第百五十二話 人狼の秘密
サーシャは松田から離れ、隠れ里へと戻っていた。
あのパズルの迷宮でサーシャが目にした事実は、彼女がその胸に抱えておくには大きすぎるものだったのである。
急遽集められた幹部たちの表情は一様に深刻であった。
「にわかには信じがたいな」
「まあ、あの女が言っていたことが真実という保障はないけれどね。私はこの目で見たことを報告するだけよ」
失われたパズルの悲劇の真実、覆面というエレノラの妹が実は迷宮暴走の黒幕であったこと。
そしてその人格を転写した秘宝が現在も存在しているであろうこと。
もっとも大きな問題は、覆面と呼ばれた人狼ステラがライドッグ転生に関わっている可能性が高いことである。
現実にライドッグがリアゴッドとして転生している以上、ステラもまた転生している可能性が高かった。
「マフヨウ支族のステラといったな?」
「……本人はそう言ってるわね」
やはり問題はそこなのよね、とサーシャはため息を吐く。
パズルの迷宮で起こった真実そのものには、実はそれほどの価値はない。
いや、ライドッグの動向やその背後で動いていた意志など貴重な情報も多いのだが、結局人狼が狙われていることに変わりはないからだ。
しかしその原因に人狼が関わっているとなれば話は違う。
身を守るため隠れ住むことを強いられている人狼とて、好んで隠れ住んでいるわけではない。
エルフやドワーフのように、国家として生存圏を所有していたはずの人狼が、生存確率をあげるために複数に分かれて世界から潜んで暮らしているのは、ひとえにライドッグの存在から逃れるため、そして不老不死の効果があるという噂から逃避するためであった。
では本当に人狼の血には不老不死の効果があるのか?
そんなはずはない。
それはこれまで一度も不老不死の成功例などないことが証明していた。
一度も成功していないのに、どうして不老不死の効果があるなどという噂が信じられてしまうのか。
それはやはり古の大魔法士ライドッグが人狼を狙ったという事実があるからにほかならない。
そしてライドッグに狙われ壊滅した人狼の里こそ、マフヨウ支族の里であったはずなのだ。
「…………その娘、一度こちらへ連れてくることはできんか?」
「私は反対だ。我が里の所在を暴露するのは危険が大きすぎるぞ」
村長の言葉に自警団長が反対の声をあげる。
ステラの正体が明らかでない現状、彼女をこの里に招くのは危険だと判断したのである。
「とはいえ捨て置けぬ問題ではある」
結界によって外界と隔絶した生活を送っている人狼族は、緩やかにではあるが滅びへの道を歩んでいた。
ライドッグの転生を含め、問題が解決することができるのならば、賭けにでるべきではないか?
薬師長はそう言っていた。
「――ひとつ提案があるのだが」
神狼司祭がおもむろに手を挙げた。
「なんだ? 遠慮はいらん」
「カゲツ支族の長老ならば何か知っているかもしれん。あそこはマフヨウ支族と近しかったからな」
サーシャは顔を俯かせてぽつりと零すように尋ねた。
「あの娘は古のステラの転生体なのでしょうか?」
もしそうであるなら、サーシャはあの可愛いステラと殺しあわなければならないかもしれない。
同時にそれは松田という最大最強のゴーレムマスターと敵対することを意味していた。
正直なところサーシャ本人の実感としては、リアゴッドよりも松田のほうが敵に回したくない相手だった。
「わからん。だがこれだけ材料がそろえば疑わぬほうがおかしかろう?」
「…………そうですね」
「サーシャ、お前は理由をつけて一行に近づき可能な限り同行して情報を収集しろ。もし――――」
村長は深く息を吸い込むと、固い決意をこめて言葉を吐き出した。
「その娘がステラの転生体として目覚め、我が里に仇をなすようならお前が命を奪うのだ。よいな?」
やはりそうか。
その命令を実行すれば自分の命はないだろうな、と思いながらもサーシャは力強く頷くのだった。
パズルの街を出発した松田たちは、ひとまずデアフリンガー王国の王都シュペーを目指した。
それというのも国王フェッターケアンからの招待状が早馬によって届けられたからである。
万物を見通す眼イリスを封印した迷宮は、松田がこの世界に降り立ったリジョンの町からさらに数百キロ南にある。
速やかに移動するためにも、松田の伝説級探索者としての認証式を執り行いたいというのであった。
伝説級の称号は複数のギルドによる推薦と、それに相応しい実績を君主あるいはそれと同等の権力者が認めることによって成立する。
フェイドル迷宮の攻略とパズル迷宮の攻略、さらに個人でのワーゲンブルグ王国の撃退。
伝説級として認定されるには十分すぎる実績であった。
ほとんどの伝説級探索者は迷宮に引きこもってしまうが、実は多大な特権を認められている。
そのもっとも大きなものは国家間移動のフリーパスと探索者ギルドの協力義務であろう。
伝説級探索者は国境の関所に拘束されない。
どこに行こうと思うがままだ。
さらに各国に存在する探索者ギルドは、伝説級探索者の要請があればそれに協力する義務がある。
だからどこの迷宮であろうと伝説級探索者はフリーパスで攻略することができる。
リジョンの町がある王国はデアフリンガー王国と敵対しているわけではないが、かといって友好国というわけでもない。
隣接するリュッツォー王国は歴史的な敵国であるだけに、形式だけでもフリーを保障されるということには意味がある。
後ろ盾があるということは厄介ごとに巻きこまれる可能性が高まるということでもあるが、後ろ盾がないよりはマシであるということを松田は経験的に知っている。
「やあ、大活躍だったね」
「お出迎え恐縮です。師匠」
城門を潜るとハーレプストが笑顔で待っていた。
「最初は陛下が出迎えると言ってたので頑張って止めたんだよ」
「心の底からありがとうございます」
苦笑するハーレプストに松田は深々と頭を下げた。
そんないたたまれない状況は胃にやさしくなさすぎる。
「今の君にはそれだけの価値があるということだよ」
瞬く間に恐ろしく成長した弟子を、ハーレプストは微笑ましく思った。
ただ単に戦力があがっただけではない。
出会ったばかりのころの松田は、明らかに他者との間に線を引いていた。
だからこそ人形に永遠を求めるハーレプストの琴線に触れたともいえる。
今の松田にはあのとき感じたフラットさがない。
むしろ今のほうが苦しんでいるように見えるが、それは必要な苦しみであることをハーレプストは知っていた。
信じるということは、疑うよりよほど大きなストレスと勇気を必要とするのである。
もう一度松田が人を信じようとしている。
それがハーレプストにはうれしかった。
同時に危ういとも思う。この世界が裏切りと詐欺に満ちていることもまた確かであるからだ。
ハーレプストは持つ全ての伝手と知識を動員して、松田を助ける覚悟を決めていた。
「ハーレプスト様! 私の素体は見つかりましたか?」
食いつくようにディアナに問われてハーレプストは苦笑する。
意思があるとはいえ、この人間臭さには感嘆の意を禁じえない。
この秘宝を作った人間は紛れもなく天才であろう。
このときまだハーレプストは人格転写という技法の存在を知らなかった。
「残念ながら君のご希望に沿うようなものは……人形であればいつでも都合が利くのだが」
ディアナの魔法素体は特別製である。
世には知られていなかったが、人型秘宝としては絢爛たる七つの秘宝をも凌ぐ006の素体を取り込んだものだ。
これを凌駕するだけの素体が手に入るとはハーレプストには到底思えなかった。
ディアナには決して言えないことではあるが。
「ううっ……いったいいつになったら私は理想の身体を……」
「そういえばイリス用の素体も必要なのではないですか?」
フォウがツインテールを揺らして無邪気に問いかけると、ハーレプストはついうっかり気色を露わにして答えた。
「先日インスピレーションが湧いたのでちょっと作ってみたんだ。妻の妹がモデルでね。若いころの彼女を思い出すんだ」
「――――誰の若いころですって?」
「のわああああっ! ララ、ラクシュミー! 君は晩餐の支度があると言っていたじゃないか!」
冷たく「うふふ」と笑い、目だけは北国のブリザードのように凍てつかせたままラクシュミーはハーレプストの手を取った。
「妹のアイシャに指示を出しておきましたわ。あの娘ったら、妙に貴方に懐いているから、ちょっと話を伺わなければと思いまして」
「ぼぼ、僕は疑われるようなことは何もしていないよ? 僕が愛しているのは誓って君ひとりだ!」
「私も愛しておりますわ」
本心からハーレプストを自分の命以上に大切に思っている。が、それとこれとは別の問題だ。
「愛って怖いんですのよ? 特に女は愛の形については人一倍敏感ですの」
「マ、マツダ君!」
助けを求める小動物のような怯えた瞳から、松田は深い諦念とともに視線を逸らした。
「女性が怒っているときには諦めて叱られてください。こちらに非がある場合は特に」
「君はラクシュミーの怖さを知らないからそんなことが……ぎゃああああ!」
「いやだわ♪ マツダ様の前でそんな恥ずかしいことおっしゃるなんて」
「いやだああ! 逆さ磔はいやだあああ!」
「何してはるん?」
もともとS気質があるとは思っていたが、ラクシュミーとハーレプスト夫妻のプレイは松田の想像を超えた部分があるらしかった。
「ご主人様、逆さ磔ってなんですか? わふ」
「ステラ、お前はわからなくていいんだよ」
「お父様、私も知りたいです」
「お前はさらに別に進化しそうでやだ」
「な、なんだかすごく侮辱されたような気がするわ!」
唇を尖らせてディアナがぽかぽかと松田の胸を拳で殴る。
「わ~~い! ステラもやるです! わふ」
「お前がやると洒落にならないから止めろ!」
松田とディアナの心がひとつになった瞬間であった。
「わふ?」




