようとする、彼女がいるはずだ。
でも、振り返ることはできなかった。
「……ごめん。すぐ。戻るから」
「魔王様も、ダメって言ったのにっ? 勇者、イヤな顔してるの……そんなの、ミナはダメだと思う」
言葉が、痛い。
俺のためを思うミナの心まで裏切る自分を、殺したくなる。
でも、行かずにはいられないのだから、もうどうしようもなかった。
俺はやっぱり、心の底から勇者なのかもしれない。
自分のためではなく、他人のために生きている俺は――本当に勇ましく、そして愚かであった。
「ごめん」
ただそれだけを言って、俺はミナの手を振りほどく。
「勇者っ」
悲痛な声も、聞こえない振りをして。
「【転移】」
俺は、僧侶と一緒に……大嫌いな人間界へと、戻るのであった――
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幸い、人間界はまだ侵略されていなかった。
僧侶と一緒に転移して、到着した先は人間界の城内である。
城の大広間にて、戦いは繰り広げられていたようだ。
眼前には疲弊した元仲間たちがいる。
魔法使い、戦士、武闘家……それと、メレク姫もこの場にいた。
彼ら彼女らは、大広間の隅に投げ捨てられたようにうずくまっていた。
「やっと来たようね。待ちくたびれてしまったのだけれど」
顔を上げると、玉座に座っていた一人の少女を視認する。
可憐な少女だった。少し幼いが、銀髪銀眼というどこか神々しさを感じる姿に目が奪われる。
豪奢な金色のローブを身にまとい、腰元には武器が装備されていた。
そして、何より印象的なのは……人間と比較してかなり長い、耳である。
「始めまして、勇者さん。私は第九世界『イェソド』に住まうエルフの長にして、貴方と同じセフィラの一人。アトレ・アストラル……よろしくね」
彼女は、人間界に攻めてきたエルフ――しかも生命樹の寵児だった。
アトレ・アストラル……か。
「俺は勇者。名前は捨てた……一応、人間の守護者だ」
自己紹介を返す。なんとなく、アトレがそれを望んでいるような気がしたのだ。
「知ってるわ。有名だもの……エルフの世界で、貴方の英雄譚はとっても人気よ。会えて光栄だわ」
そう言って微笑む彼女に、俺は警戒の色を強める。
戦場で笑える奴は厄介だ。経験上、こういう奴は強い。
「こちらこそ、光栄だな。ちなみにどういう意味で有名なんだ? 笑い者としてか?」
「馬鹿言わないでくれるかしら。勇者さんはエルフの女性が抱かれたい男性ナンバーワンなのだけれど? ストイックで、責任感が強く、献身的で……理想の男性像だもの」
「過分な評価をありがとう。有名という割には、ミナは俺の事知らなかったようだが」
「あの子は他のエルフと折り合いが悪かったものね……話題になってはいたけれど、誰とも話さないから聞いてなかったと思うわ。でもそれはしょうがないんじゃないかしら。ずっと一人で外を探検したりして、本なんてものも読まないし。本当にエルフらしくない子よね」
俺が身構えようとも、アトレはまったく気にしてない。
この状況で雑談を興じる度胸は、本物と見て間違いないだろう。
「ふーん? ちなみにミナは、魔界にいるぞ」
と、ここで軽く揺さぶってみることにした。
ここにはいないと伝えれば、あるいはやる気をなくしてくれるかもしれないと思ったのである。
「知ってるわ。魔力の反応がないし、当然よね」
しかし彼女は察していたようだ。
冷静だな。もう少し、大きく揺さぶってみよう。
「あと、こうも言ってたぞ? 『エルフの世界は窮屈だから、戻りたくない』って。だから、取返しに来たところで意味なんてないんじゃないか?」
そもそもの目的を否定しようと試みる。
これで何かしらの妥協があれば、良かったのだが。
「そうね。あの子ならそう言うでしょうね……でも、それは仕方のないことで、人間界を攻めない理由にはならないわ」
やはり、アトレは意思を曲げなかった。
「人間ごときが、高貴なる私達エルフを侮辱したのよ? 当然、報復させてもらうに決まってるじゃない……少なくとも、人間種を半分くらい減らさないと、気が済まないわ」
彼女は笑う。
冷酷な、ともすれば氷のような冷たい笑みに背筋がぞくりとした。
「そう言う割には、悠長だな。俺を待っててくれるなんて」
「あら、謙虚ね。貴方ほどの人物ともなれば、いくらでも待つに決まってるじゃない。ずっと、戦ってみたかったもの……嫌いなもののために、自分を犠牲にし続けた、勇ましき人間さん? 私も、貴方のファンなのよ」
アトレは腰元の武器に手を伸ばす。
鞘から取り出されたのは、銀に輝く刀身だった。
第八世界『ホド』のサムライがよく使用する、刀という武器。
魔法が得意なはずのエルフが、武器を手にするなんて……やはりセフィラは別格のようである。
「魔族は他の仲間たちが足止めしてくれるし、後の邪魔は勇者さんだけ。貴方を殺して、人間を半分くらい減らして、報復は終了とするわ」
「残念だったな。俺に返り討ちにあうってことも、考慮しとけよ」
「そうなることを実は期待してるわ。私、生まれてから一度も負けたことなくて……そこら辺に転がってるお仲間さんと同じ末路を辿らないよう、頑張りなさい?」
ああ、やっぱりアトレが他の面子を無力化したようだ。
歯が立たなかったのだろう……弱いのは、すぐには解決できないか。
仕方ない。
これで最後だ。
人間界を、助ける。
勇者として――アトレから、人間を守ってみせる!
そう決意して、俺も戦いに挑むのであった――
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「【マルクトの加護・発動】」
純白のオーラが勇者を包む。
次いで、彼はアトレと同様に武器を構えた。
虚空から出現するは、勇者の剣。
人間界マルクトを守護してきた、伝説級の武器である。
「素敵……私も胸をお借りするつもりで、望むわ。【イェソドの加護・発動】」
対するアトレも金色のオーラをまとって、勇者と相対する。
「それでは、存分に……楽しみましょう?」
この言葉が戦いの合図となった。
まず仕掛けたのはアトレ。
加護のおかげで身体能力が上がってる彼女は、一瞬で勇者に肉薄――刀を一閃した。
首元への斬撃。速く、鋭い攻撃である。
しかし、それだけだった。
「…………舐めてんのか?」
ただの一振りが、本気を出した人間のセフィラに通用するわけがない。
「【聖撃】」
初撃から、油断せず。
白のオーラを全開に、アトレへと放出。
エルフのセフィラは、光の奔流に呑まれてしまった。
城が揺れる。壁の一部が崩壊して、外が剥きだしになった。
「――やっぱり、強いわね」
しかしアトレは健在である。
至近距離からの一撃に耐えたようだ。そのあたりはやはり、セフィラといったところだろう。
「遅い」
まあ、ここで手を緩める男が、戦闘狂の一族を相手にできるわけがなく。
流れるような連撃を、彼は繰り出した。
「【炎撃】」
勇者の剣とは、精霊の力を借りることができるアイテムだ。
セフィロトにはあらゆる属性の精霊が偏在する。その力を借りることで、彼は属性攻撃を可能としていた。
炎の聖霊を使役して、放たれた炎撃は……城の壁と天井をごっそり焼き尽くし、更にアトレの身をも焼いた。
「っ…………」
彼女でも炎を防ぐことはできなかったようだ。
燃え上がり、だが炎はローブのみを燃やしつくして……すぐに鎮火してしまう。
薄い下着のみとなったアトレだが、戦いの場で外見を気にするほど乙女でもなかったようだ。
堂々と立っている。
「特殊な製法で作られた、魔法アイテムだったのだけれど……仕方ないわね。どうにか一撃、耐えてくれたということで」
どうやら、魔法アイテムがダメージを軽減させたようだ。
アトレは炎が直撃してもぴんぴんしている。
後退して、勇者の間合いに入らないよう警戒しながら……彼女は感心するような声を上げた。
「様子見もさせてくれないのね……容赦のないところも魅力かしら。そういう徹底的なところも、エルフの間で評判が良いわ」
「……そうか。で、お前はいつ本気を出す?」
「本気だったわよ。まあ、剣術で――という意味なのだけれど」
怪訝な顔をする勇者に、アトレはなおも笑うのみ。
危機感など一切なく、むしろ余裕を感じるほどであった。
「仕方ないわね。私、剣が好きなのだけれど……まあ、実は好きなだけで得意ではないわ」
刀を適当に振りながら、彼女は言葉をつづける。
銀色の双眸は、怪しい輝きを放っていた。
「じゃあ、本気を出すわね……私、やっぱりエルフだから。魔法、得意なのよ。嫌いだけど」
「――っ」
何かを感じて、勇者は加護のオーラを全力で放つ。
その瞬間であった。
「【フロガ・エクリクシス】」
魔法の呪文が、紡がれた。
刹那、アトレを中心に……炎の大爆発が発生したのだ。
城が、半壊する。
全壊しなかったのは、勇者が直前にオーラを放ったおかげだ。
爆発の威力をどうにか軽減させたのである。
間一髪の判断が功を奏し、この場でうずくまっている元仲間達も死なずに済んだ。
だが、アトレの攻撃を防ぎきれたかといえば、そうでもなく。
「…………くそっ」
アトレに最も近い位置に居た勇者は、特に大きなダメージを負っていた。
爆風と熱にやられたのだ。
「あら、凄いわね。一撃で倒せないなんて、初めてよ」
魔法は嫌いらしいが、得意という言葉に偽りはないようだ。
生命樹の寵児の名は伊達じゃない。
「お仲間さんは剣術で倒せたけど、勇者さんは無理だったわね……まだまだ修練が必要かしら」
呑気に刀を振るアトレに、勇者は唇を噛みしめる。
その目は、鬼気として鋭かった。
彼も、かつて人間界を守っていた時のように……本気で、それこそ決死の覚悟に切り替えたらしい。
剣呑とした空気が、勇者から放たれた。
「【強化】」
そして彼もまた、自らを一段階上に引き上げる。
瞬間、勇者の輝きが増した。
マルクトの加護をより強く、身体に負担がかかるほどの量を纏う。
時間経過ごとに体力を消耗するが、その分力が増す術だ。
「っ!」
床を砕く勢いで踏み込んだ勇者は、アトレが反応できない速度で背後に回る。
(もらった!)
そのまま首筋に一閃。
無防備な彼女へと剣を振り下ろした。
しかし……剣は首を切り落とす直前で何かに阻まれるかのように、静止してしまったのだ。
「なっ……!?」
驚愕する勇者に、くるりと振り向いたアトレが答える。
「【アミナ・マギア】……防御魔法よ。一定以下の物理攻撃を遮断、一定以上の物理攻撃を軽減させるの」
エルフは呪文魔法に秀でた種族である。
呪文という言葉を媒介に自由度を高めたエルフの魔法は、強度という面でも優れているようだ。
「【スパスィ・アネモス】」
次撃もまた防御魔法と同様に、何の前兆もない。
言葉一つで彼女の攻撃は放たれる。
出現するは、風の刃。
幾数もの無色透明な剣が勇者へと降り注ぐ。
「魔法って、やっぱり強いな……」
回避できる隙間もなかった。
勇者は腕をクロスさせて防御の態勢をとる。
風の刃はそんな勇者に容赦なく突き刺さり、鮮血を撒き散らした。
「褒めてくれてありがとう。憧れの人に認めてもらえると、やっぱり嬉しいわね」
「……いくらでも褒めてやるから、手を引いてくれると嬉しいんだが」
「あら、魅力的な提案ね。貴方を殺してから、考えてあげる」
今度は刀が振り下ろされる。
多少腕はあるようだが、剣術に限っていえば勇者の方が数段上だ。
容易に受け止めることに成功。そのまま反撃に移ろうとして、だがアトレがそれを阻む。
「【ケラヴノス】」
アトレにとっての刀は、刃物というよりは杖だ。
魔法を放つ際に媒介となる、アイテムである。
当然、杖を介しての魔法発動も可能だ。
「――ぐ、ぁ」
刀を通して展開された魔法は、雷撃魔法。
雷は勇者の剣を通過して、彼の肉体に牙を剥く。
尋常じゃない痛みに、彼の意識は一瞬明滅した。
「終わり、ね」
絶体絶命の隙を見て、アトレはほくそ笑む。
「【テオス・マギア】」
それでも油断なく、彼女の持つ最大攻撃魔法を向けるあたり、容赦はなかった。
アトレが勇者にぶつけたのは神が使用したとされる魔法。
ただ純粋に魔力を圧縮して、ぶつけるだけの効果しかないが……威力は絶大である。
金色の奔流が、勇者を呑みこんだ。
「が、っ…………!?」
叫び声は堪えるも、ダメージは免れない。
とうとう城も崩れてしまい、勇者は瓦礫と一緒に外へと落下していった。
轟音と共に、勇者は倒れる。
「ふふ。楽しい時間を、ありがとう」
瓦礫の上に立ち、勇者が倒れている姿を見て……アトレは満足そうな所作で一礼した。
勝ったと、彼女は確信したようだ。
「――まだ、だ」
だが、この程度で倒れる男が……セフィロトきっての戦闘一族と言われる魔族を相手に、互角の戦いを繰り広げることなどできなかっただろう。
アトレは、そのあたりを未だ理解できていなかったようだ。
勇者の本領とは、強いことではないことを。
勇ましき者、という称号は――彼の精神性が由来であることを。
むしろ、勇者の真価は絶体絶命の状況に追い込まれてからこそ発揮されることを。
彼女はこれから、思い知らされることになる。
「あら……まだ、立てるのね」
勇者は見るからにボロボロだった。
しかし彼は、瓦礫を押しのけて立ち上がり……そのまま、剣を振り上げて走る。
「【ケラヴノス】」
アトレは再びの雷撃魔法で勇者の足を止めようとした。
「っ、ぁああああああ!!」
だが、勇者は止まらなかった。
雷が直撃しようとも、彼は直進し続ける。
「――――っ」
鬼気迫る彼の雄叫びに、アトレは初めて怯んでしまった。
覚悟を、感じたのである。
命を投げ捨ててなお、守るという……勇者の狂気じみた覚悟が、彼女を一歩後退させた。
「【聖撃】!!」
「【アミナ・マギア】!!」
至近距離からの一撃に、防御の魔法を展開。
先ほどまでは容易に防げていたのだが……逆境に追い込まれた勇者の力は、先ほどとは一線を画した。
パリン、という音と一緒に防御魔法が砕ける。
「嘘、でしょう!?」
驚愕も無理はない。
追い込まれたというのに、強くなっている勇者は異常なのだから。
「負けられないんだよ」
繰り出される一撃が、次第に重くなっていく。
「俺が死んだら、誰もいないんだよ」
彼が疲労していくごとに、ダメージを負うごとに、勇者としての力は増していく。
「俺が、守らないと――誰が、守るんだよ」
勇者にしか持ちえない特性である。これにはかつて戦った魔王も驚いていた。
これを魔王は、覚醒と名付けている。
いわく、絶体絶命のピンチであればあるほど、勇者は強くなる。
何度倒しても、彼は不死鳥のごとく立ち上がってくる。
「俺は、勇者なんだ!! 負けることは、許されない」
そのたびに力を増して、剣を振るう。
「……やっぱり、貴方はおとぎ話の住人よね」
もう、アトレに余裕はない。
笑みも既に消えていた。
「ありえない。同じセフィラの私でも、貴方は異常に思える……だからこそ、憧れちゃうのかしら」
剣と刀が、重なる。
アトレの息は荒い。呪文の発動を感知するや否や猛攻をしかけ、詠唱の暇を与えない勇者に彼女はお手上げのようだった。
彼女は思う。
いったい、これほどの力を得るために……どれだけの犠牲を必要としたのか。
勇者は、どれほどまでに自分を殺してきたのか。
それを思って、アトレは思わず同情してしまったようだ。
「自己犠牲は美談だけれど、体現するのは難しいものよ……それを当たり前のようにやってのける勇者さんは、とても素敵ね」
「……褒められたものじゃないけどな」
「当然よ。はたから見てたらとても気持ち悪いもの……嫌いなもののために命を捨てるなんて、有り得ないわ。少なくとも私には無理」
だが、無理であるからこそ憧れるのだとアトレは呟く。
「貴方の覚悟に、失礼ならないよう――私も奥の手を出させてもらおうかしら」
そして、彼女は刀を崩壊させた。
刀身に込めていた魔法を、解放するために。
「【フロガ・エクリクシス】」
最初の方で放った爆発魔法を、再び。
今度は杖を中心に生じた爆発なので、アトレも巻き添えになるというのに。
彼女は覚悟のうえで、魔法を放ったのだ。
爆発が、襲い掛かる。
「【風撃】!」
少しでも威力を軽減させるべく、勇者もまた一撃をぶつけた。
全力の攻撃は、爆発を多少弱体化させる。
それでも、勇者とアトレは回避しようもなく、直撃してしいまうことになった。
「…………私の負け、ね」
爆発によって吹き飛びながら、アトレは微笑む。
爆風を前になおも踏ん張っている勇者に、勝てないことを悟ったのだ。
「帰るわよ。ミナは、諦めましょう」
ぽつりと呟けば、瞬時に隠れていたほかの複数のエルフが姿を現す。
宙を舞うアトレを抱きかかえて、複数のエルフは走るのであった。
そのうちの一人が、こんなことを問いかける。
「……複数でかかれば、勝てたのでは?」
当然の帰結だ。アトレと互角なら、連携も得意とするエルフが協力すれば勝てたかもしれない――と。
だが、アトレは首を横に振るのだった。
「無理よ。むしろ、勇者はより強くなっていたでしょうね。恐らく、あれ以上追い込めば彼の理性はなくなる。私も、もちろん貴方も、殺されるまで戦いは終わらなかったのではないかしら?」
追い込まれれば追い込まれるほど、勇者は手が付けられなくなる。
だから魔族も、彼に勝つことが出来なかったのだ。
「やっぱり、勇者さんは『勇者』だった……今度、エルフの世界に招こうかしら。きっと、みんな喜ぶわよ」
エルフは清貧で質素な生活を至上とする。
いわば、娯楽や快楽を悪とする慣習を持つ一族なのだ。
その点でいえば、ただ人間を守るためだけに自分をも犠牲にしていた勇者は、至上である。
一切の快楽もなく、娯楽さえも切り捨て、自分という存在そのものを殺していたストイックさに、憧れないエルフはほとんど居なかった。
プライドは高いが、勇者単体は認めているようだ。
だからこそ、彼女は身を引いたのである。
「……まあ、生きていたらの、話だけれど」
すぐに見えなくなった勇者を思って、アトレは息をつく。
彼女は、気付いていたのだ。
あの場に渦巻く、汚らしい感情を。
他ではなく、己のみを求める……下劣な存在を、アトレは知覚していたのである。
「まったく理解できないわね」
脳裏には、勇者ではない人間たちの姿が浮かんでいた。
戦いの最中、勇者が命を懸けていたというのに……そんな彼に憎悪を向ける、人間どもの目を。
「あんなクズのために、自分を犠牲にするなんて……やっぱり、私にはできそうにないわ」
アトレはそう呟いて、目を閉じる。
魔界側の仲間達に引き上げるよう指示してから、彼女は少し眠ることにしたのだった。
どうせ、すぐ人間界に戻ることになる。
その時には、できれば勇者が存命であることを願いながら――
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間一髪だった。
「はぁ、はぁ……」
アトレが去ってから、俺は倒れ込むように地面に膝をついてしまう。
息が荒い。ダメージの量も無視できない。油断すると、意識を失いそうだ。
やっぱり、腕が鈍っていた……そのせいで不要なダメージをかなり受けてしまったようだ。
でも、最後なのだ。
どうにか守ることが出来て、良かった。
そのことに、俺は安堵していたのである。
「勇者! ありがとうっ」
ふと聞こえてきた声に顔を上げると、そこには走り寄ってくる僧侶の姿があった。
「今、回復してあげるからっ」
なんと。前は頑なに俺を回復しなかった彼女が、俺を労わってくれるなんて。
この気遣いがせめてもう少し前にできていれば、あるいは――なんて考えてしまうのは、まだ未練があるからなのか。
こんな気持ちを抱いていては魔王に失礼だな。
今日限り、もう僧侶に会うこともない。
最後にこうやって区切りをつけることが出来て良かった。
もうこれから、こいつらは他人である。
色々あったが、最後くらい笑ってやろう。
そう思って、俺は僧侶に手を上げた。回復してくれるであろう彼女に、礼を言おうと思ったのだ。
「ちょっと、待ってね」
僧侶は俺のそばにしゃがみこんで、背中に手を当てる。
そのまま、回復に入って……俺を癒すのだろう。
そんなことを考えていた俺は、やっぱり甘かったのだ。
「すぐ、殺してあげるから」
刹那、熱を感じた。
胸元から、焼けるような痛みを感じた。
「――――ぇ?」
勇者の剣が、地面に落ちる。
呆然としてその箇所に触れてみると、ベトリとした感触を知覚する。
視線をそこにやれば……赤黒い血が、こべりついていた。
「やっと、ようやく、死んでくれるんだね」
胸元からは、剣の刃先が飛び出ている。
ここに至って、俺はようやく……背中から刺されたのだと、認識したのだった。
「がはっ……」
吐血。血の味に気持ち悪さを感じる。
しかし、それ以上に……かつて仲間だった奴らの方が、気持ち悪いと思ってしまった。
ほら、やっぱりだ。
こんな奴ら、助けるべきじゃなかったんだ。
悔しい。
自らの愚かさが、情けない。
でも、やっぱり……
「俺は、俺が嫌いだ」
「っ!? この傷で、喋れるなんて、そんなっ」
驚く彼女に振り向いて、ゆっくりと立ち上がり…言葉を、紡ぐ。
これは、やりきれない感情の発露。
「何で俺は……お前らのためなら死んでもいいと、思ってしまうんだ? 嫌いだ。大嫌いだ。クソだと思う。お前らなんて、最悪だ。でも、そんなお前らのために、俺は死ねる。死ねてしまう」
それが、俺はたまらなく嫌だったのだ。
だから逃げた。
このままだと俺はダメだと思った。
人間のためにも、何より俺自身にためにもならないと、魔界に逃げたのに。
魔王の隣で、少しでも自分を大切にしようと、頑張ってたのに。
全部、無駄だった。
俺はやっぱり、勇者である運命から逃れることできなかった。
「ふざけんな。俺は、お前らのためになんか死にたくない」
血が、流れていく。
でも、俺は動くのをやめなかった。
「お前らは、もうダメだ」
僧侶の『心を入れ替えた』という台詞は嘘だった。
俺はなんて馬鹿だったのだろう。
こんな奴らをまだ信じていたなんて……最悪すぎて、言葉もなかった。
「せめて、俺の手で引導を渡してやる」
拳を引く。
狼狽える僧侶に向けて……俺は、拳を放つのであった。
「……え?」
殴られるとは思ってなかったのか?
お前はまだ、俺に好かれているとでも思っているのか?
そんな傲慢な僧侶を、殴り飛ばして……俺は、次なる相手に目を向ける。
眼前。そこには、先ほどまで倒れていたはずの元仲間達がいた。
回復アイテムでも持っていたのだろう。
「俺を倒すためにじゃなくて……自分の種族を守るために、力を使うこともできないんだな」
背中に刺さる剣を自分で抜く。
血が大量にあふれるが、今はもうどうでも良かった。
こいつらを、殺す。存在自体が、人間のためにならない奴らなのだ。
こんな奴らを好きにさせていた、ということ自体罪だったのかもしれない。
なら、引導は俺の手で……それが俺に出来る、数少ない罪滅ぼしだろう。
「は? 何言ってんの? まだ、仲間気取りとか?」
失血してよろめいたところで、おもむろに戦いは始まった。
まず動いたのは武闘家だった。小柄な体で、彼女は即座に攻撃を繰り出す。
前と同じ、ただ真っすぐな攻撃だ。
タイミングを合わせて、カウンターを入れようとして……でも、前とは違ったようだ。
「あたし達も、あんたを殺すために頑張ったし」
アトレとの戦いで反応が鈍っていたこともあって、俺は武闘家のフェイントに合わせることが出来なかった。
真っすぐだと思ったが、それは誘導だったようである。
「【崩拳】」
拳が、腹部にめり込む。
血が噴出して、視界が揺れた。
一撃、加えられる程度には強くなったらしい。
俺を倒すために、強くなるとか……馬鹿みたいだ。
俺が、今まで何を言っても強くならなかったくせに。
本当に、今までの俺は――馬鹿だった。
「黙れ」
お返しに一撃。腹部を打ってやる。
ここで反撃に合うと思ってないあたりまだ甘い。
「……っ」
武闘家はそのまま昏倒して、倒れた。
さあ、次だ。前には戦士と魔法使い、それからメレク姫が残っている。
「先輩、いい加減死んでくれません?」
「うるせぇよ」
前に出てきた戦士に、蹴りを放つ。
てっきりよけるかと思ったのだが、なんと戦士は受け止めてきた。
「――っ!!」
吹き飛ばずに、踏ん張る戦士。
俺の足を引き掴み、身動きを封じてくる。
疲労と失血のせいで、振りほどくことが出来ない。
「よくやったぞ、戦士!」
ここで魔法使いが動いてきた。
なんと、戦士ごと……俺に魔法を放ってきたのである。
『風の精霊よ、炎の精霊よ、水の精霊よ、土の精霊よ……力を貸してくれ――【四属性魔法】』!」
四属性か……歴代の勇者パーティの魔法使いは五属性だったので、それには及ばないが十分戦力になるくらいだ。
どうしてこれが、今になって出来るようになるのだろう?
みんなを守るためでなく、俺を殺すために……強くなってしまうのか。
「……っ、ぁ」
なんだか泣きそうだった。
今までの自分は、本当にバカだったのだと……思い知らされた気分だった。
意識が、明滅している。
視界も滲んでいる。息も荒い。鼓動するだけで全身が痛い。
だが、こいつらを殺すまで……俺は、戦わなければならない。
「っらぁ!」
まずは、俺を押さえている戦士から。
魔法使いの魔法を一緒に受けて弱っていたのだろう。俺の肘打ちがみぞおち部分に直撃して、地面の倒れ込んだ。
あばら骨を何本か折った感触があったので、こいつの精神力ならもう動けないはず。
次だ。俺は戦士の落とした剣を拾って、魔法使いに投げる。
魔力を最大限にでも使ったのか……魔法使いは身動き一つできなかったようだ。
「ぎ、ぁ!? し、死ぬ……死んじまう! 僧侶! 早く、俺を助けろぉおおおおお!!」
何やら叫んでるが、別にすぐには死にはしないはずだ。
何せ俺の手元が狂って、魔法使いの心臓を突くことが出来なかったのだから。
剣が刺さったのは腹部。血こそ出ているが、致命傷にはなり得ない。
コントロールを誤るなんて……俺も想像以上に虫の息のようだ。
「静かにしてろ」
魔法使いの顎を打ち抜いて、気絶させる。
あと一人……まだ、残っている。
「……勇者様」
メレク・マルクト姫殿下がそこにはいた。
怯えたように、俺を見ている。
もう少しだった。
しかし、限界は既に訪れている。
こいつが居るとダメなのは分かっていた。
殺さないと、人間に次はないんだ。
だから、こいつは敵である。
ほら、いつものように覚醒してくれ……
逆境だ。ピンチだ。追い込まれている。今にも死にそうだ。
ここで力を発揮しないで、いつするんだ?
そうやって、己を鼓舞してはみた。
でも……俺は、その場から動くことが出来なくなっていた。
「殺すって、わたくしは言いましたわよね?」
魔法使いを倒すので、精一杯だったか。
呆然と直立するだけで、指先一本動かせない。
底力を発揮することは、できないようだった。
やっぱり俺は、勇者なのである。
人間のために敵を倒してきた。
だが、守ってきた人間のために、人間を殺すこと――それが矛盾となり、俺の体は動くのを拒んでいるのだ。
そのせいで覚醒もできない。
無様にも、姫様を見ることしかできない。
「やっと、殺せる……ずっと、チャンスをうかがっていた! さあ、死んでください……死ね、死んでしまえ! この世からなくればいい! 道具のくせに……戦うことでしか役に立てない能無しのくせに! 裏切ったなら、不要です。死んで、わたくしに詫びてください」
汚い顔だ。
こんな奴を、綺麗だなんて思っていたとは……俺も、なかなかに見る目がない。
ふと、魔王の笑顔が浮かんだ。
優しい笑顔が、今は恋しかった。
「ごめんな、魔王……」
かすれて小さな声は、誰にも届かない。
でも、言わずにはいられなかった。
「俺は、お前と居られて――幸せだった」
ありがとう。魔王には、とても感謝してる。
あと、ごめん。お前との約束を最後まで果たすことが出来なくて。
そう心の中で謝った時には、もう全てが終わりかけていた。
「死ねぇええええええええええ!!」
メレク姫が、俺の心臓に刃物を突き立てる。
二度目だな。胸元への刺突は……痛いなんて感覚がないのが、救いだろう。
「――――」
血を吐いて、俺はその場に倒れ込む。
涙も、血も、感情も……何もかもが、零れていった。
俺は、死ぬ。
ああ、でもやっぱり……死ぬ前には魔王の笑顔が見たかった。
そう思いながら、俺は目を閉じる。
「――勇者!? 勇者……っ!!」
幻聴、だろうか。
だけど、魔王の声が最後に聞けて良かった。
今まで、ありがとう。
そして、ごめん。
俺、幸せに……なりたかった――
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魔王は、人間界に転移してすぐに現状を把握した。
「――勇者!? 勇者……っ!!」
酷い状況だった。
瓦礫が散乱する中で、血をまき散らしながら倒れ込む勇者の姿に……魔王は怒りを感じた。
「貴様ら、か?」
どす黒い魔力が、魔王から放たれる。
「貴様らが、勇者を――傷つけたのか!?」
我慢はできない。
だが、彼ら相手に時間をとられることが、今は何よりも無駄である。
「【夢幻】」
彼女は即座に術を行為した。
この場にいるすべての勇者パーティーを、悪夢の世界へと導く。
途端に一行は眠りにつき、悪夢にうなされることとなった。
そんな人間たちを魔王は無視して、勇者に駆け寄る。
「……ゆうしゃっ」
彼女は、泣いていた。
胸元から血を流し、目元から涙を流している勇者の痛々しい姿に、胸を痛めていた。
「我が、もっと早く、来ていたらっ」
後悔が彼女を襲う。
だが、魔王は自責する必要はまったくない。
彼女は今まで、エルフと戦っていた。
セフィラがいつ出るのか分からないがために、消耗を避けて待機していた魔王だが……途中で、エルフの様子がおかしいことに気付いていた。
戦争をしかけた割には、消極的だったのである。
誰かが死にかけたら即座に後方へ引っ込めて、戦える者はただただ魔族側の足止めをするばかり。
時間稼ぎだと気づいたのは、まだ戦争が始まってあまり時間が経ってない頃だった。
何か嫌な予感がして、魔王は魔王城に向かおうとした。
しかしここで彼女は転移魔法が行使できないことに気付いたのだ。
「エルフ共に、邪魔されてなければっ」
エルフが転移を魔法で阻んでいたのだ。
そのせいで城にも連絡が取れず、足の速いものを向かわせることしかできない。
焦れていた、そんな時。
ちょうど、魔王城に向かわせた伝令係とすれ違ってやって来たのは、エルフのミナであった。
彼女は魔王城に残っていた足の速い僕の背中に乗って、魔王に会いに来たのである。
ミナは言った。
勇者が、人間界に戻ってしまった――と。
そこで魔王は最悪の状況を察したのである。
「総員攻撃に出ろ……エルフを、殺せ」
慎重に様子を伺っていた魔王だが、即座に全戦力を投入してエルフを潰そうとした。
四天王、五帝、六魔侯爵を中心に起こった大規模戦闘にセフィラのいないエルフは耐え切れず……すぐに退却していった。
転移の魔法が行使できるようになったのは、戦争が始まってしばらく経った頃。
そして今、慌てて人間界に転移して――傷ついた勇者を見つけたというわけだ。
「て、んい……てんい、しないとっ」
ガタガタと魔王は震えている。
脱力しきって、微塵も身動きしない勇者の姿を見て、彼女は呆然としそうになる。
だが、ここで時間を使ってはそれこそ意味がない。
まだ助けられる可能性がある。そう信じて、魔王は勇者を治療するべく魔王城に転移した。
「【転移】」
魔王城には、既に多数の魔族が戻ってきている。
称号持ちに至っては全員この場に待機していた。
ミナもしっかりと待っている。傷ついた勇者を見た彼女は、表情から色を消して……どこかに走り去っていった。
だが、魔王はミナに関心を寄せる余裕がない。
勇者を床に寝かせてから、この場の面々に視線を向けた。
中には、魔王城で最も回復術に長けている神官の『神魔侯爵』もいる。
純白のローブをまとう彼女を見つけて、魔王は命令した。
「治療を、すぐに!」
神魔侯爵は即座に反応する。
床に寝かされた勇者を診て……それから、ゆっくりと首を振るのだった。
傷が深すぎる。
どうしようもない――せめてできるのは、延命の処置くらい。
そう言って、神魔侯爵は無言で勇者に治癒魔法をかける。
やれることは全力でやってくれてはいた。
でも、足りないと……神魔侯爵は、言ったのだ。
このままだと、勇者は死んでしまう。
「駄目だっ……勇者よ、駄目だ」
勇者の隣で、魔王は叫ぶ。
「死ぬことを、我は許さない! 幸せになれと、約束したはずだ……我の隣にいてくれと、言ったのに!! 頼む……どうか、お願いだから、死なないでくれ……っ」
勇者の手を握って、魔王は呻いた。
「まだ、やりたいことがたくさんあるのだっ……まだ、我は満足していないんだぞ? いつまで、待たせるつもりだ……いいかげんに、起きろ。起きてくれ。起き、て……」
普段は魔王然として、凛としている彼女も。
この時ばかりは子供のように、泣きじゃくる。
「死なないでくれ、ゆうしゃっ」
それくらい、魔王は――勇者のことを、大切に思っているのだから。
「本当に、呆れたわ」
そんな時、大広間に一つの声が響いた。
魔王の泣き声のみが響く中で、うんざりしたような声はあまりにも不釣り合いで……全ての注目を、集めることになる。
そこにいたのは、修道服を着たシスターだった。
隣にはエルフのミナがいる。どうやら彼女が、神殿から連れてきたようだ。
「まったく、何をしているの? いいかげんにしなさい。愚か者にも程がある」
ニトは怒っている。
荒々しい足取りで勇者の隣に歩み寄り、その頬を思いっきりに叩いた。
「貴様――っ!」
「魔王様は、黙ってて」
魔王が激昂しかけるが、ニトは見向きもしない。
ただひたすらに勇者を睨みつけている。
その視線には、魔王でさえも動きを止めるような……何かがあった。
視線が、ニトに注がれる。
彼女は勇者のおでこに手を当てながら、静かにこんなことを言うのだった。
「自分を愛しなさいと、言ったわよね? 愛する者を……魔王様を大切にしなさいと、聞いたくせに」
しかし、勇者は……
「どちらも守らないなんて、ふざけるのもいいかげんにしなさい! あなたの行為は、裏切りでしかない。あなたを思うみんなの思いを、裏切ってしかないじゃない……死ぬことは、許されないわよ」
爛々と瞳を輝かせて、ニトは手のひらから柔らかな光を放つ。
「死んで終わり、なんて甘えた真似……あたしも、魔王様も、許さない。生きて、この罪を償いなさい。でなければ、誰も救われないわよ――【神の息吹】」
それは、第七世界『ネツァク』に住んでいる小人族のセフィラの力。
神に……世界に愛された彼女のみが起こせる、奇跡だ。
勇者を、眩い光が覆う。
神魔侯爵でさえ不可能と断じた怪我が、みるみる癒されていった。
どんな大怪我でも、死んでいなければ回復できる。
代償こそあるが、それを気にすることなく――ニトは、勇者を救ったようだ。
「勇者は敬虔なニト教の信徒だし……死んだら、面白くないわ。生きなさい」
そう言って、ニトはふらふらと立ち上がる。
彼女は誰にも何も言わせることなく、広間を出て行った。
後には、回復した勇者と……呆然とする魔王。
それから、押し黙る魔族とミナが残される。
しばらく待って、それから……
「――っ」
ゆっくりと、勇者が目を開くのだった。
「勇者っ」
途端に、魔王は彼に抱き着く。
その胸元に顔をうずめてから、大声を上げて……子供のように、泣きじゃくるのであった――
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目を開けると、最愛の人が泣いている姿が見えた。
泣かないでほしいと思って、俺は彼女を抱きしめた。
「馬鹿者めっ……馬鹿者がっ!!」
胸に泣きつく魔王は、俺をぽかぽかと叩く。
威力はないので痛くはない。だが、心が痛んだ。
「ごめん」
謝っても、彼女は泣き止まない。
ただひたすらに、涙を流すのみ。
ふと顔を上げると、そこには魔族の面々とミナがいた。
彼ら彼女らは安堵しように小さく笑って、それから頭を下げて部屋から出ていく。
ミナも、怒ったように唇を尖らしていはいたが……俺と魔王を残して出て行った。
みんな気をつかって、俺と魔王を二人きりにしてくれたらしい。
改めて、魔王を抱きしめながら、俺は状況を把握する。
「……助かった、のか」
死にかけて、死ぬのも覚悟していたが、どうやら助かったらしい。
体の傷もすでになかった。誰かの回復魔法で一命を取り留めたのだろうか……正直、回復魔法で助かる傷ではなかったと思うのだが、そのあたりの詳細は後で聞くことにして。
今は、魔王だ。
「ごめん……」
俺には、謝ることしかできない。
彼女の思いを裏切った俺には、言い訳の余地もない。
最悪、彼女に嫌われても仕方ないことを俺はしたのだから。
「許さない……絶対に、許さない!」
魔王は嗚咽を漏らしながら、震える声を発する。
俺の胸元を強く握りしめながら、彼女は叫んだ。
「我の大切な勇者を、傷つけるなっ……」
ここまで裏切ってなお、彼女は俺の事のみを考えてくれる。
例え俺でも、俺の体を傷つけることは許さない――と。
「お願いだからっ……もう、勇者であることをやめてくれ」
これ以上、他人のために自分を犠牲しないでほしいと、魔王は言ってくれる。
「人間よりも、かつての仲間よりも……自分自身を、大切にするのだっ」
勇者という職業よりも、俺の持つ力よりも……魔王は、俺自身を愛してくれているのだ。
「そして、我の思いも、きちんと受け止めてくれ」
ギュッと抱きしめながら、魔王は感情を吐き出す。
これが彼女の本音なのだろう。
いいかげんに、勇者であることをやめてほしいと……魔王は、訴えていたのだ。
泣いて、泣いて、これでもかというくらい泣いている魔王は……俺の代わりに、泣いてくれているかのようでもある。
思わず、抱きしめてしまった。
彼女が、愛おしいと思ってしまう。
同時に、ごめんなさいと……魔王に対して申し訳ない気持ちで、心がいっぱいになった。
「うん。今まで、ごめん……」
「謝ってほしいわけではないっ。きちんと、約束しろ」
ここでも叱られてしまう俺は、やっぱり未熟者だ。
もうこれ以上、魔王を泣かせたないためにも。
俺は、いいかげんに成長しなければならないだろう。
「――もう、魔王を裏切らない。自分を大切にする。幸せに、なる」
「……それで?」
「だから、許してほしい。これからも、お前のそばに……いさせてほしい」
明確な言葉を、彼女へと届ける。
「好きだ。大好きだ……こんな俺だけど、これからも一緒にいてくれないか?」
何度も言っている、大好きの台詞。
しかし、この時の大好きは、いつもの冗談めいた雰囲気ではない、本気の気持ちである。
対して、魔王は泣きながら笑った。
「……一つ、条件がある。それを聞いてくれたら、そばにいさせてやろう」
「分かった。何でも言ってくれ」
どんな理不尽なことを言われても、成し遂げてみせよう。
彼女の為なら、何だってやる。
そう思っていた俺に、魔王はこんなことを言うのだ。
「我が夫となれ。我のそばで、我を妻とせよ――それが、条件だ」
彼女が口にしたのは、なんてこともないことだった。
もう、迷いはない。
俺は人間の勇者を引退する。
これからは、魔王の笑顔だけを守る……勇者になる。
だから、これ以上ない申し出だった。
「喜んで。結婚、しよう」
そう言った直後、魔王は俺の唇に唇を重ねた。
キスだった……今まで、なんだかんだできなかった、接吻である。
熱い。柔らかい。なんかエロイ……
こんな時に場違いなのは分かってるが、どうにも魔王とエロいことがしたくて仕方なくなる。
舌と舌が絡み合い、お互いに一つになるような錯覚に――理性が崩壊しかけた。
だが、操は式を挙げるまで大切にとっておかねばらない。
ここではまだ、やりたくない――というのが、俺の気持ちだった。
「ま、まだだ! こういうことは、正式に夫婦になってからっ」
強引に、魔王を引き離す。
「黙れっ……我慢できると思っているのか? 無理に決まっているであろう!」
彼女はもうスイッチが入っているようで、力ずくで俺の服を脱がせようとしてきた。
「ちょ、やめっ……!」
「ええい、焦れったい! 貴様、我のために自分を殺せ……今は、我の好きなように弄ばれるがいい!!」
「もう自分を犠牲にするのはやめたから、却下だよ馬鹿! あ、おいマジでダメだって……みんな! おい、誰か!? 魔王に襲われてるから、助けてくれっ」
大声を張り上げれば、いつもの四天王さんたちが駆け寄ってきてくれる。
それから始まった説教は、いつもより長かった。
でも、こんな他愛のないことに幸せを感じてしまう。
勇者時代は、こんなことなかった。
だから、これからはちゃんと……大切にしよう。
そう固く誓って、俺は正座しながらパタリと倒れるのだった。
「魔王、ちょっとだけ眠らせて?」
隣で未だにぶすっとしてる魔王の胸元に、倒れ込む。
「む、むぅ……しょうがない奴だなっ。少しだけ、だぞ」
不機嫌ではあるが、ちょっと嬉しそうにしている魔王は本当に可愛いと思った。
これからは、魔王を大切にしよう。
自分も、大切にしよう。
そして、幸せになるのだと決心して。
「おやすみ」
「ああ、ゆっくりと眠れ。我が、そばにいるからなっ」
俺は、静かに眠るのであった――




