第六十二話 帰還
金級探索者として幾多の迷宮を戦ったリンダにして、数万を超す魔物の大軍を見るのは初めてであった。
まるで太陽が地上に落ちたような閃光とともに、幾千もの芋虫から熱線がマクンバの城壁を直撃する。
それは堅牢なマクンバの耐魔法障壁によってからくも防がれたが、それが永遠に続かぬことはだれの目にも明らかであった。
「――――つけあがるんじゃないよ!」
小柄な体からは考えられないような巨大なフレイルを持ち上げて、リンダは大きく振りかぶった。
「どっせええええええええええええええええい!」
轟音とともに解き放たれた鉄球は、過たず芋虫たちの中心に着弾して深いクレーターを作るとともに衝撃をまき散らす。
そして次の瞬間には、フレイルの鉄球はリンダの手元へと戻っていた。
射程距離五百メートル、自動装てん機能搭載の伝説級秘宝、大地の震え。
リンダの誇る決戦兵器の切り札であった。
「まだまだ行くよ!」
次々に放たれるフレイルの容赦ない爆撃。それはさすがの熱線でも迎撃は不可能に近かった。
代わって芋虫の盾になろうと彷徨鎧が前面に出る。
高い物理耐性に加え、武芸においても並みの騎士を優に上回る彷徨鎧は、見事にフレイルの爆撃を防ぎきったかに見えた。
「ところがそうは問屋が卸さぬわい!」
物理攻撃にも魔法攻撃にも高い耐性を誇る彷徨鎧だが、唯一といってよい弱点がある。
それは神聖攻撃に弱いということだ。
厳密に言うならば生命神セフィロトの魔法に弱い。
「こんなこともあろうかと! セフィロトの司祭から祝福済みの聖水を水瓶ごといただいてきておいたわ!」
聖水による聖別を施した対彷徨鎧用榴弾砲ゴメスが爆発音を轟かせる。
大きく弧を描いて射出された榴弾砲は、彷徨鎧の上空二十メートル付近でさく裂し、周囲に数百の破片となってまき散らされた。
破片ひとつひとつは小さくとも、彷徨鎧にとっては劇薬に等しい神聖魔法入りである。
たちまち彷徨鎧のあちこちから溶けるような刺激臭が立ち上り、次々と活動を停止する彷徨鎧が続出した。
「彼らに続け! マクンバの守り手は決して彼らだけではないことを見せてやるのだ!」
騎士団長バイエルは拳を突き上げて咆哮した。
ここで活躍できなければ、永久に騎士団は探索者ギルドの後塵を拝することになるだろう。
なんとしてもそれだけは防がなくては何らなかった。
「おおおおおおおおっ!」
バイエルの闘志が乗り移ったかのように、騎士たちも次々と雄たけびをあげる。
まさにマクンバ守備軍の意気は天を衝くばかりであった。
そんな様子を、リンダは冷めた目で見て嘆息する。
(やれやれ…………あとはマツダが巣を叩き潰してくれるのを祈るばかりだね)
このままならどうにか第一波は耐え凌ぐことができるはずだ。
だが人間は疲労が蓄積してくると、ときに信じられないような間違いを犯す。
緊張で疲労を自覚していないうちに戦いを終わらせたい、というのがリンダの本音であった。
その思惑は今のところうまくいったかに見えた。
およそ二時間の激闘の末――第一波の魔物たちはほぼ殲滅され、無数に転がった屍からは早くも異臭が漂いだしていた。
ひたすら目の前の敵を殺し続けた騎士たちも、騎士に負けるものかと奮起した探索者も、緊張の糸がぷっつりと切れたように座りこんだ。
戦っている間は自覚していなかったが、彼らもいつの間にか限界まで疲労しきっていたのである。
多少のやせ我慢をしているとはいえ、それはリンダやドルロイであっても変わらない。
人目がなければどっかりと倒れこみ、そのまま朝まで眠りたい気分であった。
「やった! やったぞ!」
「このマクンバを守り抜いたんだ!」
「ざまあみろ! この化け物どもめ!」
疲れ果てた身体を引きずりながらも、彼らの声は明るかった。
あのパリザードの氾濫の惨劇を知るだけに、被害を未然に防ぐことのできたことに対する安堵感は大きかった。
下手をすれば、マクンバが地図上から消えるということすらありえたのだ。
そして噂に違わぬ恐るべき大軍――――犠牲なしというわけにはいかなかったが、守備軍が潰滅するということもなく無事に勝利した。
怪我人も落ち着けば治療を終え戦線へ復帰するだろう。
最終的な死者の数は予想を大きく下回るはずであった。そう、このときまでは。
「――――うそ、だろ?」
空が黒くなるほどの小さな飛行体を発見した探索者は、小さくそう呟くことしかできなかった。
その数は優に十万を超えるだろう。
戦闘力は未知数でも、非常に厄介な敵であることは一目瞭然であった。
時間差で現れたのは殺人蜂の群れである。
迷宮の守護虫でもあり、全長は五、六センチほどにすぎない。子供でも殺せる貧弱な身体ではあるが、その針に備えた毒の威力は強力の一言に尽きる。
鍛え上げられた一流の騎士であっても、一度刺されれば麻痺が広がり、三度刺されれば指を動かすのも億劫になるほどのものであった。
一匹一匹は弱くとも、恐ろしくあしらいが難しい。
しかもようやく勝った、と緊張が解けてしまっている最悪のタイミングである。
「――――もうだめだ」
戦うよりも先に諦めがきた。
彼らは戦闘の経験は積んでいても、虫の駆除などやったことはない。
雲霞のごとき蜂を相手にどうやって戦ったらいいか、まるでわからなかった。
「だらしないこと言ってんじゃないよ!」
リンダが吼えた。
「あんたらが自分で死ぬのは構わないさ。だがここで諦めたらこのマクンバの街はどうなる? あんたらに守りたいものはないのかい? 死ぬ前に少しでも守るべきものを守るための努力もできないのかい? 負け犬で人生を終わっても後悔はないのかい?」
「――――その通りだ。われら騎士団に敗北は許されぬ。なぜなら我らが背負っているのは自分一人の命ではないからだ!」
槍を杖代わりにしてバイエルは立ち上がった。
騎士団長の見せた意地に部下の騎士たちも次々と立ち上がる。
一見して疲れ切った様子は隠すべくもないが、死の瞬間まで戦う覚悟が決まった漢の顔であった。
そうなると探索者たちも負けてはいられない。
今さら逃げたところであの蜂の大軍からは逃げられないのである。
ならばせめて最後の最後まで足掻くというのが探索者の流儀であるはずだった。
「覚悟は決まったようだね! なら、最後まで戦いな!」
「相変わらず前向きだな」
ニヤリと不敵に笑う長年連れ添った亭主に、リンダは甘えるように唇を寄せた。
「――諦めなきゃ掴めるものもあるさ」
自分がドルロイを諦めなかったときのように。
リンダの思いは蜂の後方からやってくる、高速の飛翔体によって報われた。
「――――ちっ! 邪魔な連中だ」
巨大なロック鳥を召喚した松田は、その背の上で殺人蜂の大軍を見つめた。
戦って殲滅することは難しくはないが、今は一刻一秒が宝石のように貴重な時間であった。
こんな雑魚を相手に浪費するのは御免こうむりたいところである。
いっそ、ガーゴイルを大量召喚して殲滅させようとも思うが、それではせっかく秘匿していた松田のゴーレム制御が白日のもとに晒されてしまう。
『――お任せください主様』
ディアナも松田と同様に、あるいはそれ以上に時間を惜しんでいた。
残念ながら味方と蜂の距離が近すぎて禁呪は使えない。
そればかりか威力の大きな上級魔法は軒並み使えない状況であった。
――――が、今回は相手が殺人蜂である。防御力でいうなら子供でも容易く殺せる虫でしかなく、わざわざ高威力の魔法を使う必要もない。
そんな敵を相手にするにはうってつけの術式がディアナにはある。
「――――毒霧」
先日毒沼の蛭を全滅させた恐るべき殲滅魔法であった。
松田の魔力も使って範囲を拡大したそれは、上空を埋め尽くす蜂の群れを瞬く間にすべて呑みこんだ。
「のわああああああああっ!」
「うぎゃああああっ! 浸み、浸みりゅううううっ!」
当然味方ごとである。
蜂だけを選別して魔法にかけるほど毒霧は器用な魔法ではない。
しかしいくら疲れているといっても、人間の身体と蜂とでは抵抗力が違う。
多少気分が悪くなったり、怪我が悪化した人間もいたが、それよりも早く蜂は腹をさらして地上に落下を始めた。
今まで空を埋め尽くしていた蜂が、毒に痙攣しながら落下する様はさながら雨のようである。
たちまち大地は殺人蜂の黄と黒に埋め尽くされていった。
「――――ふう、お早いお戻りだね。今度ばかりはもうだめかと思ったよ」
全身をぐっしょりと冷や汗に濡らしていたリンダが額の汗を拭う。
もはや終わりかと思った戦局は、松田の登場による一発大逆転で終了したのだった。
松田がここにいるということは、迷宮も無力化したということだ。
これで完全にマクンバを襲った災厄は終わりを告げた。
が、松田にとってまだこの災厄は終わったわけではない。
松田を称える歓呼と声援を無視して、松田はロック鳥から飛び降りると、そのまま全速力でマクンバの街へと向かった。
その両手には凍りついたように動かない一人の少女の姿があった。
「おい、見たか?」
「さすがは幼女マスターは格が違った」
「まさかこの戦いのなかで、さらに一人幼女を増やした……だと?」
「なんて業が深い男なんだ……」
松田が聞いたら悶絶しそうな感想をよそに、松田はこのところ慣れ親しんできた感のあるハーレプストの工房に飛びこんだ。
「――――師匠! お願いです! こいつを治してやってください!」
リンダやドルロイと違って戦闘力のないハーレプストは、万が一のときには手塩にかけた人形たちと最期を迎えようと覚悟していた。
ところが松田が登場したことで、どうやらマクンバが危機から免れたらしいことを悟ってパッと表情を輝かせる。
「どれ、こんな娘、どこから連れてきたんだい?」
松田の腕の中で微動だにしない少女の顔を覗き込んだハーレプストの顔色が、みるみる蒼白に変わっていく。
驚愕と羨望、そして絶望へと。
ハーレプストが求め続けた技術、そして失われたはずの知識、それは稀代の人形師であるハーレプストをもってしても手に余るものであった。
「――――すまない。これを完全に治すのは僕には無理だよ」




