第二十一話 奴隷エルフちゃんの選択
生命の起源はセフィロトにあるとされている。
この樹上世界に生命は誕生し、やがてとある果実を食べて知恵を得たと言い伝えられていた。
「これって……」
人間界『マルクト』の北部――ずっと奥の秘境に、その果物は実っている。
セフィロトでもマルクトにしかそ存在しない、禁断の果実だ。
「もしかして『リンゴ』?」
ミナは目を丸くして、赤い実のなる果樹を見上げていた。
「初めて見た……っ」
まん丸い目を更に丸くして、彼女は呆けたように呟く。
どうやらエルフの世界でも伝説の果実として聞いていたようだ。
「食べるか?」
「いいのっ?」
「問題ないだろ。たくさん採るわけでもないし」
ミナの手では届かない場所にあるので、俺が変わりに取ってやった。
一個、赤く熟れて美味しそうなリンゴを彼女に渡す。
「ありがと!」
この時ばかりは色々な悩みを忘れたのか。
見た目相応の無邪気な笑顔を浮かべて、ミナはリンゴにかじりついた。
「……なんとなく、頭が良くなった気がするっ」
「まあ、知恵の実とも呼ばれてるみたいだからな。多少は良くなるんじゃないか?」
詳しくは知らないけど、この実を食べて生命は知恵を得たらしいからあながち間違ってないはず。
ミナは夢中になってもぐもぐと咀嚼していた。
すぐに一個を食べ終えて、ミナは満足そうに息を漏らす。
「美味しかった!」
さっきまで思い詰めていたみたいだけど、少しはマシになったみたいだ。
彼女はリンゴの樹を不思議そうに見上げながら、俺にこんなことを聞いてくる。
「ねえ、どうしてリンゴが人間界にあるの?」
「そりゃあ、種族の起源が人間だからだろ」
「え!? みんな、もともとは人間!?」
おっと。ミナは知らなかったのか……あるいは、エルフの間では秘匿にされているのか。
まあ、これも伝承にすぎないのでもしかしたら真実とは違うかもしれないが、教えるのは悪いことではないだろう。
「そうだよ。生命発祥の地は、ここマルクトとされている。最初に生まれたのは一組の男女だ。そこから子供が生まれ、数を増やし、やがて地上に降りて――長い時間を過ごすうちに、一部の人間は暮らしている場所の環境に適した体質に変化していったらしい」
「地上……昔は、みんな地上に住んでたんだよね?」
「ああ。森林に暮らしていた人間は、姿が見えなくても仲間の声が聞こえるように、耳が長く、背が高くなっていった。それがエルフだな。洞窟に暮らしていた人間は、狭い場所でも動けるように小さくなっていった。こっちはドワーフだ」
それぞれの種族は、こうして生まれていったのだ。
だが、もともとは同じ人間だったのである。
「それから、地上に魔物と呼ばれる天敵が現れて、俺たちは再び樹上世界に戻った。しかし種族を分かち合っていたために折り合いが悪くなったので、世界を分けた――というのが、一般的な言い伝えだな」
「そうなんだ……もともとは、同じだったんだねっ」
目をぱちぱちと瞬きするミナ。関心しているのか、ほぇーとしきりに頷いている。
そんな彼女の頭を撫でながら、俺はここに来た目的を伝えるのだった。
「だから、まぁ……あんまり、他種族だからって警戒しないでくれ。俺も、魔王も、もともとはミナと同じだったわけだし。お前に危害を加えるつもりはないから」
そう。この話を伝えたかった、というのもここに来た一つの理由だった。
「ずっとびくびくしてるだろ? もうちょっと、リラックスしてもいいよ」
しゃがみ込み、目線を合わせる。
ミナは、後ろめたい気持ちがあるのか……少し目をそらしていた。
「……ごめんなさい。ミナ、まだ怖いの」
これが彼女の本音なのだろう。
人間に誘拐され、酷い目にあいそうになって、魔王の奴隷になって――彼女はずっと怯えていたのだ。
「……ごめんな」
それから、俺は頭を下げる。
彼女にはずっと謝りたかったのだ。ここに連れてきたもう一つの理由が、これである。
「俺と同種族の人間が、酷いことをして……ごめん」
同じ人間として、彼女に申し訳なかったのだ。
例え、犯行に及んだのが捨てた奴らだとしても、俺と同じ種族であることには変わりない。
俺にも責任があると、ずっと気に病んでいた。
リンゴを食べさせに来たのは、お詫びのためという側面もあったのである。
「本当に、ミナには申し訳ないと思っている。だから、もうこれ以上お前が嫌がるようなことはしたくない」
「……嫌がること?」
「ああ。もし、お前が元の世界に帰りたいと言うのなら――俺が魔王に頼んで、エルフの世界に戻してやる」
仮に、ミナが帰りたいと思っているのなら、そうしてあげたかった。
ロリコンになっている今、幼女が苦しんでいる姿を見るのが何よりも心苦しい。
いや、ロリコンに関係なく、幼女が泣いているのを見るのはごめんだった。
「どうだ? ミナの気持ち、聞かせてくれ」
優しく、怖がらせないように、威圧しないよう注意して。
彼女の言葉を待つ。
「…………」
ミナは押し黙り、何かを考え込むように目を伏せた。
きっと、ゆっくりではあるがしっかりと考えているのだろう。自分の頭で、他者に流されることなく、自らの意見を口にするために。
しばらくジッと待っていると、ミナはようやく口を開いてくれた。
「……ミナ、とっても怖いの。人間はもちろんだけど、魔王様も、その他の魔族さん達も、まだちょっと怖い」
怖いと、彼女は言う。
しかしミナは、俺が握る手をしっかり握り返してきた。
「でもね、勇者は違うっ。勇者は、あんまり怖くない……怖くなくなった」
「そう、なのか?」
「あ、違う。裸になると、怖いけど」
ああ、それは俺も怖いよ。
何せ幼女に興奮しちゃう体になってるからなぁ……って、まあそれはさておき。
「だったら、どうする?」
怖いなら帰ってもいい。俺はそう伝えようとして、だがそれをミナが阻んだ。
「勇者と一緒なら、帰らなくていいっ」
今は、びくびくすることなく。
真っすぐに俺を見つめながら、ミナは本音を語ってくれた。
「ミナね、エルフの生活が窮屈だったの……好きなものは食べられないし、自由に寝ることもできないし、いつも誰かに叱られてたの」
だが、ここにはそうやって自由を制限する者はいない。
「魔王様も、魔族さんも、今は怖いけど……好きになれると思うっ。ダークエルフさんは、ここが楽しいって言ってた。ミナも、楽しくなりたい!」
ミナの言葉を聞いて、俺は魔王が言っていたことが真実であることを理解した。
「……そうなんだな」
やはりミナは、普通のエルフとはちょっと違うようだ。
それなら、彼女のやりたいようにしてもらうことが、最善なのだろう。
「分かった! じゃあ、これからよろしくな? 楽しく過ごそう。俺も、お前が楽しくなるように手伝うよ」
笑いかけて、もう一度彼女の頭を撫でる。
ミナは無邪気な笑顔で、頷いてくれるのだった。
「うん! ミナ、頑張るっ」
彼女には後ろめたさがあった。
人間のせいで……俺の元同胞のせいで、不幸になったとばかり思い込んでいた。
でも、彼女は自分の幸せを掴もうとしている。
狭い自分の世界から飛び出して、広い世界に身を投じている。
そんな彼女が、少しだけ眩しかった。
ずっと、俺にはできなかったことを……ミナは、この年齢で果たしてしまうのだから。
凄いな――と、思うと同時。
彼女と過ごすこれからが楽しくなるなと、そんな期待も抱いてしまうのだった。




