第百二十六話 ハーレプストの結婚
「でかっ!」
デアフリンガー王国の王都シュペー、その中心街の一角に一万坪以上の広大な敷地を持つクラウゼヴィッツ家の屋敷に、松田は驚きの声をあげた。
ラクシュミーがご令嬢だとは聞いていたが、まさかこれほどの大富豪の娘だったとは。
ズラリと整列したメイドと執事の中央に、口ひげを蓄えた偉丈夫が立っている。
年のころは五十に届くかどうか。その男はラクシュミーの顔を見るなり、くしゃりと顔を綻ばせた。
「我が娘がお世話になったそうですな」
「ただいま、お父様」
「元気そうで安心したよ、ラクシュミー」
玄関で待ち構えていた迫力のあるロマンスグレーの正体は、ラクシュミーの父ローバルであった。
さすがは大商会の長、迫力が違う。
「お招きに預かりまして恐縮です」
「いやいや、今もっとも世界で注目されている男に来ていただき、我が家も鼻が高いというもの」
ローバルの言葉に、到底聞き逃せないものを見つけて松田は聞き返した。
「世界で注目されてる?」
「まさかあれだけのことをしておいて注目されないとでも?」
「ま、まあ国を相手にどこまでできるかなあ、なんてはっちゃけた部分は否めませんが……」
「この世界で国を相手に我を通せる人間がどれだけいると思っているのです? 各国はすでにマツダ殿を新たな伝説級探索者として認識し始めています」
伝説級とは個人で国家に匹敵する力を持つ者の総称で、こればかりはギルドで認定するものではない。
各国が安全保障関係を結び、共存を選択できるものだけを認定することになる。
逆にいえば、共存できないと判断されたものは世界を敵に回すのと同義であった。
かつてのライドッグもその共存できない人間に指定されたことがあり、全世界を相手に戦ったこともある。
それでもなお、必ずしも倒せない理不尽な存在――それが伝説級たる所以なのであった。
ヴィッテルスバッハ公国をほぼ全く相手にせずに蹂躙し、一時は国家機能を喪失させた事実は、松田が久しぶりに誕生した新たな伝説級探索者ではないかと思わせるには十分な実績なのである。
「デアフリンガー王国は君との敵対を望んでいない。そこは安心してくれていい。可愛い娘を助けるために手を貸してくれたことを陛下はたいそう評価されていたよ」
「今、陛下とかおっしゃいました?」
「私は王国の経済顧問の一人でもあるのでね」
よくそんな人の娘を誘拐する気になったな、あの馬鹿公子。
いや、知ろうともしなかったに違いないが。
「スキャパフロー王国は今も君を血眼になって探しているらしいね。さすがに直接敵対するつもりはない、とは思うけれど」
「黙って逃げ出してきましたからねえ……」
現時点で松田が絢爛たる七つの秘宝を所持していることを把握しているのはスキャパフロー王国だけだ。
是が非でも秘宝を取り戻したい、だめなら松田を抱え込みたいというのがスキャパフロー王国の本音であろう。
あわよくば殺して奪いたい、と考える勢力がいることも確実である。
そもそも松田は軍部にもドワーフ評議会にも恨みを買っているのだから。
「ハーレプスト殿がこうして娘と結婚する気になったのもマツダ殿のおかげだろう。この恩は忘れないよ」
「師匠が自分で立ち直っただけですよ」
松田はほんのきっかけにすぎない。
ハーレプストは自分で考え、自分で決断して変わることができた。
「それでも、だよ。人はきっかけなしに変わることはできないものさ。きっかけというのは、自分を納得するために必要な通過儀礼のようなものだが、なかなか得ようとして得られるものではない」
ハーレプストがそのきっかけを得られたのは幸運だった。もしそのきっかけがあと五年遅かったら、さすがにローバルもハーレプストを恨まずにはいられなかっただろう。
「必要なことがあればなんでも申しつけてくれ。我が商会の総力をあげて応えよう」
「それではひとつお願いしたいことが――――」
「――――私、誕生!」
ツインテールに髪を結って、フォウはディアナそっくりの顔を花が咲いたように綻ばせた。
「声帯の再現も問題ない。技量を上げたな、マツダ君」
「ありがとうございます。これも師匠のアドバイスあればこそですよ」
声帯機能の追加は、ハーレプストの人形技術がかなりのウェイトを占めている。
もっとも松田のスキルをもってすれば、次回からはすぐに再現が可能なわけだが。
松田がローバルに頼んだのは、ハーレプストの工房からの素材とフォウの身体(予定)の運搬であった。
そればかりか新たな仕様のために必要な貴重な素材もクラウゼヴィッツ商会が入手してくれた。
さすがはデアフリンガー王国最大手、半端ない。
おかげで二人の結婚式前に、フォウに身体を与えるのを間に合わせることができた。
「ふうん、なかなか可愛いじゃない」
「ディアナお姉さま! 私はお揃いにしたかったのに!」
フォウが不満なのは、フォウとディアナの身体がほぼ同じ外見をしているために、ディアナが髪の色を変えることを強硬に主張したためだった。
そのため今のフォウの髪は、見事なハニーブロンドになっている。
「お父様、早く私の理想の新しい身体を……」
「まだ諦めてなかったの、お前?」
006の執念というか怨念があるから、新しい身体を用意するだけでは意味がないんだが。
「諦めません! 私のCカップ……! 決して諦めてなるものですか!」
ディアナの視線の先にはステラがいた。サイズ的にはまだ未成熟ながら、日を追うごとに女性らしさを増していく成長期のステラ。
彼女に置いていかれたくない。
なぜかそう思うことが多くなった。
「フォウも可愛いです! わふわふぅ!」
いや、気のせいかもしれない。
「ふふふふふふ……こうして身体を手に入れたからには、私もお姉さまといっしょに契約者様に甘え放題!」
「わ、私はそんなにお父様に甘えてないわ!」
「嘘です。ディアナはベタベタなのです。わふ」
「ワンコ娘にだけは言われたくないわあああああああ!」
「ステラ、ワンコじゃないのです。わふ」
「…………うん?」
ふと松田はステラが見慣れない格好をしていることに気づく。
そういえば結婚式用のドレスの試着をしていたっけ。
思ったよりもシンプルな、身体のラインがよく出るワンピースドレスだった。
これが思いのほか似合っていた。てっきりヒラヒラのフリル満載のドレスだと思っていたが……。
「似合うですか? ご主人様」
「とてもよく似合ってるぞ? ステラも成長したもんだ」
「やったー! わふわふふ!」
喜んでパタパタと松田の周りで回転し始めたステラに、松田は前言を撤回することを決めた。こいつあんまり成長しとらん。
「お父様! 次は私の試着ですから!」
「ああ、ラクシュミーさんのセンスは良さそうだから、安心して任せなさい」
「うぐぐ…………」
はたしてラクシュミーはステラのように少し大人っぽいドレスをチョイスしてくれるだろうか。
(今に見ていなさい。最後にお父様の理想像を手に入れるのはこの私なのですから!)
「お姉さま! お姉さま! 二人でハニーベアの着ぐるみを着ませんか?」
「死ね」
「えええええ! お姉さま、なんでですか? なんでそんなに怒ってるんですかああああ!」
結局ハーレプストとラクシュミーの結婚式は、盛大に――とはならなかった。
ラクシュミーはハーレプストの嫁にいくわけで、クラウゼヴィッツ商会とはほぼ関わりがなくなる。
つまりはハーレプストをクラウゼヴィッツ一族に迎えるというわけではない。
そんな二人の門出を必要以上に盛大なものにしないでほしい、というハーレプストとラクシュミーの意向を受け、二人の幸せを考えてのローバル苦渋の決断だった。
とはいえ、数は少ないながら顔ぶれは豪勢極まる。
ラクシュミーの兄であるアルフォンスはもちろんのこと、ドルロイとリンダ、そして――――
「君に会うのを楽しみにしていたよマツダ君」
まるで三国志の関羽を思わえる長い顎鬚の偉丈夫が、笑いながら松田に話しかけてきた。
温厚そうな笑顔から、そこはかとなく立ち上る経営者の気配に、松田は警戒を強める。
「失礼ですが、貴方は?」
「ローバルとは旧知の仲でフェッターケアンという。どうかお見知りおき願いたい」
あれ? どこかで聞いたことのある名前ですね。
救いを求めるようにローバルを見た松田に、ローバルは憐れむような目で答えた。
「陛下であらせられる。本人がどうしても、と聞かなくてな」
「はっはっはっ! 余も一国の王として、公国を滅亡の一歩手前まで追いこんだ男と誼を通じておきたくてな」
「…………恐れ多いお言葉にございます」
「これでも宰相や軍務卿の出席は見合わせてもらったのだ。なんというか……すまん」
「いえ、お気遣いなく。ラクシュミーさんの晴れの舞台ですし」
今日この日くらいは我慢しよう。
なかなか我がままには生きれないものだね。
「――――新郎新婦の入場です」
この世界では新婦の手を父親が引き、バージンロードを――という概念はないらしい。
目が覚めるような純白のウェディングドレスに身を包んだラクシュミーに対し、ハーレプストはミスリルを糸状にしており上げたドワーフ伝統のチュニックを漆黒に染め抜いている。
ハーレプストは傍目にも照れていっぱいいっぱいなようだが、ラクシュミーは勝ち誇――もとい、とても幸せそうに微笑んでいた。
割れんばかりの拍手を浴びながら演台に立ち、軽く会釈するとハーレプストは苦笑する。
「随分と遠回りをしたような気がするよ」
「そうかしら?」
「君は恨んでいないのかい?」
「待つことさえ愛していれば楽しめるものよ? 女は」
「君の小さいころを思い出すと、素直には頷けない台詞だなあ」
かなり悪辣な罠に嵌められた気がする。
「待つにもスパイスは必要でしょ?」
「昔から君に勝てる気がしなかったが、今、確信に変わったよ」
何かを諦めたように、同時にそれが誇らしいようにハーレプストは笑う。
「それではこの場に会した全ての者を証人に、永遠の愛の誓いの口づけを……」
ハーレプストは瞳を閉じたラクシュミーの美しい顔を見つめる。
失いたくないからこそ永遠を求めた。
失いたくないから手に入れることを諦めていた。
失いたくないというのは愛していることの裏返しで、愛していることから目を背けるために懸命に人形を作り続けてきた。
気がついてしまえば子供のように拗ねていただけ。
「…………認めたくないものだな」
まだ少女であったラクシュミーに、とうの昔に心を奪われていたなどと。
(しかし認めてしまえばこんなに心が楽になるものだね)
もちろん失う恐怖が消えたわけではない。
ただ、恐怖しているだけでは非生産的だと開き直って生きていく覚悟ができた。
変わったといえばその心の在り方だけなのである。
(人が信じられないのは人を信じたいという気持ちの裏返し……そう考えるのは簡単だ。でも心の在り方を変えることは難しい)
もしラクシュミーの人形を奪われていなかったら。
もし松田を裏切るよう強要されていなかったら。
はたしてハーレプストの心が劇的に変化していたかどうかは疑わしい。
しかし人の心は不変ではありえぬものだ。
(――――そのきっかけが早く君に訪れることを祈っているよマツダ君)
悪いが僕は一足先に幸せにならせてもらうが。
ハーレプストが花嫁の唇を自らのそれで塞ぐと、どっ、と拍手と囃したてる声が鳴り響いた。
「わふぅ……ラクシュミーさん綺麗です」
「うらやましいわ」
「お姉さま! 私たちも真似してみませんか?」
「死ね」
初々しく照れながらも、しっかりとお互いの手を握り締める二人をみて、松田は胸が熱くなるのを感じた。
――――人は変われる。
まだ自分が変われる気はしないけれど。
いつか自分の心に巣食う闇が晴れる日は来るのだろうか。
あのラクシュミーに瓜二つの人形を人質に取られたハーレプストが、松田を裏切らないでくれてうれしかった。
それでもなお、人形でなかったらハーレプストは裏切っていただろうと考える自分がいる。
いったいどんなきっかけがあれば自分は変われるのか。
まだその答えは松田の中にはなかった。




