第百四十七話 破滅の序曲
リトルミルは松田とこの場で完全に敵対するのを避けるつもりだった。
正面から敵対するには犠牲にするものが大きすぎると思ったからだ。
そもそもここに八百ものゴーレムに対抗できるような戦力はない。
しかし間の悪いということはあるものだ。
全くの善意で、最悪のタイミングで最悪の失敗をやらかすということがある。
今まさにそれが起きていた。
「動くな!」
洞窟へ向かっていた兵の一部が、ぞろぞろと子供や老人を拘束してやってきたのである。
それは時間を止められてしまっていたマリーカ以外の安置されていた人々であった。
彼らは意識を取り戻したものの、ここがどこで何が起こったのかわからぬままに洞窟から外へ出てきていたのである。
出てきてみればいかめしい兵隊がうろついており、話を聞こうと事情がわかっていたようなノーラを探していたら捕まったということらしかった。
「このゴーレムを操作しているのは貴様か? 一刻も早くゴーレムを消して投降しろ!」
分隊を率いていた指揮官は、リトルミルの困惑をよそに松田へそう言い放った。
「――――敵対行動と受け取るけどいいかい?」
「ま、待て! 待ってくれ! いいからその人質を放すんだローズバンク!」
味方のはずのリトルミルに詰め寄られて、ローズバンクは鼻白んだように顔を歪めた。
「こんな戦力を放っておけるか! そもそもリトルミル、官僚である貴方に軍の指揮権はない!」
「そんなことはわかっている! わかっているがあえて言っている事情を考えてくれ!」
ここで松田と決定的に決裂することはいかにもやばいのだ。
司令官であるプルトニーもきっとそう考えるはずだ、とリトルミルは確信していた。
その考えは当たっており、この時点ですでにプルトニーは伝令を発していたのだが、いかんせん到着が遅かった。
「その人たちは他人ですが、時間の流れから切り離され大切な時間を失った犠牲者です。見過ごすわけにはいきません」
「それならさっさとゴーレムを還せ!」
「――――ステラ」
「はいです! わふ」
電光石火、可視限界を超えた速さでステラが走る。
これはステラの身体能力が規格外であること以外に、もうひとつの要因があった。
エレノラの人格が消えた覆面。
それは秘宝として時間を多少なりとも制御するスキルが備わっていたのである。
兵士たちの時間の流れを遅くし、ステラの時間の流れを早くすればその差は四倍以上。
さらにステラの身体能力が加われば、もうそれは目で追えるレベルではない。
いや、認識すらできないだろう。
「さあ、早くしないか!」
「何を?」
「人質がどうなってもいいのか?」
「だから何を?」
「ええいっ! 見せしめに一人くらい斬り殺して……い、いつの間に?」
部下に命じようとしてローズバンクは驚愕した。
二十人はいたはずの人質が一人もいない。いや、それどころか部下が一人残らず倒されていた。
「貴様……何をした?」
「その前に何か言うことがあるだろう?」
周囲を騎士ゴーレムに囲まれたローズバンクはそれでも抵抗を止めようとはしなかった。
「わかっているのか? 二万、二万だぞ? おっつけ三万の援軍もやってくる。粋がってもどうせ勝ち目などないのだ!」
「そこのおっさんはもう少し理屈がわかってくれたんだがなあ」
リトルミルは松田とここで争うことの愚かさがわかっているが、ローズバンクはそれ以上に軍の威信が優先するようであった。
確かに軍隊というものは、嘗められたら終わりという部分が多く存在する。
とはいえそれも相手によるのだ。
「たとえここで俺が死すとも、残る仲間が決して貴様を生かして帰さん!」
「それフラグだろ」
呆れた松田がローズバンクの意識を刈り取ろうとゴーレムに命じた瞬間、衝撃がやってきた。
「――――火具土」
複数の悲鳴が響き、余波が振動とともに湖面に波を蹴立てていった。
「だから邪魔をするな、と言ったろう?」
二万もの大軍となると、命令が行き渡るまでに時間がかかる。
戦争で気が立っていた兵士が、勝手にシェリーへ手を出すのを完全に止めることはプルトニーにも不可能だった。
たった一人の美女がそこまで強敵であるなど予想するのは、平凡な兵士にできるはずがなかった。
制止しようとして戦友を倒された仲間が激高する。
そして連鎖するようにしてシェリーを包囲する兵士の数は激増していった。
しかしそれは、司令部の命令ではない自然発生的なもので、シェリーにとって脅威というほどでもなかった。
とはいえいい加減邪魔であるのも事実である。
何より皮膚感覚で松田との距離が近づいていることにシェリーは気づいていた。
これ以上ついてこられるのは迷惑だ。
そう判断してシェリーは明確にワーゲンブルグ王国軍の敵となった。
それは松田が敵対を決断しかけたのとほぼ同じ時刻だった。
派手な爆発。怒号と悲鳴。
まさか早くもデアフリンガー王国軍が到着したのか、と松田たちはギルドから外へ駆け出した。
「マリーカたちは隠れておいで」
二体の騎士ゴーレムをつけてマリーカたちは再び洞窟のなかへと避難させた。
あそこなら大抵の攻撃はミスリルの扉が守ってくれる。
「――――そこにいたか」
「……シェリーさん、なのか?」
記憶にあるシェリーとは何もかもが変わっていて松田は言葉を詰まらせた。
存在感が違う。
覇気と自分への自信が違う。
そしていつも何かに満たされず苦悩を胸に秘めていた憂いが完全に払しょくされていた。
これによく似た人間を松田はよく知っている。
上昇志向の強い人間が、道を踏み外して成功を手に入れてしまった時と、今のシェリーはよく似ていた。
「どうだ? 私は強くなっただろう? マツダ」
あのマリアナですら倒したのだ。
もう宝石級どころじゃない。伝説級にだって自分はまけない強さを手に入れた。
「あんた……いったい何をやったんだい?」
「ノーラか。お前程度の強さでマツダの傍にいるのは不釣り合いも甚だしいのではないか?」
「なんだって!」
以前のシェリーは強さに焦がれていたが、それだけが人間の判断基準ではなかった。
戦いの強さだけが人間の価値ではないと十分にわかっていた。
だから他人に対する敬意を忘れなかった。
それでもなお自分は強くなりたいという欲求を抑えることができずにいた。
「――本当にどうしたのですか? シェリーさん。貴女はそんなことを言う人ではありませんでした」
「ディアナか。そう、私は変わった。もうあのころの脆弱な私ではないのだ!」
「なんのために強くなったんですか? シェリーさん」
強くなる。それだけが目的なら強くなるための手段はなんであっても構わない。
何を犠牲にしようと、だれを犠牲にしようと、それは目的のために正当化される。
出世欲の強い人間が往々にしてこれをやる。
とにかく出世するためには客を騙そうと、人間関係を破壊しようと、尊厳を捨てて上司に媚びようと構わない。
ただ出世ができればそれでいい。
そして出世をしたら、それを守るためにはあらゆる手段を使ってライバルを蹴落とす。
そんな自分の地位を守ることだけは妙に才能を発揮する上司がいた。
おそらくは最初からそうだったわけではあるまい。
人はどこかで何かを踏み外す機会があるものだ。
シェリーはそれを踏み外した。ノーラは妹を助けるという目的があったから、ギリギリのところで踏み外さないでいられた。
踏み外さなかったから今、松田の傍にいることを許されている。
それがシェリーには理解できない。
いや、かつては理解できていたはずだが、道を踏み外したときから理解できなくなってしまった。
「早く出ていけノーラ。そこはお前がいるべき場所じゃない。弱い者は弱い者同士で群れていればいいのだ」
「生憎と惚れた腫れたは強い弱いじゃないのさ。おこちゃまにはわからないかもしれないけどね」
「お前にその資格はない」
「あははっ! 自分にはその資格があるとか思ってる? 私に言わせりゃスキャパフローに残ってついてこなかった時点で、あんたにマツダを好きになる資格なんてないね!」
ノーラの台詞はシェリーの痛い部分をついた。
シェリーにだって松田の旅についていくことはできた。
しかしついていけば実力の差を見せつけられる。足手まといになってしまう。その事実が自分のプライドを守れなくてつらい。
だからシェリーは残った。
そして以前にもまして強くなることを誓った。
どんな犠牲を払おうとも強くなる。強くなってもう一度松田の傍に立つ。
――――そう頑なに信じてきた。自分の心を守るために。
ノーラはまさにそれをシェリーに指摘したのだった。
「たかがその程度の腕で!」
シェリーは歯噛みする。
こんなに強くなったのに思うようにいかない状況に。
「見ろ! これが今の私の力だ! 死霊氾濫!」
地中から湧き出すように現れる数千の死霊の群れに、目撃していた兵士から動揺が広がった。
「なんだあれは……生きている人間じゃないぞ!」
「まさか迷宮が溢れたんじゃ……」
「冗談じゃねえ! わざわざよその国まで来て、そんなことの後始末なんてしてられるかよ!」
彼らは王国の命令もあるが、敵国の領地を奪い成果を奪い取るためにやってきた。
ところが本来敵国が負うべき災厄の後始末を押し付けられようとしている。
そんなことのために命を懸けられるはずがなかった。
「逃げろ!」
もうシェリーや松田のことなどどうでもよい。
誰にも褒められない無為の死から逃れようと、兵士たちは我がちに湖から遠ざかっていく。
「それが貴女が得た力か?」
「そうだ! 死霊という眷属も! 魔力も! 技も! 何もかも以前までの私ではない!」
だから松田の隣には自分が相応しい、とは言いだせなかった。
力とは、他人が認めてこそ価値があるものだからだ。
「そうですね。前よりも弱くなりました」
「――――えっ?」
松田の言葉が信じられずに、まるで子供のようにシェリーは問い返した。
「貴女は強くなっていない。弱さを捨てただけです。捨てた弱さのなかに貴女の人間性があったのに」
なりふり構わず強さを求め、マリアナもナージャも捨てたのだとしたら、そんなシェリーを誰が必要とするだろう。
捨てない強さ、諦めない強さこそが本当の強さだと松田は思う。
何もかも諦めて生きてきたからこそ、この新たな人生では諦めたくない。
もう一度人を信じて、絶望より希望を友にしたいのだ。
それが我がままに生きることだと、松田は今こそ理解した。
「お前まで――お前までそんなことを言うのか。お前ほど強さを持ちながら……今更弱さを認めるようなことを言うな!」
松田が強いからこそ、その高みに達したいと願ったからこそ、自分は外道の秘宝を奪い、仲間であったマリアナとナージャを殺した。
もう後戻りなどできるはずがない。
「認めないというのなら力づくで認めさせてやる! 所詮弱き者は強き者に従うものなのだから!」
もうシェリーにはこの力にすがるしか選択肢がなかった。
そしてたとえ心は手に入れられなくても、松田さえ手に入れることができればそれでいい。
手に入らないのなら、この手でこの世界から消し去る。
そうすればもう誰も松田を手に入れることはできないから。
「渡さない。マツダは私のもの。強き者だけが手に入れられるもの」
「そういう痛い考えは嫌いだよ」
「――――死ね」




