第二十七話 魔物に襲われているだけのお話(健全)
「魔王、大丈夫か!?」
即座にマルクトの加護を発動させて、魔王に呼びかける。
彼女はしょくしゅに宙づりにされていた。
「うむ、問題はない……慌てるな、勇者よ。こやつに命の危険は皆無だ」
しかし魔王は冷静である。魔物に捕まり、あまつさえ全身を触手が這いまわっているというのに、落ち着いている様子だった。
「今までも何度か遭遇しているのだがな……この魔物は『しょくしゅ』という。無数の触手を持つ異形の魔物。『捕獲した者の服のみを溶かす』という謎の習性を持っている」
故に、絶命する心配はないと、魔王は言っているらしかった。
「ただ、分泌液に媚薬の効果があって……」
段々と魔王の顔は紅潮していく。
まずい、このままいくと……魔王が欲情して手が付けられなくなる!
俺が興奮して自我を失う前に、しょくしゅを倒さなければっ。
「ぬぁああああああ! 【聖撃】!」
纏いし白きオーラを、一閃。
魔王のいる場所は避けて、しょくしゅに攻撃を浴びせる。
白き光の奔流がしょくしゅへと襲い掛かり、無数にある触手が蒸発して消滅していった。
「ちっ……めんどくせぇな」
しかし、しょくしゅは健在である。
残っている触手から次々と触手が分裂して、元のうねうねしょくしゅに戻った。
『イヒヒヒヒヒヒヒ!!』
どこにあるかも分からない発声器官から鳴き声を発しながら、魔物は魔王をなぶろうとする。
「ぁー……実はな、勇者よ。しょくしゅは一部の女性に人気でな、マッサージ感覚で捕まる奴もいるらしい」
一方の魔王は呑気なものだった。際どいところ以外の布はもう溶けているというのに、されるがままである。
彼女が協力してくれたら、もっと楽に片が付くと思うのだが……
しょくしゅは別に強い魔物ではない。だが、俺らの意表を突く速度と、無限とも思える再生能力が厄介だ。
倒すのは至難。なら、こうするしかないな。
「なぁ、魔王? 俺、今ものすごくむかついてるんだ」
拳を落として、マルクトの加護を静止しながら、少し腹を立てたような演技をしてみる。
「……え? どうして? 我、何か気に障ることをしたか? すまない、勇者よっ。我が悪かったっ。だから怒ったりして、我を見限りようなことは、やめてくれぇ」
効果はてきめんである。魔王は途端に狼狽えていた。
そんな彼女に、俺は一言。
「俺以外の奴に、魔王の体を好きにされると……むかつく」
本心半分。冗談半分。いずれにしてもむかついているということに変わりないので、これは嘘ではない。
「ごめん。たぶん、嫉妬ってやつだな」
そう言いながら笑いかけて、魔王の反応を伺った。
「ふぇ? 勇者が、嫉妬……嫉妬、かぁ。うひひ」
すると、彼女はたちまちに頬をだらしなく緩めて。
「そうだな! 例え魔物だろうと、勇者以外の者に我の体を触ることを許してはならんな! 何せ、勇者が嫉妬してしまう……まったく、勇者は我のことが大好きなのだなっ。しょうがないやつだ!」
――刹那。彼女は、ケテルの加護を発動させた。
「【黒焔】」
そして放たれるは、漆黒の焔。
しょくしゅに着弾した黒は、持ち前の再生力を許さずに炎を上げた。
『イヒヒヒヒ……ヒ』
しょくしゅはすぐにも燃え尽きて、後には何も残らなくなる。
「相変わらず、凄いな……」
流石の攻撃力だった。こいつの攻撃に、勇者時代どれほど苦労させられていたことか。
敵であるとこの上なく厄介極まりないが、味方であるとこの上なく心強い。
「くくっ。勇者! 我、ちゃんと倒したぞ? じゃないと勇者が嫉妬しちゃうからな、やれやれ……嫉妬深い勇者は、仕方がない奴だっ」
しょくしゅを倒した魔王は、とても上機嫌であった。
よっぽど俺に嫉妬されたのが嬉しかったのだろうか?
まあ、今までめんどくさいかなと思って隠していたが、感情を曝け出したという行為に魔王は喜んでくれているのかもしれない。
とかなんとか思ったが、とにかく魔王が嬉しそうにしているのならなんでも良いことにした。
「勇者は我のことが大好きなのだなっ……我も、大好きだぞ!」
彼女は飛び跳ねながら、おもむろに俺に飛びついてくる。
最早服が服の機能を果たしていない、危ない恰好だった。局部が動くたびに見せそうになるので、思わず反射的に目をそらしてしまう。
そのせいで魔王の飛びつきを回避できずに、受け止めてしまった。
「あ! ちょ、しょくしゅのヌルヌル液が俺にも浸透してきてるんだけど!? よ、欲情したらどうするんだ!」
「……このまま最後までいくのも、悪くないな」
「悪いに決まってるだろ! 近くに湖があるはずだから、急いで探すぞっ」
魔王を抱えたまま、俺はもう一度マルクトの加護を発動させて周囲を走り回る。
水だ……水が必要だ! 早く洗い流さないと、魔王から垂れるヌルヌル液のせいで頭がおかしくなりそうだった。
「あった! そりゃっ」
ようやく湖を見つけた瞬間に、俺は魔王を抱えたまま湖に飛び込んだ。
ざぶん、と体が沈み込んで……同時に、俺たちの体に付着していたヌルヌル液が流れていく。
「……ふぅ、危なかった」
「我は別に、あのままでも良かったのだがな」
湖にて、俺たちは顔を見合わせる。
お互いにずぶぬれだし、触手のヌルヌル液のせいでこっちの服まで溶けているから厄介なものだった。
だが、こういうのは……悪くない。
「あー、なんか楽しいな。魔王といると、やっぱり幸せだ」
「無論、我も同様にな。そろそろ欲に溺れよと言いたくなるのだが、そこは目をつぶってやろう。デート、なかなか楽しいなっ」
二人して笑いあいながら、今度はきゃっきゃうふふと水をかけあう。
前、僧侶と魔法使いがやっていた、謎の遊びだった。
あの時は何が楽しいのだろうと隠れて見ていただけだったが、実際にやってみるとなかなか……悪くない。
いや、これは行為が面白いのではなく。
一緒に居る相手のおかげで、楽しいのだとようやく気付くことが出来た。
「俺、魔王と一緒に居られて、良かった」
「我も、な。よくぞ、我の下に来てくれた……とても、嬉しいぞっ」
散々にイチャイチャして、俺たちは湖から上がる。
魔王の転移魔法で新しい服を用意してもらい、それからここに来たもう一つの目的を思い出すのだった。
ドラゴン! そういえば、俺たちはドラゴンを食べにきたのである。
忘れてた……




