第百四十一話 人狼の里
ここで時間は少々遡る。
サーシャは自らの故郷ファリル支族の村へと帰還していた。
「にわかには信じられぬ話だな」
「こんな話、私が一番信じたくないわよ」
村長を中心にしてファリル支族の幹部が一堂に会していた。
戦巫女サーシャ、自警団長、神狼司祭、薬師長が左右に向かい合うようにして座る。
パズルの封印が解けた。
その事実確認のはずが、サーシャが持ち帰ったのは彼らの予想を大きく逸脱したとんでもないものであった。
「絢爛たる七つの秘宝だと?」
「しかも二つ?」
「しかもライドッグの転生体というリアゴッドという男が暗躍していると?」
どれをとっても村の存続にかかわる一大事である。
人狼の血が不老不死に必要というのは、ライドッグが広めたことと伝えられる。
そのライドッグの転生体が現れたのなら、隠れ住む人狼の村を探さぬはずがない。
「そのリアゴッドという男、どこにいるかわからんのか?」
「残念ながらマツダに聞いた話だと、宝冠コリンを手に入れててどこかに転移してしまったらしいわ。コリンがあるんじゃ事実上行方不明と同じことよ」
「――――なんと厄介な……」
奇襲戦闘でもコリンの能力は恐ろしいが、本当に厄介なのは勝てないとわかればいつでも逃げられるということだ。
おそらくリアゴッド以上の戦力を用意することはできる。
しかしそんな戦力とは直接戦わず、逃げて奇襲して、というゲリラ戦をされると人狼側には打つ手がない。
最初から罠として強固な結界を用意し、そこにリアゴッドを閉じ込めるなら転移は不可能かもしれないが、罠に簡単にはまってくれる相手なら、人狼もここまで苦労していなかった。
パズルの迷宮の解放などよりよほど恐ろしいサーシャの報告に、ファリル支族は震えあがったといってよい。
「……それにしても封印するより方法がなかったあの絢爛たる七つの秘宝を支配下に置くとは、そのマツダというエルフ何者だ?」
「少なくとも名の知られたエルフにマツダなる男の名はないはずだ」
「信じがたいことだけど、どうやら天才の部類かと。驚くほど魔法の知識がなかったわ」
「知識がないのに絢爛たる七つの秘宝を従えるなど……夢物語といいたいところだが」
「しかもその絢爛たる七つの秘宝に人間そっくりのゴーレムの身体を与えていて見かけからは人間にしか見えないのよ」
「…………そんなことがありうるのか」
サーシャが言う以上事実なのだろう。
それでも納得しがたい驚きがある。
ただでさえゴーレムというのは廃れた技術であり、維持するのも非効率と考えられてきた。
そのゴーレムが人間そっくりの身体を手に入れ、人間と同じ生活をしているなど恐怖しかない。
自分のすぐ隣の人間がゴーレムかもしれない、と疑って生活するなど彼らにとって悪夢でしかなかった。
――――野放しにするべきではない。
人間社会にひっそりとゴーレムが紛れ込む前に、マツダという男は始末したほうがいいのではないか?
ふとそんな考えが村の幹部たちの脳裏をよぎった。
「今、みんなが何を考えたかわかるわ。私も一度は考えたから。でも心配はないと思う。彼に知性ある秘宝は作れないから」
「なるほど」
確かに、いくら人間そっくりでも、人間に紛れて生活するためにはそれなりの知性が必要だ。
人間そっくりに作るだけなら人形師にだってできる。
実際松田のゴーレム造形技術の大半は、師匠であるハーレプストが完成させた技法であった。
「それに彼は敵にするより味方につけるべき存在だと思うの。ライドッグの転生体がいつまでも私たちを放置しておくはずはないと思うから」
「…………その転生体というのは本物なのか? 前世の記憶を意図的に保存したまま転生したなど聞いたこともないぞ?」
「その辺は私にもわからないわ。ただ確かなのは絢爛たる七つの秘宝やライドッグの使い魔が、その転生体を契約者であると認識したということよ」
魔法士との間に結ばれた精神的な契約は、基本的に他者は決して偽造できない。
ゆえに魔法士同士や国家間の契約においても、この精神的契約が使用され、強制力を持たせるということがある。
だからこそクスコは契約の破棄でダメージを負い、狂気の狭間に取り残されることになった。
「ではなぜそのマツダという男は絢爛たる七つの秘宝を使えるのだ?」
「本人は主のいない秘宝ならなんでも使えると言っていたけれど?」
「そんな馬鹿な話があるかっ!」
秘宝というものは上級なものになると、先祖伝来の家宝であり、大抵の場合、呪文や血統による鍵がかけられている。
マリアナが使用しているスキャパフロー王家伝来の秘宝だって、王家の血を引いていないと使えない。
秘宝が恐ろしく貴重なものであるにもかかわらず、あまり盗難や売買がないのはそのためだ。
無主の秘宝がなんでも使えるならば、倉庫で埃をかぶっている貴重だが誰も使えない秘宝が全て実用化されることになる。
もしそれがスキルなら伝説級のとんでもないスキルだった。
「ことの真偽はともかく……絢爛たる七つの秘宝が使えるというのなら、転生体との戦いには有用だな」
「有用なんてもんじゃないわ! 秘宝がなくとも彼は五百体以上のゴーレム軍団を同時に操れるんだから!」
「お前は何を言ってるんだ?」
「その反応はわかるけど、本当なのよ! 私はいっしょに迷宮に入ってこの目でみたんだから!」
やはり百を超えるゴーレムの同時制御というのは、その目で見た人間でなければ眉唾にしか聞こえなかった。
ミスリルで錬金された人型ゴーレムは、優秀な騎士団二十名に匹敵するという話がある。
ならば松田のゴーレム軍団は軽く一万の騎士団を凌駕する能力を持つということだ。
「もしそれが本当だとすれば各国もマツダを放置しておくことはできんぞ? すでにそれは伝説級に匹敵する戦力だ」
「左様、下手をすればマツダを味方につけた国が戦争に勝つ、ということもありうる」
「いや、それ以前に彼を手に入れるために戦争が始まりかねない」
今のところ松田が絢爛たる七つの秘宝を所有していることを知っているのはスキャパフロー王国だけだが、それもいずれはバレるだろう。
それを抜きにしても松田の持つ力は大きすぎる。
「…………それだけじゃなく、強力な白狐の使い魔に人狼の女の子もついてるしね」
「どうしてエルフの探索者に人狼の子供がついておる!」
「なんでも山賊に襲われて捕まっていたのを助けられたとか……」
「里はわからんのか? そのマツダという男に利用されているのではあるまいな?」
「本人がすごく慕っていっしょにいたがってるから、それはないと思うけど……」
よくよく考えてみればステラは危うい。
もしみつかればどうしたって里の情報を探られるだろうし、松田がその気になればいつでも実験に使うことだってできる。
あるいはステラを餌に人狼の里を襲うことだって。
「いったいどこの里だ? このあたりにファリル以外の里はないはずだが」
「それが……おかしいのよ。マフヨウ支族だっていうの」
「そんな馬鹿な! ありえぬ!」
ひどく興奮した様子で村長のカツコフは叫んだ。
「どういうこと?」
「マフヨウ支族はライドッグに滅ぼされこの地上から消滅した。生き残りなどありえん!」
「ありえないことがいろいろ起きてるからしょうがないでしょ? なにかしら事情があったのよ」
ありえないというのなら、松田の存在自体がかなりありえない。
魔法には無知、なのに使う魔法は伝説級。
さらに魔力も恐ろしく膨大で、ほとんど無尽蔵のように大魔法を連発する。
サーシャが思うに、ことゴーレムに関するかぎりこの世界で松田を凌ぐ魔法士は伝説級を含めても一人もいないだろう。
「マフヨウ支族が全滅したのは確実だ。そもそも我々が身を隠したのはライドッグから身を守るためだが、その発端となったのがマフヨウ支族の虐殺だったのだから」
仮にひとりふたり逃れた者がいたとしても、それではもはや支族とは言わない。
しかしステラには、父親をはじめ支族のコミュニティーとしての記憶が確かにあった。
はたしてそれはいったい何を意味するのか。
「――――ステラちゃん、貴女いったいどこから来たの?」
「あなた」
「どうしたんだい? ラクシュミー」
優しく答えるハーレプストの頬を抓り、ラクシュミーは拗ねたように唇を尖らせた。
「もう約束を破るつもりですの?」
「い、いや、僕はその……なんというか、その場の勢いで君に約束させられたというか……」
「それでも約束は約束です!」
「ハ、ハニーには敵わないな」
顔を真っ赤に紅潮させて照れたハーレプストは、口ごもるようにしてそう言った。
ハーレプストとラクシュミーはまさに蜜月を過ごしている。
密かに入手した秘薬を使用し、ラクシュミーが妊娠したのはほぼ確実だが、今のところハーレプストには秘密である。
心優しいハーレプストは、過保護にラクシュミーをいたわるに違いないからだ。
もう少し蜜月を楽しみたい。主にラクシュミーの肉欲的に。
自分が女としてハーレプストに求められているという充足感と、独占欲を満足させる多幸感は、そう簡単に手放されるものではない。
とりあえず本当に妊娠がはっきりするまで、毎晩絞って絞って絞り切るつもりである。
どこかハーレプストの肌が潤いをなくしてかさついて見えるのはきっと気のせいではないだろう。
そんな二人の甘い時間を、唐突に破る音があった。
「何かしら?」
「ハニーは下がっていなさい」
その音は天窓に近い壁面から響いている。
睨むようにして外を警戒していたハーレプストは、どっと脱力して肩の力を抜いた。
「大丈夫ですの?」
「ああ、これはマツダ君のゴーレムだよ」
「もう、いい雰囲気だったのに!」
「僕たちの時間はまだまだたっぷりあるだろう? ハニー」
なんだかんだといってラクシュミーにメロメロなハーレプストであった。
「それにしてもわざわざゴーレムを送ってくるとは、また何かあったかな?」
松田の控えめな性格なら、普通新婚生活中のハーレプストには遠慮するだろう。
こうしてゴーレムを送ってきたということは、よほど抜き差しならぬ何かが起こったということだ。
しかもその何かは、きっとハーレプストやラクシュミーと無関係ではない。
松田が送ったゴーレムは、一見本物の鷹のようであり、その足元には一通の便せんが結ばれている。
慎重に結び目を解くと、ハーレプストは急いでその文面に目を通した。
肩越しにラクシュミーものぞき込んでいる。
二人の顔色が蒼く変わるのにそう時間はかからなかった。
特にラクシュミーはクラウゼヴィッツ家の一員として国家の中枢に関する情報を知っている。
「パズルの迷宮復活、なれどギルド職員クロードは情報を国外に流出させた可能性あり」
実際にデアフリンガー王国の探索者ギルドにパズル復活の報告はない。
もし届いていたらクラウゼヴィッツ家がそれを知らぬはずがない。
ではいったいどこに情報が流出したのか。
それはかつてパズルを領有していたワーゲンブルグ王国以外にはありえなかった。
ではその情報を手にしたワーゲンブルグ王国はどうするか。
いまだにデアフリンガー王国に対して情報を秘匿させているのが答えであった。
すなわち、ワーゲンブルグ王国は戦争を準備しているのである。
「あと一か月くらい大人しくしていられなかったのかしら?」
不満そうなラクシュミーの頬を野太い指で撫でて、ハーレプストは苦笑する。
「それはマツダ君に? それともワーゲンブルグ王国に?」
「この騒動を仕組んだ運命の女神に、よ」




