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アラフォー社畜のゴーレムマスター  作者: 高見 梁川
第四章
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第百十九話 破滅の序章

 松田の召喚したゴーレムが空をゆく。

 いかに騎士団が精鋭で戦闘速度で移動しようとも、全く障害物のない空中を、最短距離で移動する高速の飛翔体には到底及ばない。

 猛禽類の最高速度は犬鷲でおよそ百二十キロ、隼に至っては百八十キロに達するという。

 問題は松田がこれほど離れた距離からゴーレムを操ることが初めての経験であったということだ。

 用心のために二十体に減らした鷹型のゴーレムは、わずか数時間ほどで森林地帯を逃走するオナンたちの一団を補足した。

「もうじき公国領に入る! 最後まで警戒を怠るな!」

 こと戦術指揮に関するかぎり、オナンは副騎士団長に抜擢されただけあって優秀な能力をもっていた。

 部下を掌握し、その能力の限界を適切に把握して、最適な行動を取る。

 彼らの行動は迅速で、松田の予想よりさらに先へと進んでいた。

 とはいえ上空から見下ろす鷹の目から逃れることはできない。

「――――見つけました!」

「おおっ! よかった!」

「思ったより奴らの行動が早い。ちょっと追いつくまでには時間がかかりそうです」

 それにしてもあれほどの速度で疾走されたら、馬車の中にいるラクシュミーにはどれほど負担がかかっていることか。

 そう考えると沸々と黒い衝動が腹の奥にわだかまる松田であった。

 事実、ラクシュミーは耐え難い振動と衝撃に、意識を保っているのもやっと、という状態である。

 しかし彼女の意思の強さが、吐いたり気絶するという選択肢を拒んでいた。

 さすがは子供のころからハーレプストをひたすら思い続けただけのことはある。

 モウルド森林地帯を超え、公国領に入ると、さらに百名ほどの騎士たちが待機していた。万が一リュッツォー王国からの追手がいる場合に備えていたのだ。

 このあたりの危機感のなさがラクシュミーたち常識人には信じられない。

 公国に単独でリュッツォー王国と戦う戦力などないのである。

 追手の数によっては、死人に口なしが通用しないこともあるだろう。

 そうなればもはや公国には破滅しかないのに、平気でなんとかなるだろうと考えている。

 自分に都合のよい現実しか見ない。自分の欲望が叶えられる未来しか信じない。

 それは前向きや楽観的とは似て非なるものである。

 彼らは現実の中を生きていないだけだ。

 一行がマルグの待つ宮殿にたどり着いたのは深夜になってからのことであった。

 豪胆にも激しい振動のなかで睡眠をとっていたラクシュミーは、乱暴なノックにまどろみを破られた。

「出ろ! 公子様がお待ちだ!」

「私は待たせた覚えはないのですけど」

 敵の本拠地に来たにもかかわらず、この不敵。一切の怯えを見せず相手を傲然と見下す鮮やかな物腰には、さすがのオナンも気味の悪いものでも見るように表情を曇らせた。

「……ふん、女狐め。己の立場をわきまえよ!」

 傷一つつけるな、というマルグの命令である。言葉で脅すことしかできないオナンなど最初からラクシュミーの眼中にはなかった。

 そんなラクシュミーの雄姿を、空から見守る複数の目が合った。

「やれやれ、大胆すぎるだろラクシュミーさん……」

 相手がもう少し見境のない男なら、殴られていてもおかしくない。

 強いものには巻かれるオナンだから見過ごしたのだ。これが変に忠誠心をこじらせた騎士であれば、殺されていた可能性だってある。

「さすがに鷹のままじゃついていけんよな」

 小国とはいえ、仮にも宮廷である。

 鷹のような猛禽類が部屋に入るのを、警護の兵士が見過ごすとも思われなかった。

「――――変形トランス

 上空を旋回していた鷹の姿が、複数の蠅とスカラベへと姿を変える。

 ありふれたその姿に注目する兵士は誰もいない。

 彼らの任務は警護であって害虫駆除ではないからだ。

 あっさりと潜入に成功した松田のゴーレムは、ラクシュミーの肩先に滞空して彼女を視野に収めた。

 小国とはいえ一国の宮廷だけあって、常時千人以上が稼働している宮廷の回廊は長い。

 その中をラクシュミーは、急ぎすぎず遅すぎず、悠然と歩いていく。

 そうしているうちにマルグのほうが待ちきれなくなったらしい。

「遅いっ!」

「あら、私は行くと言った覚えはないのですけど」

「この私が来いといえば来るのが平民の義務というものだ!」

「……公国の国民ならわからなくはないのですが……」

 ラクシュミーは冷笑する。

 その冷たい態度がマルグの喪失体験に重なった。

 病に倒れた亡き母は、我が子にやつれた姿を見せることを拒み、美しい思い出のなかに生きることを望んだ。

 しかし突然母に拒絶されたことを、子供が納得できるはずがない。

 理屈では納得できた今も、心の奥底で泣き喚いている幼い自分がいる。

 そうした内面をマルグは全く自覚していなかったが、衝動に突き動かされるようにマルグは叫んだ。

「私に冷たくするな!」

 そんなことは望んでいない。ママは子供に優しくなければならない。

「公子様に逆らうな。貴様も死にたくはあるまい?」

 ラクシュミーがマルグの機嫌を損ねたのを見て取って、オナンは憤激した。

 そもそもマルグの機嫌を損ねれば、ラクシュミーは即座に殺されてもおかしくないのである。 

 どうしてラクシュミーがこんなに強気でいられるのか理解できなかった。

 その種明かしは簡単である。

 ラクシュミーはハーレプストの弟子で、優秀な錬金術師でもある。

 その彼女の目には、松田の操る虫が生きた本物ではなくゴーレムであることは明らかだった。

 それだけではない。一種の精神操作である幻術を使い、クスコはラクシュミーに松田からの指示を届けた。

『指一歩触らせないから、安心して待っていろとハーレプスト様からの伝言ですわ』

(ああ、ハーレプスト様、ハーレプスト様、ハーレプスト様!)

 いったいどういう手段を使ったのかはわからないが、あのマツダの使い魔を名乗るクスコの言葉をラクシュミーは信じた。

 そもそも人形師としてのハーレプストが超絶の技術を持つことを知っているラクシュミーにとって、才ある存在の理不尽は身近なものである。

 凡人の努力をあざ笑うかのように、彼らは誰も達することのできない高みからその力を振るう。

 どこか上の空で自分たちをラクシュミーが無視していることに、すぐにマルグたちも気づいた。

「……いいだろう、貴様の立場というものを教えてやる」

 言葉で理解できないのならその身体に問うまで。

 少し考えてからマルグはオナンへ向かって手を振った。

「しばらく誰も部屋にいれるな。何があっても近づいてはならん」

「御意」

 これから先ラクシュミーに降りかかるであろう凌辱を想像して、オナンはいやらしそうにニヤリと嗤う。

 はたしていつまでラクシュミーが取り澄ましていられるものか。

 すぐに可愛い悲鳴があがるだろう。

 そうなってから後悔してももう遅いのだ。

 もっとも彼の期待はすぐに裏切られることになるのだが。


 巨大な天蓋付きのベッドを前に、マルグは勝ち誇ったようにラクシュミーを振り返った。

「さあ、君のするべきことはわかっているな?」

「なんのことでしょう?」

「まずは私におっぱいを吸わせるのだ。ママであるからには慈愛たっぷりに背中をトントンするのも忘れずに」

「きもっ!」

 挑発するつもりはなく、素でラクシュミーは零してしまった。

 マザコンが母性を求めるのもわからなくはないが、実際に成人男性から授乳を求められる生理的嫌悪感には逆らえない。

 まさか断られるとは思っていなかったのか、マルグは目を丸くする。

「まだわからんのか? その気になれば貴様はいつ殺されても文句は言えんのだぞ?」

 だから諦めてママとして俺を癒せ、とマルグは言う。

「なんといわれても、私は貴方のママじゃありませんので」

 私をママと呼んでいいのは、ハーレプストといつか彼との間に生まれるであろう子供だけ。

「いい加減にしろっ!」


 ――――ゴンッ!


「あだだだだだだだだだだだだだだだだだ!」

 ラクシュミーに拳を振り下ろそうとしたそのとき、目から火花が出るような衝撃がマルグを襲う。

 まるで透明なチェストが出現して、その角に思い切り額を激突させたかのような衝撃だった。

 あえて不可視の盾をマルグの正面に対して斜めに出現させたフォウのファインプレイである。

 あまりの激痛に額を押さえたまま、マルグは床を転がりまわって呻いた。 

「いったい何が起きた? もしやママの愛の鞭?」

「いや、それはありえません」

 額に大きな内出血の瘤をつくったマルグが、妙な方向へ勘違いしそうになったので、慌ててラクシュミーはそれを訂正する。

 先日僕をぶって! とマルグに追い回されたのは、らくしゅみーにとってもトラウマなのであった。

 ようやく痛みが引いてきたマルグは、少し冷静になったらしい。

 先ほど自分に起こったことが、ありえないという事実を改めて認識したマルグは、今度は慎重にラクシュミーの肩に触れようとした。

 ――――コツン


 伸ばした指先に何か触れるものがある。

 感触を確かめようとするが、鉄とも木材とも違う不思議な感触で、相当に強度の高いであろうことは推察できた。

 大の男が全力で激突しても平気であったのだから当然である。

「これはなんだ?」

「さあ?」

 ラクシュミーにも不可視の盾フォウ、などという伝説の秘宝が関わっているなど想像もできない。

 ただハーレプストとマツダが、自分を助けるために必死に頑張っているということを無条件に信じるだけだ。

 クスコの伝言はラクシュミーの勇気を百倍させるのに十分だった。

 本来ならば一国の公子を相手に自分を守り抜くことなどありえないが、ハーレプストならなんとかしてくれると思ってしまうのは、惚れた乙女の埒もないところであろう。

「ふざけるなよ! 私のママをこんなもので奪えると思うな!」

 正面からは無理だと思ったのか、マルグはラクシュミーの背後に回って抱きつこうとするもあえなく激突。

 頭上ならば、と間抜けにも椅子の上に登ってみるも失敗。移動可変型の盾フォウに死角はなかった。

「ぐあああああああああっ!」

 目の前に餌をぶら下げられて、手も足も出ない状態にマルグの理性はあっけなく決壊した。

 椅子を振り回し、は花瓶を投げつけ、ついには剣を抜き放って斬りかかるもラクシュミーは微動だにしなかった。

 この情けない男に、ハーレプストの――実際には松田の力のおかげなのだが――愛の守りが破られるとは微塵も思えなかった。

「あらあら、痛い痛いでしゅか? ぷぷ~!」

「俺のママはそんなことは言わん!!」

 ぜえぜえと肩で息をつくマルグに、ラクシュミーは赤ちゃん言葉で挑発する。

 こうなっては個人の力では埒が明かない。

 先ほど近づくなと言ったのも忘れて、マルグは大声でオナンを呼んだ。

「オナン! 兵を集めろ! この女のすまし顔をなんとしてもぶち壊してやれ!」

「は、はあ…………」

 呼びつけられたオナンは部屋が半壊しているにも関わらず、ラクシュミーが澄ました顔で余裕の笑みを浮かべていることに、少なからず不審を覚えた。

 着衣や髪にも全く乱れがないことから察するに、ほとんど触れられてもいないのだろう。

 いったい公子はこの女をどうしろと言うのだ?

「殺しても構わん! 剣でも槍でもいいから叩き斬れ!」

「ぎょ、御意」

 いったい何が起きているのかさっぱりわからない。

 とにかくラクシュミーが、公子にとって絶対に許容できないことをやらかしたに違いなかった。

 警戒にあたっていた騎士が室内に集められ、手に手に武装した剣を抜くと、広い室内もさすがに狭くなる。

 そんな状況でもラクシュミーはどこ吹く風。

(はやくハーレプスト様に会いたい……)

 などと妄想を始める有様である。

「早く殺せ!」

「ははっ!」

 槍を装備した騎士が四方向から槍を突き出す。さらに一呼吸遅れて剣が振り下ろされた。

 過剰としかいいようのない飽和攻撃だが――――

「んなあっ?」

「そ、そんな馬鹿な……」

「いったいこれは……あ、ありえん」

 この時ようやくオナンは悟った。

 公子は自分が彼女を斬れなかったからこそ、我々を呼んだのだ。

 そして我々もまた、彼女を守る謎の障壁を突破できなかった。

(この女の強気な理由はこれか――!)

 ラクシュミーの侍女たちを人質として連行しなかったことを、オナンは初めて後悔した。

 いや、まだ遅くはない。

 あるいは魔法攻撃や兵糧攻めという手段もあるだろうが、ラクシュミーにとって確実なのは人質による脅迫である。

 それは彼女が別荘から大人しく同行してきたことでも証明されている。

 しかしオナンがその策を実行する余裕は二度と訪れなかった。




「あれが公国の入り口か――――」

「まあ、派手にやりましょう。囚われのお姫様を救い出すのは、師匠だけに許された特権です」

「お父様! 殲滅していいですか?」

「騎士団の阿呆はともかく、住民の被害は最小限にしたいから却下」

「そんな~~」

 ヴィッテルスバッハ公国を眼下に望むケフィスルの丘に、歩く災厄のような一団が到着していた。

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