第三十七話 人形師ハーレプストその2
おそらくは硝子であろう義眼。
ふわふわと波を打つ金髪は腰のあたりまで伸ばされていて、まるで生きているかのように艶やかである。
それでもやはり人間と同じ動きはできないらしく、関節部の動きもどこかぎこちない。
しかし人形であることを考えれば、それがむしろ可愛らしさを醸し出しているように松田には思えた。
「やあ、ありがとうベアトリス」
「ドウイタシマシテ」
そして再び華麗にお辞儀をすると、少女の人形はもといた定位置らしい、木製の椅子へと腰を下ろし、そこで停止した。
松田も日本におけるからくり人形をいささかなりと知っている。
もっともテレビで見た程度ではあるが、田中久重の「弓曳童子」や「文字書き人形」のような精巧なからくり人形には驚嘆したものだ。
特に文字を書き終えると得意そうに微笑む「文字書き人形」をぜんまいとカムだけで表現した田中久重は天才だと思う。
だがハーレプストの造り上げた作品であろうベアトリスは、そのからくり人形とは次元がふたつも三つも違った。
そのときになって松田はようやく室内に佇む幾体もの人形たちに気づいた。
「おはよう、ライラ、コンスタンシア、シャルロット」
カタカタカタカタカ…………。
機械的な起動音が響き、三人の美女が立ち上がる。
「オハヨウゴザイマス。オヤカタサマ」
「サビシカッタワ。ゴシュジンサマ」
「キョウハボクトアソンデネ?」
スラリと背の高い妖艶な美女と、小さな五、六歳ほどの幼女、さらにもう一人はボーイッシュなショートカットの少女だった。
三人ともタイプは異なるが、類まれな美女であるのは確かであろう。
もっとも、人形であるということを除けばであるが。
軽く彼女たちの頭を撫で、ハーレプストはさらに七体の人形たちに挨拶を交わしていった。
「――――驚いたかい?」
いたずらに成功した子供のように笑うハーレプストに、松田は大きく肩をすくめることで応えた。
「驚きましたよ。よくもまあこれほど精巧な人形を造りましたね」
ドルロイの武具も一目でわかる逸品であったが、ハーレプストの人形もまた恐ろしく高価なものであるのはわかった。
一見ちゃらんぽらんそうなハーレプストだが、この人はこの人でドルロイのように高名な人物なのだろう。
そうでなくて、これほど高価なものを造り、維持していけるはずがない。
そもそもハーレプストは表の服飾店のオーナーなのだ。
松田が想像もつかないような財を保持していると考えるべきであった。
「僕はね――――永遠が欲しいんだ」
人は年老いる。些細な偶然でも生命まで失うき弱な生き物でもある。
世界でもっとも美しい女性であっても、年月とともにその美しさを失い、ちょっとした風邪をこじらせて死ぬこともあるのだ。
その弱さがハーレプストには許せなかった。
「美しいものを美しいまま、永遠にこの世界に留めておきたい。容易く朽ち果てるもろい美しさを僕は認めたくない!」
――だから人形を造り続けた。
刹那的にハーレプストが美しいと感じた瞬間を、この世に留めるために様々な年代の女性をなん百と造り続けるうちに、いつしか彼は人形師と呼ばれるようになっていた。
「どうしてそれを私に?」
「君から僕とは方向性は違うけれど、僕と同じ歪みを感じたからさ」
そういってハーレプストは寂しそうに哂った。
「僕もね? 最初から人形しか愛せなかったわけじゃないよ? こう見えて次代の鍛冶師を担うものとしてそれなりに期待もされていた」
――あのまま鍛冶だけに打ち込んでいれば、ドルロイの域にまで達しただろうかと思うこともある。
それほどにハーレプストは将来を嘱望された存在だった。
「僕には幼なじみがいてね。サーシャって可愛い娘さ。性格は男勝りなんだけど、ちょうどステラちゃんくらいの年齢からどんどん綺麗になっていってね」
「弟に負けて悔しくないのかよ!」
「いや、僕なりに頑張ったし、悔いはないよ」
「もう! ハーレは気合が足りないのよ! 気合がっ!」
傍から見れば微笑ましい姉弟のような関係であったろう。
長い黒髪に黒い瞳、歳のわりにメリハリの利いた身体にスッと整った鼻梁。
勝気な彼女からはいつもお日様の香がした。
その居心地の良さに甘えていた。
しかし現実は、ハーレプストに劇的な恋人との逢瀬も失恋すらも許さなかった。
ある冬の朝、サーシャは風邪を引いて高熱を発したかと思うと、あまりにあっけなくこの世を去った。
なんの意味もない幼なじみの死はハーレプストの何かを粉々に打ち砕いた。
「ドルロイを否定するつもりはないが、僕にリンダと結婚する勇気はないな。いつか彼女が僕を置いて死んでしまうことを考えてしまう」
だから決して滅びぬ美を、病むことも老いることもない存在を造り上げることにハーレプストは心血を注いだのである。
「ここに置いてあるのは初期の自動人形さ。どれも耐久性が乏しいからラクシュミーにメンテナンスしてもらっている」
「ラクシュミーさんはお弟子さんですか?」
意外であった。
いかにもやり手のキャリアウーマン風なラクシュミーが、ハーレプストと人形造りに携わっていたとは。
「まあ、弟子といえば弟子なんだが――――」
ハーレプストはいかにもきまり悪そうに頭を掻いた。
「――――弟子であると同時に押しかけ婚約者ですわ」
トレーに紅茶のカップを乗せ、妖艶に微笑むラクシュミーがハーレプストの言葉を継いだ。
「えええええええええええ!」
『ええええええええええええ!』
松田はおろかディアナまで絶叫する意外すぎる言葉であった。
「どうしてむさくて変態で、もう人生の曲がり角をとっくに過ぎたようなハーレプストさんにラクシュミーさんみたいな美人が!」
「マツダ君、君も虫も殺さないような顔してキツイこというね」
「ああっ! すいません! 驚きのあまりつい本音が!」
「そんなに意外でしょうか……?」
ラクシュミーは紅茶をテーブルに置くと、しょんぼりと俯く。
そんな仕草が知的な美貌と相まって、破壊力あることこのうえない。
まさに美女と野獣とはこのことであろう。
「ラクシュミー……君はまだそんなことを……」
「あら、私とハーレプスト様の婚約はまだ破棄されておりませんから、嘘は言ってませんよ?」
「…………君のお父さんが破棄させてくれないんじゃないか」
「うふふ……それでも婚約者は婚約者です!」
頬を染め少女のように恥じらう三十近い美女……ありだな!
松田のなかで何か目覚めてはいけないものが目覚めた瞬間であった。
「そろそろ諦めてくれないかねえ……僕は君の幸せを思って言ってるんだよ?」
「あら、私の幸せを思ってくれているなら早く結婚していただかないと」
なんだろう、このいたたまれない空気。
ずっと子供だと思っていた娘に、ある日異性として見ていることを打ち明けられたような甘酸っぱい雰囲気である。
くそっ! リア充爆発しろ!
「――――悪いけど、これからマツダ君と大事な話があるから」
「わかりました。でも、今日は食事をごいっしょしてくださいね?」
すかさず交換条件を持ち出してくるあたり彼女も只者ではない。苦り切った顔でハーレプストは頷かざるを得なかった。
ラクシュミーの姿が消えるとハーレプストはがっくりと背もたれにもたれかかって脱力すると松田に尋ねた。
「――――どう思う?」
「もげればいいと思いますよ」
「本当にキツイな、君は!」
「あんな美女に悲しい顔させたらいかんでしょ!」
松田の言葉にハーレプストは力なく項垂れた。
「僕は怖いんだよ。彼女を失うことも、彼女が変わってしまうことも、情けないと思うだろうが僕は変わってしまうのが怖い臆病者なんだ」
その声から感じる真摯な響きに、松田もハーレプストを揶揄するのを止めた。
何より松田自身がハーレプストと同じようなことを考えていた。
「――――わかっている。自分がゆがんでいるということは。それでもいいと今までは思っていたけれど……」
そこでハーレプストは決意をこめて大きく息を吸う。
今日はそのために松田を連れてきたのだから。
「最初にも言ったね。僕は永遠が欲しいと」
「ええ」
「どうか僕にこの世に永遠はあるんだと信じさせてほしいんだ。そうすれば、僕は新しい道を踏み出していける気がする」
この世のどこかには、永遠が存在すると確信できれば、それが必ずしも傍にいなくてもいい。
失うことへの恐怖を、それによって乗り越えることができるなら……。
赤心を推して人の腹中に置くという言葉がある。
ハーレプストがあえて松田の前に、弱みをさらけ出したことを理解できぬ松田ではなかった。
人の本音を引き出すためにはまず自らの本音を晒さなくてはならない。
ハウレプストがやってみせたのはまさにそれであった。
叶うことなら、本当は人を愛したいというハーレプストの無意識の叫びを松田は確かに聞いた気がした。
「私が求めるのは決して裏切らない存在です。それなのに絶対服従ではないパートナーとしての感情も求めてしまう。――――私のほうがよほど業が深い」
「そのための計画を君はもっているね?」
「――――はい」
まだ心のどこかでハーレプストを信じきれない自分に、松田は内心で歯ぎしりしたい思いであった。
ディアナやスキルのことはまだ話せない。
松田が目標とするゴーレムを話すのが精いっぱいであった。
「僕の知識のすべてをあげて君の目的に協力させてくれ。そして僕に永遠を信じさせてくれれば報酬はそれだけでいい」
おそらくハーレプストの持つ知識では、決して永遠に辿りつくことはないだろうという予感がある。
この世界の常識をブレイクスルーするためには、松田の持つなんらかの力が絶対に必要であった。
「断る理由は何もありません。どうかご協力をお願いします」
そう答えながら、これはまるで告白だ、と松田は思う。
本人が意識しているのかどうかはわからないが、要するにハーレプストはラクシュミーの想いに向き合いたいと言っているのであった。




