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アラフォー社畜のゴーレムマスター  作者: 高見 梁川
第二章
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第三十三話 酒場にて

 「……参ったな、ああなったらほとぼりが冷めるまで帰れんぞ」

 「仕方ない。リンダを怒らせた僕たちが悪い」

 「というかお二人とも弱すぎません?」

 いや、ステラのように小さくても強い場合があることは十分承知しているが、大の男がリンダのような子供のような女性に蹴りだされる姿はシュールであった。

 「馬鹿野郎! リンダは地獄の毒花と言われた元金級探索者なんだぞ!」

 「彼女に逆らうなんて、そんな命知らずなこと僕にはできないよ」

 小柄な体格に似合わず拳闘士として無類の強さを誇った彼女の拳は、あのグレイオークですら容易く内臓破裂に追い込んだという。

 ドルロイと結婚して表面は大人しく装っているが、実は今も鍛錬はいささかも怠っていないらしい。

 リンダが訓練用の人形を手刀で真っ二つに叩き割った姿を思い出したドルロイは、そのでかい図体をぶるりと震わせた。

 「その割にはノリノリでしたよね」

 「…………男には危険だとわかっていても語り合うべきときがあるのだ!」

 「しかりしかり」

 若干顔が引き攣ってみえるのは、二人ともあれほどリンダを怒らせるつもりはなかったからであろう。

 とりあえず鍛冶師としては傲岸不遜なドルロイも、夫婦喧嘩では勝ち目はないらしい。

 「こうなってはやむを得ん。今日のところは…………」

 「今日のところは?」

 何か嫌な予感がして松田は少し腰の引けた姿勢になる。

 ああ、ちょうど奇跡的に運がよく定時で帰宅できそうなときに上司が見せた笑顔がこんな顔だったような……。

 「貴様の歓迎会じゃ!」

 飲みニケーションですね。わかります。


 こうなった上司はもう止められない。

 ここで断ったり嫌がったりすることは、結局参加させられたうえに機嫌を損ねるという罰ゲームにしかならないことを松田はよく知っている。

 先ほどまでいがみ合っていたのが噓のように、機嫌よくドルロイとハーレプストは肩を抱き合って歩き出した。

 ドワーフたるもの、酒を前にして細かいことにこだわるのは男の風上にも置けんということらしかった。

 「ふむ、マツダよ。お前はいける口か?」

 「ドワーフほどではないでしょうが、それなりに」

 社畜で無趣味であるからといって、松田が酒をたしなまなかったわけではない。

 むしろ現実の憂さを晴らすために美味しい酒にはそれなりに金をかけていた、というのが実情である。

 ビールがメインであったが、ジン、スコッチ、バーボンなどにも手を出し、就寝前のささやかな楽しみにしていた松田であった。

 「わふっ! ステラもお酒大好きです!」

 「いや待て、お前は未成年だろう!」

 ところがドルロイもハーレプストも、相好を崩し、ステラを止めるどころか賞賛した。

 「よしよし、今日はいい酒を飲みなさい。払いはわしが持ってあげるからな」

 「将来有望なお嬢さんだ。酒は人生を豊かにしてくれるからね」

 「ありがとうです! わふっ!」

 さすがに蒸留酒スピリッツを呑むことは少ないが、リンゴシードル蜂蜜酒ミードを子供が飲むのは当たり前のことらしい。

 恐るべし異世界、と松田は思うが、実のところ子供の飲酒の習慣は地球でも珍しいことではなかった。

 現代になって規制されただけのことなのである。

 ドルロイは愉快そうに気勢を上げ、「火喰い亭」と大書された三十坪ほどの瀟洒な飲み屋の扉を叩いた。

 「なんだい旦那、また奥さんと喧嘩したのかい?」

 出鼻をくじかれたドルロイは、なんとも嫌そうな顔をして主人を睨む。

 これではリンダと喧嘩するたびにここに逃げこんでいるといわれたようなものだ。

 「――――今日は新入りの歓迎会だ。余計なことぬかすんじゃねえ!」

 「ま、リンダと喧嘩したのは間違ってないけどね」

 「こいつっ!」

 あっけなくハーレプストに暴露され、ドルロイは首筋まで真っ赤になってハーレプストの首を締めあげる。

 「やれやれ、それにしてもドワーフとエルフが連れ立って飲みにくるなんて、この商売やって長いけど初めて見るよ」

 兄弟のじゃれあい、というにはいささかバイオレンスな肉体言語をサラリとスルーして、酒場のマスターは松田とステラに席を勧めた。

 なかなかお洒落な店構えだな、と松田は内装を眺めて思った。

 ドルロイのことだから、もっと陽気で騒がしい居酒屋のようなところかと思っていたのである。

 これなら飲み会名物、「飲め飲め! 俺の酒が飲めねえってのか?(威圧)」は避けられそうであった。

 「今日は十年物のいいのが入荷してね」

 そういってマスターがグラスに酒を注ぐと、たちまち喧嘩を中断して二人はいそいそと席へと座った。

 どうやらこの二人には、言葉で止めるより酒の香を嗅がせたほうが効果があるらしかった。

 「いい香りだ! ペニオン産か」

 「ああ、ワイン樽に十年寝かせた逸品さ」

 ウィスキーでよく使われる手法だが、シェリーやワインを入れていた空き樽を利用することによって、樽の香を付加するというものがある。

 どうやら異世界でも、酒に関する限り似たような手法が取られているらしかった。

 「――――うまい!」

 香りはバニラ香に葡萄のフルーティーな香りが溶け込んでいて爽やかである。

 そして口当たりもモルトの柔らかい甘みを感じつつもスパイシーで、スモークの余韻が引き立つ後味。

 なかなかに松田程度では滅多に飲めなかった逸品の味わいであった。

 「この味がわかるか! エルフは果実酒のような水みたいな酒ばかり好むと思っていたが、マツダは本当に変わっているな!」

 「本当に美味しいですよ。ふくよかで柔らかい。これなら度数の高い酒が苦手な人でも楽しめるでしょうに」

 「――――それは君が酒の味を知っているからだよマツダ。残念ながら慣れない人間にはこの貴婦人のような甘みがわからないんだ」

 言われてみれば度数の高いアルコールは、慣れないとそれだけで舌が痺れて味などわからないものだ。

 実にもったいない話だが、舌はお金をかけて開発するしかない。

 こうして後天的に味覚を開発させることをアクワイアードテイストという。

 アルコールに身をゆだねたくなる苦行のような生活も、多少は役に立ったということだろうか。

 「お嬢ちゃんはこっちのリンゴ酒をお飲み」

 「わふぅ! ありがとうです!」

 ステラも甘いりんご酒を飲んでご機嫌である。こいつ酔っぱらったら人狼化しないだろうな? と内心気が気ではない松田であった。

 「これを呑んだだけでも今日来た甲斐があったわい!」

 「僕にはヤシの実酒をお願い」

 「ホワイトとダークがありますが?」

 「ではダークで」

 ヤシの実酒といえば地球ではスリランカのアラックが有名である。

 メディスンゴールドなどの原料を焙煎したダークアラックは、かなりウィスキーに似た味わいがして、松田もお気に入りのひとつであった。

 せっかくなので松田もヤシの実酒を注文すると、ドルロイとハーレプストは顔を見合わせて笑った。

 「乾杯だ! 歓迎するぞマツダ!」

 「何はともあれ楽しみにしているよ」

 「ありがとうございます」

 三人の男はともに笑いあうと一気に杯を干して、アルコール臭い吐息をこぼすのであった。


 気持ちの良い酒であった。

 明るく純粋に酒の味を楽しみ、出会いを心から祝う。

 こうした衒いのない酒を、松田は学生の時ですら飲んだことはない。

 特に社畜時代の酒といえば、楽しむためではなく無理やり飲まされる酒である。

 もちろん拒否することなど許されるはずがなかった。

 社会人のマナーは厳しく、上司のビールが三分の一になる前に注ぎにいき、飲む前には当然銘柄のお伺いを立てなければならない。

 「本日は黒ラ○ルと一番○りになっておりますが、どちらになさいますか?」って俺はビール業界の回し者か!

 ちなみにビールの注ぎ方は瓶の底を持ち、ラベルが上を向くようにしてゆっくりと注ぐ。泡がジョッキの三割くらいになるのがベストだ。

 もちろん勝手に注ぐことは許されない。あらかじめ注いでいいか、必ずお伺いを立てて注ぐのである。

 それができない人間は強制的な宴会芸を求められる可能性が高い。

 社畜に限らないが、社会人になれば大概は一発芸を求められる機会に遭遇するだろう。

 こういうときに日本人サラリーマンは容赦ない。

 日本にやってきた海外ビジネスマンに、日本人のここに驚いた、というアンケートを取ったところ、堂々の一位に輝いたのが、日本人は酒の席で豹変する、であった。

 普段は礼儀正しく温厚な日本人が、なぜか酒の席ではネクタイを頭に巻いた修羅と化すのが心底不思議であるらしい。

 一部の上司と違い、アルコールが回りきっていない下っ端にとって、馬鹿になりきった一発芸は苦痛である。

 その辺が麻痺した酔っ払い親父どもに任せたいのだが、残念ながらそれを周りは許してくれない。

 まず鉄板はモノマネ

 女性がいない席では下ネタである。

 特に嫌われ者の上司がいて、その上司が出席していないような場合、この上司のモノマネは間違いなく受ける。しかし後日それがバレると陰湿な社内いじめを受けるという諸刃の刃。

 (よかった。本当に良かった。もう俺は村田英雄のモノマネをしなくていいんだ…………)

 勝ち組! 圧倒的勝ち組!

 今こそ松田は間違いなく勝ち組のひとりであった。

 感激に瞳を潤ませる松田を、ドルロイとハーレプストは生暖かい目で見守っていた。

 まさか松田がそんな過去との葛藤をしているとは知らずに。


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