第百十六話 英雄賛歌『プロローグ』
英雄の登場とは、即ち悲劇である。
彼は別に英雄になどなりたくなかった。
しかし彼以上に強い者がいなかったから、仕方なく英雄になっただけだった。
きっかけは、物語にはありふれた大したことのない出来事である。
世界が滅びかけていた。
残忍で好戦的な第五十七代目の魔王に、一方的な略奪を受けていたのだ。
人間の守護者と呼ばれる、第十世界『マルクト』のセフィラ――勇者と呼ばれる存在も、とっくに死んでいた。
世界は彼をただの少年でいさせてくれなかった。
「ガハハハ! 弱小な人間ごときが、俺様に盾突くのか? 笑わせんじゃねぇぞ!」
彼の初戦は、第五十七代目の魔王。
人間界を侵略に来たところを、彼が迎え撃ったのだ。
「――人間界は、俺が守る」
先代の勇者は死んだ。
魔王の手で殺害された。
別にそれが悔しいわけじゃない。
魔族に殺された人間なんて毎日溢れるほどに出ているのだから、先代の勇者もその中の一人でしかなかった。
だが、彼は先代の勇者に黙祷を捧げる。
英雄になれない半端者でありながら、英雄を偽ってみんなを救おうとした勇ましき者を、彼は人間界で唯一尊敬していた。
先代勇者の犠牲を無駄にしないためにも。
「俺は、勇者だ」
少年は人間の守護者となった。
「人間の敵は、殺す」
「うるせぇよ、人間ごときがぁああああああああ!!」
魔王と新たな勇者が激突した。
実力は明らかに魔王が上だった。
新たな勇者は幾多もの攻撃を受け、血をまき散らし、痛みにうめく。
「ガハハハハ! どうした、人間!? 最初の威勢はどうしたよぉ!」
最初は魔王も楽しそうに痛めつけていた。
だが、勇者が何十回も立ち上がる頃には、快楽の表情が困惑に代わるようになっていた。
「てめぇ、立つんじゃねぇよ……いいかげんに死ねよ!!」
「死ねる、わけない」
全身がぐちゃぐちゃである。
どうして立っているのかも分からないような状態だ。
しかし勇者は平然としている。
痛みに苦しみながらも、倒れることを一切許容しない。
「お前が死ぬまで、俺は諦めない」
狂気にも似た覚悟が彼にはあった。
「俺が死んだら、もう後がない」
責任感と使命感が、彼に敗北を許してくれなかった。
「それに――やっと、見えるようになってきた」
「…………あ?」
「今度は、俺の番だ」
そして始まったのは、逆襲である。
絶望的な状況から勇者は強くなる。何度やられようと立ち上がり、相手の攻撃を反芻し、対策を続けることで次第に相手の動きを封じていく。
どう動けば隙を突けるのか。
どの程度の攻撃ならダメージを受けるのか。
戦闘の中で蓄積された経験値は、やがて勇者を新たな境地へと導いた。
「てめぇ、誰だよ……戦う前より明らかに強くなってるじゃねぇか!」
のちに『覚醒』と呼ばれるそれは、彼のみが有する力である。
戦いの中で勇者は強くなっていく。
それはともすれば、最強の力と言ってもいいだろう。
「俺にしか、できないことなんだ」
誰もやってくれないのだから、自分がやるしかなかった。
「だから、大人しく死ね」
全てを守るために。
「くそがぁああああああ!!」
彼は、英雄となった。
「はぁ、はぁ……っ!」
先代魔王を倒し終えた勇者は、なおも剣を構えたままだった。
この場には先代魔王と一緒にやって来た魔族が大勢いたのである。
ダメージの量は大きい。
意識を保つのもやっとの状態である。
もしかしたらこの時、他の魔族たちと彼が戦っていたらこの英雄譚は幕を閉じていたかもしれない。
何故ならこの場には、魔界で称号持ちと呼ばれる存在が全ていたからだ。
四天王、五帝、六魔侯爵、七大罪……全てがその場にいたのである。
彼らはもともと、殺された先代魔王に言われてやってきていた。
いよいよ人間界をつぶすということだったが、たった今その言い出しっぺが殺されていた。
とはいえ、魔族に動揺はない。
力こそが全ての一族である。敗者を憐れむ余裕などない。
ただ、勇者を殺そう。
そう考えていた過激派の魔族は、今にも襲いかかりそうだった。
「来いよ……俺はまだ戦えるぞ?」
それでも勇者の意思は折れていなかった。
死ぬまでは戦い続ける。そう、彼は己に誓っていたのである。
だが、これ以上の戦いが起きることはなかった。
「勇者――我が、次なる魔王だ。よろしく頼むぞ」
これが彼と彼女の出会いである。
新勇者と、新魔王。
新たなる人間界の守護者と、その破壊者が顔を合わせた瞬間だった。
「……お前が、か?」
この時、勇者は初めて動揺を見せた。
何せ、新たに魔王となった者は、年端もいかない少女に見えたからである。
魔族の見た目に年齢があまり関係ないと言うのは、勇者も分かっている。
現にこの場には二人ほど、幼い少女の外見をしている者がいる。
露出の多い服を着た巨乳サキュバスと、狐のような尻尾と耳を生やした少女もいた。
でも、それが魔王ともなると、少し威厳が削がれたように感じたのである。
しかし、愛らしい外見は関係ない。
「……例え見た目がどうであれ、人間を守るためならお前を殺す。かわいいけど、恨むなら運命を呪え」
その宣言に魔王は顔を赤くした。
最初、勇者は激昂したのかと思った。
「か、かわいいとか……ゴホン! あー、うむ。今日はやめておこう。次会った時、覚悟してるがいい!」
しかしそういうわけではないようだった。
勇者は新たな魔王の意味不明さに戦意を削がれかけていた。
「……変な魔王だな。まぁ、いいけど」
「う、うむ。今日はこれくらいにしておいてやろう……我と戦うまで、死ぬなよ? 貴様は我が殺してやるのだからな」
最後にそう言って魔王は去っていく。
一緒に他の魔族も連れて行ったので、これで戦いは終わりだった。
――これが、二人の出会いである。




