第百二十五話 英雄賛歌その七『当たり前になった彼の優しさ』
「怪物だぁあああああああ!!」
「逃げろ……早くっ!」
「おい、勇者! 俺たちを守れよ!! すぐに倒せぇええ!!」
人間界、マルクトの王都では阿鼻叫喚が響き渡っていた。
多くの人々が逃げ惑っている。その中心には、怪物と化したタナカと勇者がいた。
「醜いですね、相変わらず!!」
勇者と対峙していようと、タナカは関係なく周囲の建物を破壊する。
無差別な攻撃に人々は恐怖しているようだった。
「ふざけるなよ、勇者! てめぇは俺たちを守るのが仕事だろうが!!」
「俺の家が潰れてんじゃねぇか、怠けてんじゃねぇよ!!」
そして、恐怖によるストレスのぶつけられる矛先は――勇者だ。
「っ!!」
数々の怒号を浴びる中、勇者は表情を変えずにタナカへと斬りかかる。
光り輝く剣は、漆黒の鱗に覆われたタナカにぶつかった。
だが、剣は怪物化したタナカを斬り裂くことができない。
魔族には弱点のはずの光属性を付与しているにも関わらず、通用していなかった。
そのせいで、勇者はタナカを止められない。
「ああ、うるさい……うるさい、人間どもが!!」
怒鳴り散らす人間に向けて、タナカは拳を振り払う。
その勢いで巻き起こった突風は、遠巻きに声を上げていた人間を吹き飛ばした。
「なんと無価値な生物なのか……命を張る英雄に向けて送るのが、応援ではなく怒号だと? やはり、人間は生きている価値がない」
タナカは怒っているようだ。
唾棄するように、言葉を吐き捨てる。
「こんな低能な生き物……救う価値などない。そう思いませんか、勇者よ」
「……お前、いちいち正論だよな。心に刺さるからやめろ」
タナカの問いかけに、勇者は引きつったように笑うことしかできなかった。
彼も本当は、分かっている。
命を張っているにも関わらず、自分たちのことしか考えない民衆に、何か思うところがないわけがない。
「何故、自ら苦しい道を歩むのですか? たとえあなたが、この場で私を撃退したところで、この民衆はあなたを恨むことしかできない。あなたの善意は、報われることがないと思いますがな」
「うん、分かってる」
それでも勇者は、みんなを守るのだ。
どんなに文句を言われようと、理不尽な怒りを向けられようと、彼の行為が報われなくても――
「俺は、勇者だから」
ただ、それだけだ。
守る。それが『勇者』の役割で、果たすべき義務で、貫く意思である。
「あなたなら、もっと別の道を歩めるでしょう。そんなくだらない拘りなど捨てれば……きっと、あなたが幸せになれる未来が待っている。それでも、勇者よ……あなたは、勇者であり続けるのですかな?」
「もちろん。みんなが幸せになれば、俺のことなんてどうでもいいよ」
「――愚かですね。まったく……なんて人間らしくない、真っすぐなお人だ。どうですかな? 我らが魔王様の配下となって、ともに人生を歩みませんかな?」
「お誘いは嬉しいけど、あいにく俺の人生はもう決定してるんだ。勇者として生きて、勇者として死ぬ。俺の一生は、それだけだよ」
「……そうですか。では、私からの説得は諦めましょう」
勇者の断固たる決意にタナカは目を細める。
元人間として、彼の真っ直ぐさが眩しかったのだ。
狂気とさえ思えるほどの善性は、正しいと分かっていても気持ち悪いと感じてしまうような。
それくらいの異質さを孕んでいた。
「では、殺してあげましょう。あなたはこのまま生きていても、きっと幸せになれない……私にできることは、あなたを殺すことだけです。せめて来世では幸せになるよう、祈ります」
「うん、ありがとう。俺も、来世には期待してる……けど、死に時は今じゃない」
勇者の剣が、掲げられる。
それを合図に、空間の精霊が躍り出した。
光を纏った勇者が、吠える。
「死に時は、お前ら魔族を全滅させてからだ」
対するタナカも、呼応するように吠えた。
「面白い、やってみろ……人間!!」
そして両者が、激突する。
交錯した剣と拳は衝撃波を生み、周囲の建物を倒壊させるほどの威力を有していた。
巨大な怪物となったタナカは、少し動くだけで周囲に被害をもたらす。応じる勇者も、流石に余波までは防げない。
王都が壊れていく。
でも、二人の戦いは終わらない。
「――っ!!」
勝負を決したのは、勇者による『英断』だった。
ずっと光属性で攻撃していた勇者だが、急に炎属性に切り替えてタナカへと攻撃を加えたのである。
それを機に戦況の膠着は崩れた。
「よくぞ、見破りましたね……私に光属性が効かないことを」
「うん。なんとなく、分かった」
タナカは元人間である。
故に、光属性はむしろ得意属性ですらあった。なので勇者の攻撃にも耐えられていたが、別の属性に切り替わってからは、一気に勝負が決着した。
もちろん、勇者の勝利である。
戦いには勝った。
しかし、周囲の建物を破壊された勇者を、民衆はきっと認めないだろう。
それを思うと、勇者は気が重くなった。
『こんな低能な生き物……救う価値などない』
タナカの言葉が脳内で再生される。
「本当に、なんで俺……戦ってるんだろうな。冗談にしても、笑えない」
勇者は、苦笑することしかできなかった――




