第十一話 おしりぺんぺん
ぷくーっと頬を膨らませた魔王に引きずられて、俺は彼女の寝室に来ていた。
「勇者、少し四つん這いになれ」
「え? なんで?」
「いいから、我の言うことを聞けっ」
どうやらご機嫌斜めのようである。
決闘の件でも何やら怒ってたような。ここは素直に応じた方がいいだろう。
四肢に地面をつけて、四つん這いの状態となる。
「これでいいか?」
「良い。では、座るぞ?」
魔王はよっこいしょと、俺の背中に腰をかける。え、ちょっと待って。
背中に感じる、魔王の小さなお尻の感触。
彼女は本日、寝巻であるヒモ下着と黒マントのみという恰好なので、俺の背中にはダイレクトのお尻があるのだ。
ぷにぷにのもちもちが、俺の背中を圧迫している。
「なんぞこれ」
いきなり座られる理由が思いつかない。
困惑の声を漏らすと同時、魔王はおもむろに手を振り上げて……
「バカ者がっ」
罵倒。
そして、手を鞭のようにしならせて――スパーンッ! と、俺のお尻を叩いた。
なるほど。彼女が俺の背中に座ったのは、お尻を叩くためだったらしい。
「……あのさ。俺、こういうプレイは所望じゃないっていうか」
「黙れ。我はこう見えて、割と本気で怒っておるからなっ」
もう一度、今度はペチンと叩かれる。
魔王の小さなおててにはそこまで力が入ってないようで、音ほど痛くはないが……お尻を叩かれているという事実が、なかなか俺の精神を揺さぶってくれていた。
「お仕置きだ。心して、受けよ」
「ちょ……やめ、あひんっ」
何度も何度も、お尻を叩かれる俺。
丸出しにされてないだけまだマシなのか。
しかし、幼女然とした魔王に、そろそろ大人の体つきとなってくる俺がお尻を叩かれているという絵面は、はたから見ると変態そのものかもしれない。
イメージするだけでいたたまれなくなってきた。
「勇者よ、我が怒っている理由、分かるか?」
「いや、まったく」
「……痴れ者め。本当に分からんのか?」
と、ここでようやく手を止めてくれた魔王が、子供に言い聞かせるような口調で俺にこんなことを言った。
「何故、戦いに勝とうとした。貴様はいかなる理由で本気を出そうとした?」
「そりゃあ……負けたくないって、思ったから」
「阿呆。貴様は、負けてよかったのだ」
憮然として言い放つその言葉を、最初俺は理解できなかった。
勝とうとするのは当たり前だ。負けることなんて考えられない。
だから本気を出そうとした、というのにどうして魔王は怒っているのか。
首を傾げる俺に、魔王はもう一度お尻を軽く叩いて――
「もう、勝たなくて良いのだ。貴様が負けたところで、誰も不幸になることはない……力の責任も、勇者としての使命も、今の貴様にはないのだぞ? だから、勝つ理由など、ないはずだ」
優しい口調で、そんなことを言い聞かせてくれる。
「勇者は、我のヒモなのだ。我がお世話して、幸せにすると誓ったのだ……無理したり、頑張ったり、我慢したり、そういうことはしなくて良い。勇者は、ただ幸せになればいい」
そうして俺は、ここに至ってようやく魔王が怒っている理由に気付けたのである。
「……そう、だ。俺、なんで勝とうとしてたんだ。勝つ必要なんてないのに……もう、誰も守ってなんていない。俺が負けたところで、誰も傷つかない。戦う必要も、背負う必要も、何も――ない」
勇者時代、敗北は即ち『人間』の死であった。
俺が負けたら人間は終わる。俺がいない人間はすぐに滅ぶ。
最も強かった俺の後ろには、何千もの命がある。
だから、負けてはならない――そう思って、ずっとずっと戦ってきた。
そのせいで、戦いになると俺は『死力』を尽くそうとしてしまう。
負けそうになると、それに強く抗ってしまう。
勝たねばならない。何がなんでも勝つ。
勝利という道こそが、ただ一つの生存方法。
そうやって己を追い込んでいたから、いつの間にか無意識に『勝利』を刷り込まれていたのだろう。
負けても良いのに、俺はまだ……勇者時代の精神に、引きずられてしまっていたのだ。
「勇者の努力を、我は知っている。勇者の覚悟を、我は理解している。勇者の功績を、我は称えている。だからな……勇者よ。もう、頑張らないでほしいのだ。貴様は十二分すぎるほどに頑張った。後は休め。我の下で、怠惰で退廃なる幸せを、享受してほしい」
勇者時代、誰も認めてくれなかった俺の頑張りを、魔王は褒めてくれていた。
その上で、もう何もしなくて良いのだと彼女は教えてくれたのである。
恐らく、彼女はこんな俺のことを察知していたのだろう。
ドラゴの戦いを許可したのは、俺が人間の束縛から解き放たれているかチェックするためだったのかもしれない。
それほどまでに、魔王は俺のことを思ってくれているのだ。
「勇者……我は、勇者が好きなのだ」
甘い言葉と同時、俺の頭を魔王の小さなおててが撫でてきた。
四つん這いの状態故に抵抗はできず、ただただされるがままになる。
「幸せにすると、約束したのだ」
子供特有の高い体温のせいか、魔王の手は心地よい。
なんだか涙腺が緩くなってくるのは、きっと彼女のせいで体が弛緩してしまったから。
彼女が、誰も認めてくれなかった俺の『今まで』を、肯定してくれたから。
「……俺、弱くていいのか? 魔王は、幻滅したりしないか?」
「たわけ。弱さとは罪ではない。強さとは威張れるものでないことと同じように、弱さは嘆くものではないのだ。何に罪悪感を抱く必要がある?」
はき違えるなと、魔王は俺を諭すように言い聞かせる。
「弱くとも良い。我が守ってやる。だから、何も心配するな」
その言葉を耳にして、俺の体は一気に脱力してしまった。
四つん這いの状態を維持できなくなって、地面に伸びる俺。
「ぷみゃっ。こら、急に力を抜くなっ」
ゴロリと仰向けになって、不満げな彼女を視認。
それから、その体を――思いっきりに、抱きしめる。
「へっ? あ、あにょっ……勇者?」
戸惑う彼女を強く抱きながら、俺は小さく囁いた。
「ありがとう。大好きだ」
腕の中にある魔王の体は、こんなにも小さくて。
だというのに、温かいその体は……俺の心を、溶かしてくれるような。
魔王の温もりに、俺はただただ縋りつくのであった。
「そ、そういうことか……びっくりした。うむ、我も大好きだぞっ。勇者よ、どうか我の下で、幸せになれ」
――堕落していく。
自分が、溶けていく。
どんどん、ダメになっていく。
そうなってしまう自覚がある。
だけど、魔王なら俺を受け入れてくれる。どうなっても、何があっても、彼女は俺を好きでいてくれる。
そんな彼女の『優しさ』に、俺はただひたすらに甘えることを決意するのであった。
……って、これじゃあ本当にクズになりそうだな。それもまた、悪くない。




